プロローグ
空が何色かって、あんたに必要なことかい?
ゼファーは後方勤務というわけでもなく、かといって最前線の激戦区というわけでもない、戦火の脅威こそあるものの、銃弾が飛び交うような戦場ではない。そんな場所で瀕死の女の子を見つけた。
「ゼファーです。負傷者が居るようです。救護班を要請します」
ゼファーの呼びかけに対し、無線の対応はいつもどおり冷たいものだった。
「お前が降りて助ければ良い。こちらの戦力をそちらに割くわけにはいかない」
ゼファーは鋼鉄の翼をうまく使い、短い距離で着陸すると、全身に打撲や切り傷があり、髪は無く、左目は破裂している状態だった。
「大丈夫、すぐに助けるから」
彼女にゼファーの言葉は届いているのだろうか。声を掛け、応急処置を施しているあいだも殆ど反応がなく、何度も脈を確認した程だった。
この拾いモノは、5年の時を得てようやく自我を取り戻したのだ。空色の髪がなびく美少女とはこのことだろう。右目は低い視力ながらも見えており、片眼鏡で生活できるまでに回復。金の瞳は再び世界を捉えることになった。左目は空洞にしておくわけにいかないので義眼を入れた。この義眼は銀色に輝いており、近くで見ると不気味なほど無機質である。一応視力は生み出しているようだ。
「あー、お前の拾ってきた子だけど、見たら登録抹消済みでな。どうやら捨てたらしい。その…前の持ち主は……トロントに住んでいるという事だから、ハイファまで来て捨てていったあと、エサレムに入国したようだ。ソレ以前はどこに住んでいたかは分からなかった」
士官の一人が書類を見ながら言う。5年かけただけあって十分な情報が集まったようだ。わざわざ戦火に巻き込まれている街まで来て、一人の少女を捨てていったという事だ。
「ムジブではなくハイファなあたり何かありそうですが……ともかくありがとうございました」
エサレムとは隣の国である。この国はテアビブといい、マダハ空軍基地が空への脅威に対応している。もちろん、ここの空軍基地の主力はプルーマ部隊である。
プルーマとは有翼人の総称で、ゼファーを含む有翼人によって構成された空軍である。得体のしれない生物に空を飛ばせることに不服なのは人間も同じだったが、エルフよりずっとマシな待遇であった。
「ともかく、自分の”ペット”の世話は自分でするように」
士官はそれを言うとゼファーの脇を通り過ぎていった。
「お姉様、おかえりなさい。今日はどうされましたの?」
この拾ってきた女の子はゼファーに懐いていた。瀕死の重傷を負っていた所を助けられ、5年間ずっと世話をしていたら分からなくもない。
「ううん。今日は簡単な偵察だけだったから拍子抜けしたの」
ゼファーは今もまぶたを閉じると片眼鏡に映し出される着弾地点の映像が見えてくる。ゼファーが装着する片眼鏡はこの子の視力矯正用ではなく、ミサイルの終末誘導を行うために着弾地点をたとえ首の向きを変えても見続ける事が可能になっている。もちろん、これを利用して偵察任務もこなす事が可能だ。
「まぁ。でしたら安心ですわ」
この子の名前はまだ聞いていない。耳を見ると横に長いのでプルーマではなくエルフだと理解できるものの、なぜ捨てられるに至ったかは分からない。
「まったく……ねぇ、貴方の名前は?」
何度目か分からない質問。しかし彼女は首を横にふるだけで、口も開かない。エルフの外見的特徴である耳はありえない程いびつに歪んでおり、見ているだけで痛々しいものが首の動きに合わせ揺れる。
「名前がないと不便だから……じゃあオブライエンってどうかしら」
彼女の金の瞳と、銀の義眼がゼファーを覗き込んだ。その目は少し輝いていた。
「貴方の名前。嫌だったら他に……」
ゼファーが言うとオブライエンと名付けられた女の子はゼファーに抱きついた。その力は強く、本当に嬉しかったのだと理解できた。
「……これからも……よろしくお願いしますわ、お姉様」
オブライエンとは同じベッドで寝るしかないのだが、今までと違い抱き合って布団に入る。お互いの体温が心地よい。
「この耳は……ピアスですのよ…時には壁にくくりつけて、私自身がそこから離れようとしたものもありましてよ」
オブライエンの耳がいびつな形状なのは、やはり虐待の跡であった。だが、ハサミのような鋭利なものにしてはいびつな傷跡だと思っていたが、まさか引きちぎっていたとは夢にも思わなかった。
「この基地では5年間すごしましたけれど……わたくしは幸せに過ごせておりますわ。皆様優しいですもの。この5年間で一度も叩かれた事も怒鳴られた事もありませんわ」
この基地は彼女にとって安息の地になっていた。今までがひどすぎてこの基地があまりにも良いと感じすぎるのだろう。
「でも、胸や腕、指、脚などは砕かれたり切り落とされたり、といった事はされませんでしたのよ。あっ!お姉様……その…ごめんなさい」
オブライエンはゼファーの左腕が肘から先を失っている事に対し謝罪した。まるで自分だけ五体満足で良かったと受け取られかねないからだ。
「別に気にしていないわ。もう何年も前だもの」
エルフの船乗に助けられ、その船の上での戦闘での負傷により失った。随分前の事なのに最近の事のように感じられる。
「そう、ならいいのだけれど」
ゼファーはその時の事を話しはじめた。
甲板に登る際にはしごを登らされた事、そして、その時にパンツを見られたこと。
甲板でうずくまっていたら船長に鼓舞された事。
怪我そのものではなく、怪我の治療で腕を失った事。
その後に現れた船に空対地ミサイルを叩き込んだ事。
寄港した場所は戦場になっていた事。
「そんなに……」
オブライエンはゼファーにしがみつくように力を込めて抱きついていた。
プルーマの魔法はエルフの魔法と根本的に異なる。その原理が理解されておらず召喚魔法と言われるが、実際は物質の構成の方が近い。魔力を固め物質へと変化させる。
「17番よりずっと気楽だったよ。眼の前で誰かが死んでいくのを見ている方が」
17番とは首のあたりに入れられる奴隷の焼印の事。オブライエンは消されているが、この刻印がある限り、へたな物よりも雑に扱われ、そして捨てられる。
だけど、この戦争はまだ終わりをみせない。これからも……苦痛は続く。
私の空はいつも血の色をしていた。そしてその心はどんどん鉛色になっていった
私はもうあの頃に戻れない。