第五話 海の花嫁[後編⑨]
ジュリナージの名のもと、下剋上させて頂きたく存じます!――byナージュ
「姐さんに手ぇ出すんじゃねぇよ」
グルルッと水を揺らがす、威嚇の唸り声。一つ目を瞬くと――ナージュさんを背中に庇う形でウルが佇んでいた。普段は頼もしい温もりに満ちているアクアマリンの双眸は冷え切っており、表情からも陽気さが削ぎ落されている。殺意、その感情だけが今の彼を形作っていた。
「姐さんが言うから外で大人しくしてたけど、もう我慢の限界だ」
「ウル、くん」
「姐さんはオレの、フーリガンズの姐さんだ。ジョオー様だか何だか知らねぇが、奪うってならオレは全力で阻止するぜ」
王族だとか海を背負う責任だとか、野生育ちの自分には正直これっぽっちも分からないとウルは堂々と言う。だが野生の、亡き母が授けてくれた猪狼の勘が`このまま彼女を行かせては駄目だ`と叫んでいるのだと。僕やソウシ、たとえナージュさん本人が止めても、形見とも呼べる魂の叫びを信じると。
「っ、衛兵!」
怯みを隠すようにウルを睨みつけた女王は、[ケアリー]で衛兵たちの耳を回復させながら「不敬罪で捕らえなさいっ」と命じる。衛兵たちは瞬時に身構え、ウル目掛けて一斉に[ライトニング・ウルザード]を放ったが、
「ロードスキップ」
ゴツい獣の爪が生えた鉤爪を装着したウルは、転移魔法を使ってパッとその場から宙へと移動してみせる。三十頭にも及ぶ雷獣も瞬時にそっちを仰ぎ見て向かっていった。続けて、また[ロードスキップ]で逃げられる前にと女王が[フィッシャートラップ]で先手を打とうとする。
そうはさせるかと僕は咄嗟に女王に手を伸ばした――正直なところ、ソウシの手を借りながらも一度は彼に勝利しているからか、僕は自分が何とかしなくちゃと傲っていたんだ。けど、大切な人の命運を背負ったウルは、
「オルタフリーション」
僕が想像していたよりも、ずっとずっと強かった。点々とレモンイエローに輝く水を足裏で勢いよく踏みつけ、ウルは雷獣の突進を躱すと同時に奴らの腹に鉤爪を深く食い込ませる。魔力の集約された一撃[スペルスクロウ]によって雷獣は霧散、衛兵たちが咄嗟に張った[バリアモンド]すら叩き割られた。
「へー? 局地的に水を固めて、足場兼踏切板にしたか」
僕の疑問を先回りして解説したソウシが、「やるじゃん」と口笛を吹く。一方、水中を走っていたウルは最後の衛兵を斬り伏せると同時に猪狼へと変身し、大口を開けて女王に襲いかかったが、
「愚かな獣め」
卑しいモノを見る目で吐き捨てた女王が、静かに槍斧を振るう。柄を這っていたドス黒いグリーンの光が水に溶けたかに見えたその時、
「グォ…ガフッ……!」
猪狼の双眸が見開いた。無表情のまま女王が槍斧の柄でその横っ腹を殴りつければ、受け身を撮り損ねた身体は乱暴に跳ね返り、痙攣した口から咳と血が飛び散る。
「ウルっ」
転げるように駆け寄った僕は、すぐさま槍斧が直撃した胴に手を翳して[ケアリー]をかけたが……ウルは苦しげに喉を鳴らしたままで吐血も止まらない。もう一度魔法をかけ直しても何も変わらない。
「な、なんでっ……治れっ、治れよ…!」
「終太郎、落ち着け」
ソウシは僕の腕を掴んで軽く後ろに引くと、「まず[アンダート・エリア]でコイツの状態を確かめろ」と助言をくれた。震えの止まらない身体で振り返れば、ゴールドの双眸が「大丈夫だ」としっかり応えてくれて……乱れていた僕の呼吸はあっさりと落ち着きをみせた。僕は頷き返しながら件の補助魔法を使い、ブルーラベンダーの光に包まれたウルを改めて診る。と、喉の内側がズタズタに傷ついているのが分かった。
「っ、コレだ!」
僕は「ごめんなっ」と謝りながらウルの口を手でこじ開けると、ソウシが支えている間に腕を突っ込み、喉に触れるか触れないかの位置で再び[ケアリー]をかける。淡い十字架の光が終息したのを確認してから、口内を刺激しないよう吐血にまみれた腕をそっと引き抜いた。今度は成功したようで、ひくりと喉を引き攣らせて深く息を吐いたウルは人の姿に戻っていく。
「かはっ、ケホ……悪ぃ、助かった…」
「ウルっ……あぁよかった…」
喉を押さえて軽く咳き込んではいるが血は混じってないし、ウルの意識もしっかりしている。ようやく僕も一息つけた。ふらりと傾いたウルの身体を支えたソウシも、小さく安堵の息を吐いている。
「でも、なんで急に喉が……刃物なんて飛んでなかったのに」
「たぶんあの槍斧で、コイツの口元の酸素を風の刃に変えたんだろ」
「酸素?」
「俺たちは[エアフリード]を使ってる。アレは謂わば`目に見えない酸素マスク`だ」
必然的に、マーメイドが水中から摂取している酸素よりも多くの酸素を吸い込むことになるし、自分でかけた魔法なら……酸素が見えない刃物に変貌するなんてまず疑わない。ソウシの解説に改めて魔法という存在の威力を、その恐ろしさとともに思い知った。
「やはりとは思いましたが、猪狼と人のハーフのようですね」
「っ!」
ソウシとウルを庇うように腕を広げて振り返れば、女王がやれやれと言わんばかりの表情で佇んでいた。そりゃ貴方からすれば、降りかかる火の粉を払っただけかもしれないけど……ウルはナージュさんの友人だぞ? それをそんな、
「仮にも海を導こうという立場で家畜一匹の轡も握れないなんて、もう一度帝王学を学ぶ必要があるわね」
汚いモノを見るような目で吐き捨てることないだろっ!
ガッ!
「っ、へ……」
思わず立ち上がった僕よりも先に、女王に迫った人物がいた。その人物は鮫のような獰猛さを以て彼女の胸倉を掴み上げ、その横っ面をグーで殴り飛ばした。ウルへの反撃を考えれば信じられないくらい無防備だった女王は床に叩きつけられ、その衝撃で手元を離れた槍斧が一回転して瓦礫に突き刺さる。素の僕じゃ絶対出せないだろう剛力、なのに[スペルスパンチ]のように魔力が込もっているわけじゃない。
「私が女王を辞退した理由、もう一つ教えて差し上げます」
純粋な拳による一撃を前に、シェリーさんもシェーレさんも言葉を失くしている。
「人の大事なものを平然と見下し傷つける――貴方のような人魚になりたくなかったからです」
女王を殴ったのは、ナージュさんだった。
「覚えていますか。昔私が傷ついたシースネークを拾って部屋で育てていた時も、貴方は`王族がモンスターを育てるなど言語道断`と勝手に処分したんです」
痛々しくも淡々と語ったナージュさんは、ワンピースの袖口からブローチを取り出す。僕らと彼女が知り合うきっかけになった、アメジストのような宝石がはめ込まれたあのブローチだ。
「貴方の勝手な取捨選択――いい加減に厭き厭きしてるんです」
ひときわ強く煌めいたブローチからロイヤルパープルの光が放たれ、硬化した珊瑚礁のような甲冑となってナージュさんを包み込む。美しいけど毒々しい、今の彼女の心情そのものを体現しているかのような武装だ。仕上げとばかりにブローチそのものが姿を変え――大鎌となってナージュさんの手に収まる。
「よってジュリナージの名のもと、下剋上させて頂きたく存じます!」
ブンッと大鎌を振るい、女王に宣戦布告するナージュさん……いやいやいやなんだこの滅茶苦茶カッコ良いマーメイドプリンセス!? この状況で何言ってんだって思うだろうけど、女性相手にカッコイイってドキドキしたの僕初めてなんだよ! ホントにカッコイイんだって!
「ぁ、姐さん姐さん姐さん姐さん姐さぁあぁあぁああん……!」
ウルだってほら! さっきのダメージも忘れて感涙と一緒に瞳からハートのビーム放出しちゃってるよ! もう完全にヲタクの顔だよ!
「あーあーギャップ萌えってやつね? そりゃ普段からカッコイイ俺がカッコ良く振舞うより、フワフワした女性が本気出すほうが効果覿面だよね。でもギャップってわりと作りやすいっていうか、長い目で見ると普段からカッコ良さが滲み出てるほうがいいモンなんだよ?」
「いやお前はブツブツ何言ってんの?」
吹き荒ぶ陰のオーラに中られて思わず平常心に戻っちゃったよ。というかソウシが不機嫌になるツボって今ひとつ分からないんだよな……。
「下剋上、ですって? 自分の身勝手を棚に上げてよくも……!」
徐々に引いてきた痛みに代わって怒りが再燃したらしい女王が、おもむろに腕を持ち上げる。と、手首から先にグリーンの疾風が発生し、それに呼応するように瓦礫に突き刺さっていた槍斧の周りにも風が渦巻いた。ズボッと独りでに抜けたかと思いきや、回転しながら戻ってきた槍斧をキャッチして女王が立ち上がる。
「そこまで言うならジュリナージ、デュエル・ド・クラウンで決着をつけましょう」
「望むところです」
「デュ、デュエル・ド・クラウン?」
「んげっ」
「わぁ……」
なんだその裏社会のイカサマゲームみたいなネーミングは、と僕がポカンとなってる傍ら、西海コンビはギョッと身を引いていた。そそっと歩み寄ってそのナンチャラクラウンの意味を尋ねると、睨み合う二人から目を離さないままシェーレさんが「王位を懸けた、王族同士の決闘のことです」と耳打ちしてくれる。
「読んで字の如くだぞ終太郎」
「う、うるさい!」
悪かったなバカで! てかそれよりも`王位を懸けた決闘`ってことは、負けたらやっぱり……。
「王ならその地位を、後継者ならその継承権を完全に剥奪されます」
「え、えげつな……ん?」
字面は確かにえげつないけど、継承権剥奪って……女王になりたくないナージュさんにとっては願ったり叶ったりっていうか、負けても特に痛手にも何にもならないんじゃ?
「あーあ、簡単に乗せられちまって」
「え、乗せ……?」
「この決闘、勝ってもナージュの負けだ」
「へぁ!?」
なんでそんなっ、てかそんなことってあるの!? ますますイカサマゲーム臭いと頭を抱える僕に、「そんなんじゃないよ」とソウシは肩を竦める。ちょっとは自分で頭を回しなさい、って言われている気がして……唇を尖らせつつもムムムと考える。
(えっと、ナージュさんが負けたら今度こそ本当にお姫様じゃなくなって、逆に勝ったら女王が女王じゃなくなって、ってややこし……あ)
女王が女王じゃなくなる=ナージュさん新女王っ、勝っちゃったら海に強制送還じゃん! でも本人どー見ても勝つ気満々だよね!? どうしようと慌てふためく僕を落ち着かせるように、ソウシが「腐っても女王が相手ってわけだ」と肩に手をおく。確かに、ナージュさんを怒らせるためにウルを攻撃して、一度やられてブチ切れてみせたところまで計算して勝負を仕掛けたなら大した策士だ。
「そういえば貴方、さっきお酒を飲んでたでしょう? 一言`負けた`と言えば、無理して刃物なんて振り回さなくていいのよ?」
なによりビックリするほどの芝居上手だ。
「ご心配なく、アレは私の戦闘力を跳ね上げる起爆酒ですから」
「内蔵を劣化させる液体がエネルギーだなんて、随分とチャチな身体になったものね?」
「ええ、なにせ中身置いてきぼりで外見ばかり着飾っている女王陛下の愛娘ですから♪」
絶妙な具合でナージュさんを煽って煽られて、額に浮き出てる血管なんてもう本当にガチ切れてるようにしか、
「ジュリナージ、本気で覚悟なさい(怒)」
「あらぁ、それは鏡に向かって仰るべきでは(怒)?」
見え、な……いやアレもうマジ切れしてない? 女王様ぶっ倒す気満々じゃない!? 負けなきゃ王位譲れないのに、勝つ気マックスじゃない!?
「ごめん終太郎、深読みしすぎたかも」
「ふ、深読み?」
「女王、たぶん何も考えてねーわ」
裏の裏どころか裏すらない、ただの親子喧嘩だと呆れたジト目で断言するソウシ。「あー、うん……」と返事した僕も思わず同じような眼差しを注いでしまう。短気ってわけじゃないだろうけど、二人とも一回火がつくと、小火をすっ飛ばして業火になっちゃう質なんだろうな。
「ヴァルシェリア王子、あなたに審判をお願いするわ」
「え、俺……じゃない私がですか?」
「なにか問題でも?」
「ぁ、いえ」
では僭越ながらとシェリーさんは二人の間に立つと、表情を改めて「両者宣誓」と軽く両腕を広げた。
「王座は我が命」
「剣は生き延びる術」
ナージュさんは大鎌を、女王は槍斧をそれぞれ振るって刃の部分を交え、堂々とした声音を以て紡ぐ。鋼のような神聖な空気に、ただ見ているだけの僕まで呼吸が苦しくなってきた。
「デュエル・イン」