2話 家族
「お母さん、ただいま」
ノルが声をかけると母ロエルが振り返る。
「おかえり」
ロエルは長い髪をかんざしで結った利発的で美しい女性のシャーマンだ。 母の髪は艶やかな直毛なのに、自分の髪はゆるくウェーブがかかっていることはノルの密かな不満だった。
シャーマンとはよく当たる占い師だったり、亡くなった人の魂と生きている人とを繋ぐ不思議な力を持った人間のことだ。
儀式に薬草や香木を使うことがほとんどなため、植物や薬への造詣が深い者が多い。 先のことを知りたくなったときや人生に迷ったとき、大切な人と会いたくなったときに頼るシャーマンは需要の高い職業だ。 そのため真偽の定かでは無い怪しい者も多かった。
ロエルの場合は薬草や香木を焚きながら音楽に合わせて踊ると、亡くなった者の姿と声を周りの者でも見聞きすることができる。 母の血を引くノルは幼い頃からシャーマンの心得を教わっていた。
結っていた艶やかな髪をさらりと下ろし、薄く煙った中でスカートを翻しながら舞う様子はノルの目に焼き付いている。 オルゴールの不思議な音に合わせてステップを踏みながら軽やかに飛び、ふわふわと回る姿は力強く魅惑的でノルの憧れだ。
それとロエルの歌声には聴いた者を癒す力がある。 オルゴールに合わせて歌いながら舞う様子は言葉に尽くし難いくらい素晴らしい。 母の真似をしてノルが歌っても何も起こらなかったが、そんな光景もロエルは微笑ましく見守っていた。
「今日ね、森の中で私にそっくりな子に会ってね、友達になったんだよ」
テーブルにカゴを置きながらノルは鼻息も荒く森での体験を語る。 不思議な蝶を見つけた場面では「まあ素敵、私も見てみたかったな」とロエルが言うので更に蝶のことを詳しく話した。 ノルはカゴからルリベナの実をそっと取り出し、小さなカゴに詰め替えながら話を続けた。
ついにエアと出会った場面に差し掛かるとロエルは驚いた様子だったが、とても嬉しそうに頷きながら続きを促す。 さらにエアのことを「声は? 元気な子だった? 身長は?」と詳しく尋ねる。
母のその様子に気をよくしたノルは作業の手を止め、さらに夢中で話した。
ひと通り話を聞き終えたロエルはとても幸せそうな表情をしていた。 それに嬉しくなったノルは「そうだ! また今度会う約束をしたからお母さんも会えるよ」と少し得意気に頷く。
「……こんなおばちゃんを見たらエアくんが驚いてしまうわ。 私のことは気にしないで、ノルはエアくんにこれからも仲良くしてもらいなさいね」
母の笑顔にノルは首を傾げたのだった。
♢♦︎♢
その晩、ノルとエアが出会った場所よりさらに深い森の中の城で──。
「親父〜今日、秘密基地で俺にそっくりなヤツに会って仲間にしてやったんだよ」
「……エア、もう少し落ち着きを持って細かく話しなさい」
エアが親父と呼ぶ男はこの"サリナスの森"に住む妖精王ラミウだ。長身痩躯の顔立ちが整った男で、ゆるくウェーブの掛かった髪を軽く纏めている。
──妖精族は自然と共に暮らす種族だ。
見目麗しい者が多く、魔法の扱いに長けている。 人間と似た見た目だが寿命が150年ほどあり、背中に生えた羽で空を飛ぶこともできる。
その妖精族をまとめる者が妖精王だ。 妖精王の血族は代々金色の瞳を持って生まれてきた。 そのため、エアは次期妖精王候補だったのだ。
「だから、秘密基地に俺そっくりな人間の女の子が来たんだよ。 俺の方が背はちょっと高かったな。 それに俺に似ているから可愛い顔してたぜ。 あっ、俺の顔が可愛いってわけじゃなくてな」
「ほぉ〜」
「それとどんくさそうなヤツでさ、帰り道がわかんないって言うから送ってやったんだ。 でもいいヤツだったな。 俺の、いや俺たちの秘密基地を気に入ってくれてさ」
「ほぉ〜」
「あっ、もちろん羽は隠したぜ。 だからまた会う約束もしたんだ」
「ほぉ〜」
「なんだよ親父、さっきからフクロウみたいな声を出してさ」
ハッとラミウは淡く透けるような薄緑色の羽を振るわせる。
「ゴホンッ。 ──ノルはお前の双子の姉だ」
「えっ……?」
衝撃を受けるエアを横目に妖精王ラミウは続けた。
「ノルは人間として生まれたためロエル、お前の母親でもある人間の彼女に引き取ってもらったんだ。 我々妖精族は人間を嫌うものが多いからな」
妖精族は羽を隠せば人間との見分けはつかないが、わざわざ隠すものは少ない。 強い魔法を使うためには羽を出している必要があり、羽は妖精族の誇りでもある。 そしてなによりも人間との接触を嫌う者が多いためだ。
なぜ彼らが人間を嫌っているかといえば、不必要に自然を破壊する人間をおぞましく思っていたからだ。 そのため、ロエルと結ばれた妖精王ラミウは珍しい存在であり、一定の同族に嫌われていた。
「で、でも……」
「聞きなさい。 人間にしか使えないはずの火の魔法を使えるという理由でお前も幼い頃から里の者に陰口を叩かれていただろう。 ごくわずかに我々の血が流れていたとしても、人間のノルをこの里で育てることはノルのためにもよく無いとロエルと判断したんだ」
「俺、これからもノルに会いたいよ」
「いいとも。 ただしお前が妖精族だと誰にも知られるな。 ノルにもだ。 人間は自分たちとは違う者を排除したがる性質を持つ者も多い。 例え心から信頼できると思える者ができた場合でもよくよく考えてから明かすんだ。 ノルのためでもある、わかったな?」
「うん、俺がノルを守るんだ」
「それにしても、そうかノルは可愛らしく成長していたか。 ロエルと私の子だ、さらに美しく成長するに違いない」
それまで真面目な顔で話していたラミウは顎に手をあてる。
「いかんっ! いかんぞ。 ノルに悪い虫がついてしまうかもしれん。 危険は回避せねば。 そうだ、あの者ならば」
「ど、どうしんだ、親父?」
その気迫に後退りするエアの肩をガシッと掴むとラミウは言った。
「お前たちが生まれた日に植樹したシラカシの木の精霊をノルの護衛につけることにしよう」
「え、ええ〜?」
あまり目にすることのないラミウの親バカっぷりに、衝撃を受けるエアの目の前で、ラミウはシラカシの精霊を呼び出す。
土の香りとともに現れた精霊は、どんぐりが被っている物に似た黄土色の帽子をキュッと被りニコッと笑うと自己紹介をした。
「ぼくはチラカチ。 よろちくね」
4、5歳の少年の姿をしたシラカシの精霊は舌っ足らずだった。
「えっ、チラカチ?」
「うん、チラカッ……チ、チラッ──チラだよっ!」
チラはシラカシと言うことを諦めたようだ。 ラミウはそんな2人のやり取りを暖かく見守っていた。
【次回、ノルの母ロエル死す……】