第五話 海の花嫁[後編⑬]
なんで、なんでステータス下げたんだよっ――by終太郎
「ハァ~…なんかジェットコースターみたいな一日だったなー」
広々とした貝殻の天蓋ベッドにボスンッと突っ伏すと、僕は大きく息を吐いた。それが慣れない海で暴れ回った疲労からくる溜息なのか、失踪&許嫁&親子のトリプル問題を解決できた安堵からくる息なのかは分からない。
本当は衛兵たちに混じって城壁の修繕作業をするべきなんだろうけど……どうしてか今だけは動きたくなかった。ガープの森でミストワームと対峙した時みたいに腰が抜けたわけじゃないけど、んー……なんて言うんだろ…?
「終太郎」
「ソウシも転がりなよ? お城のベッドってだけあってフッカフカだぞ」
「なぁ終太郎」
「ナージュさん、あとで食事もご馳走してくれるってさ……なんか申し訳ないけど、楽しみだよな」
「おい」
「欲を言えば食事の前にひとっ風呂浴びたいけど、ここ海の中だもんな」
「おいって!」
ガッと肩を鷲掴みにされたかと思いきや、問答無用で仰向けにひっくり返された。急になんだよってちょっとムッとしたけど――見上げた先にいるソウシの、酷く苦しそうな顔を前に言葉が途切れる。
なんで、そんな顔してんだよ。まだ色々と細かい問題は残ってるけど、大きな問題はひとまず解決できたじゃん。そのうちの八割くらいは全部お前のおかげだし、いつもみたいに「さすが俺様!」って胸張れよって僕はソウシの顔に手を伸ばした……はずなんだけど、
「ぁ、れ?」
ぐにゃりと、唐突に視界が歪んだ。吐き気を催すような渦巻きじゃなくて、目薬をさしすぎたりゴーグル無しでプールの中で目を開いたり――泣きすぎた時に水分過多でなるみたいな、猛烈な滲み。どうしたんだろ僕……ここは確かに海の中だけど、さっきまでこんなふうに視界が滲むことも目尻がヒリつくこともなかったのに。
「我慢するな、泣きたいなら泣いていい」
宙を彷徨っていた手を握られた刹那、グニャグニャだった視界がクリアになり、真摯に僕を見つめるソウシのゴールデンアイが鮮明に目に映る。かと思いきや今度は物の輪郭どころか色すら判別できないレベルで視界が滲み、
「ぁ、あぁ……ふぇ、うぅうっ…」
ヒクついた喉から嗚咽が溢れ出てきた。え、なにコレ? なんで僕……泣いてんの? ワケが分からなすぎて、咄嗟に握られてないほうの手で口を塞いで固く目を瞑る。そしたらその手もソウシに握られて外され、「目を開けろ」と言われた。自分でも意味が分からない涙を見られたくない一心で、僕が反射的に嫌だと首を振ると、
ゴツンッ。
「痛っっっった……!」
なぜか胸倉を掴んで引っ張り起こされ、頭突きされた。額から脳みそに広がる鋭い痛みに一瞬クラッとするも、歯を食い縛って堪えると「なにすんだよ急にっ」と瞼を押し上げる。その時は確かに僕のイエローアイは怒ってたはずなのに……相も変わらず悲痛な輝きを湛えたままの金の双眸とかち合うと、怒りは霧みたいに消えてしまった。
「そうだ、痛かったよな」
「へ……ぁ、そうだよ痛かっ――」
「ヴァルシェリアを殴って殴られて、魔法で叩いて叩かれて」
「……え…」
「ビックリしたよな? 怖かったよな?」
顔にかかってた髪が、ソウシの手によってそっと払われる。僕より一回りも二回りも逞しいその手は、額や頬に続いて脇腹を……シェリーさんに殴られた箇所を順に撫でていく。
「ぁ、れ?」
おかしい。この部屋に通される前に[ケアリー]をかけて傷は全部治したはずなのに……ズキンッズキンッと、ソウシの手が触れた部分の皮膚が疼く。違和感程度だったソレは瞬く間に激痛に変わり、僕の呼吸を乱していった。
「ひゅっ…うっ、あ……」
「頑張った、よく頑張ったよ終太郎」
「ぁ、う…わぁああぁあぁあ……!」
ギュッと抱きしめられて頭を撫でられると、もう駄目だった。さっきの雀みたいな雫なんて比じゃないくらいの、滝なんて表現さえ生温いと感じる涙がボロボロと頬を伝い、ソウシの肩口をぐしょぐしょにしていく。ごめんって謝りたくても、口から出るのは引き攣った嗚咽と、
「ぃ、痛かったし怖かった……!」
ぜんぜん平気だと蓋をしようとしていた、甘ったれた本音ばかりだ。
「あんなに痛いなんてっ、聞いてない……!」
「うん」
「なんで、なんでステータス下げたんだよっ……僕が殴ったからやり返したかったのか!?」
「まさか、あんなのカワイイものだよ」
「じゃあなんでっ……」
「身体で覚えてほしかったからだよ」
拳であれ魔法であれ、誰かを攻撃することは途轍もなく痛いことだって――それまでの甘やかすようだったソウシの声に、静かながら厳しい響きが混じる。顔を合わせたほうがいいかと身体を離そうとしたけど、そのままでいいと言うように背中に回された腕に力が込められる。
「痛み……」
「そ。強い力に慣れちまうとさ、そんなつもりなくても忘れてくんだよ……攻撃する痛みも、される痛みも」
ダメージを負わない。一見それは命懸けの冒険をするうえで途轍もないアドバンテージだが、決してノーリスクではないとソウシは言う。自分の痛みが分からないということは、当然攻撃を受ける相手の痛みも分からないということ……それがエスカレートしていけばどうなるか。
「攻撃の度合いが分からなくなって、それこそ蚊を潰すように人を殺してしまうだろうね」
「っ……」
「さらに放置し続ければ、いずれはその事すらどうでもよくなるかもしれない」
「ひっ、やだ……!」
「だから終太郎には`痛み`を忘れないでほしい」
殺生と二人三脚で歩まなければいけない冒険において、ヒトが人であるために必要なものだからと言ってソウシがポンポンと僕の頭を撫でる――と、
「まーバカが付くほどお人好しな終太郎なら、チートに目覚めたってなーんの心配もないだろうけど!」
「わっ……」
今度は一転してグシャグシャに髪を掻き混ぜられた。その際ソウシの指に僕の髪が絡まったみたいで、
「痛ててててっ」
引っ張られた挙句にブチブチって何本か抜けた。涙目で頭を押さえる僕をよそに、ソウシは「戦闘後の癖毛って大変だな」ってケロリとして抜けた毛を払い落としてる。おっまえなぁ! 束になって毛が抜けるって地味に痛いんだぞ! どうせ文句言っても`これも必要な痛みだ`とか返されるだろうから言わないけどさ!
「むしろ、お前は……―…―…」
「ぇ、なんて?」
「なんでもないよ」
痛みに慣れすぎて、神風特攻精神に目覚めないかのほうが心配だよ――ソウシのその呟きを拾ったのは、ホッとするあまり「ナージュさん、早く呼びに来てくれないかな……」と腹の虫が鳴いた僕じゃなくて、
(痛みがヒトを人にする、か)
たまたま部屋の前を通り掛かってつい僕らの会話を盗み聞いてしまった、ウルのほうだった。
◇◇◇◇
「にしてもさっきの言葉……ソウシってマジで何歳なんだか」
とてもじゃないけど十代のガキが言えるようなセリフじゃないと独り言ちながら、オレは姐さんを捜して城の中を歩き回った。食事の用意ができたら呼びに行くから、ちゃんと休んでろって姐さんには言われたけど、
――あなた、その髪どうしたの? 私から受け継いだこの真珠の髪を、染めたというの!?
オレには一刻も早く、彼女に確かめたいことがあった。
「ここにサインしなさい、ちゃんとフルネームでよ」
「分かってますよお母様」
(っ、姐さん!)
気づけば一際大きな両開きのドアの前に立ってて、中から姐さんとジョオー様の会話が聞こえてきた。母さん譲りの猪狼の耳は、不審者みたくドアにへばり付かなくても正確に聞き取れる。サインって聞こえたから、たぶん二人はさっき話してたジョウリクとかコンヤクの書類を書いてるんだろう……難しいことは分かんねぇけど。
「あの猪狼とハーフの子」
(っ、オレ!?)
唐突にジョオー様の口から登場したことにビクついてると、すかさず姐さんが「あの子の名前はウルくんです」とちょっと尖った声で訂正してくれる。やっぱ姐さん優しいーーーー!
「……そのウルくんとは、随分と長い付き合いのようね」
「そうですねぇ、私がフーリガンズで店を開いてすぐですから……もう三年くらいになりますね」
(三年、か)
改めて考えるとまだそれだけしか経ってないのかって感じもするし、もうそんなに経つのかって気もするな。ただ、俺はもしかしたら三年じゃないかもしれないけど。
「三年……それにしては距離が近い気もするけど?」
「やけに気にしますねぇ。あ、もしかして恋バナに飢えてます?」
「バカなこと言わないで、この歳で恋バナなんて……単純に気になっただけよ」
「……何がですか?」
「ジュリナージ。もしヴァルシェリア王子じゃなくてウルくんが婚約者だったら、貴方は陸に上がらなかったんじゃないの?」
(っ!)
あの子も母親絡みで何かあるって赤髪の子が言ってたでしょ、と言葉を重ねるジョオー様。ギクッと身体に走った熱に突き動かされるままに後退ると、踵が擦れてガガッて小さな音を立ててしまった。ヤバッと口を掌で覆うもジョオー様は気づいたらしく、「誰かいるの?」と扉に近づいてくる。マジでヤッッッッバとオレは慌てて立ち去ろうとしたけど、
「いいえ、陸には上がりましたよ」
姐さんのいやに力強い声が、オレとジョオー様の動きを止めた。オレは心臓とは違う、身体の芯みたいな部分がスッて冷たくなるのを感じた。べつに姐さんに負の感情が湧いたとかじゃない、オレは姐さんらしく生きてる姐さんが好きだから。ただ……全く期待してなかったって言ったら、
「ただその場合、ウルくんも一緒に連れて行ったでしょうね」
嘘にな、へ? 幻聴じゃなければ今、夢みたいな言葉が姐さんの声で紡がれたような……。
「この場合は家出じゃなくて、駆け落ちですね」
「あ、あなたって子は……」
「だって私はもう、あの子が傍にいてくれる日々を知ってますから。たとえIFの話でも、置いていくなんて言えません――それにシェリーくんもシェリーくんで、私が誘っても海に残ったと思いますよ?」
「え……あれだけ貴方を想ってた彼が?」
「はい。だって陸だと、シェーレくんと喋れないじゃないですか」
「はぁ?」
(…………)
ジョオー様は納得してないみたいだけど、オレは何となく姐さんの言いたいことが分かる気がした。あのオージ様の隣にいた、付き人みたいな人魚。ぜんぜん話す暇とかなかったけど――オレにとっての姐さんが、きっと彼にとってのオージなんだ。だったら、自惚れじゃないならその逆も然りで、二人ともが離れ離れなんて選択肢はとらないだろう。
そしてマーメイドは、足を生やすと声を失う。もちろん普段姐さんがそうしてるみたいに、本来の姿で車椅子で過ごすって手もあるけど、その場合も片方は押す係として足が必要になる。二人とも車椅子ってのは、出来なくはないけど色々と面倒が多い……二人ともがありのままに喋って過ごせるのは、海だけだ。
(……とまぁそれはそれとして)
やっぱ姐さん世界一大好きだーーーーー! オレは幸せのあまりぐふふふっと垂れそうになる頬っぺを両手で押し戻すと、水中をスキップしながら来た道を戻ってく。本当は聞きたいことがあった……十年前ガープの森で、オレの涙を受け止めてくれたマーメイドは姐さんなんすかって。
(けど、今はいいや)
姐さんにとってオレが隣にいることは当たり前なんだって、他でもない姐さんの口から聞けたから。
遅ればせながら、明けましておめでとうございます!
2025年も終太郎とソウシの冒険譚をよろしくお願いします。
評価や感想をいただけたら嬉しいですm(__)m