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第五話 海の花嫁[後編⑦]

なぁ女王さんよ、世の中には二種類の親がいるって知ってるか?――byソウシ

「お義母……女王陛下」

「貴方に`お義母様`と呼ばれる筋合いはありません」


 既のところで言い直したシェリーさんの言葉をわざわざ訂正したのは、気難しそうな女性の声だった。その声を皮切りに勢いを失った渦が周囲の水に溶け、中央より貴婦人の代名詞のような豪奢な装飾品を身につけたマーメイドが現れる。


 同時に周囲の水が蠢き、衛兵と思しきマーメイドたちも姿を見せた。皆シェリーさんみたいに甲冑で武装しているけど、ソウシはその隙間に蹴りをくらわせていたのか、脇腹や首筋を押さえて唸っている。


「私が少し城を出ている間に……これは何事ですか」

「も、申し訳ございませ――」

「私は`何事か`と聞いているんです」


 カンッ、と貴婦人魚が手にしていた槍斧(そうふ)を床に打ちつける。その厳しい声と言葉にシェリーさんの肩が跳ね上がり、辺りの水温が二・三度下がった気がした。貴婦人魚の、肩までふわっと伸びたパールホワイトの髪と同色の瞳。城を出ていたという今し方の言葉。


「我が海国【ジュリナージ】の城に、賊の侵入を許したというのですか」


 この人が、ナージュさんの母親なんだ。顔立ちは確かに似てるけど……陽だまりのようにふんわりしている彼女と違って、この人からは吹き荒ぶ風のような厳格な雰囲気しか感じられない。少なくとも見た目からは、書置きだけ残していなくなった娘を心から心配して隣国の王子に捜索を頼んだ母親には見えなかった。と、女王の冷たい視線と僕のそれがかち合った。


「ですが、多少の成果は得られたようですね」

「ぇ、あの、僕らは――」

「そこの人間二人を捕らえなさい。娘の居場所を吐かせた後、王女誘拐監禁の罪で処刑します」

「なっ、はぁ!?」


 意味が分からないと、僕はソウシの腕から抜け出して抗議した。いきなり出てきたかと思えばろくに話も聞かずに処刑? しかも賊の侵入って、僕らは呼ばれてやって来ただけなのに……そりゃ城を壊したのは申し訳ないと思ってるけど。


 どちらにしても納得できるはずがなかった。ギッと女王を睨みつけ、「僕らはナージュさんの友人です。誘拐も監禁もしてません」と言い放つ。不思議とこの人魚に対しては苛立つことはあっても、遠慮の気持ちもなければ怖気づくこともなかった。


「そもそもナージュさんは、自分の意思で海を出たんじゃないんですか!」

「ちょ、おい落ち着けって……!」


 なに興奮してるんだと、若干声を潜めてシェリーさんが宥めてくる。なにもクソも、僕自身なにが原因でこんなに反骨心を掻き立てられてるのか分からないよ! けどどうやら僕は、


――話しかけないで近寄らないでっ、世に害しか与えない疫病神が!


 こういう一方的な大人が心底大嫌いみたいだ。しかし女王様は子供の威嚇など眼中無しとばかりに一瞥すらせず、シェリーさんに「ご苦労様でした。そのまま賊を押さえておきなさい」と命じ、衛兵たちを視線で動かした。こうなれば意地でも聞く耳を持たせてやると、僕はシェリーさんを下がらせて[ディサンダーチャージ]を放とうとするも、


「ディサンダーチャージ」


 逆に僕を下がらせたシェリーさんが電撃魔法を放った。直撃こそしなかったものの、僕らを確保しようとしていた衛兵たちの動きが止まり、女王も目を見開いている。虚を突かれたのは僕も同じで、楯突いて大丈夫なのかと小さく名を呼んだが……肩越しに返ってきたのは無言の微笑だった。


「王子、どういうつもりです」

「申し訳ございません陛下。ですが彼らを捕縛するのはご勘弁願いたい」


 二人はジュリナージ王女の友人であり賊ではない、陸上での彼女の動きを聞き出すべく自分が招いた、城壁崩壊の責任もすべて自分にあると言って……シェリーさんが頭を下げる。僕は「ち、違いますっ」と弾かれたように叫んでいた。


 招かれたのは本当だけど城を壊したのは僕らだ。全部シェリーさんが悪いわけじゃないのに! どう説明すればとシェリーさんと女王の間で視線を行き来させる僕だったけど、いつの間にか聞く耳持たずな状態に戻っていた女王は「……それで?」とシェリーさんだけを見据えていた。


「動きを聞き出したんでしょう? あの子はいったい誰に唆されて陸へ上がったというの?」

「……誰にも」

「はい?」

「彼女は彼女の意思で、陸と人間を選んだとのことです」

「……貴方、それを信じたの?」

「…………」


 刹那、胸に走った痛みを堪えるようにシェリーさんがキツく瞼を閉ざしたけど、


「……はい」


 改めて露になったその瞳に、対戦前のような幼稚な光は欠片も灯っていなかった。その分苦さと一途さが増したような気がして、なんだか見ている僕のほうが胸が締めつけられる。


「衛兵、彼も隔離なさい。洗脳の疑いがあります」


 女王は、微塵もそんなふうに思わなかったみたいだけど。ていうか、え? シェリーさんを隔離? なに言って、なんでそうなるの!?


「っ、フィッシャートラップ!」


 先回りして衛兵の動きを封じ、シェリーさんの腕を取って後ろへ走る。あの女王はシェリーさんと比べものにならないレベルの盲信石頭だ、言葉じゃ何を言っても通じない。シェーレさんとソウシも連れていったん退却したほうがいい。


「フィッシャートラップ・イン・バリアモンド」

「っ!」


 けど向こうもそう簡単には許してくれないようで……転移魔法を阻害するトラップ魔法と結界魔法を同時に使ってきた。これで僕らは[ロードスキップ]も崩れた城壁からの脱出も封じられたってわけか……そんなんありかよ。さらに僕の[フィッシャートラップ]を掻い潜ったマーメイドナイトたちが[カットラビリンス]を使って周りを取り囲んでくる。


「これ以上の無礼は、西海の王の名に泥を塗るだけでは済みませんよ」

「っ……」


 言葉巧みにシェリーさんの反撃を封じた女王がシャランッと槍斧を振るえば、ナイトたちが剣を片手に息を吹き返す勢いで迫ってきたが、


「私の目の前で、王子に手出しができるとでも?」


 それを遥かに凌駕する威圧感が、彼らの剣と威勢を叩き斬った――シェーレさんだ。閃光の如く衛兵たちの間を泳ぎ抜けると同時に濃い蒸気を発生させ、彼らの視界を瞬間的に奪った。あれは[ファイエム]……わざと不発させて蒸気を生んだのか。次いで鋼の砕け散る音と、衛兵たちの息を飲む音が聞こえてくる。


(強っっっよ……)


 無意識に[アンダートエリア]を使ってシェーレさんの動きを追っていた僕は、思わず感嘆の声を漏らした。体格は僕より断然逞しいけど、髪色と佇まいのせいか、出会った時から僕の中でシェーレさんの印象は儚げだ。けど僕の眼に焼き付いた彼は馬鹿デカい剣を軽々と、しかも無駄なく振るい、ほんの数秒で二十人はいた衛兵の剣を残さず葬った。


「今のは警告です。これより先の攻撃は西海への宣戦布告と見なし、王に報告します」


 シェリーさんの傍に戻ったシェーレさんは、彼を庇いながら女王に両剣の鋒を向ける。本気を宿したワインレッドの双眸。なにより西海の王の存在を仄めかされてしまえば、頑固女王といえど流石に口を噤まずにはいられなかったようだ。


「シェーレ、やっぱお前魔法……」

「っ!」


 けれども茫然としたシェリーさんの呟きに、シェーレさんの背中に針の穴ほどの隙が生まれた。それを見逃さなかった衛兵の一人が予備の短剣を振り上げて襲いかかってくる。僕は反射的に二人を庇って飛び出した。


「あーあー、やっちゃったねー」

「っ、ソウシ……」


 呑気な相棒の声とともに、衛兵の動きが止まる。かと思いきやいきなりグワッと目を剥き、喉が引き千切れたような汚い悲鳴を上げた……影のように背後に立っていたソウシが、後頭部を片手で鷲掴みにしていたのだ。


「これ以上は宣戦布告と見なす、って言われたばっかなのによ!」


 衛兵に負けず劣らずの勢いで目を掻っ開くと、ソウシは後頭部を掴んだ手はそのままに一歩足を引いて大きく身体を捻り、衛兵を投げ飛ばした。遠心力を伴った衛兵は円盤投げのように回転しながら吹っ飛び、崩れた城壁から外へ――そこへ張られた結界&トラップの二重魔法の壁にぶち当たる。


 ビキッ、バリン!


 二重の壁には一瞬で蜘蛛の巣のように罅が入り、粉っっっっ々に割れた。刹那、辺りの空気がしんと静まり返る……まぁそうだわね。マーメイドの女王が張った二重魔法を、魔力のまの字も使わずに粉砕しちゃったからね。


 こっそりステータスの数値を確認してみると、腕力のところが1013と大きく跳ね上がっていた。うわー1000超えでこのレベルって……本気を出せば星をワンパンできるってソウシの言葉、ますます信憑性帯びてきたな。てか、吹っ飛んだ衛兵大丈夫? 死んでない!?


「なぁ女王さんよ、世の中には二種類の親がいるって知ってるか?」

「っ、私が虐待をしているとでも言いたいのですか? 親が子の将来を案じることが虐待だと?」

「いんや――虐待する親は、まずこの世に存在していい生物ですらねーよ」

(……ソウシ?)


 今なんか、太陽が東から昇って西へ沈むみたいな自然さで世界が凍りついたような……気のせいか?


「二種類ってのは、親から与えられなかったモンを`我が子に与えない親`と`与えようとする親`の二つだ」


 ふらりと一歩踏み出した僕を制するように、ソウシが身体ごと女王を顧みる。鋭利な視線の向く先は女王だというのに、すれ違う瞬間、僕のほうが大袈裟にビクついてしまった。


「少なくとも今のアンタは前者だ、そら子供に捨てられるってもんよ」

「おいソウシ……」

「1+1が`王`になるってもんよ」

「いやなんで急にナゾナゾ? てかその答えって`田`じゃなかっ――」


 ツッコみ切る前に首根っこを掴まれ、その場から遠ざけられた。入れ違いに振り下ろされた槍斧が床を砕き、水中に衝撃と砂煙が走るも、


「その言葉っ、我が国への侮辱と見なす!」


 二つとも槍斧の操り主である女王によってすぐさま振り払われた。王族らしからぬ凶悪な形相に、図星を刺されたってことは僕でも分かったけど、今のそこまで逆鱗に触れるようなナゾナゾだったか……?


「ほぉ? このナゾナゾの意味が分かるたぁ、そこそこデキる頭じゃん」

「え、僕遠回しにバカって言われてる?」


 若干ショックを受けつつも[バリアモンド]を張り、女王の凶刃を防ごうとしたが、


「スペルスハルバード!」

「っ!?」


 魔力の密集した刃に呆気なく切り裂かれた。ついで突き出された鋒はソウシが平手で軌道を逸らし、柄の部分を踏み台にして僕ごと後ろへ跳ぶ。けど瞬足というか瞬尾というか、女王は瞬く間に距離を詰めてきた。


 ソウシは舌打ちしながら僕を抱え直し、胴を狙った薙ぎを足で往なして躱していく。その動きは流石の一言に尽きるけど……やっぱり僕が邪魔そうだ。放しても大丈夫だぞと、腹に回された手をペチペチ叩く。でもソウシは、放すどころかより力を込めてきた。


「ソウシっ、なん――」

「お二方!」

「ぇ、あ、はい!?」


 咄嗟に返事しちゃったけどなに!? テンパりながら振り向いた僕は、回転しながら迫ってくる刃を前に輪をかけてテンパった。瞬間、あれだけ頑固に回されていたソウシの腕もパッと外される。


「終太郎とれ!」

「え、ぁ、はい!」


 足をつくと同時に、傍らを素通りしようとした回転刃をキャッチする。それはシェーレさんの大剣だった。


「この無礼者めっ」

「っ、とと!」


 借りますと心の中で叫び、斜めに振り上げられた女王の槍斧を大剣で受け止める。交わったところから衝撃と火花が爆ぜ、思わず目を瞑ってしまいそうになったが……ソウシの言いつけを思い出してギリギリのところで耐えた。


(にしてもこの人っ、力強……!)


 体勢的に上から押さえ込んでる僕のほうが有利なはずなのに、今にも下から跳ね上げられそうだ。その余裕のなさが顔に出たのか、女王は不敵な笑みを浮かべて槍斧を握り直すと……なぜか僅かに力を抜いた。え、と思う間もなく僕の身体は前のめりになり、刃が滑って女王との距離が縮まってしまう。それこそが、女王の狙いだった。


「ブレイトルネード!」

「っ!」


 ターコイズグリーンの光が渦を巻いて槍斧を包み、僕に向かって暴発する。全身が呑み込まれる寸前でソウシが後ろへ引っ張ってくれたけど、指先から肘までは躱し切れなくてもろにくらった。痛みこそなかったけど、なんていうか……子供が使うようなプラスチックのナイフで幾重にも切りつけられたような変な感覚が残っている。


 ふーっと細く息を吐きながら女王を見やれば、これでもかってくらい仰天していた。たぶん今の風魔法、ソウシが守ってくれなかったら一瞬で微塵斬りになるんだろうな。それをくらった上でほぼ無傷でいるんだから、ビックリして当然だよな。


「っ、何をしている衛兵! 早く彼らを押さえなさい!」


 ……いやセリフとしては王道だけど、常識的に考えてトップの貴方がビビってんのに衛兵さんが動けるわけなくね? 武器はさっきシェーレさんが一掃しちゃったし。ほら、みんな顔を見合わせて「ど、どうする?」ってアイコンタクトしてるよ。


「女王陛下っ、もうこれ以上はっ――」

「うるさいっ、無駄口を叩く暇があるなら娘の居場所を吐かせなさい!」


 女王陛下、ほんとパニクッてる。今声出したの衛兵じゃなくてシェリーさんなのに、勘違いして命令口調になってる。


「誰でも何でもいいから……」


 よくよく女王の顔色を窺えば、化粧では誤魔化し切れない疲労が滲んでいる……そうだよな。人の話を聞かない一方的な大人だって敵視してたけど、七年間も家族が行方不明じゃ心なんて休まらないし、利かん坊になっても仕方ないよな。


 と、不安定で重々しい彼女の情緒がそのまま具現化したように、槍斧がドスの利いた緑の光を放つ。やっぱりあの武器、シェリーさんの三叉の矛と同じ王族専用の武器か。こっちは雷じゃなくて、風の力が宿ってるみたいだけど……って分析してる場合じゃないわ!


「娘を、私の娘をっ……」


 まさしく竜巻爆発っ、女王の慟哭を合図に刃物と化した空気の渦が迫りくる! 咄嗟に大剣を伸ばし、覚えたての[ブレイトルネード]で相殺を狙ったが……僕の戸惑いに満ちた感情じゃ、女王の狂い咲くような感情に敵いそうにない。


「返しなさいよぉおおぉおぉ!」



「ただいま帰りましたよぉ」



「っ、ナ――」

 背後から降ってきたその声は、彗星が夜空を過ぎるような美しさと力強さを秘めていた。ハッとする間もなく桁違いの風圧が僕の傍を駆け抜け、女王の激情風を押し返してしまう。これでも加減はされていたのか、女王は吹っ飛ばされたものの壁に激突することはなかった。


「遅れた私が言うのもアレですけどぉ――友人たちへ八つ当たるのはそこまでにしてください」


 ポンと肩にしなやかな手が置かれると同時に後ろへ下げられ、入れ違いにスカイブルーの風が進み出る。でも聞こえてきたのは、慣れ親しんだ雲みたいな口調じゃなくて、


「貴方の怨嗟を受け止めるべき存在は、ここにいます」


 一度だけカジノ・ザ・マーメイドで聞いた、鈴のように凛とした声だった。

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