第八話 プリズンアート[前編①]
死にかけのセミ? アートね――byリイン
「レイてめぇ……」
「おや、前みたいに`レイ兄`とは呼んでくれないのかい?」
お兄ちゃん寂しいなーと穏やかに、でもどこか冷ややかに告げたハニーエルフの青年にプチンときたのか、アディさんは「っざけんな!」と前に進み出る。その拍子に突き飛ばされたマッフルさんを慌てて支えたけど、自分がよろめいたことにさえ気づいていない感じだった。ひたすらに、アディさんに`レイ`と呼ばれたエルフを見つめている。
「ジジイに次いでテメェまで……揃いも揃ってどの面下げてやがる!」
「造形でいうなら、お前と一緒の顔だけど?」
「~~~~っ!」
「っ、アディやめんか!」
みんな見とるぞとマッフルさんが低く叱りつけると、流石のアディさんもハッとして腕を下ろす。マッフルさんは宥めるように一度ポンと腰辺りを叩くと、深めに息を吐きながら改めてレイさんを見やった。
「久しぶりじゃの、レイ」
(……マッフルさん?)
気のせいかもしれないけど、アディさんと再会した時より表情が硬いっていうか……一歩引いてる? レイさんはレイさんで「爺様も、息災なようで何よりです」と柔らかいまま固まったみたいな笑い方してるし。
「山の麓では失礼を致しました。なにぶん宿を営んでる時は`どなたとも平等に接する`ことを心掛けてまして」
「……言いたい事はあるが、そこは別に気にしとらんよ」
「それは何より」
……なに、この空気。二人が言葉を重ねるたびに、ビキビキッと罅割れてく。それになまじ言葉が静かだからか、一度に走る亀裂が酷く重い。アディさんと違って、レイさんがマッフルさんに対して敬語だから? いや宿でドートの救済を頼まれた時も敬語だったけど、こんな罅割れた空気にはならなかった。この差は何なんだと唾を飲み込むと、不意にレイさんと目が合う。「ゲッ……」ってなったし思いっきり声に出た。気まずっ。
「やぁやぁ暫く。その節は、ドートたちを助けてくれてありがとうございます」
ここへ来る途中に様子を見てきたんですが、元通りで安心しましたと微笑むレイさん。流してくれた、というよりは僕の反応なんか見えてないみたいだ……って流石にそれは妄想がすぎるだろ僕!
ダメだダメだと頭ごと振り払って「ぃ、いえこちらこそ」と返したけど、応えてくれた微笑はやっぱり硬い気がした。ただ「そうだ、この面を下げて帰省した理由だけど」と再びアディさんを見やった時は、微笑本来の柔らかさが戻ってる気がした。
「コレ、いつもの。谷の様子見のついでに渡そうと思って」
レイさんは足元に置いていた木箱―待って今の今まで気づかなかったの僕だけ?―をよいしょと持ち上げ、アディさんに差し出す。それまで憤怒と警戒心で塗り固まっていたアディさんの顔は途端に崩れ、「悪ぃ……」と視線を泳がせながら両手で受け取っている。
`いつも`ってことは定期便? 火山付近でしか採れない素材とか、とにかく大事な物なんだろうな……いや、てかアディさん。身内っていうのを抜きにしたとしても、そういうの調達してくれてる人に対してあんだけ刺々しく接してたの!?
「そうだアディ。あの刃、まだ持ってるよね?」
「……あ?」
レイさんが手に力を入れたのか、箱を引き取ろうとしたアディさんの腕がクンッと引っ張られる。形相回帰。再びアディさんが睨みつければ、レイさんはわざとらしく首を傾げてから「持ち主が必ず死ぬという曰く付きの、あの刃だよ」と丁寧に言い直す……あの、彼が睨みつけてる先はソコじゃないって僕でも分かりますよ?
「……なに考えてるかしんねーけど、アレはもう売約済だ」
「それって赤髪の彼と黒髪の彼かな?」
「客の個人情報だ」
「アハハ、それ正解って言ってるようなものだよ?」
相変わらず事務関連は不慣れなんだねと笑みを深めるレイさんを前に、アディさんの双眸がカッと見開く。今度こそ掴みかかるんじゃとヒヤヒヤしたけど、木箱の存在が彼の理性をギリギリ引き止めてくれたみたいだ……「とにかく、アレの所有権はもう俺等にはない」と、身体ごと振り切るみたいに箱を抱えてそっぽを向く。レイさんもやれやれと肩を竦めて一歩引いた、
「では、新たな所有者である貴方たちにお願いしようかな?」
「へ……」
その足で僕のほうに踏み出してきた。困惑して後ずさる僕に構うことなく更に距離を詰めると、「譲っていただけないですか?」とニコリと両手を握ってくる。気持ち悪い、と防衛本能みたいに唇が動いた。今のこの人はフワフワが行き過ぎてて、もはやドロドロだ。
「てめっ――」
「レイ、それ以上は真綿の脅迫じゃ」
「終太郎」
怒鳴りかけたアディさんを制しつつ、マッフルさんがレイさんを引き離し、緊張感でふらっと足が縺れた僕をソウシが支えてくれる。そのまま「下がってろ」と背中に庇われた。
「本当に、急にどうしたんじゃ。そこまで興味なかったじゃろ?」
「……ずっと見てきたかのような物言いですね」
急激に低くなった声音に、自分に向けられてないと分かってても肩が跳ねる。そろっとソウシの肩越しに覗くと、微笑んだまま目元に陰を落としたレイさんが爪先を見据えており、彼の服の裾を掴んでいたマッフルさんの手が、止め紐の切れた簾のように落ちた。「あれから、十六年ですよ?」とこれ見よがしに付け足された言葉に、アディさんも唇を噛んでそっぽを向く。
「……黒髪の貴方も、譲渡は拒否の方向ですか?」
「っすね」
「そうですか。では――勝負をしませんか?」
……はい? なにが`では`なのかまるで分からないと顔に出したのは、僕だけじゃないはず。わりと傍観に徹していたソウシも「ドートの依頼に続いて要求たぁ、我を出しすぎなんじゃねっすかね」と眼光を鋭くする。それでもレイさんは「図々しいのは百も承知ですが」と引き下がる素振りを見せない。
「しかし命が懸かっているとしたら、多少の粘りもやむなしでは?」
「ぇ、命?」
それって、刀を持ってこいって誰かに脅されてるってこと? レイさんはすぐに「あくまで仮定の話ですけどね」とへらっと笑ったけど、それで誤魔化される家族は家族じゃない。マッフルさんとアディさんは「お前に言いつけたのは何処の誰だ」と心配の色を濃くして迫った。なのにレイさんは目を細めただけで、答えようとしない。
「勝負の舞台は、十四日後に北東の【エルフの園】で行われるアートコンクールです」
「っ!」
「あ、先ほど後ろの彼女がやっていたようなチャンバラで勝負すると思いました?」
それだと絶対に吾が負けるので困ります、とレイさんは眉を八の字にする。「チャンバラって、アレ見てたわけ……てか兄弟揃って一人称どぎつ」とリインさんがひっそりツッコんでくれたおかげで、僕は遠慮なく`北東`と`アートコンクール`、`エルフ`という単語に集中することができた。シェーレさんが参加する予定のコンクールが、勝負の舞台? エルフに捨てられたレイさんが、他ならぬエルフが主催する大会に出るの?
「……十四日でコンクールに出せるほどのブツ作れってか?」
「吾は作れますよ」
「おいレイてめぇ!」
マッフルさんを押しのけたアディさんが、「まだあんなズルやってんのか!」とレイさんに詰め寄る。途端に、マッフルさんを撥ねつけた時みたいにミルキーホワイトの瞳が冷めた。
「……君こそ、まだそんなこと言ってるのかい?」
「っ、まだも何も! ズルはどこまでいってもズルだろーが!」
「れっきとした実力だと、前にも言ったはずだけど」
これで何度目の説明になるかな、と柔和な声音に滲む苛立ちにアディさんが怯む。彼が押し切れない、ってことは盗作とか、ゴーストクリエイターみたいなあからさまな`ズル`じゃないってこと? 確かに、そこまでするような人には見えないけど……。
「分かった」
「……?」
「十四日後のコンクールでより高い評価を得たほうが刃の所有者になる、それでいいな?」
「……はい勿論」
お話が早くて助かりますとこれ見よがしに唇で弧を描き、レイさんは踵を返す。後ろでドワーフたちが「あの呪われた剣のことか?」、「まだ持っとったのか」、「なんで取り合っとるんだ?」とコソコソ言いまくってるけど、完全にスルーしてる……というか眼中にないっぽいな。アディさんはまだ彼の凄みが効いてるのか、すれ違っても黙り込んだままだったけど、
「レイディル」
マッフルさんは今まで聞いたなかで一番厳しく、そして焦った声で呼び止めた。レイディル、ってフルネーム?
「さっきの箱……お前、アディと暮らしとらんのか?」
「…………」
「アディが言った`ズル`が関係しとるのか?」
「……だから、ズルじゃないですって」
揃いも揃って人の話を聞きませんね、とレイさんの歩みが止まる。マッフルさんが話してる間も進み続けてたから僕らの距離は結構開いてたし、日もとっぷり暮れてたけど……肩越しに覗いた横顔が傷ついてることは分かった。
◇◇◇◇
パチパチと無数の火の手が爆ぜ、肉が焼ける香ばしい匂いが辺りに漂い始める。宴前が一番食欲を唆るってやつかな――というわけで、今一度状況と情報を整理してみよう。愛器を求めて遥々ドワーフの山里を訪れた僕らは呪、じゃなくて曰く付きの刀と運命的(?)な出会いを果たした矢先、同じ刀を命懸け(?)で狙ってるらしいレイさんとアートコンクールで勝負することになってしまいましたとさ……はぇ?
「って一体全体どうなっとんじゃああぁああぁ!」
「今自分で整理整頓しただろ」
「してなお理解が追いつかないんだよ!」
「まーまー落ち着けって、ホレ」
うがーっと頭を抱えて開いた口に、ジュワ~ッと湯気の漂う串焼きが突っ込まれる。熱っ、くない普通に美味ちい――僕らは今、アディさんの洞窟住居の前で夕飯のバーベキューをご馳走になっていた。
バーベキューっていっても焚き火を起こして、周りの地面に串焼きを刺して焼くっていう原始的なものだけど。この野生的な雰囲気と火加減がまた格別、ってそうじゃない! この際コンクールへの強制参加は、もう仕方ない。
――譲っていただけないですか?
あのままレイさんに刀を渡すのは、僕も納得いかないし。
「でも十四日、というか二週間? 二週間で芸術品なんか作れないよ……」
唐突かつそれなりに理不尽に迫った次なる試練への反発心を、串焼きごと飲み込んだ僕に残ったのは……コンクールで評価されるレベルの作品を作らなきゃいけない、という現状打破への課題だ。みんなお分かりだと思うけど、たぶん僕にアートの才はない。試しにバーベキューの準備中に地面にイノとシシの絵を描いてみたけど、アディさんには、
「デスベルドか?」
獣って部分はあってるけど現世でいうところの地獄の番犬ケルベロスではないんです! 次にマッフルさんには、
「美味しそうなモチダマじゃの?」
白玉だんごでも「美味しそう」でもないんです! それからリインさんには、
「死にかけのセミ? アートね」
皮肉ど真ん中! んでソウシには、
「とりあえず、この世のもんでもあの世のもんでもねぇな」
ってお前が一番酷ぇな!
「ったくギャーギャーと……食事中くらい静かにしなさい、よ!」
「ちょ、リインさん串! 喉危な!」
でもやっぱり、このお肉分厚くて美味し……ん? そういえば、とリインさんに突っ込まれた串焼きをモグモグしながら、少し離れたところに座っているマッフルさんを見やる。ご飯大好きな彼なら大喜びで齧りつきそうなのに、さっきから一口も食べてない。それどころか喋ってもいない。
――さっきの箱……お前
あんな不穏なやり取りの後じゃ、そりゃ何も喉を通らないよね。お茶目ゆえに安心感のあるブラウンの瞳がジッと静かに、ただ夜を揺らす焚き火を見つめて……あ、いや視線だけは串焼きを見てたや。焼肉の匂いにつられた蛾蝶がフヨ~ッと飛んできたら、凄い眼力で追い返してたし。でも、まだそれだけの余裕があることに安心もした。
僕は串に残ってた肉を急ぎ気味に頬張って飲み込むと、「あの、大丈夫ですか?」とマッフルさんの隣に座り直した。一緒に持ってきた冷たいミルクのコップを差し出すと、手の飾りみたいになってた串焼きを地面に刺し直してそっちを受け取ってくれた。「あんまり大丈夫とは、言えないかのぉ」、と重い苦笑をこぼして……。
「もしかしなくても、アディさんとレイさんのことですよね?」
原因の一つと思しきアディさんはバーベキューの準備を終えると、「仕事があるから」と言って工房のほうに戻ってしまった。一緒に食べたかったけど、僕らが無理な注文つけたこともあって刀作りを邪魔したくないから強くは言えなくて……彼の分の串焼き避けとかないと。
「シュウタロウくんは、二人のことはどのくらい知っておる?」
「っ、ほとんど全然としか……レイさんに至っては皆無もいいところです」
宿屋の件を除外すればレイさんとは夕方の邂逅が初対面のようなもんだし、アディさんよりも断然考えてることが分からない。あ……でもアディさんのことなら確実に分かってることもある。
「本人には怒られたんですけど、アディさんの職人としての姿はカッコイイです」
「…………」
「僕に合う武器を選ぶために手合わせしてくれたんですけど、自分が作る武器は全部使えるって時点でまず凄いし。刀……あ、今彼が作ってくれてる武器なんですけど、呪われてる(?)のにずっと捨てずに丁寧に保管してたんです」
「……そうみたいじゃの。実を言うと空の彼方へ捨てられとるか、地中深くに埋め直されとるだろうと思っとったんじゃ」
半分くらいはなと眉の力を抜いてミルクを飲むマッフルさんを横目に、これは良い意味で半分じゃないなと僕もコップを傾ける。そしてあの双子関連で宙ぶらりんになっている数多の疑問点のうちの一つ――アディさんとレイさんが別居している件について切り出した。
「今思えば、アディさんに案内された住居には一人分の生活感しかなかった気がします……マッフルさんがこの山里を出た時は、二人は一緒だったんですよね?」
「うぬ、じゃがレイが言っとったようにもう十六年も前のことじゃからな」
「十六年……」
ちょうど僕が生まれてから今までの人生分の時間が、一人と二人の間に……でも。
「でも、食器は最低でも二人分ありましたよ?」
今僕とマッフルさんが持ってるコップは量産型の紙コップだけど、昼間アディさんが自分と僕に出してくれたホットミルクのコップは木製のマグだった。それも昨日今日揃えた新品じゃなくて、長い間使われて年期が入ったもの。アディさんが使っていたのが自分のマグなら、僕が借りたのはマッフルさんかレイさんのマグのはずだから……そう伝えたら、ブラウンの瞳の揺れが心なしか小さくなったように見えた。
「あの、二人が仲違いした原因って……あの木箱の中身なんですか?」
それをもう一度大きくしてしまうことに抵抗がないわけじゃないけど、
「……逆じゃよ」
ごめんなさい、マッフルさん。
「二人が離れとる今となっては、アレが最後の糸なんじゃ」
「最後の……」
「コンバードデスターの絡繰りはさすがに聞いとるじゃろ? あの武器は、魔力が詰まった弾倉と揃って初めて功を成す」
――アレはたった一人から抽出したものだ、しかもアイツに合うよう魔力を練り直してる
――コレ、いつもの
「あっ」
そっか、あの箱の中身は……。