第三話 冒険者試験[後編①]
じゃ、試験開始といこうか――byウル
「紙の補充が不十分だって、マフ爺に言っておかないとな」
「言わなくていい僕の確認不足だっただけだから!」
よりによって僕の個室だけがペーパー切れってどういうこと!? 他の個室はスペアまで完璧だったのに……先行きが不穏だと溜息を吐くと、僕とソウシを乗せてのっしのっしと歩いている猪狼の背中を労うように撫でた。前方を進んでいるウルももう一頭の背中で胡座をかいている。
晴天・そよ風・緑豊かな絶景というお出かけ日和三点セットが揃うなか、フーリガンズを出た僕らはウルの引率のもと森を目指していた。僕らがマッフルさんと話している間にウルは、自分のペットモンスターである猪狼――文字通り猪の牙と狼の身体をもつ獣を連れてきてくれた。
ナージュさんの店の裏の小屋で飼っているらしいが、昨晩は鳴き声とか全く気づかなかったな。今も会ったばかりの僕らをこうして乗せてくれているし、見た目のわりに大人しい質なのだろうか。
「ガウッ」
「どわわっちょっ」
なんて考えた矢先、目の前をプワワ~ンと粉を振りまきながら過ぎっていった蝶っぽい虫に猪狼が反応し、ぐりんと身体の向きを変えた。危うく振り落とされそうになった僕の身体を、ソウシが後ろからヒョイと掬い上げてくれる。
「ぁ、ありがと」
「だからシートベルトになってやろうかって言ったのに」
「だから恥ずかしいって言ったじゃん!」
「こらシシ、蛾蝶は毒があるから食べるなって言ってるだろ」
名残惜しそうに虫を視線で追っているこの子はシシという名前のようだ。兄のイノを見習って早く拾い食いを卒業しろ、と言って正面に向き直ったウルの背中を暫し見つめた僕は、思い切ってずっと気になっていたことを尋ねることにした。
「なぁウル、さっきギルドで――」
「あぁ、オレがモンスターに育てられたって話?」
興味があるなら話すぞと肩越しに振り返ったウルの表情は、心配していたほど沈んではいなかった。
「物心つく頃には、コイツらの母親と一緒に森にいた。乳を飲ませてくれたことも、毛皮で身体を暖めてくれたことも何となくだけど覚えてる」
「コイツらって……じゃあウルの育ての親は猪狼なのか?」
「そ、イノとシシはオレの兄弟ってわけだ」
愛おしげに、イノの背中を撫でるウル。僕はどうしてこの二頭が初対面の人間を前にしても大人しいのか、ようやく分かった。と同時に何とも言えない寂寥感に襲われた。本来人を襲うモンスターが人を助け育てたのだ、こんなに温かい話はないだろう……でもこの感動は、生みの親に捨てられたという悲劇があるから成り立つのだ。それに今のウルの話し方からして、彼を助けた母親はきっともう……。
「着いたぞ」
思い切って謝るべきか否か。モヤモヤと悩んでいる間に目的地に到着したらしく、ウルの号令でイノとシシが歩みを止める。ハッと見上げた先に広がっているのは、鬱々と深く生い茂る木々――巷では`ガープの森`と呼ばれている、僕とソウシが最初に降り立ったあの森だった。
「採取するのは、このツキノミっていう花だ」
ウルはポケットから四つ折りの紙を取り出すと、バッと広げて僕らに見せてきた。真ん中には鈴蘭のような花の絵が写実的に描かれていて、その下には花の説明が綴られている。この字、マッフルさんのか……え、てことはこのめっちゃ上手い花の絵も? こんなのも描けるの!?
「`月光を好むため普段は月夜にしか咲かないが、稀に月光と陽光を間違えて開花し、月と太陽双方の光を秘めた後者は価値が高い`……ぷっ、間抜けすぎんだろ」
説明文をつらつらと音読するなり「太陽と月間違えるってwww」と吹き出すソウシ。そんな笑ってやらなくても……月の光は太陽の光を反射したものだし、昼間も月は出てるわけだし。
「生息地が記載されてないけど、光を好むってことは森のなかでも開けた場所に咲いてるのかな?」
「ご名答」
僕とソウシにシシの背中から降りるように言ったソウシは、次に「じゃ、試験開始といこうか」と片手を僕らのほうへ伸ばしてくる。
「カウントマジック・イン・ドリープ」
ウルがそう唱えた瞬間、僕らの頭上に`01:00:00`とデジタル時計が表示された。その数字通り制限時間は一時間きっかりで、それまでにツキノミを採取していれば合格とのこと。そして時間をオーバーしているにも関わらず試験を続けようとした場合は、睡眠魔法の[ドリープ]が強制発動するらしい……いや結構シビアだな。もしモンスターと戦ってる最中とかに時間切れになったらどうなるんだろ。
「ああ、対戦中ならドリープは発動しないよ」
「よ、よかった」
「たぶん」
「たぶん!?」
「冗談だよ、シュウタロウって揶揄い甲斐があるね。じゃ、よーいドンっ」
「スタート軽っ」
「ハイ終太郎、そろそろ行くよー」
弾丸ツッコミはまた後でねとソウシは子供を宥めるように言うと、僕の腕をとってさっさと森の中へ入っていく。そうだ、今はツッコミに時間を割いてる場合じゃない! 僕はバチンっと頬を叩いて気合いを入れ直すと自分の足でソウシの隣に並び、ウルから手渡されたツキノミの資料を読み返す。
「にしても夜に咲いてるほうじゃなくて、昼のほうを摘んでこいって結構ハードだな」
「……だな」
「どうかしたか?」
「いや……そろそろいいか」
森の入口が完全に見えなくなった辺りでソウシは歩みを止めると、同じく立ち止まった僕の額にトンと人差し指を当てる。
「アジュバントスキル[思念伝達]発動」
「ぇ、なに――」
『急で悪いけど、こっからは心で会話してくれ』
「いっ……『ぃ、きなりどうしたんだよ?』
バッと掌で口に蓋をし、言われた通り心で応えた。けれどもソウシは僕の問いに答えないまま、心の中で[カットラビリンス]と唱えるように言ってくる。またコイツは一方的な……でも眼差しだけはこれ以上ないくらいに真剣だったから、大人しく言う通りにした。
『カットラビリンスううぅんんんん!?」
最後のほうは普通に声に出して驚愕してしまった。だって唱えた瞬間に空間がマーブルに歪んで木の上に瞬間移動したかと思えば、すぐまたパッて別の切り株の傍に移動したんだよ!? それも五回もっ、ビックリするじゃん!
「なにこの魔法……ロードスキップの細切れバージョン?」
六回目にて、野花が広がる開けた場所に出たところでようやく細切れテレポートは終わる。なんだか軽い車酔いにでもあった気分で、僕は到着と同時にその場にへたり込んでしまった。「ま、そんなもんかな」と返したソウシは相変わらずピンピンしているが。タフだなおい。
「こっちは近道できるだけじゃなくて魔力の残滓もバラ撒くから、追跡者だけを翻弄できるけど」
「なにそれ凄いっ……で?」
急に心の中で会話しようと言ったりわざわざ対追跡者用の魔法で移動したり、アドベンチャー経験のない僕でも妙だってことくらい――ウルを警戒してることくらい分かる。でも何でだ? そりゃこっちが申し訳なく感じるくらい、ぶっちゃけちょっと怖いと思うくらい親切にしてもらったけど。僕はウルのこと、そこまで警戒しなければいけない相手には思えない……ていうか思いたくない。
「心配しなくても、べつにアレが悪いやつだなんて思ってないよ。むしろ向こうが俺らを警戒してるってのが正解だろうし」
「えっ、なん……ぁ、僕らが余所者だからか」
当然っちゃ当然だとポンと手を打つ僕にソウシは「かもな」と曖昧に肩を竦めると、とりあえずツキノミだけでも採取しようと僕を立ち上がらせた。そういえばと僕も改めて辺りを見回して気づいたが、ぽっかりと木々が開けたこの場所なら陽光も月光も存分に浴びれる。ツキノミが咲くには打って付けの場所だ。
「鈴蘭みたいな白い花、白い花……ってなくないか?」
紫色のタンポポっぽい花とか青いペンペン草とか、口が生えた白い斑模様の赤い花とか、見たこともない花や草ばかりたくさん生えてるのに……いやなんか最後のは見覚えある気もするけど。とにかく肝心の白い花だけが見つからない。
まぁ試験のお題に抜擢されるくらいのレア度みたいだし、そんな簡単にはいかないかと屈んで足元に生えている草花を掻き分けていく。その間にソウシの頭上にあるデジタル時計を確認すれば`00:45:27`とあった。残り四十五分で、この禿っ原全域を調べられるだろうか。
(ていうかよくよく考えたら、絶対に咲いてるってわけでもないんだよな……)
「終太郎、俺の実力忘れてないかい?」
これって運も実力の内ってやつかと軽く絶望していると、ソウシが僕の頭にポンと手を置いて気障っぽくウィンクを飛ばしてくる。もしかして探知系の魔法も使えるのかと、僕はつい期待してソウシを見上げてしまった。ウィンクと同時にフヨフヨ漂ってきたハートを、ベシッと叩き落としながら。
「[ディテクト・アイ]――右目に記憶させた探し物を、左目に宿したフィルターで探し出す魔法だよ」
「お、おう」
まず左目を隠し、右目だけでツキノミの絵を見ながら「ディテクト」と声に出す。すると右側の視界が一瞬ブレて花の絵だけが黄金色に縁取られ、網膜に焼き付いた。次に左目を露にしながら「アイ」と唱えると、目の前の禿っ原全域がモノクロに染まり――一箇所だけが黄金色に点滅した。僕はすぐさまその場所に駆け寄ると、魔法を解いて這い蹲り、今度は自分の目で探す。
「っ、あった!」
そして遂に見つけた……のだが、
「いや小っっっっっさ!」
資料の絵と違って、本物のツキノミは僕の親指くらいのサイズしかなかった。そりゃ肉眼で見渡した程度じゃ見つからないはずだわ! 潰さないように慎重に指で摘んで根っこごと引き抜くと、とりあえずハンカチで包んでポケットにしまう。デジタル時計の数字は`00:39:16`か、よっしゃ余裕でクリア! ちゃんとルールを守ったうえで合格したなら、ウルも本当の意味で警戒心を解いてくれるだろう。
「……そういえばさ」
ホッとしたところで、ウルについて一つの疑問が浮かび上がった。ウルは物心つくよりも前にモンスターに育てられたと言っていたが、それにしては人というものに慣れすぎていないか? 言葉はもちろん、街の人との関わり方や生活の仕方まで……現にギルドであの言葉を聞くまで、僕はウルがモンスターに育てられたなんて考えもしなかった。
「なんでだろ、うなっ……!?」
腰を上げた瞬間に頭上から馬鹿デカい竜巻が、いやドリルが降ってきた。間一髪掻っ攫われる形でソウシに助けられた僕は直撃を免れたが、心臓はバクバク鳴っている。地面からソウシの腕を通して僕の身体に伝わってくる振動が、頬にぶち当たる暴風が攻撃の本気度を表していた。
(そういえば珍しい花の周辺には、凶悪モンスターがいるって言ってたっけ……)
「ルールを厳守したうえで合格したってのに、随分なお出迎えだな――ウル」
「え……」
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