02.常連さんのおばさま達 〜ジンジャーチーズケーキ
お昼を大きく回った頃。
お店の扉の向こうから、賑やかな話し声が聞こえてきた。
お客さんが誰もいなくなったタイミングでちょうど休憩を取っていた芽衣奈は、聞こえてきた扉越しの笑い声に立ち上がる。
『テーブルを準備しなくっちゃ』
芽衣奈は、三つある二人がけ用のテーブル席のうち、二つのテーブルをくっつけて、四人がけテーブルを作り始めた。
綺麗にテーブルを並び終えたちょうどその時、扉が開いて三人の常連さんがお店に入ってきた。
扉が開く時にチリンと鳴るはずのドアベルの音は、賑やかな笑い声にかき消されている。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは、メーナちゃん。三人よ。今日のお勧めケーキセットを三つお願いね」
「お勧めケーキセット三つですね。すぐに用意します」
「急がなくてもいいわよ〜」
明るい常連のおばさまにニコリと笑顔を向けて、芽衣奈はケーキと紅茶の準備に入った。
「メーナちゃん、この人どう?とっても素敵な人でしょう?メーナちゃんにお似合いだと思うのよ」
「あらあ、確かにお似合いね。おばさんもこの人なら良いと思うわ」
「あら、本当。素敵な人ね〜。メーナちゃんに良いんじゃない?」
芽衣奈がオーダーの入ったケーキセットを準備して、「お待たせしました」と声をかけると同時に、今日もいつものようにお見合い写真を広げられた。
テーブルの真ん中に、ドン!と主張するようにお見合い写真を置かれては、用意したケーキも置くことはできない。
芽衣奈はケーキを乗せたトレーを、ひとまず誰もいない隣のテーブルの上に置いて、お見合い写真の相手をじっと見つめる。
写真に映る男性は、確かに素敵な人だ。
優しそうだし、彫りが深いイケメンでもある。
普通顔の芽衣奈には勿体無いくらいの男性だった。
「とても素敵な方ですね。でも今はこのお店の事で精一杯なので、お気遣いだけ受け取っておきますね」
「お仕事だけの毎日なんてダメよ。女は恋に生きるものよ。
この人ケンタさんって言うんだけど、本当に素敵な人でしょう?ケンタさんは優しい人だから、お休みの日にはメーナちゃんを乗せていろんな所に連れてってくれるはずよ」
「……確かに優しそうな方ですね」
「そうでしょう?ケンタさんは優しくて、たくましいのよ。ほら見て、この足。メーナちゃんを乗せて、どこまでも走ってくれそうでしょう?」
足。私を乗せて走る足。
――乗せてくれるのは車ではないようだ。
お見合い写真に映る彼は、下半身がどう見ても馬だった。
メーナを彼の背中に乗せて、どこかへ連れて行ってくれるだろう彼は、どう見ても私がイメージするケンタウロスそのものの姿だ。
おばさま達はいつも「メーナちゃんにお似合いよ」とお見合い写真を持ってくる。
恋人のいない芽衣奈に、おばさま達がお見合いを勧めてくるのはいつもの事ではあるけれど、芽衣奈はその度に実はいつも戸惑ってしまっている。
前におばさま達が持ってきたお見合い写真は、どう見ても顔がフクロウだった。
「彼、ローさんって言うの。首が270度も回るのよ。すごいでしょう?空も飛べるし、メーナちゃんにお似合いよ」
そう勧めてくれた時に、「私は地に足がついた方の方が好みですね」と、苦しい言い訳をしてしまったのが良くなかったのだろうか。
お見合い写真のケンタさんは、たくましい足でしっかりと大地を踏みしめていた。
「でもやっぱり今は、お客さんとの時間を大切にしたいので。こうしてみなさんとおしゃべりできる毎日が、とても楽しいんです」
芽衣奈はお見合い話をサラリと流して、「紅茶が冷めちゃいますから」と声をかけて、テーブルに広げられたお見合い写真を丁寧な手つきで閉じて常連のおばさまに返した。
そして手早くおばさま達がオーダーした「本日のティーセット」をテーブルの上に並べていく。
ホットミルクティーは温かいうちに飲んでほしい。
「今日のスイーツはジンジャーチーズケーキです。みなさんに食べてもらいたくて作った新作なんですよ。ちょっとオトナのスイーツです。お口に合えばいいのですが。セットの紅茶はミルクティーです」
「まああ!珍しいケーキね!」
「本当に。いい香りだわ。大人の香りね」
「シナモンがほのかに香るわ〜」
「チーズケーキの下の部分は、砕いたグラハムクッキーにシナモンや色々なスパイスを加えて固めたものなんですよ。チーズケーキの部分にはたっぷりのジンジャーパウダーが入ってます。
スパイスたっぷりのジンジャーチーズケーキは、アンチエイジングに効きますから、お肌にも髪にもきっと良いですよ」
「まあ!うふふ、どうしましょう。これ以上艶々になっちゃうのかしら」
「本当ね。これ以上綺麗になったら、旦那が心配しちゃうレベルよね」
「こうして気軽にお出かけさせてくれなくなるかも」
ほほほほほと楽しそうに笑い声が上がる。
芽衣奈はお見合い写真から話題が変わった事にほっとして、そっとテーブルから離れて、カウンターのキッチン側に戻る事にした。
カウンターの中に入って常連のおばさま達を見ると、おばさまたちのワンピースの切り込んだ部分から出されている尻尾がブンブンと揺れていた。
常連のおばさま達も異世界人だ。
おばさま達の尻尾は、初めておばさま達がこの店に来てくれた日から気づいている。
「まああ、新しくお店が出来たと思ったら、こんな素敵なお店だったのね」
「こじんまりして落ち着くじゃないの。隠れ家みたいでいいわよね」
「うふふ。私たち人目を忍んで会いに来た恋人たちみたいじゃないの」
まああ、まああ、とおかしそうに盛り上がるおばさま達のスカートから、色々な尻尾が見えていた。
たぬきを思い出させる丸みをおびた茶色い尻尾、キツネを思わせるふんわり大きな長い尻尾、アライグマのようなシマシマでもっさりした尻尾。
『今マダム界隈では、『付け尻尾』みたいなのが流行ってるのかしら?』
思った事を芽衣奈は口には出さずに、「いらっしゃいませ。今日からオープンしたシナモンカフェです。ようこそいらっしゃいました」と笑顔を向けるだけにしておいた。
芽衣奈みたいな若造が、マダム達のファッションに物申すなんて畏れ多くて出来るはずがない。
その後。
ファッションのはずの『付け尻尾』が、本物のように動く事に気づき、実際に本物だと気づくまでに時間はかからなかった。
常連のおばさま達は、尻尾を生やした異世界人だった。
だけど芽衣奈はおばさま達が異世界人でも問題ないと思っている。
おばさま達は、ただ少しお節介なだけで悪い人ではない。
いつもお見合い写真を持ってくる異世界おばさま達は、芽衣奈のお店の大事な常連さん達なのだ。