第五話 海の花嫁[後編⑤]
私はただ断ち切ってほしいだけです、私とあの方の、どうしようもない依存症を――byシェーレ
「自分の最大の敵は自分自身、ってよく言うだろ」
「……!」
「威力10の魔法より、その半分しか威力のねぇ自分の十八番魔法返されるほうが案外応えたりするんだよな」
何やら人差し指から光る指輪を外して髪を一つにまとめ、おもむろに真横を通り過ぎようとした人魚の尾鰭を鷲掴み、告げる。ピクッという痙攣に合わせてパッと手を放せば、まるで刃のような鋭さを以て尾鰭は水を切り、翻る。両手をついて跳ね起きれば、入れ違いに二対の鋒が突き刺さった……心臓と頭部か。同じマーメイドでも、ドカバカ魔法で殴りつけてる誰かさんと違って的確に急所を突いてきやがる。
「当たってねぇけど、なっ」
まっすぐ突き出された刃を視界に入れつつ、足元を狙っていたもう一太刀を踏みつけて宙返りする。その際に目を狙ってた剣を蹴り上げてやったが、奴さんはその勢いを逆に利用して身体を捻り、下から振り上げてきた。おぉ、ちょっと前髪もってかれたわ。結構筋いいな。剣も随分とデカ……てかツーハンデッドソードじゃん。あれ片手で扱えんの、俺はできるけど。
「なぁにマジになってんですか」
いい加減避けるのに飽きた俺は、衛兵が帯剣していたと思しきシンプルなロングソードを足で蹴り上げ、奴さんの剣を受け止める。と、奴さんは無理に押し切ろうとせず鋒に向けて剣を滑らせ、そのまま回転斬りをしかけてきた。
俺は仰け反って躱すと、その体勢のまま剣を薙いで奴さんを遠ざけた。眼球まで三センチを残してスレスレを裂いていった刃にビビったのか、奴さんは距離をとる。すげ、俺は硬直するか腰抜かせるつもりでやったのに。
「おっとちょい待ち」
こっちが柄にもなく見直してるってのに、奴さんは熱戦を繰り広げている二人に不躾にも水を差しに行こうとする。俺はブーメランよろしく剣を投擲し、再び奴さんの目前を掠めて動きを止める。弧を描いて戻ってきた剣をキャッチし、ひたとその背中を見据えた。
「坊ちゃんが心配なのも分かっけど、時には見守るのが保護者ってもんだぜ」
「……それが傍観の言い訳ですか?」
「見守りだっつってんだろ。お宅こそ、なんで`魔法が使えない`なんて嘘ぶっこいてるわけ?」
俺らの前で思っくそ[ウォーファール]と[ロードスキップ]使ってたじゃん、と言い切る前に、強烈な薙ぎが飛んできた。ひょいと垂直にロングソードを持ち上げて一撃を受け止めたものの、呆気なく罅が入って折れる。
鈍らかよおい! 俺は即座に柄に力を込めて奴の剣を床に押さえつけ、ポッキリいった鈍らの刃先を奴――シェーレ目掛けて蹴りつける。シェーレがもう片方の剣で防いだ隙に背後に回り、その背中を蹴飛ばした。
僅かとはいえ二人から引き剥がされたことに腹が立ったのか、シェーレが舌打ちして振り返る。俺は思わず笑っちまった。ギラッギラに睨みつけてるくせに、全身で`助けてくれ`って泣き叫んでやがる。
振り翳された刃を指先でつまんで受け止め、もう一度「一つずつ紐解いていかねぇと、助け舟を出そうにも出せねぇだろ」と言い聞かせる。もちろん、白熱してる向こうのお二人さんには聞こえないように小声で。
「ナージュとの関係にケリつけて一件落着、なんて単純な話じゃねぇんだろ? 少なくともお前にとっては」
「…………」
「それとも、小狡そうな俺じゃ役不足か? なんなら向こうの人畜無害な主人公と交代してもいいぜ? まぁその場合ボンボンの相手は俺がすることになっ――」
「分かりました話します」
「チョロいな」
「……私はただ、断ち切ってほしいだけです」
一見口調は穏やか、むしろ儚げでさえあるシェーレだったが、剣を握り直して斬りかかってくる姿勢は本物だった。剣の腹に手を添えて往なしてはいるものの、二人の目を欺くにしたって一太刀が普通に重い。最後の一言が余計だったか。
「私とあの方の、どうしようもない依存症を」
「……!」
ぐにゃりと色づき蠢く海中、[イリュージョナルリュウグウ]か。器用なこったと肩を竦めると同時に、どこからか元気な男の子の声が聞こえてきた。
※※※※
――どういうつもりですか、花瓶を割るなんて!
――ち、ちがっ……
――言い訳は無用です、こちらへ来なさい!
出自、見た目、性格、地位、人が人を見下げるきっかけは其処ら彼処に転がっているものです。時には明確なきっかけなどなくとも、何となく空気に流されてそういう対象にされてしまう人がいる……幼いながらに私は分かっていました。
そして私はまさに、その対象でした。出自や地位が特別に悪かったわけでも、見た目が輪をかけて醜いわけでもありませんでした。性格は、自分のことなので何とも言えませんけど。
――しっかり反省なさい!
――……はい、申し訳ございませんでした
量産型調度品の破損や壁の汚れ、料理の不手際。城の者たちが私に鞭を振るう理由は、彼らの間だけで解決できるような小さな不祥事ばかり。私が本当に気に食わないなら、とっとと罪でも何でもでっち上げて国王に突き出せばいいものを……事を無駄に大きくするのも、体のいいサンドバッグがなくなるのも惜しかったんでしょうね。
――おーいシェーレ、ここにあった花瓶……ってどうしたんだ!?
それに私はヴァルシェ……シェリー様の唯一の友人という立ち位置にいましたから。純粋に私を失くした後のシェリー様が荒れるのを恐れたのかもしれませんね。自惚れだと思いますか? でも事実です……それくらい思い思われてる自信はありますよ。
――顔赤いぞっ、熱でもあんのか!? あ、くたぶれ風邪か!? 昨日俺に付き合わせて夜更かしさせたから……
――いっ、ぁ、ええそうみたいです……でも少し横になれば大丈夫ですから
――そ、そうか?
――はい……ところで、どうかされました?
――ああ、実はさっきクソ親父のことでムシャクシャして、花瓶割っちまってさ
とりあえず直そうと接着剤を持ってきたものの、肝心の花瓶が失くなってて知らないかとお尋ねになるシェリー様。私は完璧な笑みを浮かべて「すいません、私にも分かりかねます」と答えました。シェリー様は若干の違和感を抱かれたようですが、深追いしないでほしいという私の思いを優先してくれたのか、「そっか」と頷いてくれました。
――じゃあ、厚化粧婆に謝らねぇとな
――またそのような言葉遣いを
――いいんだよ
ひらりと手を振ったシェリー様は、厚化粧婆こと先ほどまで私に鞭を打っていた中年人魚を捜しに踵を返される。しかしひょいと私のほうを振り返ると、
――ケアリー!
――っ!
――あとでワカメ粥も持ってくから、部屋でちゃんと寝てろよ?
無邪気な笑顔とともに回復魔法をかけて、通路の向こうへ泳いでいかれました……その日からです。もともと自信家なシェリー様の前で魔法を使うことを躊躇っていた私が、彼の前では魔法を一切使用しないと決めたのは。
笑いたければ笑ってください、私は嬉しかったんです。気づいたら何となく、皆がそうしているから……そんな不明瞭な理由で密かに虐げられていた私にとって、友だからと笑顔で魔法をかけてくださったあの方の存在は救いでした。
――ちょっと聞いてよ、また王子が勝手に厨房に入ったのよ
――ああ、最近ハマってるっていう菓子作り?
――奥様とあの従者のためだか知らないけど、片付けもせずに……これ以上仕事増やさないでほしいわ
――確かに、聞いてるこっちもイライラしてきたわ
たとえあの方が、無自覚に私への苛虐の一端を担っていたとしても、
――聞いてくれよシェーレっ、南海のジュリナージとの婚約が決まったんだ!
――ええ、存じておりますよ。おめでとうございます
彼のためなら、どんな願いも叶えて差し上げたいと思いました……ですが同時に、
――へへっ……ジュリナージって母様にちょっと似ててさ、今度こそ幸せにしてやるんだ
真綿が明確な鎖となる前に断ち切らねばとも、思っていました。シェリー様の母君は、ジュリナージ様との婚約が決まる前に亡くなられました。もともとお身体が弱い方で、回復魔法や薬剤を駆使しても根本的な解決には至らず、そのまま……母君の御遺体を前に泣き崩れたシェリー様の背中は、今でも忘れられません。
――ぃ、家出? は? 家出って、《ごめんなさい》ってなに? なんで急に!? 俺との婚約は……俺、また間に合わなかったのか?
あれから随分と月日が流れたというのに、未だに私は彼の背中にあの日のシェリー様を重ねずにはいられないのです。私は物心つく前に親を亡くしましたが、親を思い続ける子が愛おしいということくらい分かります。
――今度こそっ、今度こそ幸せにするって……幸せにしなきゃいけないんだ、母様の分まで俺が!
ですがっ、それが彼を縛っていい理由にはならない! 彼の我儘は、決して自分のための我儘じゃない……いっそそうだったら、どれだけ良かったか。ただただ我儘で自信家で度を超えたマザコンで、家族愛と恋心の差も分かっていないクソ餓鬼だったら、私だってここまで回りくどいことしませんでしたよ。できるだけ傷つけずに、国王としても夫としても父上様を超えようと自分を後回しにしている彼を解放してほしいなんて……助けを求めたりしませんよ。
※※※※
「……なるほどな」
[イリュージョナルリュウグウ]で強制公開させられた王子と従者の過去は、思っていたよりはまぁシリアスだった。事情はとりあえず理解したと俺が続けると、そのワードがキーだったのか回想光景の輪郭が滲み、幼いシェーレを除いてあっという間に水に溶ける。どんな高等水彩画だよ、俺ほどじゃないけど……けど確かにこんな緻密な魔力操作、自信家の王子には見せられないか。プライドズッタボロに砕け散りそうだもんな。
「勘違いしないでください。シェリー様にそのような軟弱なプライドはありません」
「うん、回想シーンから思ってたけどさ、お前王子のことわりと嫌いだろ」
「嫌いじゃないですよ」
「でも好きでもねぇだろ? 遠回しにイジメの原因になってたって自分で言ってたし」
「……自分でも、よく分かりません」
「…………」
断ち切りたいって目的がはっきりしてるくせに、一線を踏み越えるのに躊躇してるってか……面倒臭ぇと俺は隠さずに溜息を吐いた。断ち切るのは簡単だ。一方はナージュを連れてきて「コイツはお前にも母親にも一ミリの関心もない」と突きつけてやればいいし、もう一方も「実はずっと昔からコイツはお前をウザったく思ってた、俺らに入れ知恵したのもコイツ」と露悪的に暴露してやればいい。俺一人なら間違いなくそうしたけど……終太郎は納得しないだろうな。
「一点の曇りもなく好きかと聞かれても頷けませんし、完全に大嫌いかと言われても……」
「じゃあアイツに一方的に嫌われるのは構わねぇんだな?」
「…………」
「……え? それも駄目なの?」
てっきり「構わない」って即答すると思ってたのに、まさかの黙り。え、これアレか? 縺れた糸を鋏でバッサリ切ってなかったことにしたいんじゃなくて、途中から絡まってきた余分な糸だけをちみちみ切って真っ直ぐに戻したいみたいな? コイツの視点限定で言うなら、蟠りのない真っ新な友達に戻りたい的な?
「くっっっっそ面倒臭ぇな」
俺はもう一度、これ見よがしに嘆息した。もう禁忌でも何でも犯して時間巻き戻してもらえよ、絶対そっちのほうが早ぇって。
「それが出来るならとっくにやってますよ」
「いや試したのかよ。俺が言えたことじゃねーけど執念えげつねぇな」
「陸上から藁人形と五寸釘を入手して自室に五十音の一覧表を設置しましたが、待てど暮らせど時は戻らず……あなた方を頼った次第です」
「まてまてまてお前それ呪いの儀式! 時間巻き戻すどころか時止めちゃうからね!? てか丑の刻セットとコックリさんセットあんのこの異世界!? 俺見たことねぇけど!?」
「イセカイ?」
「ぁ、いや何でもねぇ……とにかくアレだ。お前は魔法を使わなくなった経緯と本音を包み隠さず王子に話せ」
そうすれば要望の一つは解決する。場は俺と終太郎で整えるからと言えば、優柔不断を貼り付けたようだったガキの顔があからさまにホッと綻ぶ。その反応に無性に腹が立った俺は、見た目をガン無視して胸倉を掴み上げ、横っ面を殴り飛ばした。協力してもらう対価とでも考えてるのか、一切の抵抗なく野郎は受け入れたが……見当違いなんだよクソが。
「嫌われる覚悟もないくせに、最愛に真実を突きつけようとするな」
俺を踏み止まらせた終太郎の存在に感謝しろと睨みつけつつ、手を差し出す。野郎は神妙な目つきで頷くと、「肝に、銘じます」と手を握り返した。