01.シナモンカフェの常連さん 〜特製コーヒーリキュール
芽衣奈が『そろそろかな?』と思った頃に、カフェのドアベルがチリンと鳴って、いつもの常連さんが入ってきた。
「いらっしゃいませ」
声をかけた芽衣奈に、彼がいつものように注文する。
「いつもの」
「スペシャル珈琲ゼリーですね。かしこまりました」
芽衣奈の言葉に彼は軽く頷く。
それから彼は迷いなく、カウンターの奥の席に進んで腰を下ろし、カバンの中からいつものように本を取り出して読み始めた。
本を読む彼の邪魔にならないよう、お水とおしぼりを静かに彼の側に置いて、芽衣奈はオーダーされた商品の用意を始めた。
カウンターで静かに本を読む彼は異世界人だ。
どこを見ても普通の人にしか見えない彼が異世界人だと気づいたのは、わりと最近の事だ。
ある日芽衣奈が、「お待たせしました」と珈琲ゼリーを常連さんの前に運んだ時に、本から顔を上げた彼の髪がサラリと動いた時に見てしまった。
何気に目を向けた彼の耳の形が人の形ではなかった。
上部が鋭く尖っていたのだ。
普段は耳に被るくらいのサラサラの髪に隠れて、今までその耳の形に気が付かなかった。
だけど芽衣奈は、彼が「人間」ではない耳を持っていた事に気がついても、見なかった事にした。
彼はこのカフェのオープン時から、もうずっと芽衣奈の店に通ってくれている常連さんだ。
実は密かに味に自信を持って作っている、スペシャル珈琲ゼリーを毎日注文してくれている、大切にするべきお客様なのだ。
耳が尖っていたくらいで――たとえお客様が異世界人だったとしても、このカフェの主人でもある芽衣奈にとっては気にするほどの話ではない。
ただ。
『彼も異世界人なのね』
そう思っただけだった。
芽衣奈の開く小さなカフェ――『シナモンカフェ』は、古びた雑居ビルの一角にある。
雑居ビル自体は人通りの少ない目立たない場所にあるが、この店は家賃が信じられないくらいに格安なのだ。
お店を開くには何かと物入りで、資金もカツカツだった芽衣奈が、見つけると同時に飛びついた物件だった。
場所は確かに目立たないけど、「味が良ければ、客は自然と増えてくれるはず」と、芽衣奈は信じている。
――全財産をつぎ込んだのだ。信じるしかない。
実際、半年前に地味にオープンしたシナモンカフェは、今ではそこそこ常連さんがついてくれている。
芽衣奈一人でもじゅうぶんお店を回せてしまうくらいの忙しさではあるけれど、暇すぎない程度くらいの忙しさはあった。
格安家賃を払っても、芽衣奈が贅沢せずに生活できるくらいは稼げている。――思っていたよりも上々の滑り出しだった。
「お待たせしました。スペシャル珈琲ゼリーです。今日はアイスクリームの増量サービスです」
コトリと珈琲ゼリーを常連さんの前に置くと、本を読んでいた彼が顔を上げて芽衣奈を見た。
「増量サービス」の言葉を不思議に思ったのか、顔を傾けた時に髪がサラリと動き、また彼の尖った耳が現れた。
「昨日、お客様がお店にいらっしゃった時、新しく来られたお客様のために席を譲ってくださったでしょう?
席の数が少ない事に気を遣ってくれたお礼です」
「ああ……。ちょうど帰ろうと思っていただけですよ」
「いつもはもっとゆっくりして下さるじゃないですか」
「はは。このお店は居心地がいいですからね。ではいただきます」
そう言って常連の彼は、スプーンを手にとってアイスクリームを一口パクリと口にした。
常連の彼と話した事はなかったが、お礼のアイスサービスで始まった会話は穏やかだった。
アイスを頬ばる彼の顔が嬉しそうで、芽衣奈も嬉しくなる。
シナモンカフェの珈琲ゼリーは特別だ。
ゼリー部分は、お店のコーヒーに砂糖を溶かしてゼラチンを加えて混ぜて固めただけだが、食感にこだわりがある。
柔らかすぎず、固すぎず。
スプーンでスッとすくうと、スプーンの上でフルフルと動く柔らかさだ。
芽衣奈としては、上に乗せたアイスが少し溶けてきた頃がお勧めの食べ頃だけど、そこは芽衣奈好みの食べ頃のお勧め点なのでまだ誰にも伝えた事はない。
それよりも熱く語りたいのは、アイスに回しかけたコーヒーリキュールだ。
スペシャル珈琲ゼリーの上のアイスにかけたコーヒーリキュールは、コーヒー豆をコーヒーシュガーとホワイトラム酒で漬けた芽衣奈お手製リキュールだ。美味しさが半端ない。
作る材料に、深煎りのコーヒー豆を使っているところ、そしてカラメルの風味が味を引きててくれる、コーヒーシュガーをチョイスしたところも、芽衣奈のセンスが光っていると、自分自身は思っている。
芽衣奈特製コーヒーリキュールは、ガッツリアルコール強めなので、珈琲ゼリーを初めて注文した大人のお客様には、アルコールが大丈夫かを確認してからお出ししている。
そしてこの特製コーヒーリキュールを使ったスペシャル珈琲ゼリーは、一度食べたら忘れられない味になる事間違いなしの、やみつきゼリーでもあるはずだった。
「メーナさん、今日の珈琲ゼリーは格別美味しいですね」
「ありがとうございます。特製リキュールも増量サービスしてますからね」
「ああ、このアイスとこのソースの味が、毎日食べたくなってしまうんですよね」
常連の彼が、他の常連のお客さんが呼ぶように、芽衣奈を「メーナさん」と名前で呼んだ。
どうやら芽衣奈の名前を覚えてくれていたらしい。
「ふふ。ありがとうございます。この特製リキュールは私のこだわりの味なんですよ。アイスコーヒーに入れても、ソーダで割っても、ロックで飲んでも美味しいんです。私も仕事終わりに、ちょっとだけ飲んじゃうものなんですよ」
「それは……どれも美味しそうですね。ぜひメニューに加えてほしいです」
「お酒なので表のメニューにはできないんですよね。もしよかったら裏メニューとして、注文してください」
シナモンカフェは、店主の芽衣奈一人で回している小さなカフェだ。
常連のお客さんのご要望なら、なんだってアレンジオッケーな自由な店でもある。
「では明日は、メーナさん特製リキュールのソーダ割りを注文します。上にアイスも乗せてもらっていいですか?」
コーヒーリキュールのソーダ割り、そしてアイスのトッピング。それは。
「では明日のご注文は、スペシャルコーヒーソーダフロートですね。かしこまりました」
カフェの裏メニューがまたひとつ誕生して、芽衣奈はにっこりと常連さんに微笑んだ。