第七話 ドワーフの山里[中編⑤]
大大大ありがと――by終太郎
僕のなかでトドって生き物は、逞しいアザラシってイメージがあった。罠にかかった魚を横取りしたり漁で使う道具を壊したりと、漁業に携わる人たちからは海のギャングって嫌われてたみたいだけど……あのポッテリした見た目とクリクリの黒目は、やっぱりどこか愛らしい。たとえ重さ三キロはある鮭を丸飲みしちゃうような豪快さと、
「グァブっ」
力尽くで半分に引き千切った仲間の身体を飲み物みたく腹に収めちゃう、残酷さをもっていたとしても――っていやいやいやちょっと待とっ!?
「見ての通り仲間内であの様だ。人間なんか前菜にもならねぇ喰いっぷりだよ」
半ば白目を剥いてる僕の口を悲鳴ごと押さえつけながら、アーディルさんが血みどろ捕食シーンの解説をしてくれる。その隣でソウシも「視界に入るヤツを手当たり次第喰い殺してる、ってわけでもなさそーだな」と冷静に観察していた。リインさんは目視早々に嘔吐って、その臭いで気づかれることを危惧したソウシによって容赦なく気絶させられてしまった。今はプスプスたん瘤を生やしながらベランダに干された布団みたく突っ伏してる……起きた時が怖そうだな。
武器作りの資格(?)を懸けて救済作戦の立案を名乗り出てから暫く、アーディルさんの案内のもと渓流を進んだ僕らは無事ドートの生息区域に到着。今は斜面の中腹から伸びてる極太枝の上から川辺を見下ろしていた。カチコチだった川は北極の海くらいには溶けていて、同時に赤黒く淀んでいた……共喰いの血だ。
「そ、喰われてるのは凶暴化してない通常のドートだ。凶暴化してるモン同士でも険悪にはなるが、喰いはしない」
「まーテメェが腐ってるからって腐ったモン食べたくはねぇよな」
「ああ、いつだって求められてんのは新鮮で健康な肉だ」
おーい御二方、淡々とグロいこと話すの止めてください。もっと言うなら僕を挟んで喋るの止めてくださいリインさんの二の舞になりそう……って言ってもいられないよな。何度か目を瞬いてから再度眼下を見やれば、捕食を終えたドートがブルンッと身体を震って口周りの血肉を払っている。初見はそのインパクトにやられたけど……本能を書き換えられてこうなってるんだと思うと、べつの気持ち悪さが込み上げてくる。
「原因は、モン菌の相性の悪さなんですよね?」
ここまでの道中で聞いたアーディルさんの説明によると、そもそもモン菌は専用の薬で洗浄さえすれば簡単にモンスターの身体から流し落とせるくらい軽い、僕らでいうところの風邪を引き起こすバイ菌みたいなものなんだって。そういえばウルもイノとシシの身体を洗う時、ラベンダーみたいな匂いがする石鹸を使ってたな。あれ、モン菌用の石鹸だったんだ……ぁ、閑話休題。
そして暴走したモン菌、長いからモン菌‐Vと名付けよう。それは薬では洗い落とせない。ホクロみたいに身体にへばりついて、無理に落とそうとすると痛みが走ってモンスターが暴れる。引き千切ってもホクロと同じで身体に残っちゃうから、しばらく経つとまた暴れ出す。これだけだとモンスターと一緒に駆除する以外救う手立てがなさそうだけど、
「そうだ。暴走魔獣同士を引き剥がしたとしても、変異した菌がついてる以上鎮静化はしねぇ。とにかく菌を引き剥がすことが最優先事項だ」
「……モン菌を目で見ることは」
「肉眼は無理だな」
「肉眼は、か」
なんかやりようはある気がする。とりあえずはモン菌を視認する術、それを見つけないと始まらない。なんか`見ること`に特化した魔法……さっき教えてもらった[クレア・アクロス]? いやアレは透視だから違うか。[ディテクト・アイ]なら、いや確かアレは探索物が手元にないと使えないんだっけ。
「[ウィークポインター]でどうだ、ってそもそもモン菌って弱点に分類されるのか……?」
「終太郎」
「ごめん今考えてるから――」
「なにもアドバイザーは、ここにいる面子に限った話じゃないぜ?」
「……へ?」
ここにいる人に限らない? それってどういう意味だとソウシを振り返れば、彼は「そっからは自分で考えな」とばかりに掌を向けてウィンクをしてくる。はーいセンセーと頷き返してから僕は素直に思考を続行させた。えっとアドバイザーはここにいる面子に限らない、だっけ?
(そのまま受け取るなら`ここに居ない誰かの助言を求めろ`ってことだよな……でも誰の?)
アーディルさん、はここに居るし。あ、宿屋の依頼人? でも知ってることは出発前に全部話してくれてたっぽいし。魔獣、獣……あっマリッちさ、違う違う今のナシ! 決して獣人とモンスターを混同してなどいません!
(えーいったい誰なんだよアドバイザ――)
――オレ、森でモンスターに育てられたから
「あっ!」
いるじゃん最上級のエキスパートが! てかさっき回想してたのにバカなの僕!? 灯台下暗しにも程がある、って自己嫌悪するのは後だ後!
「さっそくウルに電話して、ってこの世界電話ないんだっけ……」
「デンワ? 聞いたことねぇけどマジックエージェングか?」
「あっ、ぇとまぁそんな感じです……離れた場所にいる人と話ができるっていう…」
ちょっと時間はかかるかもだけど[ピジョンメッセ]で現状を伝えるか、と呪文を唱えようとしたら、
「なんだ[テレフォーター]のことか」
棚から新魔法が出てきた。
「テレ、フォ?」
「なんだ、まさか知らねぇで使ってたのか?」
遠距離でのリアルタイムな会話といったらその魔法しかないだろと、アーディルさんは溜息を吐く。発信者と受信者が互いに互いの魔力を認識さえしていれば大陸の端から端くらい離れてても会話ができるらしくて、コレだって僕は目の前が明るくなったけど、
(魔力認識って、なに?)
またピシッと陰った、いつにも増して感情不安定かよ僕。魔力認識……なんていうかアレかな、結晶化した魔力を互いに交換して持っとくみたいな? だったらアウトなんだけど。
「……一回でも」
「っ、はい」
「一回でも`そいつの魔法だ`って思いながら見たことあるか?」
「ちょ、ちょっと自信ないです……」
冒険者試験の時にウルの魔法はさんざん目の当たりにしたけど、ミストワームのせいで暴れてた彼を止めるのでいっぱいいっぱいだったし、そもそも通話魔法のこと知らなかったから意識してなかったし――呆れられるの覚悟でそう正直に話した僕だけど、
「そか。じゃあやれ」
「……ふぁ?」
アーディルさんは、それはもうあっけらかんとGOサインを出してきた。どうもさっきの「魔法見たことあるか?」って質問に「ぜんぜん全く」と僕が答えたら引かせるつもりでいたみたいだけど、それ以外ならどんな反応でもGO一択だったらしい。分かってたけど潔っ。
「じゃ、じゃあさっそく……テレフォーター!」
無意識に受話器のハンドサインを作りながら呪文を唱えたことに関しては、どうかツッコまないでほしい。と、魔法のほうが空気を読んでくれたみたいにハンドレシーバーに重なるようにして音波が出現した。ハッとアーディルさんを見やれば、そのまま待つようジェスチャーで言われる。
PPPPP…PPPPP…。
効果音はまんま電話なんだ。
〈――この魔力は、シュウタロウ?〉
「つ、繋がった!」
安堵と歓喜が混ぜ混ぜになった息を吐くと、〈[テレフォーター]も使えたんだな〉って驚いてるウルに「急にごめん、今平気?」と謝ってから出来るだけ詳しく現状を伝えた。その勢いのまま助言を求める。どうにかモン菌を視認できる方法はないか、弱点はないか――もしくは、
「無茶かもしれないけど、悪くなったモン菌を元に戻す方法とか」
〈……へぇ?〉
「や、やっぱ最後のは無理だよな!?」
〈えーなんで? イイ線いってんじゃん〉
「へ?」
イイ線、てことはもしや! 期待の詰まった生唾を飲み込めば、ウルが音波の向こうで不敵に微笑んだのがなんとなく分かった。
◇◇◇◇
「菌を落とす?」
「はい」
十分後。ウルとの通話を終えて――一つ考えついた僕は、アーディルさんたちを連れて斜面の上の開けた場所に移動した。モン菌‐Vは専用の薬を使っても洗い落とせないと教えただろと、期待が外れたみたいに嘆息されたけど、僕は押し負けたりしない。
「完全には、ですよね?」
「……?」
「さっき、僕が知る限り一番モンスターに詳しい友人に教えてもらいました」
モン菌‐Vを引き剥がそうとすると痛みを覚えるのは、アレらがピンポイントで太い神経が通ってるところにへばり付き圧迫しているから……縫い物に例えると、布地に通した糸を力任せに引っ張って強い皺寄せを起こしてる感じだってウルは言ってた。玉留めされた糸を素手で引き千切るのは難しいし、切れても糸くずが残る――じゃあ、その張り詰めた糸を緩めたら?
「確か回復魔法の一つに、[ナヴィックス]って神経を癒す魔法がありましたよね?」
「……!」
「それからモン菌‐Vを直接見ることはできなくても、[アンダート・エリア]でドートの身体情報を把握すればある程度の見当はつけられるとも聞きました――以上を踏まえて、僕が考えた作戦はこうです」
①誰か一人が囮役でドートの前に躍り出て注意を引く。
②その隙にもう二人がドートに接近。一人が[フィッシャートラップ]と[アンダート・エリア]でドートの動きを止めつつモン菌‐Vの位置を把握し、それを受けたもう一人が[ナヴィックス]でドートの身体を弛緩させる。
③そして最後の一人が、[サーモベルセレクション]で召喚したティミックを放つ。
「ティミック?」
「はい。あのモンスターは雑菌とかゴミ屑とか、小さな汚れを餌にしてるって前にソウシが言ってたこと思い出して」
だったらモン菌を食べることも出来るんじゃないかと思ったと言えば、アーディルさんは仏頂面ながらも「なるほどな」と感嘆の息をこぼしてくれた。とりあえず作戦の流れは問題ないようだと、僕もホッと胸を撫で下ろす……と同時に、ティミック関連の小話を思い出して若干視線が遠くなった。まだステータスになる前の冒険者だったソウシが、トイレットペーパーがこの異世界に定着するまで代用してたポケットティッシュの残骸とモンスターが合体して生まれたのがティミック。
――雑菌が餌なんて、ハズレモンスターにしては謙虚っていうか良心的なんだな
――基になってんのがテッシュだからな。ティッシュは汚れを拭い取ってナンボだろ?
我ながら使えるモンスター生み出したわー、まぁその副産物として鼻噛んでくるんだけどな、ほら鼻って綺麗か汚いかでいうと汚いじゃん――とかキメ顔で言ってたっけな。洗浄作用のあるモンスターって意味ではグランドコンダと似てるけど、多分こっちはレッドプロテクトされてない。掃除の範囲がテッシュレベルじゃ、ね……。
「……ティミックか」
「っ、はい!」
「ソイツが菌に侵される可能性は?」
「そ、れは……」
ヤバいどうしようと、アーディルさんからの指摘に一瞬で顔色も頭も真っ青になる。食べちゃうんだから大丈夫だと思ってたけど確証なんてないし、ティミックがどういうふうに菌を食べるのかもその消化速度も知らない。もし人間みたいに飲み込んでから暫く体内に溜め込むタイプだったら、その間に腹から侵されることだって十分に考えられる。
(やっぱり、僕の頭じゃ……っ!)
畜生と唇だけで呟いた刹那、頭上から体重と温もりが伸し掛ってきた。もう見なくても分かる、ソウシだ。痛くはないけどグキッて首から嫌な音は鳴るし、旋毛あたりに肘が立てられてるのかグリグリした感覚が伝わってくるし、作戦が御釈迦になったタイミングっていうのもあって妙にイラッときたけど、
「その可能性は限りなく低いと考えていい」
(っ――)
直前に耳元で囁かれた「大大大花丸」というよく分からない高評価(?)に、自然と毒気を抜かれてしまった。僕の頭を肘置きにしたままのソウシは、「なにか根拠があるのか?」と問うてくるアーディルさんに向かって人差し指を立てた。
「モン菌が悪影響を及ぼす対象を思い出してみろよ」
「そんなの思い出すまでもない。人を除く動物とモンスターだ」
「そ、つまりは有機物を食って育った純粋生物だ」
「……?」
「対してティミックは、無機物を取り込んで進化した不純生物。んでもって菌は――無機物に対して有機物ほどのデカい影響は及ぼせない」
だからティミックが暴走する心配はない、とソウシは今度こそ言い切る。やっぱり彼のカリスマ性は凄まじい。演説舞台みたいな整った場所や耳障りのいい長々としたセリフなんかなくたって、人を惹きつけ信じさせる。
「……分かった」
自信を、持たせてくれる。改めてよろしく頼むと僕の目を見て言ってくれたアーディルさんに、僕のほうも「こ、こちらこそっ」と頭を下げ返す。その拍子に肘の位置がズレたらしくてソウシがなんかブツブツ言ってきたけど、
「大大大ありがと」
そう小声で返したらピタッて止まった。固まった、が正しいかな。ちょっと可笑しくて吹き出したら容赦なく脳天をグリグリされたけど、ステータス下げんの忘れてるぞー。