第五話 海の花嫁[後編⑫]
`=`は等号、互いと互いを繋ぐ思いそのものだ。それが欠けりゃ当然、なにも実らない――byソウシ
「お姫様を女王公認で陸に送り出すことって、ホントにできねぇの?」
「っ、なにを馬鹿なことを……」
百歩譲って`陸に上がったマーメイドプリンスのもとに嫁ぐ`なんて御伽噺のような展開にでもなれば検討する、と言う女王。でもそれは女王個人がそう考えてるというより、国を納得させるにはそれくらいの理由がいると遠回しに僕らに伝えているみたいだった。そして勿論、これまで王族のマーメイドが陸に拠点を移したという話はない。
「ま、`嫁ぐ`ってことに拘ってたらその一択だわな」
「……言ってくれるわね。じゃあ貴方はどんな秘策を提示してくれるのかしら?」
カッチーンと苛立ちを額に貼り付けたまま女王が顎をしゃくると、その言葉を待ってたと言わんばかりにソウシの口角が上がる。不敵ながら頼もしい表情に、なんか説得する側にいるはずの僕までドキドキしてきた。
「例えばそうだな――」
女王になるための武者修行を兼ねた海外勉強、なんてどうです?
……はぇ?
「カ、カイガイ?」
「あー単語分かんねぇか。海外ってのは文字通り`海の外`、この場合は陸のことだな」
そして武者修行は、学問や武芸の修行のために他の国を旅して回ること――つまりソウシはナージュさん個人としてじゃなくて、未来の南海の女王ジュリナージとして陸で勉強させたらどうかと言っているのだ。
「七年ぶりに見て分かったろ? アンタの娘は腕っ節の強い酒場の女将としては一級品だが、海を統べる女王の卵としちゃポンコツだ」
「おい姐さんのどこがポンk――」
「ちょちょちょちょい待ってウル……!」
言い方はソウシが悪かったかもしれないけど今だけはツッコまないでくれ……! 番犬よろしく吼えかけたウルを慌てて押さえて視線で続きを促すと、横目でこっちを覗っていたソウシは「ハイハイ」と言うように肩を竦めてから女王に向き直った。
「二十年あまり海とアンタの傍で育ってきて出来上がったのが、当人お墨付きの`優柔不断で流されやすい`質なんだ」
「…………」
「海で`人の上に立つノウハウ`を叩き込むのも、いい加減限界だと思わないか?」
(な、るほど……!)
女王様になるための勉強っていう名目なら嫁がなくたって堂々と陸に行けるし、母子の縁を切る必要もない。ナージュさん自身が「未来の女王として未熟だ」って言ってるし……なにより双方が今すぐ答えを出さなくて済む。
本当に女王の座を降りて陸で生きるのか、いずれ海に戻るのか。王制制度を永続させて娘に海を任せるのか、民主制度に切り替えて外から新たなトップとなる人魚を選ぶのか。これならいけるっ、と僕は息巻いて女王を見やったが、
「果たして、そう上手くいくかしらね……」
彼女を納得させるには、まだ何かが足りないようだ……って、えぇまだ不満なの? もうこれ以上なにを提案しろって言うんだよと、僕のほうこそ不満タラタラだったけど、
「なにが不安で?」
ソウシはある程度予見してたみたいだ。
「……その子は七年間、貴方たちがこれから学びの地に選ぼうとしている陸にいたのよ?」
生まれ育った海で過ごした時間には程遠いにしても、そこそこの時間を大人として彼女は陸で過ごしている。その割には`流されやすく優柔不断な`ままじゃないか、というのが女王の懸念点だった。七年で変わらないなら、この先何十年陸で過ごそうとも変わらないだろうと……。
「それは違いますっ」
堪らず僕が口を挟むと、「違う、ですって?」と女王の視線がソウシから僕に移る。このまま話していいかとアイコンタクトを送れば、アイツは「どうぞ」と掌を向けてくれた。
「女王様、ナージュさんはちゃんと成長しています。僕は胸を張って言えますよ」
「……大きく出たわね。見たところあの子とそれほどの付き合いがあるわけでもなさそうだけど」
「それでも分かります。だって今回――ナージュさんは誰にも背を向けなかったじゃないですか」
女王を殴り飛ばした時、ウルが傷つけられた時、僕らが女王とぶつかっていた時……シェーレさんがやったような[ファイエム]の不発でも何でも使えば、逃げる機会なんていくらでもあった。けど彼女は逃げなかった、そんな素振り欠片も見せなかった。
「それって成長っていえませんか!?」
「っ、それくらいのこと――」
「`それくらいのこと`を成長させるのが一番難しいんですよ……!」
他人から`そんなこと`と称される部分こそ、その人の根幹。ただ単に`変えよう`と思うだけじゃ絶対に変えられない本当に難しい部分なんだと、気づけば僕は叫んでいた。自分の思いなのに自分の言葉じゃない、今度はそういった違和感はなかった。かといって単語が喉元で渋滞を起こしているわけでもない……感覚的には、最初に女王に噛み付いた時に近い気がする。
「貴方がこの広い海を、たくさんのマーメイドを治める王なら、そういう見逃されてしまいそうなところもちゃんと見てください」
「っ……」
言葉に詰まった女王の、ナージュさんと同じパールホワイトの瞳が今まで以上に右往左往している。揺れてる、かなり! 崖っぷちって言うとアレだけど、もう多分ホントにあと一息だ! でもこんな時に限って、その一息を踏み出させる一言が出てこないんですよ僕は……!
「1+1が`王`になる」
(っ、ソウシ……)
「このナゾナゾ、覚えてるか?」
攻守交替だと僕と自分の立ち位置を入れ替え、再びソウシが女王と向き合った。
「答えるだけなら簡単だよな? 上から順番に組み合わせていくと`王`になるんだから」
「……さっきも思ったけど、貴方いったい何処でその文字を――」
「でもこのナゾナゾって、本来`王`じゃなくて田んぼの`田`になるはずなんだよ」
何か言いかけた女王を、ソウシがやけに食い気味に遮る。`文字`がどうのって、いったいどういう……あ、そっか。
「なぁシュウタロウ、1+1って2だろ? なんでオウなんだ?」
「私も、なぜタンボの`タ`になるのかさっぱりです……」
僕らは普通に使ってるけど、異世界には漢字がないんだ。ああでも女王は`王`と`田`は知ってるみたいだから、知ってる人が全くのゼロってわけでもないのか。あまり好き勝手に言えないなと手近な貝殻を拾うと、「俺もソウシからちょろっと聞いた程度なんだけど」と前置きしてから、ウルとナージュさんに見えるように平べったい瓦礫に王と田の漢字を書いた。
「オウはこういう、タはこういう文字で表すことがあるんだって」
「へぇー?」
「で、イチタスイチは文字っていうより記号なんだけど……こんな感じなんだ」
「ああっ、これなら`王`と読めますねぇ」
良かった、二人とも納得してくれたみたいだ。ホッとしてソウシのほうを見やれば、「`王`と`田`の違いって分かるか」と女王の説得を続けていた。手助けが必要かなって顔を覗いてみたけど、
「`=`の有無だよ」
うん、全然ムカつくほどに余裕そうだ。
「`王`の両サイドに`=`を付けると`田`になるだろ」
「……ええ」
「`=`は等号、互いと互いを繋ぐ思いそのものだ。それが欠けりゃ当然、なにも実らない」
だから孤独な`王`ができあがると続けるソウシの言葉に、女王以上に僕のほうが驚き目を剥いてしまった。ようやく、ソウシがあのナゾナゾを出した意味が分かった。1+1=田……形の組み合わせから生まれた、子供でも知ってるようなナゾカケだと思っていた。`=`の意味とか田が実りを意味してるとか、そんなの考えたこともなかった。
「ヴァルシェリア王子もシェーレも、それぞれの相手に`=`を伸ばしてる。次はアンタの番だぜ、南海の女王」
「……私は…」
「いい加減に覚悟決めろ。アンタもアンタの娘も立場が立場だ、いつでもどこでも伸ばせるわけじゃない。冗談でも脅しでもなく、これが今生の別れになるかもしれないんだぞ」
「っ……」
「っ、おいテメェいい加減に……!」
「ソッ――」
カッとなるままに女王に掴みかかるソウシと、反射的に止めようと飛び出した僕。そして、
「もう、十分です」
そんな僕らの間に割って入ってくる、ナージュさん。角度と長い髪のせいで、「二人ともありがとう」と僕らに礼を言いながら女王に歩み寄る彼女がどんな顔をしてたのか、ちゃんとは分からなかった。`もう十分です`……言葉の並びだけなら諦めのそれだけど、今度は不思議と止めようとは思わなかった。
「次に踏み出すべきは、私です」
そう言って、ナージュさんのほうから女王に手を伸ばした。だけに留まらず、躊躇いがちに胸元を握りしめていた彼女の手を掴んで自分のほうに引き寄せる。
「お母様」
「っ、ジュリナージ……」
「私はウルくんたちと陸で生きたいです」
「…………」
「でも、海とお母様も捨てたくない」
「…………」
「かと言って、絶対に女王になるとは……嘘でも約束できません」
「…………」
相変わらず女王は何も返さないけど、ナージュさんの手を振り払うこともしなかった。陸で生きたい、でも海も捨てたくない。女王になると約束もできないけど時間は欲しい。ソウシから聞いた時は名案だと思ったけど……改めて整理するとなかなかに思い切りが必要な選択肢だ。
口の中に溜まっていた唾をゴクッと飲み下し、なんなら余計な音を立てないように口を掌で覆いながら母子を見つめた。あの二人以外の誰かが沈黙を破っちゃいけない――そんな気がしたのはウルも同じだったみたいで、僕を真似て口に蓋をしている。シェリーさんとシェーレさん、ソウシは流石にそんな分かりやすい封なんてしてなかったけど、口は確かにチャックされていた。
「……ハァ~~…」
「っ……」
「クスッ、今さら何をビクついてるのよ」
下剋上に続いて絶縁宣言までしたくせに変な子ね――そう苦笑をこぼす女王は、今までで一番柔らかい表情をしていた。仕草も同じで、ポカンとしてるナージュさんの手をそっと解くと、「まずは、貴方の仲間を侮辱したことから謝るわ」と固まっている彼女の頬を撫でた。
「誰かのためになりふり構わず噛み付くなんて、当たり前にできることじゃないものね……地位を知らなかったとかそんな問題じゃなくて」
「お母様……」
「次、聞きなさい――私、一つ嘘を吐いてたの」
「嘘?」
「そうよ。さっきそこの黒髪の子が、陸と海を両立する方法は本当にないのかって言った時、馬鹿なことをって否定したけど……武者修行の案は私も考えてたの」
「え?」
「へぁ!?」
「はい!?」
「…………」
「やっぱりな」
何かしらの策を講じなければ、後継者不在のまま七年間も海と民、果ては他の海域からの反発や侵略を受けずにいられるはずがないと肩を竦めたソウシと、無言のままのシェーレさんを除く全員の目が点になる。
女王はこれ見よがしに嘆息すると、民や城の人魚には「プリンセスは南海の未来を見据えてお忍びで陸に上がっている」と噂を流し、信頼できる一部の人魚の力を借りて時折ナージュさんが城に帰ってきているように偽装していたと話した。
その裏側で、シェリーさんたちに本当の捜索を任せていたと。それを聞いたシェリーさんは「マジかよ」と髪を掻き上げている。彼は女王になんて言われて協力したんだろ?
「国を安定させるためにジュリナージは勘当して、別の後継者を迎えた……だから捜索隊は出せない。でも母として娘には会いたいからって」
チラッとシェリーさんと目が合った女王は「悪かったわね……」と気まずそうに視線を逸らす。でもまぁ確かに、たとえ婚約者でも彼は他国の王子。どこからどんなふうに情報が漏れるか分からないし、女王として行方不明の姫を君たちだけで捜してくれなんて言えないよな。そう考えると、女王ではなく一母親として娘の捜索を託した彼女の選択は最適解だったと言える。
「まぁ何かあった時のために、お付き人の彼には話しておきましたけどね」
「え……シェーレ?」
シェリーさんが戸惑いに満ちた表情で、シェーレさんを振り返る。女王が秘密を暴露した時、ソウシともう一人彼だけが平然としてたからもしやと思ってたけど……シェーレさんは一度静かに瞼を下ろすと、「女王の仰る通りです」と首肯する。
瞬間、シェリーさんはカッと怒りを露にして彼に詰め寄り、その両肩を強く掴んだ。白んでいる指先を見るかぎり相当な力が込もってるだろうに、シェーレさんはピクリとも表情を動かさない……レベル、彼のほうが高いんだっけ…。
「さっきの魔法もそうだっ、お前いったい俺にどんだけ隠し事してんだよ!」
「心情も含めるなら、おそらく両手でも数え切れません」
「なっ……」
「でも一つだけ信じてくださいっ」
震えながら離れていったシェリーさんを繋ぎ留めるようにシェーレさんは手を伸ばし、彼の頬を掌で包み込んだ。な、なんか見てはいけないシーンが始まる気がした僕は、咄嗟に両手で目を塞いだけど、
「私は、貴方から離れようと思ったことは一瞬だってありません」
「シェ、レ……」
騎士の忠誠みたいな陰りのない真っ直ぐな言葉に、つい隙間を作ってチラッと覗いてしまった。端正な横顔とワインレッドの双眸に、彼の代名詞のようだった儚さはない。女王が従える衛兵からシェリーさんを守った時と同等、いやそれ以上の力強い光が煌めいている。死角にいる僕でさえ魅入ってしまうその輝きを、視界のど真ん中で真正面から受けているシェリーさんが振り切れるはずがなかった。
「……あとで」
「……?」
「あとで、お前の隠し事の数だけ殴らせろ」
「…………」
「そんで、同じ数だけ俺を殴れ」
「っ!」
そしたらちゃんと`傷つけてごめん`って謝るから――シェリーさんはそう言ってシェーレさんの手を外すと、感極まって言葉を失くしている彼をさり気なく庇うように進み出て、女王に向き直った。そのまま、スッと腰を曲げて頭を垂れる。
「南海の女王陛下よ。西海の後継者ヴァルシェリア、誠に勝手ながら此度の婚約辞退させて頂きたく思います」
「っ、貴方――」
「私は、俺はまだ王子としてもマーメイドとして未熟です……真隣で親友が苦しんでいることにすら、気づけないほどに」
ブレスレットごと手首を握りしめるシェリーさんの表情にも言葉にも、自嘲の色はない。ありのままの自分を受け止め凛と前を向く姿に、嗚呼ホントに彼は王子様なんだと僕は真の意味で腑に落ちた。でも同時に、
「西海の王には、私のほうから伝えますので……俺のほうから白紙を申し出たって、ちゃんと言いますからっ…」
`ヴァルシェリア`じゃなく`シェリー`さんとしての本音も、ツンと鼻に走る痛みや目頭の熱となって滲み出ている。それらを必死に堪えながら「ジュリナージの武者修行、認めてあげてくださいっ」と再び頭を下げるものだから、ナージュさんだけじゃなくて僕のほうまでグスッときてしまった……シェーレさんなんてもう口元を覆ってボロ泣きしてるし。
「……分かりました」
嗚呼ほら。頑なに吊り上がったままだった女王の目尻にも、泡沫とは違う雫が煌めいてるよ。化粧が乱れるのも構わず目元の水滴を強く拭うと、彼女は「皆の者、聞きなさい」と声を張り、放りっぱなしだった槍斧を引き寄せてカンッと床に打ち付けた。
「南海の女王の名において、西海ヴァルシェリア王子との婚約破棄および――王女ジュリナージの上陸滞在を認めます」
詳細は後日書面にて正式に提示し、西海にも改めて挨拶に伺うと言って女王は僕らに背を向けると、騒めく衛兵たちに「体調が好ましくない者は回復魔法を受けたうえで休養を、動ける者は城壁の修復に取り掛かりなさい」と命令を下していく。ソウシにコテンパンにされて未だに隅っこで気絶したままの、シェリーさんたちが連れてきてきた西海の衛兵マーメイドたちの介護も忘れずに。
「ジュリナージ」
「っ、はいお母様」
「少なくとも婚約解消を西海の王に認めてもらうまでは、貴方にも城に居てもらいますからね」
「は、はい」
「…………」
「っ……」
「……以上よ」
部屋をいくつか用意させるから王子やご友人たちにも休んでもらってと告げ、女王は泳ぎ去ろうとする。僕は弾かれるようにして一歩踏み出すと、「あのっ」と彼女を呼び止めた。
「あっ、ありがとうございます女王陛下! ぁ、僕とソウシも城を直すの手伝っ――」
「陛下だなんて、やめてちょうだい」
「……へ?」
「とてもじゃないけど、今の私じゃ`海のために個を殺す王`を名乗れはしないわ」
「ぁ、じゃあなんてお呼びすれば……」
「……ジュリーよ」
`ジュリナージ`だった頃はそう呼ばれてたわ、と僕のほうを振り返った女王――ジュリーさんは全身から母性が溢れているにも関わらず、どこか少女を彷彿とさせる表情をしていた。