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エッセイ 

真実と事実の違いに解釈を添えて、極論イグニッション

作者: NOMAR

(* ̄∇ ̄)ノ 奇才ノマが極論を述べる


 YO! HO! ラガマッシュ!

 DJノマの極論イグニッション、はーじまーるよー。

 えー、この極論イグニッションは皆様からのお便りにノマが異なる視点からこういう見方もあるよー、と提案するあんまり人生の役に立たない相談コーナーになります。では今回のお便りは、


「真実と事実の違いってなんですか?」


 お? なにやら哲学的な?


「小説を書いているときに言葉のチョイスに悩むときがあります。そういうときの一例なんですけど、DJノマはどんな感じで単語の使い分けをしていますか?」


 あ、なるほどね。意味が似てるものでも使い分けが違ってたりするし。武道と武術とか。あと学習と勉強とか。学習は動物全般で使えるけれど、勉強は人間限定とかあったりするしね。


「真実はいつもひとつ!」

「事実はいつもひとつ!」


 うん、微妙にニュアンスが変わるような。

 事実と真実だとー、


〇事実

 実際に起こった事柄。現実に存在する事柄。

〇真実

 うそ偽りのないこと。本当のこと。また、そのさま。まこと。

 『デジタル大辞泉(小学館)』より引用。


 というのが検索して分かることではあるけれど、聞きたいのは検索して簡単に分かるところじゃ無いんだよね、きっと。

 ノマの使い分けの考え方、極論で解説すると、この世には3つの世界がある。


■感覚の世界

 感覚というか感情というか、その人個人の世界。例えば幽霊の見える人にとって、幽霊がいることは事実で真実な訳だけど、他の人には幽霊が見えない。

 多くの人が幽霊は実在しない、という事実の中で生きている。だけども、幽霊が見える人にとって幽霊がそこにいるのは真実。

 私の真実、というのが感覚の世界の住人の言う真実になる。


 これがねー、行き過ぎた人になると私の真実を主張する為に、事実は無視してもいい、とか、事実は私の真実に合わせて塗り替えてもいいし、でっち上げてもいい、となっちゃう。

 例を出すと、地球平面説を信奉するフラットアーサーとか。地球は丸いという実験結果や検証は間違っている。科学者が間違っている。

 だって私の感覚では地球は平面なのだから。皆が騙されている。

 というのがその人の真実になる。

 真実ってのはその人の主観でもあるから、人の数だけ真実がある、ということにもなる。


■論理の世界

 一方で論理の世界とは、真実はひとつだ、という人の世界。研究者とか名探偵とかね。

 名探偵が推理する場面で、


「彼が犯人だ」

「どうして彼が犯人なんだ? アリバイは?」

「だって私が彼を犯人だと思ったから。だから彼が犯人だ」

「えええ?」


 と、なると名探偵とは言い難い。名探偵ならば論理的に事実を分析して、理屈で彼しか犯人はいないと解き明かして欲しい。


「彼に犯行は無理だ。だって夜の9時には彼も含めた皆がこのリビングにいた」

「確かに皆がこのリビングにいた。だが、それは犯人のトリックだった。このリビングにいる全員が、その時刻を9時だと思わせる仕掛けがこのリビングにあったんだ。皆が9時だと思った時刻は、本当は8時30分だったんだ」

「「な、なんだってえ!?」」


 と、なってくれないとさすが名探偵とはならない。

 論理の世界では、事実を調べて出てきた真実は、誰もが納得する普遍的なもので無いと困る。


 なので、私の真実を主張するためには事実なんてなんでもいい、という感覚の世界の住人。

 事実を調べたならそこから真実が見いだされる。なので事実の改変は絶対に許さない、という論理の世界の住人。

 この2つの世界の住人はとっても仲が悪い。


■仲裁の世界

 ぶつかり合う真実の仲裁役にされてしまった人の世界。中間管理職とか仲裁人の世界。分かりやすく言うと、


「真実とか事実とかどうでもいいから、ケンカしないで仲良くしてよう」


 という立場。ここでは解釈が事実よりも真実よりも重要になる。対立する真実を解釈でなんとか丸く納めよう、って。

 で、この仲裁の世界の住人がなんとかしてくれないと、あちこちでケンカばっかりおきてしまうことになる。


「では、日本の軍隊、自衛隊に関してだが、」

「待ってください。日本に軍隊はありません」

「む? 自衛隊は軍隊では無いと?」

「はい、自衛隊は自衛隊です」

「自衛隊は日本のarmyだろう?」

「違います、Self-Defense Forcesです」

「?……、 えぇと、議題は日本の海上自衛隊が所持する駆逐艦についてだが、」

「待ってください。海上自衛隊は駆逐艦を所持しておりません。海上自衛隊にあるのは護衛艦です」

「え? でも護衛艦も水上戦闘艦……」

「そのように解釈してください」

「?????」


 とまあ、解釈で乗り切ることで衝突を回避したりとか。もっとも解釈の使い方も、


「事実だとか真実だとか、そんなものは金儲けの為の方便にすぎない」


 と行き着いてしまうとこれはこれでおかしなことになる。


■3つの世界


 感覚の世界の住人は、私の真実の為には事実とかどうでもいいとなり。

 論理の世界の住人は、独りよがりの真実の為に事実を歪曲するな、となり。

 仲裁の世界の住人は、争いはやめましょうやあ、事実とか真実とか、拘るのやめましょうよう、となる。


 それぞれの世界の住人で、『真実』と『事実』の言葉の重みが変わってくるわけだ。

 

■真実の衝突


 かつて朝日新聞デジタルにて、

『「エビデンス」がないと駄目ですか? 数値がすくい取れない真理とは』

 という記事が掲載されて、話題になって炎上になった。


『エビデンスという道具を使って、他者を叩きたいという暗い欲望が蔓延している』


 記事の中のこの部分が批判されたわけだ。エビデンス(証拠、根拠)というのは他人にマウントを取る為の道具、とも読み取れる記事なので、そりゃ炎上するわ。朝日新聞はエビデンスの無い記事を掲載してんのかよ、と。


「証拠や根拠の無いデマでも、皆がそれを真実だと信じれば、多数決で真実だ」


 こういうのは多数決の悪用というところだろう。そして多数決を前提とする民主主義という思想が浸透した人達を、さてどう誘導してやろうか? というものにもなる。フェイクニュースとかな。マスメディアも露骨にやるのが透けて見えるとマスゴミと呼ばれるようになる。

 これが物理学や数学であれば法則や数式から、普遍的な真の解は出てくる。しかし物理学、数学以外ではただひとつの真実というのは難しいもんだ。


 ゲームの『メタルギアソリッド2 サンズ・オブ・リバティ』では、現代の予言とも言われる、真実についての言及が興味深い。


「世界のデジタル化は、人の弱さを助長し、それぞれだけに都合の良い『真実』の生成を加速している」

「争いをさけ、傷つかないようにお互いをかばい合うための詭弁_」

「衝突を怖れてそれぞれのコミュニティにひきこもり_」

「ぬるま湯の中で適当に甘やかしあいながら、好みの『真実』を垂れ流す」

「『政治的正しさ』や『価値相対化』というキレイゴトの名の下に、それぞれの『真実』がただ蓄積されていく」

「かみ合わないのにぶつからない真実の数々。誰も否定されないが故に誰も正しくない」

「社会に満ちる『真実』の山を見てみるがいい……」

「君達が『自由』を『行使』した、これが結果だ」


 1990年のゲームだがその内容は現代を言い表しているようで背筋が寒くなる。現代はデジタル上に独り善がりの真実が溢れている時代でもある。


■変わらぬ信念


 かつて聖書原理主義(ファンダメンタリズム)の資産家がいた。この資産家は天動説を信じていて、地球は平たいパンケーキのような形をしている、と信じていた。


「私に地動説を解説して、私に地球は丸いと納得させることができた人には賞金を出そう」


 なんて言い出した。その賞金の額が高いので、多くの学者、知識人が彼のもとに行き頑張って地動説を解説。地球は丸いのだ、という授業を行った。

 ところが誰ひとりとして成功できず、賞金を手にできた者はいなかった。その資産家は死ぬまで、自分の立つ大地は巨大なパンケーキのような形をしている、と信じていた。

 誰かの真実を変えるのはとても難しい、という例になる。


 実際に感覚の世界の住人に理屈で話をするのは難しいし、ときには危険なこともある。


 ノマはカルト3世、いわゆる宗教2世というヤツでコレをネタにエッセイにしたこともある。

 まあ、カルトの信奉者というのは『私の真実』が『世界の真理』になっちゃう人達なのでもとからヤバイ訳だが。その宗教を知っている自分達だけが世界の真理を知っていて、同じカルトの信者で無い人は、いまだに世界の真理を知らないかわいそうな人達、と哀れんでいたりとかな。


 ノマも幼い頃は親に言われるがままに信仰に付き合っていたわけだが、この宗教なんかおかしいぞ? とか疑問に感じるようになった。

 いや反抗期とか思春期ってメッチャ大事ね。

 で、疑問に感じたところを本で調べてみたりなどして、ある日、愚母にカルト批判を理屈で言ってみたわけだ。


 すると愚母に精神病院に連れて行かれた。親が信じているものを否定するなんて、心の病気に違いない、と。

 診断の結果は精神分裂病、または境界性人格障害。いや愚母の言うことを鵜呑みにした精神科医の診断というのは怪しいが。

 ノマの症状は境界性人格障害というよりは、解離性同一症に近いだろう。自己診断だけど。

 ノマが心の病気ということになり、コレを聞かされた愚父は、


「気違いになるとは我が家の恥だ! お前はもう世間に顔を出すな!」


 となりしばらく実家に軟禁されることになった。

『自分の真実』を否定されることを人は死ぬほど嫌う。こういうのは慎重にしないといけないところ。

 誰もが『自分の真実』を持ってる訳で、そこに迂闊に触れるとヤバイことになる。


■異世界転移


 コミュニケーションの上手い人っていうのは、この三つの世界を状況に応じてヒョイヒョイと移動できる人なんだろな。話題に合わせて、どの世界の立ち位置で発言すればいいのかが分かっている。


 例えば選挙でどの立候補者を支持するか? という話題のときに、


「あの立候補者は目付きがやらしいから投票しない」


 という感覚の話はあまりよろしくない。マジメに話すなら公約が何かとか、その立候補者のこれまでの実績とか、その人の思想が何かとか、こういうところを話題にしたほうがいい。

 一方で、今日は何を食べに行こうか? なんてときに、


「なんでもいいよ(ホントはカレーが食べたいけれど、空気を読んでみんなに合わせなきゃ)」


 という仲裁の世界の発言はこれはこれでめんどくさい。こういうときは感覚の世界の話でいい。でないとなかなか決まらない。

 では、論理の世界の住人が無難かというとそうでも無かったりする。慎重になりすぎて行動に移せなかったりとか、口だけでなにもしてないじゃないか、とか言われたりもする。

 行動すると決めたら多少の非合理や不条理は飲み込んでいかなゃならなかったりするので、その点感覚の世界の住人は行動力あるんだよな。


 どれかひとつの世界から出てこれない引きこもりになるとマズイわけだ。これはノマが人と話をするのが苦手な異世界転移の下手な人間なので、身を持って知っている。


■まとめ


 さて真実と事実の使い分け、ということだが。ノマならその単語を含むセリフを言う人が、どの世界に立っているかが重要かな。

 なにせ真実というのは人の数だけあるし、その上で真実とか事実って言葉は人によって重みが違う。

 事実ってのは人を騙す道具、煙に巻くアイテムって人にとっては、さして大事なものじゃ無い。

 だけど刑事とか裁判官だったら、事実は都合に合わせて書き替えるもんじゃない。証拠偽造罪だってなる。

 人と人のちょっとした諍いも、ほとんどが『私の真実』のぶつかり合いだったりする。

 なろうの感想欄で揉めるのもコレが多いんじゃないかな? 絶対に譲れない『私の真実』のために戦う、とか。


「これが世界の真実だ!」

「あーはいはい、真実真実ね」

「で? その真実はいくらで売れる?」


 セリフの単語のチョイスでそのキャラクターの世界観が演出できるなら、そのキャラクターを掘り下げると浮かびやすいんじゃないかな?

 それでしっくりくるものがあなたの真実だ。

 ということで今回の極論イグニッションはこれにて。

 お別れのBGMはOrigaの『rise』で。真実という単語の使い方の参考にもなる名曲だ。

 それでは機会があればまた会おう。

 シーユーネクストラガマッシュ!!



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