第五話 海の花嫁[後編⑩]
雑魚が、余計なことを――byソウシ
「デュエル・イン」
パンッとシェリーさんの手が合わさった瞬間――二人は動いた。互いの刃を弾くようにして一度跳び退くと、まず女王が咆哮とともに槍斧を薙ぐ。一見すると刃は届いていないが、水中には実体なき刃が走っており、ナージュさんはひらりと水を蹴ってそれらを躱した。標的を仕留め損ねた風の刃が衛兵たちの間を抜け、瓦礫や岩を分断する。ナージュさんは躱した勢いをそのまま大鎌にのせて女王に斬りかかったけど、
「リクェクション」
寸前で女王は無色透明な液体と化し、敢えてナージュさんの斬撃を受け入れることで大鎌に纏わりつこうとする。これじゃあ反撃の術が、と焦る僕とは裏腹にナージュさんは冷や汗一つ流さないまま、
「オルタフリーション」
性質変化の魔法を唱えた。レモンイエローのゴム状に固まった女王を引っ掴むと大鎌から抜き取り、思いっきり地面に叩きつける。うわ痛そ、ゴムだからあっちこっち跳ねまくってるし……てか大丈夫アレ? 女王様ゴムになっちゃったけど!?
「問題ない。[オルタフリーション]の効力は注ぎ込んだ魔力量に比例してるからな」
いずれは元に戻る、咄嗟に使ったならもう間もなくだろうというソウシの言葉通り、女王はゴムから液体に、そしてマーメイドの姿に戻った。
「っ、このアホ娘が!」
「バカ母の娘ですからね!」
鋼の火花に風魔法、魔力の塊に程度の低い悪口、
「姐さーーーーん! ファイッ、オー! ファイッ、オー! ファイッ、オーーーー!」
そして熱狂的な声援と、あらゆる情報が水中を飛び交う……ちなみにウルよ。一生懸命応援してるのは伝わってくるけど、それ応援合戦でもチアダンスでもなくてヲタ芸だから。両手に持ってる赤珊瑚も、旗とかポンポンじゃなくてサイリウムライトにしか見えないから。
「一度くらい親の言うことを聞いたらどうなの!」
「一度も私の言葉を聞かなかった貴方に言われたくないです!」
[ブレイトルネード]を絡めた競り合いのすえに互いの武器が吹っ飛ぶと、二人は素手での掴み合いに移行する。うわっ、これ殴り合いになるやつ!? 嫌だな女性が殴り合うの見るの……。
ブォンッ。
(え?)
黒い、水? 一瞬視界の端を、そんな感じの何かが過ぎった気がした。どうにも気になって「なぁ今――」とソウシを振り返ろうとすると、
ブンッ!
それより速く、床に刺さっていたはずの大鎌が独りでに抜けてナージュさんたちのほうへ飛んでいった。女王がやってみせたみたいに風で引き寄せたのか……いや違う。飛んでった大鎌はナージュさんじゃなくて、女王を狙ってる!
「じょっ――」
「お母様っ」
飛び出そうとした僕より先に、ナージュさんが女王を押し倒した。二人の頭上ギリギリを回転しながら飛んでいった大鎌が瓦礫の山に突き刺さると、僕も彼女もひとまず安堵の息を吐いたが、
「っ、あなたって娘は……!」
女王はナージュさんが故意に起こしたと勘違いしたみたいで、悲痛なまでに激昂して彼女を風で振り払った。そして自分で起こした風で槍斧を手元に戻すと、ヒステリックにナージュさんに斬りかかる。身体の動きも刃の軌道も素人の僕でも分かるくらい雑で、彼女の動揺がありありと見て取れた。ちょ、女王様違いますって!
「待って今のはナージュさんじゃ――」
「雑魚が、余計なことを」
「え……」
一瞬、氷の剣でこめかみを貫かれた気がした。ドクドクと煩い心臓を押さえながら横を見やれば――見たことがないくらい怖い顔をしたソウシが、虚空を睨んでいる。ど、どうしたんだよその顔……そんな怖い顔、するなよ。僕は咄嗟に彼の腕を掴んで揺さぶった。
「おいソウシっ」
「ん、なんだ?」
「へ……」
「なにどうしたよ」
そんな迷子の小鳥みたいな顔して、と笑うソウシは僕の知ってる彼だった。九割くらいホッとして「ぁ、いや」と手を振ったけど……残り一割、まだ僕の中には戸惑いが残っていた。もとに戻ったんじゃなくて、表情を切り替えただけ……なんてことないよな?
「ジュリナージっ」
「だから私じゃないですって……!」
ってウダウダ悩んでる場合じゃない! 今はあの親子喧嘩をどうにかしないと!
「とは言っても、一応コレ決闘だしな……シェリーさんに頼んで適当にジャッジ、なんてしたら彼の立場悪くなっちゃうか」
「要は、あの二人+一人にバレないようにケリつけさせればいいんだろ? あ、シェーレ入れると四人か」
「お前はまたそんな簡単に……」
「簡単さ。だって俺ら――カンストステータスだから」
トッ、と一歩距離を詰めた相棒が耳元で一言二言囁く。僅かに瞳孔を開かせた僕は、耳に溶けたその囁きをそのまま自分の言葉で紡いだ。
「インヴァード・プローション」
瞬間、ストレートグレイの光が足元に時計の文字盤を描いた。瞬く間に波紋の如く広がったそれは、戦闘に夢中なナージュさんたちに触れるなり秒針が逆回転を始める……そしてそのまま、消えた。え、もしや不発!? 呪文を間違えただろうかと首を捻る僕に、ソウシは「いや成功してるよ」と言って歩き出す。僕も慌てて駆け寄ろうとしたけど、
「走るなゆっくり来い」
「ぁ、ごめん」
思いのほか厳しい声で忠告された。ビクッと一度立ち止まった僕は、今度はそろそろっと歩を進める。モタつきながらも追いついたところで、「これは動作速度と視覚情報を反比例させる、時間魔法なんだ」とソウシは説明してくれる。
「ど、動作速度と視覚情報を……反比例?」
「そ。ゆっくり動いているものはより速く、速く動いているものはより遅くなる」
だから今の僕らのゆったりした歩きは、周りの人の目には超光速歩行としてそもそも捉えられてすらいないらしい。この説明だけだとあんまり実感湧かないけど、目の前で全力で戦っているはずのナージュさんと女王様がめちゃくちゃスローモーションな動きで武器を振るっているのを見ると、「マジで、反比例してるんだ」とゴクッと喉が鳴る。
「でも、具体的にはどう決着をつけさせるんだ? 武器を吹っ飛ばしても殴り合い始めちゃうし、女王様が勝っちゃったらそれはそれで何か……」
「ま、相打ちが一番平和的解決だろうな」
「相打ち……あ! 僕らが二人の背後に回って、同時に魔法を使えばそれっぽく見えるんじゃ!」
我ながら名案、とキラキラ顔ができたのも束の間。「イイ線いってるけど、ちょっと詰めが甘いな」とギリ及第点はもらえなかった。今の時間魔法のような補助的なものならともかく、あからさまな攻撃魔法は二人に勘づかれる恐れがあると。だったらお互いの尾を引っ張ってバランスを崩させ、額をゴッツンさせて目を回させるとか!?
「ダメ。触れたら100パー気づかれる」
「ぁ、そっか……じゃあどうしたら…」
「こういう時こそ自然の力を利用すんだよ――湖水爆発を起こすぞ」
小規模なやつだけどな、とキメ顔で振り返るソウシ。僕も倣って「分かった」と頷いたけど、
「で、コスイ爆発ってなに?」
まずはゼロスタートでお願いします! 一瞬ソウシが真っ黒い仏様みたいな顔になった気がしたけど、「まぁ、どっちかっていうとマイナーワードだしな」と小さく咳払いをしてから教えてくれた。
「湖水爆発ってのは、火山湖から大量の二酸化炭素やメタンガスが噴出する自然災害のことだよ」
「え、湖からガスが?」
「ああ。火山湖は文字通り、噴火口にできた湖だ。当然その下には活動真っ盛りなマグマがある。そのマグマが生んだガスが火山湖の水に溶けまくって飽和点を突破したり、湖底が崩れたり、あるいはマグマが爆発すると、ガスが周辺に飛び散る」
ナージュさんと女王のちょうど中間に[バリアモンド]を張って小さな湖を作り、意図的に湖水爆発を起こす。その衝撃と高濃度ガスのダブルパンチで二人を同時にノックアウトさせると、ソウシは言う。確かにガスは目に見えないし、確実に二人の隙を突けるだろうけど……ガスか。
「心配するな、一瞬失神するだけだ。その辺のコントロールは俺が上手くやる」
「ソウシ……ありがとう」
やっぱり頼りになるなぁと思ったままを口にすれば、ソウシは「ぁ、うん」と一瞬照れてみせたが、
「じゃあ終太郎、まずは肺が爆発するほどに息を吸ってくれ」
「……はぇ?」
直後、とんでもない指令を下された。は、肺が爆発するほどに息を吸えって……あ、湖水爆発を起こすには大量の二酸化炭素が必要だからか! っていやいやいや!
「ムリムリムリ! 僕一人の肺活量じゃ爆発起こせるほどの二酸化炭素出せないって!」
「大丈夫だよ。[バリアモンド]を張り終えたら数値を99999に変えるから」
「そういう問題!?」
「そういう問題♪」
二人を助けたいんだろ、と静かに言われてしまえば僕も覚悟を決めざるを得なかった。一つ頷いて歩みを止めると、相変わらず僕たちに気づくことなくスローで戦い続けている母子を前に一度だけ深呼吸して、
「始めろ」
ソウシの言葉を合図に、小声で呪文を唱えた。事前に教えられていた通りに、一円玉くらいの穴を空けた小ぶりな[バリアモンド]を張ると、すぐさま細く長く息を吸う。自分自身が風船になったのかと勘違いしてしまうほどの酸素が、肺の中に吸い込まれていく。
ソウシは僕と母子の動きを交互に注視して、タイミングを計っていた。ちょっと苦しくなってきたな、と思った瞬間にちょうど「吐け」と言われたので、今度は同じ細さと長さで息を吐き出す。一時的に[エアフリード]は解除した。同時にミシッと結界魔法が軋む。[バリアモンド]はレベル8で作った魔法で、その強度はガラス窓のそれとほぼ同じ。
「終太郎、もう少しだ。3……2……」
だから自然の衝撃で十分に、
「1――」
砕け散る!
「止めろっ」
「っ……!」
ボンッ!
ハッと両手で口と鼻を塞ぎ呼吸を止めた瞬間、飽和点を突破した[バリアモンド]内の水は爆発した。大量の泡とともに顔面に叩きつけられる衝撃に咄嗟に目を瞑ると、ガバッとソウシに胴を抱き抱えられて、跳び退るようにその場から遠ざけられた。
「っ……」
「大丈夫か終太郎」
「ぅ、ん……ありがとソウシ」
もう大丈夫だからと背中をポンポン叩き、肩から下ろしてもらう。そろりと辺りを見回せば、目論見通り吹っ飛んだナージュさんと女王は揃って気を失っており、巻き添えをくらったシェリーさんもシェーレさんに受け止められていた。
四人よりも後方で見守っていたウルと衛兵たちは、腕で顔を覆う程度で衝撃を堪えられたらしく、倒れている二人に気づくと大慌てで駆け寄っていく。爆発と同時に[インヴァード・プローション]も解いたため、みんな通常の動作速度に戻っていた。
「本当に、大丈夫だよな……?」
「No Problem」
ほら、と自信満々にソウシが顎をしゃくった先でナージュさんはウルに、女王は衛兵たちに抱き起こされていた。二人ともちゃんと意識を取り戻してるし、大きな怪我も見当たらない。良かったと、僕もようやくひと心地つけた。
「……今の…」
「なにが起きたの……」
ただ今のこの状況、普通に怪しまれてるぞ……?
「審判を忘れてるぞ、ヴァルシェリア王子」
「っ、おう」
二人の意識を僕らから逸らすように、ソウシが声を張る。シェーレさんに一言礼を言って腕の中から抜け出したシェリーさんは、一つ咳払いをすると気を取り直して「デュエル・アップ」と母子の間に立った。
「西海の王子ヴァルシェリアの名のもと、審判を下します――この決闘、引き分けです」