14話 旅立ち
翌朝、まだ日が昇る前にサミューはノルの家にやってきてノルとチラを叩き起こした。
「ふぁ〜こんなに早く来なくても……」
「この先何があるかわからない。早め早めの行動が鉄則だろう?」
そう言うサミューを横目にノルはモゾモゾと朝食の支度を始めた。だがサミューが「朝飯は馬車の上でも食べられるだろう」と呟くので、用意していた朝食を包むとカバンの中にそっと入れる。
身支度を整え母ロエルのケープを羽織ると、ノルにはまだ大きいそのケープからは微かに母の匂いがした。ポケットにロエルのかんざしを入れれば、これでもう忘れ物は無いはずだ。
「行ってきます」
ノルは母の匂いに背中を押されたような気がした。そしてノル、チラ、サミューの3人は家を後にした。
「サミューさん、私村を出る前にお母さんのお墓へ挨拶に行きたいわ。そんなに時間はかからないから」
「……そうか、では俺は村の入り口で待っている」
サミューと一旦別れ、ノルとチラは墓地に向かった。朝日に照らされる中、ノルとチラは母ロエルの墓に手を合わせる。
「お母さん、私たちオルゴールを直しに旅へ出ます。見守っていてね」
それだけ言うと2人は墓地を後にした。
♢♦︎♢
3人は村を出てトニーおじちゃんとの待ち合わせ場所へ向かって歩いていた。今朝は3人の門出を後押しするように暖かい。
木の上に止まっていた鳥たちが、突然通りかかった人に驚いたかのように飛び立つ。そんな様子を見上げて歩いていたノルが木の根に躓き転びそうになると、サミューが受け止めてくれた。
「ほら、落ちたぞ」
サミューが財布を拾ってノルに手渡したが、その中からコインが1枚落ちて転がってゆく。ノルはそれを追いかけたが、ノルよりも先にコインを拾った者がいた。
クリクリとした目の小さい猿だ。尻尾にピンクのリボンを結んでいる。
「ありがとう、おサルさん」
ノルは猿からコインを受け取ろうとしたが、その猿は小首を傾げながらもコインをガッチリと掴んで離さない。ノルと猿がにらめっこをしていると「ダメだよ〜ブラウン」と言う声が近づいて来た。
その声の主は昨日村で見かけた商人に変装したスミスだ。それに続くかのように、さらに3人の商人風な格好をした男たちがわらわらと出て来た。
その4人はノルたちを見ると「ゲッ!」と言い、明らかに狼狽えた様子を見せる。ノルの後ろでサミューが大きなため息を吐いたが、ノルはそれに気づかない。
「アニッ……ア、アニマルが! オレのアニマルが失礼したっス! お嬢さん」
スミスはサミューとノルをちらちらと見てしどろもどろになりながら言う。スミスの明らかに怪しい様子と、首に巻かれたピンク色のスカーフを見てノルは以前、馬車で聞いた話を思い出した。
「あーっ! もしかしてあなたたちが盗賊"紙吹雪のスカーフ団"なの?」
ノルの言葉に男たちはビクッとしする。そして開き直ったように言った。
「バレてしまったからには仕方がない。そうオレたちはお嬢さんたちの旅立ちを祝う紙吹雪──って違うっ! "花吹雪のスカーフ団"! オレたちは盗賊じゃなくって義賊、ぎ・ぞ・く!! そこだけは間違えないでほしいっス!」
行き当たりばったりな名乗りをあげる"花吹雪のスカーフ団"を見つめながらサミューは、ノルとチラを遠ざけようと声を上げる。
「ここは俺に任せろ。お前達は先に待ち合わせの場所へ行っていてくれ」
「いいえ大丈夫よ、私も戦えるってところサミューさんに見てもらわなくっちゃ!」
そう言いながらノルはサッとかんざしを手に取ると、母のものと差し替えた。その横ではいつのまにかチラが肩にブラウンと呼ばれた猿を乗せている。
「ウキッ!」
「ありがとね、おちゃ……おさるさん」
チラがブラウンからコインを受け取る。周りの目がチラとブラウンに向いている間にノルはかんざしを横笛に変えた。
「(──お願い! 眠ってちょうだい)」
ノルはそう思いながら横笛を吹いた。辺りに幻想的だが眠気を誘う不思議な旋律が響く。そしてあっという間に"花吹雪のスカーフ団"は眠ってしまった。
ノルは再び元のかんざしで髪を結い上げると、いびきをかく"花吹雪のスカーフ団"の面々を木のそばへ引きずって行く。
「……何をしてるんだ?」
サミューが尋ねるとノルは"花吹雪のスカーフ団"を木に括りつけながら答えた。
「見てのとおりよ、サミューさんも手伝って。でもあんまり悪い人たちには見えなかったし、このまま眠っていてもらう事にしましょう」
ノルの手際の良さに内心ドギマギしたサミューだった。
♢♦︎♢
ノル達3人はファディックに向かう馬車の荷台に乗っていた。馬車を引く馬の息遣いに足音、干し草の匂い、いつも身近にあるそれらも、旅に出たという高揚感の1つになっている。旅に出たという思いに胸を踊らせながらノルは尋ねた。
「これから向かうファディックってどんな場所なの?」
「これといった特徴はないが、まあ農業で栄えた村だな」
サミューのぶっきらぼうな言葉にトニーおじちゃんが付け足した。
「そうそう、村の近くにはオレンジ畑がいっぱいあってね、牧歌的な風景が広がって、のんびりした雰囲気のいい村だよ。おじさんは畑で使う藁を売りに行くのさ」
「場所によって特徴が色々あるのね、他の街も見るのが楽しみになってきたわ」
そう言いながらノルはカバンからサンドウィッチを取り出すと周りの面々に配る。それからしばらく周りの景色をおかずに朝食を食べたのだった。
サナリスの森の横を通り抜け、野原を過ぎると、林が多くなってきた。朝食を食べ終わり、馬車の揺れが心地よくノルがうつらうつらしているときに突然それは起こった──。
ドゴォーーーン!!
馬車の横側に強い衝撃が走ったのだ。そのあまりの揺れにノルは馬車の中でフワッと浮き上がったくらいだ。衝撃のあった方を見ると馬車が半壊しており、周りを唸り声をあげる狼のような生き物に取り囲まれていた。
「──魔物だ!!」
馬の悲鳴のような嘶きが響き渡る中、魔物はかなり興奮した様子だ。ノルは初めて見る魔物に恐怖を覚えた。
体を覆う黒いモヤと、興奮しながらもどこか苦しそうな様子はとても異質で嫌な感じだ。魔物は涎を垂らしながら、ギラついた焦点の合わない目でこちらを見据えている。黒いモヤに覆われた体を低く構え、唸り声をあげながらジリジリと馬車への距離を詰めて来ており、今にも飛び掛かって来そうだ。
トニーおじちゃんは必死に馬をなだめるも、怯えた馬はなかなか落ち着かない。サミューは魔物から目を離すことなくノルに言った。
「お前達は隠れていろ。そしていざという時はお前がチラとトニーさんを守ってくれ」
しばらく剣の柄に手を掛け身構えるサミューと、唸り声をあげる魔物の睨み合いが続いた。無言の緊張感がその場の空気を支配している。
先に均衡を破ったのは魔物だ。
大きく吠えながら馬車に飛びついたが、すぐにサミューが馬車の外へ蹴り飛ばす。再びサミューの足に噛みつこうと襲いかかって来た魔物の攻撃を剣の鞘で受け止め、素早く手首を返して柄で魔物の鼻面に打撃を打ち込むと、サミューは馬車から降りて行った。