第八話 プリズンアート[後編⑧]
……エルディオス――byイテア
入る時がシャボン玉なら、出る時は霙かな。張り詰めた糸がそこらかしこで千切れたような音がした後は、シャリシャリシャリって水分少なめの霙みたいに柔く細かく崩れて――僕らは元の祭壇に戻ってきた。
思わずといったふうに仰ぎ見た空は相変わらず燻ってるし、足元も僕らが破った夢玉に加えて最初に散ったそれの破片でいっぱいだけど、吸い込んだ空気だけは変わらず澄んでいる。まるでオールナイト映画の後に浴びる朝日みたいだ。
「ぃ、生きてるのかアレ?」
「さ、さぁ……死んでるようには見えないけど」
「でも玉砕けてるぞ……?」
あっとヒソヒソ声のほうを振り返れば、エルフたちが中央に身を寄せ合って小山を成していた。夢玉から戻ってきた僕らを酷く警戒してるけど、見た感じ倒れたり怪我を負ってる人もパニックになってる人もいないみたいだ。根掘り葉掘り群がってくる様子もないし、物作りって根は逞しいんだなとホッと息を吐いた僕の肩に、トンと何かが乗っかった。ソウシの手だろうなと疑いもせずに顧みた僕は、
ヌォオォオ~ン。
七三司会者の白目どアップに文字通り目を剥いた。
「ひぇ、ななななっ……」
「随分と手こずったようね?」
へなへなと腰を抜かす僕を鼻で笑う声が、だらんと脱力した司会者のさらに後ろから聞こえる……リインさんも戻ってたんだ。「アタシが出て戻ってから一時間は経ってるわよ」と肩を竦めた彼女は事の次第をもう全部把握しているのか、別行動を取る前の騒ぎっぷりが嘘のように落ち着いていた。首根っこを掴んで傀儡みたいに掲げてた司会者をその場に下ろして、って超重傷人ここにいるじゃん!
「ちょ、この人平気なの!?」
「平気でしょ、ちょっと首踏んづけただけだから」
「いやアンタがやったんかい!」
「こんなモブ脇よりも、もっと重症なのが約二名いるようだけど?」
あっちとこっちに、とリインさんの指が自身の前後を示す。前にはマッフルさんに寄り添われて項垂れてるアディさんが、後ろにはソウシに項を掴まれたレイさんが同じく頭を垂れて座り込んでいた。
目が合ったソウシの首がコクンと動いたのを見て、頷き返した僕はアディさんのほうに駆け寄る。呼吸は落ち着いてるようだけど、僕が目の前で屈んでも呼びかけても反応はない。気力がないだけならいいけど……魔力枯渇の反動とかだったら…。
「大丈夫じゃ、飴はちゃんと効いておるよ」
「飴?」
「正確には、魔力を吸って飴玉になったワシの指輪じゃ。食べれば吸い取った魔力が逆に体内に満ちる」
だから大丈夫じゃよとアディさんの背中を撫でるマッフルさんの、豊かな髭に隠れた口元が震えたのが分かった……`身体のほうは`って。黙って目一杯広げた両腕で、僕は二人の背中を抱き込んだ。アディさんは変わらず沈黙したままだったけど、マッフルさんは涙ながら「ありがとう」と言うように力強く背中を抱き返してくれた。
「アンタにも説明はいらねぇよな。イテアを通して全部見聞きしてたんだろ?」
「っ……」
肩越しに顧みた先。レイさんの傍にしゃがんだソウシが項に触れたままだった手に力を込め、またそのままゆっくりと立ち上がった。翻された掌の上で小さな火花を放つ、僕らとは違うようでとてもよく似ている生きた物。
「……マッフルさん」
「飴か?」
「はい、一粒頂けますか?」
「勿論じゃよ」
一粒どころか七粒入った瓶ごと渡してくれたマッフルさんにお礼を言って、僕は二人から離れてソウシのほうに歩を進める。彼もまた手のなかの基板を弄りながらこっちに向かっていたため、ちょうど真ん中で落ち合う形になった。
「今更だけど、効くのかな?」
「効くさ、俺らが信じればな」
「……そうだったな」
夢玉の中だろうと外だろうと、信じたもの勝ちだ。ソウシの手によってピンッと弾かれたのちキャッチされた基板に、瓶から取り出したウサギ型の飴玉を一粒のせる。拒みたい気持ちは分かるけど、それじゃあ夢玉の中と何も変わらない……もうこれ以上誰も、ただ都合がいいだけの空っぽな幻惑に縋って自分の内側を磨り減らす必要なんてないんだ。
「今度こそ現実で、自分の言葉でちゃんと形にしてください――イテアさん」
くっと上から軽く飴玉を押さえつければ飴玉は霞むように端から崩れ、基板の新緑を瞬間的に暖色に染め上げる。ついで基板から漏れる火花が段々と大きくなり、更には手持ち花火みたく溢れ出てきて……やがて僕らの足元に幼い男の子の姿を映した。アンティークゴールドの短髪に点々と混じるココアカラーの毛と、左右でルビーとミルキーホワイトに別れた双眸。仮に双子に弟がいたら、こんな感じだったんだろうな。
「……ワレは」
「ん?」
「ワレは、アーディルの代わりじゃない」
ズンッと、その言葉は重く僕らの間に響いた。頭に血が昇ったような大声は夢玉のなかでも散々聞いたけど、伝わってくる激情は比にならなくて……ずっと下向きだったレイさんの顔を引っ張り上げた。僕らが戻ってくる前に泣いたのかな、その目元は少し腫れていた。
「イテ、ア」
「どうしてワレに、ワレを否定した者の面影を重ねる」
「そんなつもり――」
「なかったとは言わせない!」
いつかまたアディと、心強いよまるで幼き日に戻ったみたいです――悲鳴を上げるようにバチッと一際大きく爆ぜた火花から、レイさんの声が流れてきた。イテアさんが在りし日の声を録音してたものだから若干の違和感は拭えないけど、切なくも`いつか`に胸を高鳴らせる思いはそのまま響いている……イテアさんはコレを直に聞き、あまつさえ今の今まで消すこともできなかったのか。或いは消しても消しても、レイさんが六年の時をかけて上書きしていったのか。
「ワレは何度も否定した、そして貴方を肯定した」
「……そうだね、何度も救われたよ」
「なのに! 貴方はいつまで経っても彼の肯定をやめないっ」
ふらりそろりと伸ばされたレイさんの手が、腰を上げたイテアさんに弾かれた。その勢いのままに目線を合わせるように膝をついていた彼の胸倉を掴むと、力いっぱい前後に揺さぶる。バチバチと瞬く火花はレイさんの作務衣だけじゃなく、その肌にも容赦なく熱を与えていた。止めようかと思ったけど、ソウシが目で「動くな」って……レイさんもレイさんで、抵抗のての字も見せようとしなかった。
「彼の肯定はワレへの否定っ……貴方はワレに甘えはしても、一度だって本当に必要とはしなかった!」
「……だからアディを、その命さえもを徹底的に否定しようとしたんですね」
「自らの存在を肯定して何が悪いと!? 所詮吾らは生者と紛い者っ、生者は生者を否定した先に生者の肯定を求める! 紛い者はその間の慰め物なんでしょう!?」
お前たちだって同じだと、イテアさんは叫びながらエルフたちを振り返る。お前たちがアマクに求めているのは現実離れした、生者の力では到底成し得ない夢なんかじゃない……ただ楽して手にしたいだけの、どこまでも現実じみた欲だと。だからレイさんがアディさんを求め続けたように、何れ現実に戻っていく。そしてアマクには見向きもしなくなると。
「どうせ現実の欲に帰るなら、最初から夢など望むな!」
満足したからと背を向けて`次の欲`に手を伸ばすことを許すほど、欲は甘くないぞっ――それはイテアさんと、今までエルフの園で使い潰されてきたアマクたちの悲鳴だった。僕は痛感した。彼らはズルくなんかない……手にした人たちがズルい使い方をしてきただけだったんだ。
自分を壊すかと、イテアさんがレイさんに向き直る。欲を映すどころか潰そうとする補助具など、制御の効かない武器以上の脅威だろうと自嘲する色違いの目は、火花の熱か魔力切れの影響か今にも炭になりそうだった。
「吾に、貴方を壊す資格はありません」
貴方が言ったことは正しい、イテアは何も悪くないとレイさんは震える手で自らの項を撫でる。その表情は後悔からの自己嫌悪で泣きそうになっていて、本当はイテアさんの髪を撫でたいんだろうけど……自己満足でしかないと、自重したんだろうな。
「悪意を引っ張り出されて何が本心か分からなくなったから、無理に外そうとすれば今度こそ理性のすべてが悪意に呑まれてアディを……そうやって貴方に押しつけてきた吾が、どうして今さら…」
「それも押しつけだろうがこのバカ兄貴が」
いつの間にか傍に歩み寄っていたアディさんが、その声に釣られて持ち上げられたレイさんの横っ面に問答無用の一発を叩き込んで、
ゴッ。
同じ拳を自分の顔面にもめり込ませた。これには僕とレイさんだけでなくイテアさんも目を丸くしたけど、ソウシと遅れて歩み寄ってきたマッフルさんは「やるじゃん?」とでも言うように苦笑していた。
「イテア、だったな」
「…………」
「俺等は今でも、お前の作り方は許容できない。俺等の考える武器は、物作りは自分の頭で考えてこそだ」
「……魔力潰しの分際で…」
「だな、それはお前が正しい」
だから礼を言う――睨み据えてくるイテアさんから目を逸らさないまま屈んで、アディさんが頭を下げた。今の今まで自分を殺そうとしていた相手に向かって堂々と、丁寧に……すぐにハッとしたレイさんが「アディ何をっ」と駆けつけて熱を持った鼻に掌を掲げたけど、そのまま下ろして肩のほうに回してしまった。[コールスフィア]を、使おうとしたのかな。
「……れ、い?」
「ムカついたしショックだったけど、俺等が貰ってばっかで返すこと……レイ兄を支えることを忘れてたのは本当だからな」
長く傍にあるとそれが当たり前になっちまう、絶対にそんなわけがないのに――一文字ずつ噛み締めるように紡がれたアディさんの懺悔に、なぜか僕自身の胸が酷く痛んだ。そのままふらっと後ろに足を流せば、塞き止めるみたいに伸びてきた掌に髪をぐしゃぐしゃ掻き混ぜられた。ソウシの掌だった。
「お前のおかげで思い出せた。だからそれだけは礼を言っておく」
「……それだけ…」
「それだけだ。ぁ、いやレイ兄を助けてくれてたことに関してもか」
親父の形見は俺等たちを守るためのもんだったのに、とアディさんはもう一度イテアさんに向かって深く頭を垂れる。同時に彼に寄り添っていたレイさんの瞳から、堪え切れなかった涙が一筋溢れて頬と肩を濡らしていった。それもイテアさんが「なんだよ……」と小さく零すと手の甲で拭って、アディさんを庇うように前に出る。
「イテア、最初に貴方を傷つけたのは吾だ。すべての責任は吾にあります」
「…………」
「でも、吾はアディには手を出さない――たった一人の弟だから」
「……貴方を最初に否定した、これからだって…」
「それでも、喧嘩中でさえ`いつかの仲直り`を夢見るくらい大事で仕方ないから」
どれだけ物作りの工程で意見が食い違おうとも、潜在意識に承認欲求と表裏一体の悪意が秘められていようとも、根底にあるのはやっぱり`大事で大事で仕方がない双子の弟`だから――心を振り絞るような声で、後悔以上に揺るぎない兄弟愛が滲む目でそう告げるレイさんの姿は、
「……赤髪の君よ」
哀れだったのか、それとも眩しかったのか。イテアさんにはどう映ったんだろう。
「夢玉で言ってましたよね、ワレには`信じる力`が足りなかったと」
「……はい」
「ワレは、誰の何を信じれば良かったんですか」
弟に取って代われると信じて敗れたワレがと向けられた眼差しは虚ろで、僕の一言次第ではそこから全身が崩れてしまいそうだった。間違えられない、けどそれだけじゃなくて……僕は固く唇を噛んだ。あの時僕は、イテアさんを作ったレイさんの気持ちを指して`信じる力`って言った。でも、その気持ちを打ち明けられた今じゃ……と、マッフルさんが唐突に「分からんのぉ」とのんびり口を開いた。
「レイとアディのどちらかに身を窶さずとも、二人の弟になって良かったじゃろうに」
「っ……は?」
「ん? レイと一体化してアディの代わりに魔法を使おうというのは、つまりそういうことじゃろ?」
ワシは息子が増えて嬉しいぞと微笑みながら、自分より少し低い位置にあるイテアさんの頭を撫でるマッフルさん。驚愕に見開いてる時でさえ力が抜け切ってなかった色違いの双眸が、初めて無防備に脱力した。弟、息子と唇で紡いだイテアさんは茫然としていた目元と頬をカァッと熱くすると、マッフルさんの手を振り切って僕らに背を向けた。
(誰かの代わりにならなくても、家族に……)
それがイテアさんの、彼とレイさんの言葉を借りるなら潜在的欲求――またしても僕は、何も分かってなかったんだな。「しゃしゃり出てすまんな」と眉を下げるマッフルさんに首を振って、苦笑の裏側に自分の情けなさを押し込んでいると、
「ハハ……ワレもまた、現実の欲を求めていたというわけですか」
イテアさんの力ない呟きが聞こえてきた。これが`物が生きる`ということかと僕らのほうを振り返った彼の表情は穏やかで、同時に生命力を使い切ったようにも見えた……って比喩でも何でもなくマジで身体消えかかってますけど!?
「ィ、イテアさん消えっ、消えかけて……!」
「何を大袈裟な、頂いた魔力が尽きかけているだけです」
「ぁ、そういう……じゃあ飴をもう一粒――」
「いい。もう暫くはいい」
少しだけ時間がほしいと消えかけている自分の手を見つめたイテアさんは、僕とマッフルさんに視線を移して順に頭を下げたのち、双子のほうにふらふらと歩み寄っていく。戸惑いながらも差し伸べられたレイさんの手に、肌の濃度が半分くらいになった彼の手が重なれば透明化はさらに加速したけど……僕にはそれが具現化した安堵の吐息に見えた。
「ワレが壊したものは、決して軽くはない」
「同時に、いつかは変えなくてはいけなかったものです」
「……ワレは…」
「さっきも言ったでしょう、この園への謝罪も責任も吾が負うべきものだと」
それが作り手、生みの親という存在です――子守唄を紡ぐような、長年の葛藤を労うような声で、一雫の温もりと一緒にレイさんが囁いた時。
「……エルディオス」
イテアさんは完全にその輪郭を空に溶かした。残されたのは黒く力尽きた基板だけで、ヒュッと落下したそれをアディさんが片手でキャッチする。武器の作り方、芸術の在り方に人知れず抗い`存在`を叫び続けていた生きた物……刹那、このエルフの園そのものがイテアさんに黙祷を捧げるように空気がシンと静まり返った。




