第八話 プリズンアート[前編⑤]
最初に気に入ったのは、たぶん音だ――byアーディル
「……シュウタロウ」
声をかけたのは気紛れだった。仕事前の気分転換にしてる散歩から戻ってみればおっかなビクビクと、小動物よりも小動物らしく案内看板の後ろに隠れてた余所者。
――たのっ……みたぃ、ことがございまして…
そのくせ集落を見据える眼差しは、山里の誰よりも力強いときた。しかも単純に根性だけが取り柄ってわけでもないみたいで、アーディルたちに関する質問の要所要所には小動物らしからぬ鋭さが覗いてた。
「温かい肉、久しぶりに食べた」
「……ふぉっほほ」
ガコッと音を立てて引き戸が内側から開かれ、十数年前は集落屈指と呼ばれた武器職人がのっそりと這い出てくる。朝一で工房を一部貸してくれと言われた時は「うちは駆け込み教会じゃねぇです」と反射的に断ったけど、なんかのらりくらりと押し切られて今に至る。材料は持参してるみたいだったし、場所と道具を貸すくらいならノーリスクだし。
「いい子じゃろ?」
なにより、子供心ながらに憧れた人だしな。
「すぐ騙されて誘拐されそう」
「その心配はないのぉ。なんたって、おっかない相方が傍におるからな」
「……で、完成したんすか?」
あの子が帰ったから出てきたわけじゃないだろと振り返れば、想像よりも真面目な面構えをした爺さんが立っていた。その手が抱えてんのは白と黒の、服か?
「服、作ってたんすか?」
「武器はアディの担当じゃからの」
ちょいとメカニットを拝借させてもらったが、糸も布もちゃんと持ってきたものを使ったから安心してくれと爺さんは眉を下げて笑う。幼少の記憶に焼きついてる、命を生んで奪う武器職人の微笑だ。皺の数を除けば十数年前と何も変わってない。
(となると、アレは戦闘服か)
天才の戦闘服と、期待の星の呪いの武器――シュウタロウ、とそのおっかない相方とやら。君らは相当幸運だよ。
「それと、これ以上頼むのは申し訳ないんじゃが……ちーとそちらの、工具を貸してもらえんかの?」
「工具?」
「調整しときたい、マジックエージェングがあるんじゃよ」
アーディル、お前もな。
◇◇◇◇
「むむぅ……」
洞窟住居玄関前に広げられたキャンピングスペースにて。ゴギーの乳から絞って作ったチーズ入りの焼きパンを齧りながら、僕は唸っていた……ジャヴさんのおかげで蜘蛛の巣連想紙はだいぶ埋まったけど、まだ本当に埋まっただけだ。歌詞は作文とは勿論、ポエムとも違う。短歌や川柳みたいに字数が決まってるわけでもないのに、なぜか纏まりがあって音楽に合う文字たち――それが歌詞だ、と思うんだけど。
「国語力マイナス三十一点の僕には、やっぱ無茶ぶりが過ぎるって……」
《異世界への冒険》、《自由な友達と相棒》、《エルフの双子への不安と緊張》――うん、こりゃ駄目だ。小説の章タイトルみたいになっちゃってると、裏返した連想紙にへにょ~っと顎をのっける。まぁ連想した単語を順番に繋げただけだもんな。
「だから食事中にウダウダ悩むの止めなさいって」
「んぐっ」
パンから千切ったチーズの塊を、リインさんが弾き玉の要領で僕の喉めがけて投擲してくる。昨日の串といい僕の口は的じゃないんですけど、とリインさんをジト目で見やりながらチーズごと鈍い痛みを飲み込んだ。
それにしてもミルクと一緒、濃厚で美味しいなこのチーズ。固そうで意外と柔らかいこのパンとの相性抜群だしと今度はゆっくりと咀嚼して味わえば、リインさんはやれやれと嘆息してブラックティー―現世でいうところのコーヒー―を飲んだ。
「シュウタロウ、食い終わったら工房に来てくれ」
「え?」
まだ仮だがグリップの部分だけは一応できたと言って、アディさんが一足先に空になった皿を下げる。立ち上がった背中に向かって咄嗟に「ぁ、はいありがとうございますっ」と声をかけると、彼は片手をひらっと振って住居に戻っていった。安堵したような焦りが増したような……自分でもよく分からない息を吐いて、僕も半分浮かしていた腰を元に戻す。
「き、昨日の今日で早いなアディさん……」
「ドワーフたち曰く、彼が依頼の期限をオーバーしたことは一度もないそうよ」
常に五分前行動ならぬ数日前行動を心掛けてるんでしょと、リインさんはパンから毟ったチーズをサイコロみたく積み上げていく。でも「食べ物で遊んじゃ駄目だよ」って注意しようとしたら、見越したみたいに纏めて一気に食べちゃった。子供か。
(それにしても、数日前行動か)
――完璧主義者だった俺等は瞬く間に忙殺されてぶっ倒れた
期限を守るのは大事だし凄いことだけど、なんかそれに囚われすぎてるっていうか……今も試作品ができたってわりには、顔色あんまり良くなかった気がするし。
「楽しく、ないのかな」
「楽しく?」
「刀、作ってて楽しくないのかなって」
「……仕事なんだから楽しいも何もないでしょ?」
仕事なんだから、と念入りに繰り返してブラックティーをひと思いに呷るリインさんは、無意識だろうけどアディさんと同じ顔をしていた。本当はやりたくない、でもやらなきゃって自分を追い詰めてる人の顔。監視員として此処にいるのは命令だって、そういえば言ってたな。アディさんも本当は……うぅ…歌詞も全然だし、なんか急激に気が重くなってきた。
「ハァ……」
「なに、残すの? 貰っていい?」
「ん、いいよ」
用意してくれたアディさんには申し訳ないけど、ご馳走さまと力なく手を合わせて立ち上がる。そうだ、アディさんの工房に寄ったらその足でソウシの昼飯の配達いこ。
「……アディさーん?」
チーズパンご馳走さまでしたとそっと工房を覗くと、「入ってこい」と声だけで手招かれる。チラッと昨日トンカチがめり込んでた壁を見やれば、道具は回収されてたけど罅割れた壁はそのままで、厚めのテープがバッテンに貼られてる。ジャヴさんのゴミ屋敷を見る前だったら「雑っ」とかツッコんでただろうな。
「相方はどうした?」
「あーそれが、今朝から山に隠った切りで……」
このあと届けてきますと布で包んだチーズパンを掲げると、アディさんは肩越しに一瞥してからテーブルの上が見えるように席を立った。チカッと瞬いた二対の煌きに、逸る気持ちをそれこそ気持ち程度に抑えて駆け寄る。
「わ、ぁ……」
先日まで剥き出しだった、抜き身のなかでも茎と呼ばれる部分が黄金色の柄に生まれ変わっている。黒い鍔も僕らがお願いした通りの形だし、知識として知ってる刀の持ち手そのままだと、刀という呼び名すら知らなかったとは思えない仕上がりだと感嘆の息をこぼした。
その興奮を抱えたまま「持ってみてもいいですか?」とアディさんを振り返って、僕は硬直した――彼の顔を彩っていたのは、不満一色だった。違う悔しいコレじゃないって、全身で叫んでるみたいで……どうして? こんなにちゃんと出来てるのに?
「ど、どうしたんですか? 刀はちゃんと――」
「っせぇ! それが駄目なんだよ!」
「え、わっ……」
僕を押しのけてテーブルに歩み寄ったアディさんは乱暴に刀を鷲掴むと、そのまま振り上げて床に叩きつけようとした。ちょ、ちょちょ何してんの!? 試作品とはいえせっかく出来上がったのに! 僕は慌ててアディさんに飛びつき、振り上げられたままの腕を下から掴んだ。
「アディさん待って! とりあえずその刀置いて!」
「言われるまでもねぇ!」
「いや投げることは置くことじゃないしっ、とにかく止めてってば!」
刃まで折れたらどうするんですと声を荒げた刹那、隕石みたいなパワーで暴れていた腕がピタッと静止した。うぅ、無理に背伸びしたせいで足裏が攣りそうだよ……けどこの機を逃すまいともういっちょ伸びをすると、固まってるアディさんの手から抜き身を取ってテーブルの上に戻す。
改めてアディさんを顧みれば振り上げてた腕こそ下ろされてるけど、刃を握っていた掌の形はそのまま……僕は控えめに、けどしっかりとその隙間を埋めるように自分の指を絡めて軽く引く。俯いていたルビーの瞳が、刃物で皮膚を薄く裂くようにしてこっちを向いた。
「実はお昼前、ジャヴさんに話を聞いてきたんです」
「…………」
「100%の武器は駄目だって、言ってました」
「……アイツらしいな」
フッと何とも言えない苦笑をこぼし、アディさんは力なく椅子に座り直す。気づいてるかどうか分からないけど、繋いだ手はそのままだ……今は、僕からは振りほどかないでおこう。
「少し違ぇけど、俺等も同じ考えだ」
「違う?」
「アイツにとっての`0.1%の伸び代`は、俺等にとっては`使い手の驚愕`だから」
依頼人の想像を超えた相性の良さ、すなわち驚愕を武器に込めるのがアディさんの職人像ってことか。確かに0.1%と驚愕じゃだいぶ印象が違うけど、依頼人の想像を超えるって点では二人とも同じ方向を見てるか……ん? ていうか僕、今普通に驚いてたけど。
「想像通りで驚いた、だろ」
「ぇ、あ……」
「だから駄目なんだ」
「アディさん……」
僕の反応を見る前、それこそ仕上がる前から手応えを感じなかったとアディさんは重く呟く。それも僕の刀だけじゃなくて、最近受けてる依頼の殆どに対して感じてないって……でも依頼人の要望通りには作れてるから、本人の思いに反比例して評価は上がりまくり。現にジャヴさんに頼んでた人は、ドタキャンしてアディさんに鞍替えしてる……誇りを持ったクリエイターにとっては、最悪のジレンマだな。
「一番ダセェのは、そんな駄作を如何にもな顔してお前に見せてる俺等自身だ」
「そんなっ」
不良品を渡したわけでもあるまいし! 依頼人が満足してるならそれで、ってそういう満足じゃ駄目なんだよなこの人たちは。シンプルなスランプじゃない分、なにを言ってあげたらいいのか分からないよ……いやシンプルスランプでも励ませる自信ないけど。
「悪ぃな、武器作らせてくれって言ったのは俺等なのに」
「……最初に頼んだのは僕ですよ」
レイのこと言えねぇわと、緩んで落ちそうになったアディさんの手を慌てて握り直し、軽めの深呼吸をする。空っぽってわけじゃないけど、不思議とそれまで頭の中をグルグルしてた小難しいことは氷みたいに溶けてなくなっていた。
「アディさんは、どうして武器職人になろうと思ったんですか?」
「……あ?」
「だって、マッフルさんに育てられたからって同じ道を選ぶ必要はなかったでしょ?」
どうしてですかと首を傾げればルビーの瞳が物凄い眼力で睨みつけてくるけど、まぁ最初はこうだよなと予想してたからか全然怖くない。未だに手は繋いだままだしね。一向に動じない僕を前に、アディさんの吊り上がっていた目尻は溜息と一緒に早々に脱力した。
「……最初に気に入ったのは、たぶん音だ」
木材を削る音や工具が噛み合う音、鉄を溶かす火の音に魔法が付与される音。当時は立ち入り禁止だったマッフルさんの工房から漏れ聴こえてくるそれらの音が心地よくて、レイさんと二人朝から晩まで廊下に並んでよく耳を傾けていたらしい。それから山に落ちてる木や石で武器作りの真似をするようになって、おままごとで留めておくには気力も才能も惜しいと判断したマッフルさんが`弟子`の肩書きを与えたんだって。
「つっても、当時ジジイはあくまで物作りの弟子のつもりだったみたいだけどな」
「物作り……ぁ、まだ二人とも小さかったもんね。武器作りは危ないから――」
「人殺しの道具だからだ」
下手に恍けるな、とひと睨みされて反射的に謝ったけど……才能は伸ばしたくても殺しの覚悟は継がせたくなかったマッフルさんの思いや、全部引っ括めて惹かれた二人のことを考えると複雑だった。でもブスくれる僕の顔で逆に気が抜けたらしく、アディさんの表情筋は苦くも緩む。
「で、俺等に何を言わせたいわけ?」
「……楽しかったですか?」
武器を作るのは、楽しかったですか――本当はレイさんと一緒に作った最初の武器のこととか、最初に依頼を受けた時のこととか思い出してもらってから問うつもりだったんだけど。貴方には一問で十分でしたねと肩を竦めれば、呆然としていたアディさんはやがて「ああ、楽しかった」と小さく零す。狐の嫁入りの、最初の一雫みたいに。
「レイと最初に作ったのは剣だ。量産型の、極普通の」
「量産型ってことは、依頼人はどこかの兵士さん?」
「いや、王子だったよ」
「王子!?」
また王子かよと目を剥く僕に「また?」と一瞬キョトンとするも、アディさんは直接依頼に来たのは王子の側近だけどなと話を続ける。当時アディさんとレイさんは十歳で、ミリタリー・ディスターブが起きる半年ほど前のこと。
なんでも生まれたばかりの王子に、護身用の短剣を贈ろうとしたらしい……いやいや出産祝いに武器って物騒すぎない!? 死刑の異世界人って生まれたその瞬間からやる事なす事ナイトメアなの!?
「思い返せば、初依頼が赤子の成長を見越しての武器作りって普通にヤバいよな」
「す、凄いって意味では確かにヤバいですね……」
本音を言わせてもらえば、なんだかんだ言いつつ依頼熟しちゃったんだろう貴方たち双子が一番ヤバいと思いますけどね。
「ガキの手のサイズの平均出したり、ある程度運動神経が低くても使えるよう軽量化したりさ」
「……?」
「短剣一本に、脳から血が滴るんじゃってくらい揃って頭捻ったよ」
「……そうですか」
言ってることこそ物騒だけど、その眼差しも口元はこの上なく優しく微笑んでいて、なんだか僕の頬まで綻んでくる。お祭り前夜って例えると安直かもしれないけど、実際当時の二人はめちゃくちゃ大変だったんだろうけど――それ以上に楽しかったんだろうな、きっと。
「……シュウタロウ」
「はい」
「出てけ」
「んなっ」
グリップ、作り直すからよ――ガビーッンと口を開けたままの僕の額を指で突くと、アディさんは首と肩をコキコキ鳴らして刀に向き直った。その横顔に思い出の微笑みが浮かんだままなのを見て取ると、「じゃあ、お願いします」と素直に工房を後にする。彼はきっと、もう大丈夫だ。
(ありがとう、アディさん)
貴方と話していくなかで、僕にも`楽しむ`って気持ちが欠けてたことが分かった。刀の命運とか命懸けとか色々と背中に乗っかってるのは勿論分かってるけど、それが何かを作ることを楽しんじゃいけない理由にはならないよね?
「なに、イイ詩でも浮かんだの?」
ううん、まだ浮かんでないよリインさん。
「……もう昼飯の時間か。お? ちったぁマシな顔つきになったじゃん終太郎」
ただちょっと、気分がラクになっただけ。