10話 楽器店で
サミューと呼ばれていた青年が店を出るとノルは後を追った。
「さっきはありがとう」
「別にお前のためではない。あの店で変な騒ぎが起こるのが嫌だっただけだ」
「でもサミューさん? あなたのおかげで私は攫われずに済んだのよ」
サミューはため息を吐く。
「元はと言えば、お前が金のたくさん入った財布を人前で出すから狙われたんだ。1人で歩くのならもっと用心するんだな」
サミューにそう指摘されハッとした。
「確かにそうね、ありがとう。でも私は楽器店を探すために情報収集していたのよ」
「……楽器店? それなら逆の方向だぞ。ハァ……しょうがない、連れて行ってやるよ」
サミューは再びため息を吐く。
「良いの? ありがとう、よろしくねサミューさん」
2人は楽器店へ向かって歩き出した。
♢♦︎♢
「──申し訳ないねお嬢さん。わしにはとてもこの芸術品のようなオルゴールを修理できる腕は無いよ」
ここはノルたちの目指していた楽器店だ。店内には大小様々な笛、弦楽器、ノルが見たことも無い不思議な異国の楽器も置いてあった。
楽器店の店主は申し訳なさそうにオルゴールを返す。ノルはしょんぼりと肩を落としながら言った。
「これ、お母さんの形見の品なの」
ノルと店主が会話する後ろでサミューがギターを弾いている。思いのほか上手い。
「ギターが好きなの? サミューさんの出す音色は聴いていて心地いいわ。あとでもう少し聴かせてもらえないかしら?」
ノルは尋ねた。
「ギターは、まぁ好きだが……俺は持ってない」
「そんなに上手なのに持っていないなんて勿体ないわ。そうだ! あなたにはいろいろお世話になったし、私から贈らせてくれないかしら?」
「急に何を言い出したかと思えば、楽器は安い物ではない。それに、お前のような子供に物をもらうほど落ちぶれていないぞ」
「そんなこと言わないで、お礼させてよ」
必死なノルと頑なに受け取ろうとしないサミュー。そんな2人を見て店主は、丸メガネをクイッと上げると言った。
「お嬢さんの大切な品に何もしてあげることはできないが、それを負けてあげることはできるのう」
「決まりね!」
ノルは店主にギターの代金を支払った。店主はサミューにギターを渡そうとするが、なかなか受け取ろうとしない。
「もうお金は払っちゃったのだから観念してちょうだい!」
痺れを切らしたノルは、店主からギターを受け取るとサミューに押し付ける。2人のやりとりをぼんやりと眺めていた店主だったが、ふとある噂話を思い出し話し始めた。
「そういえば、ここから東にあるルカミ山脈とウカンド砂漠を越えた先にある街、イルーグラスには凄腕の修理職人がいると聞いたことがある。その職人に直せない物は無いそうだよ。ただとても偏屈でその職人の頼みを叶えないと話も聞いてもらえないらしい」
ノルは満面の笑みを浮かべ、店主にお礼を言った。
「ありがとう、おじちゃん。私、そこに行ってみることにするわ!」
店主は少し心配そうな表情で2人を見つめる。
「かなり遠い場所だからね、気をつけて行くんだよ」
2人は楽器店を後にすると来た道を引き返した。
「なぜお前はそこまでしてそのオルゴールを直したいんだ?」
サミューの質問にノルは少し考え、他人に話せるありのままを答える。
「最近訳あって弟がいる事が分かったんだけど、お母さんは弟に会う前に事故で死んじゃったの。それでこれはお父さんがお母さんに贈った物なんだけどね、お母さんが事故にあったときにこれも一緒に壊れちゃったんだ。お母さんの大切な思い出が詰まったこのオルゴールは私の宝物でね、どうにかして絶対に直すって決めたの。──でも1番の理由はオルゴールの音色を聞いた事が無い弟に聞かせてあげるためかな。お母さんもそれを望んでいる気がするし、何より私はお姉ちゃんだからね!」
その後ろでサミューが息を呑んだが、その事にノルは気が付かなかった。
♢♦︎♢
夕方を知らせる鐘が鳴る。
「ああっ! 急いで帰らなくちゃ、遅くなっちゃう」
ノルは夕陽が照らす道を急いで門へ向かって歩いた。この時期は暗くなるのが早い。そのため門に着く頃には薄暗くなっていた。
「今日はありがとう、サミューさん」
そう言って街の外へ向かったノルをサミューが呼び止める。
「この時間は馬車が少ないが、お前何処から来たんだ?」
「スカベル村よ」
「スカベル村? それならさっき馬車が出たばかりらしい。次の馬車では到着は深夜になるぞ」
ノルは振り返ると得意気に言った。
「大丈夫よ。私には身を守る術があるもの」
「夜道は殊に魔物が出やすくなる。出発は明日の朝でもいいのではないか? いい宿を紹介してやろう」
そう言うとサミューは歩き出した。
魔物とは夜になると現れ暴れ回る、普通の野生動物とは一線を画す凶暴さを持った生き物だ。動物に似た姿をしており、色々な種類がいる。目に付いたものは自分達仲間以外は手当たり次第に襲うため、人々から恐れられており、詳しい事は分かっていないのだ。
すっかり暗くなった街には街灯が灯り、黒く鈍く光る石畳にはうっすらと光が反射している。街灯と店々の黄色やオレンジ色の明かりが反射して、夜でも明るく感じる街中をさらにサミューは歩いた。
そして昼に来た"仔羊の蹄亭"の前で立ち止まる。オレンジ色の明かりがついた店内からは、いい匂いと賑やかな声が漏れていた。
「ここだ。ここは俺が懇意にしてる店で、頼めば泊めてくれるんだ」
少し自慢げにサミューはそう言うと扉を開けた。