第七話 ドワーフの山里[中編①]
地球環境が世紀末なら宇宙環境は終末か?――byソウシ
「大地っていうか、地球って不思議よね」
「リ、リインさん?」
異世界風絶叫アトラクション【ラバドラ】で火山を越え、馬車でのんびり到着したマッフルさんと麓の宿―こちらはちゃんと受付の人いた―で一夜明かした次の日。火山に続くもう一つの難所である谷を目前に一度馬車から降りたタイミングで、リインさんが唐突にそんなことを言った。元から真っ直ぐだった背筋がさらにピンと伸びて、目も悟りを開いたみたいに遠くを見つめていて……一言でいえば、
「気色悪っ」
そうちょっと気味が悪、っておいソウシ! 僕そこまで言ってないし思ってもない! てかそういうの思っても声に出すなよっまたリインさんと喧嘩に、
「だって同じ大地なのに、上下左右で気温バカみたいに違うじゃない。でも一つの星として成り立ってるじゃない? それって世紀末的な奇跡だと思うのよね」
……ならなかった。パープルの瞳同様に耳もまた空の彼方を見つめているのか、「地球環境が世紀末なら宇宙環境は終末か?」というソウシの嫌味を華麗に聞き流して胸を張っている……いや、うん。表現はともかくとして、確かに凄いよ地球は。そもそも丸い星に水と土と酸素が集結して生命が息づいてるって時点でワンダフルだからね? 異世界なんて最早ゴッドだよ……でもさ、
「お前ホントどうした。哲学キャラでももう少し空気に合わせて発言すっぞ?」
そう、それ。なんの予兆もないまま大地の偉大さを説き始めた理由が分かんない。昨日昼間にレインボーロラを見た時も普通にしてたし、火山を通るって聞いてビビり倒してた僕にも平然と言い返してきたから、風景とか自然が大好きってわけじゃなさそうだし。
あんまり言いたくないけど、あれかな……昨夜の宿での雑魚寝がキツかったのかな? それともデザートの名物ラバ焼き―現世でいうところの激辛煎餅―でソウシと勝負した時の、舌が火を噴いた痛さがまだ残ってるとか? なんて首を捻ってる僕をよそに、ソウシがやや棒読みで「あーそっか」とポンと手を打つ。
「お前、寒いんだな?」
「寒いなんてモンじゃないわよ凍え死ぬわバーーーーカ!」
息を吹き返したみたいに振り返って僕らに罵声を浴びせたリインさんは、前屈みにガクブルっていた――ここで本日のデンジャラスステージ【クリスタル・バレー】について僕からご説明させていただきます。ちなみに昨日の火山は【スクリーム・マウンテン】っていうそうで……直訳すると絶叫の山か。ザ・シンプル。
それで件の結晶の渓谷についてなんですが、凍ってます。デカい川も、その川を挟む形で左右に鎮座してる馬鹿デカい丘も全部、なんなら上空の雲までカッチンコッチンでございますわ……不思議ですよね。ここから三時間ほど遡ったところでは、火山がブクブクと元気にマグマ噴いてるんですよ? 雲だって火山口付近に流れてったらジュッて蒸発してるんですよ?
「おーい終太郎、リインのエセ悟りが乗り移ってるぞ」
「エセってお前――」
「エセ言うなこっちはマジで身体おかしくなりそうなのよ!」
「ですよねごめんねリインさん!」
なにこの世界気候バグるにも程があんでしょそりゃ現世でも温暖化からの四季の破壊で散々な目に遭ったけどさ異常気象反対っ、と涙目で喚くリインさんにスライディングでチリ紙と毛布を献上する。僕が「冬が来たなー」くらいの感覚で済んでるのはソウシが調整してくれてるからで、リインさんはその身一つだもんね!?
マッフルさんも「若いモンにはちと酷じゃったかのぉ」と苦笑しながら[ヒートスフィア]をかけて暖めてあげてる。いや普通こういう気温の変化は、ご、ご老体のほうにこそ響くと思うんだけど今はいいや!
「リインさん、さすがに今日はマッフルさんと馬車で行ったほうが――」
「アンタたちが馬車で行くならね」
「あ、ぇとそれは……」
おずおずと横目でソウシを覗えば、両手で大きくバッテンを作って首を振りまくっている。リインさんが鼻チーンしながら「頭取れちゃえばいいのに」って聞こえるように呟いても、イヤイヤに拍車が掛かるだけ。まぁ確かに馬車に乗ってちゃ、今回の依頼はちょっと熟しにくいかもだしな――そう、こう見えて今僕らは冒険者として緊急の仕事を一つ抱えてるんです。
宿を発つ直前に受付の人に「お話だけでも」と呼び止められて……本当は昨日僕らが`ドワーフの山里目指してる冒険者`って分かった時点で相談したかったみたいだけど、僕とリインさんが見るからに疲労困憊だったから翌朝に回してくれたらしかった。お気遣いありがとうございます受付の方! で、その依頼というのはズバリッ!
眼前に聳えるクリスタル・バレーに最近生まれた魔獣ドートの救済!
……最初聞いた時は何のこっちゃって思っくそ顔に出しちゃったよ。受付の人、火山の傍に宿を構えてるとは思えないくらい優しそうな雰囲気だったし、てか実際優しかった。仕事の邪魔にならないよう後ろで短くキュッと結ばれたアンティックゴールドの髪と、ミルキーホワイトの瞳。
特に後者は蜂蜜入りのホットミルクみたいに甘くて、でも今思い出すとちょっと切なかったような気も……それに近くに火山があるのになんで耳当てしてたんだろ、じゃなくて! とにかくよく使われる`出現`とか`討伐`って単語が嫌だったのかなって、勘ぐってしまうくらいには良い人だったんだよ。
――ドートは本来、人を襲うような凶暴な魔獣じゃないんです
で、魔獣は正しく生まれてて依頼は間違いなく救済だった。話を聞いてみたところ、現世でいうところのトドみたいなモンスターであるドートの凶暴性が生まれた原因は、モン菌にあるらしかった。フーリガンズでソウシに教えてもらった時はモンスター全体が他の動物に影響を及ぼすだけだと思ってたけど、どうやら種族、時には個々によってモン菌の性質っていうのは異なるみたいで、相性が悪いとモンスター同士でも悪いことが起こるとか……その代表例が共喰い、そして人喰いだ。
――菌に侵されている間は、自我なんてあってないようなもので……そのまま生涯を終えることもあれば、思わぬタイミングでフッと我に返ることもあるんです
受付の人は以前、谷で迷子になって凍死しかけたところをドートの群れに救われたことがあって、それ以降はドートが谷でしか採れない野草をおすそ分けしてくれたり、逆に受付の人が餌を届けたりと互いに助け合う関係にあるそうだ。だから仲間や人を喰い殺したなんて、辛い思いはさせたくないんだって……。
――どうか、助けていただけませんか?
そんな温かいドラマを聞いたあとで涙ぐみながらお願いされてさ、
――依頼料の前払いになるかは分かりませんが、宿代は要りませんので
断れるわけ、
――その依頼、引き受けた
――直ちに助けに行かせていただきます!
ないもんな?
「終太郎、ぼさっとしてねぇで行くぞ」
「ぁ、うん!」
回想とともに今は霞んだ空気の向こうに隠れてしまってる火の山を見返していた僕の腕を掴んで、ソウシが氷の渓谷に向き直る。その肩越しに、マッフルさんから何か包みを受け取っているリインさんが見えた。ペコペコお礼を言っている彼女の頭をまふっと撫でると、わざわざ僕とソウシのほうにも歩いてきてくれて、
「くれぐれも、気をつけて行くんじゃぞ」
二の腕辺りをポンポンと撫でてくれた。昨日ラバドラに送り出してくれた時と違ってブラウンの眼差しがしっとりしてるように感じたのは、依頼のことを心配してくれてるからかな。浅いながらも討伐経験はあるけど、救済は正真正銘今回が初挑戦だし。
僕はぐっと拳を握って「ありがとうございます、必ずやり遂げてみせます!」と胸を張ってマッフルさんに宣言したけど、なんか思ってたほど彼の顔色は晴れなかったっていうか……まだ他に心配事でもあるのかな。
「昨日の残りのラバ焼き、食べます?」
「食べるっ」
食べるんかいまぁ全然いいけど! 絶対これじゃない感でおずおずと差し出した個包装のラバ焼きを両手で受け取ったマッフルさんは、子供みたいにキラッキラしてて、さっきの不安定なしっとりさはすっかり鳴りを潜めている。本当に、単純にただ小腹が空いてただけ?
「大丈夫だって。ああ見えてあの爺さん、激辛どんと来い体質だし」
昨日もヒーヒー唸ってる俺とリインの隣でバリボリ食ってたじゃんと言って、ソウシは僕に一度ステータスを表示させた。依頼のこともあるし、何よりラバドラの時みたいに遊ばれてたまるもんかと事前チェックを提案したのは僕だけど……視線はぴょこぴょこと馬車に戻っていくマッフルさんを追いかけてしまう。
「心配なのは煎餅のことじゃなくて、いやそれも心配っちゃ心配だけど……」
「平気だって」
「おまっ、もうちょっと真剣に――」
「少なくとも、依頼を優先しても問題ないくらいには平気だ」
「あ……」
「だから今は依頼に集中しろ」
知人を案じる気持ちも大事だが優先順位は`命`を軸に決めろ、依頼を受けてる時は尚更――ステータス画面に視線を落としながらそう告げる彼のゴールデンアイは、僕なんかよりずっと真剣だった。感情任せに集中力が散漫になっていた自分が、途端にちっぽけな偽善者に思えて……「ごめん」と謝る声まで尻すぼみになってしまう。
と、「まーたお前は」って不意打ちでソウシに背中を叩かれて蹈鞴を踏んだ。反射的にステータスの画面を支えにしようと手が伸びたけど、立体映像だから当然素通り。伸ばした腕の分だけ重心が前に引っ張られて、すっ転んだ。後ろのソウシと、前方から見ていたリインさんの呆れた眼差しに挟み撃ちにされる……無念。
「言動一つで一喜一憂しすぎだ。そんなんじゃこの先身が保たねぇぞ」
「わ、分かってるけど……」
「べつにミス一つで癇癪起こす会社で仕事してるわけでも、誰に迷惑かけてるわけでもねぇんだから、もっと堂々としてろって」
「いやお前にめっちゃ迷惑かけてるし――」
「かけてねぇよ」
優先順位の決め方を諭したさっきと同じ、力強い声に遮られる。ただ見上げた先にある双眸には、同じ真剣さの他にもう一つ何か……`傷`? たぶんもっと的確な言葉があるだろうけど、とりあえずそんな感じのモノが混じっていた。間抜けにも地べたに這い蹲ったままの僕を引っ張り起こしながら、ソウシが「迷惑なんざかけてねぇよ」と重ねて言う。今度は苦笑まじりだった。
「終太郎が俺に迷惑をかけることは金輪際、むしろこの異世界に来る前からねぇよ」
「は、はい?」
ここに来る前からってのは流石に言い過ぎなんじゃ、いやそう思ってもらえるのは嬉しいっていうか安心(?)はできるけども。ソウシと比べたらどこまでも弱くて無知な僕はこの時、これ以上の言及を柔らかくも確実に拒んでる彼の目に負けて、「じゃ……ありがとう」と受け入れてしまった。
「……クサい台詞。その子が迷惑をかけないんじゃなくて、アンタが単に迷惑と思ってないだけじゃない」
だから`無条件にステータスに寄りかかっていい`なんて、腐った考えの要更生者が出てくんのよ――リインさんの呪詛にも似たドス黒い本音は、やっぱり僕の耳には残らなかった。