21.モテ兄弟とカフェ店主 〜ホット黒ゴマラテ
芽衣奈はウトウトしながら観ていたテレビの音に、ハッと目を覚ます。
「お友達をたくさん呼んでホームパーティを開こうと思っている、そこのあなたに朗報です!
この『81枚のパイシート』、これを買うと今なら『天井用の伸縮式モップ』が付いてきますよ!」
「まあ!81が光る『81枚のパイシート』と、『天井用の伸縮式モップ』があれば、たくさんのパイとピカピカの天井で、ホームパーティが盛り上がる事間違いなしですね!この素敵なホームパーティセットは今だけのお値打ち品なの!?」
「そうなんです!今だけですよ!先着10名様だけのセットです!今すぐお電話ください!」
テレビの中の司会者達が、魅力的なやり取りをしていた。
そんな真夜中のテレビショッピングを観てしまったら、先着10名に入るために急いで電話をかけるしかないだろう。
『天井用の伸縮式モップ』は、背の高い常連さんのいるシナモンカフェには必需品だ。
パイシートの価格自体は、シナモンカフェの仕入れ価格より少し高くなってしまうが、少し高いくらいの価格のパイシートにモップがおまけで付いてくるなら、買う以外の選択肢はない。
パイシートは美味しいものをたくさん生み出す。
『81枚のパイシート』は冷凍で日持ちもする物だし、あっても困る物ではないだろう。
素早い判断が功を奏したようだ。
無事先着10名様に間に合って、芽衣奈は満ち足りた気持ちでぐっすりと眠る事ができた。
真夜中のテレビショッピングは、これだから止められない。
翌々日の早朝にパイシートとモップがシナモンカフェに届き、早速パイシートを冷凍庫に片付けてから時計を見た。
まだオープンまでには時間がある。
早速手に入れた『天井用の伸縮式モップ』を使ってみる事にしよう。
モップを水で濡らして、試しにキュッキュッと天井を拭いてみる。
「………」
芽衣奈は拭いた部分をじっと目を凝らして眺めた。
あまり見た目に変わりはない。
だけどそんな事はないはず。変わりがなかったら、ただの衝動買いになってしまう。
芽衣奈は『気持ち綺麗になった気がするわ』と自分に言い聞かせる。
店の中全ての天井をモップがけする時間はないので、とりあえずトールさんの動線に合わせた天井を重点的にキュッキュッと拭いていく。それからラビさんがいつも座る席の真上の部分も。
絶対綺麗にしておきたい部分は拭けた。
後はクローズ後でいいだろう。
部分的に綺麗になったはずの天井を見上げながら、『やっぱりなんだか綺麗になった気がするわ』と頷いて、「良いお買い物をしたわね」と自分に言ってあげた。
今日は意外と忙しい日だった。
お客さんが帰ったと思ったら次のお客さんが来て、テーブルやカウンターの食器を片付ける時間もない。
お昼も大きく回った頃に全てのお客さんが引いたので、ようやくあちこちの席に置きっぱなしになっていた食器を片付けられそうだった。
カウンター席よりもテーブル席を選ぶ常連さんの方が多いので、先にテーブル席を片付けていく。
『後はカウンター席のお皿を引くだけね』と芽衣奈がカウンターの上のお皿に手を伸ばした時。
お店の扉のドアベルがチリンと鳴って、ラビさんとトールさんが入ってきた。
――今日、密かに待っていた常連さんだ。
芽衣奈はさりげなくトールさんの耳に目を向ける。
7センチほど折れている耳は、今朝モップがけした場所だ。
嬉しくて挨拶の声がいつもより弾んでしまう。
「いらっしゃいませ。ラビさん、お客さん!」
「こんにちはメーナさん。――今日は忙しかったようですね。ああ、急いでカウンター席を片付けなくてもいいですよ。今日は片付いている方のテーブル席に座りますから」
「え………」
芽衣奈は、受けたショックが思わず声に出てしまう。
今日はラビさん兄弟の、カウンター席までのいつもの動線に合わせて天井を拭いたのだ。
せっかくだから綺麗な天井の下を歩いてほしい。
「……テーブル席ですか……?」
『お客さんにはお好きな席を選んでほしい』と思いながらも、残念だという思いが声に出てしまう。
「――いえ。やっぱりカウンター席をお願いできますか?」
芽衣奈があまりに気落ちした返事をしてしまったからだろうか。ラビさんがいつものカウンター席を望んでくれた。
「はい!すぐに片付けますね!」
トールさんとラビさんの耳が、綺麗になった天井のルート上を通ってくれる事にホッとして、思わず声が張り切ってしまった。
「お待たせしました。『ホット黒ゴマラテ』です」
いつもの席に座ってくれたラビさん兄弟にカップを運んで、芽衣奈はにっこりと微笑んだ。
新商品のホット黒ゴマラテに口をつけて、天井で15センチほど折れ曲がったラビさんの耳も、モップがけした場所だ。
つい「今日の天井は違いますね」と声をかけられないか期待してしまう。
嬉しそうに微笑む芽衣奈に、ラビが微笑みを返す。
「この黒ゴマラテ、とても美味しいですね」
「あ。ありがとうございます」
ラビが口を開いた瞬間に輝いた芽衣奈の顔が―――言葉を聞いた途端に普通の笑顔になった。
『新商品の感想を期待したのではないのか』とラビは気づく。
『兄の言葉は的外れだったみたいだな』とトールも気づいて芽衣奈に声をかける。
「メーナさん、シナモンカフェは本当に心地いいですね。今日も兄にここへ来ようと誘われたんですよ」
「ほんとうですか?とても嬉しいです!」
――「とても嬉しい」と話す芽衣奈の顔は確かに嬉しそうな笑顔だが、先ほどの輝くほどの笑顔ではない。
お店に入った時、芽衣奈は自分達兄弟の顔を見て輝く笑顔を見せた。
カウンター席の食器を急いで片付けようとする芽衣奈を気遣って、カウンターから離れたテーブル席を選ぶと、彼女はとても残念そうな顔になった。
――悲しそうに見えたくらいだ。
それを見て、『兄に近くの席に座ってほしかったんだろうな』と思ったがそうではなかったようだ。
「僕ももちろん来たいと思っていたんですよ」
「ありがとうございます、お客さん!」
にっこり笑ってお礼を言う芽衣奈の笑顔には、やっぱり何か特別な思いがあるように見える。
だけど自分に気があるというわけでもないようだ。
『メーナさんは不思議な人だ』と兄弟は思う。
芽衣奈はそっと天井に目を向ける。
ラビさん兄弟に、天井をモップで拭いた事は気づいてもらえなかった。
だけどそれは『モップがけした事を気づかれないくらいお店の天井は綺麗』だから、とも言える。
真夜中のショッピングは、お店の天井が綺麗だという証明と安心をくれた。
やっぱり買い物は正しかったのだ。
そういえばラビさんは新商品のホット黒ゴマラテを褒めてくれた。
天井に気を取られてうっかり聞き流してしまったが、新商品の黒ゴマラテにはこだわりがある。
黒練りゴマとハチミツとたっぷりの牛乳を混ぜてから温めて、そこに淹れたてエスプレッソを混ぜ合わせたホット黒ゴマラテ。
ラテの上にホイップを絞って、センスよく黒スリゴマをトッピングしている。
ゴマとコーヒーが香る、ゆっくりした午後にお勧めのコーヒーだ。
そんな黒ゴマラテを褒めてくれた常連さんには、お店のスイーツ情報を伝えたい。
「ラビさん、お客さん。明日のスイーツはアップルパイなんです。以前とは違うアップルパイにする予定なんですよ」
嬉しそうに話す芽衣奈を、トールはじっと眺める。
にこにこと嬉しそうに笑いながら、自分達兄弟の好物情報を伝える芽衣奈だが、きっと自分達の気を引くためではないのだろう。
「それは魅力的ですね。明日も伺います」と話す兄に、「お待ちしています」と言葉を返す芽衣奈は、嬉しそうでありながらも穏やかな笑顔だった。
「あ。黒ゴマラテに使っている黒ゴマは、ゴマゴマ製油さんのものなんですよ。ゴマゴマ製油さんのゴマって――」と、芽衣奈が時間差でホット黒ゴマラテの丁寧な説明を始めた。
背の高いモテ兄弟にとって、芽衣奈は掴みどころのない不思議な人だった。




