第五話 海の花嫁[後編③]
成敗(怒)――by終太郎
――とうさま、どこ行くの? 今日はかあさまとお食事……
――すまんなヴァルシェ、急な仕事が入ってしまってな
必ず埋め合わせはするから、と泳いで行ってしまった無駄に広い父の背中を「分かった」とニッコリ見送りながら……「嘘だ」と声なくして本音を呟いていた。とうさまが一国の王として仕事にいく時、その目元には憂鬱な陰が落ちていることを俺は知っている。
でも今は、気色が悪いほどにヘラヘラと明るい。また、かあさんじゃないオンナに会いに行くんだ。腹立ち紛れに傍に飾ってあった珊瑚礁の花瓶を叩き割ると、俺は真っ直ぐかあさまの部屋へ向かった。
――かあさまっ、とうさまが……!
部屋に駆け込んできた俺の顔を見てだいたいの流れを察したのか、ソファに腰掛けていたかあさまは無言で微笑むと、おいでと言うように両腕を広げてくれた。ぶわっと涙を溢れさせた俺は脇目も振らずかあさまの腕の中に飛び込み、背中にしがみついてワーワー泣き喚いた。その拍子にピンクベージュの長髪が揺れ、俺の泣き顔を覆い隠してくれる。
――シェリー、そんなに泣かないの。お目目が腫れちゃうでしょ?
――だって! だってとうさまヒドい! ヒド過ぎる! もうこれで十回目だぞ!?
言葉にすると余計に悔しくて腹立たしくて、俺は美しいかあさまの尾をペチペチ叩く。この頃の俺は、日に日にかあさまの華奢な尾がさらに細く鱗が傷ついていくのは、とうさまが約束を反故にするせいだと思っていた……本当は、俺が毎度のように八つ当たりしていたせいだったのに。
――……もういい
――シェリー?
――俺がかあさまの旦那になる! あんなヤリチンキングもう知らねぇ!
――こらこら、そんなお下品な言葉を使わないの
ポンポンと俺の頭を撫でて宥めるかあさまは、柔らかい微笑を浮かべたままだ。分かってないな、俺はマジのマジのマジだぞ! 早く大人になって、あのろくでなしから王の座を奪って、
――どういうつもりですか、花瓶を割るなんて!
――ち、ちがっ……
かあさまの隣も奪ってやるんだ!
「ヴァルシェ様っ」
「へ?」
亡き母の遺影を収めたロケットペンダントを片手にうたた寝をしていた俺は、なぜか忍者よろしく天井から降りてきたシェーレに腕を引っ張られて玉座から引き剥がされた。なになに急になに!? てかなんでお前ココに居んの!? 裏門見張っとけって言ったじゃ――、
ドガァアァァァアアァアンッ!
「ひゅえあ!?」
これまた超唐突に、頭の後ろから爆音風が叩きつけられた。咄嗟に庇ってくれたシェーレの腕のなか慌ててペンダントを鱗の中にしまい、盾となってくれた腕の隙間より覗き見る。背後の壁はどデカい穴に穿たれ、玉座は瓦礫の山と煙に埋もれている。
しかも所々から、衛兵と思しきマーメイドたちの手足が覗いている。背中に冷たい汗が滲んだ。この城は強大な[バリアモンド]に守られており、衛兵はその内側で待機していたはずだ。しかも果たし状を渡す前、シェーレに言われてわざわざ結界魔法張り直したってのに……。
「はーい到着~」
「っ!」
この、陽気なようで人を舐め腐った感満載の腹立つ声。間違いない、あのニコイチ赤黒野郎だ。俺はシェーレの腕を振りほどくと、未だモクモクとしている瓦礫の山を睨み据え、片手に魔力を集中圧縮した。魔力量がズバ抜けて多く且つ強固と讃えられている俺の十八番、打撃魔法[スペルスパンチ]! どんな強力な[バリアモンド]だろうが関係ねぇ、お前らの魔力ごと打ち破ってくれるわ――、
「ガアァアァァアァァアア!」
「ぴぃやあぁああぁあ!?」
って打ち破る前に打ち破られたぁあぁあ! 耳を劈くような雄叫びに瓦礫と煙が一瞬で吹っ飛び、代わりに馬鹿デカい口が物騒さ全開で「こんにちは☆」してくる。いや「いただきます❤」だわ! てかシーラデストロイじゃん! え、嘘あいつコレ使役したの? それとも純粋な襲撃? いやどの道やばい食われる喰われるって……!
「ハイハイ配達ご苦労さん」
へっぴり腰で座り込んだ俺をよそに、シーラデストロイの背中に乗っていたニコイチの片割れがひらりと降り立つ。偶然か否かその足元には瓦礫にまみれた玉座があり、
――巻き込まれて陸に打ち捨てられてぇなら、止めねぇけど
あの時と同じように俺は、戦ってもないのに負かされた気がした。
「グルルルルル……」
「ほい、召喚手数料と走行料、ビーム代込みで27000匹」
一方で黒髪野郎は、緊張感で固まってる俺のことなど眼中無しと言わんばかりにシーラデストロイに餌をやっていた。何処からともなく「よっこいしょ」と糞デカい水網、もとい[フィッシャートラップ]を取り出し、口の部分を開けて……っておい中身! 捕まってるの対侵入者用に城の周りにばら撒いてたモンスターフィッシュ! ふざけんなよ何勝手に人様ん家の魚餌にしてんだ!
「王子のくせにケチ臭ぇな。腐るほどいるんだしいいだろ」
「悪かったなケチでっ、こちとら国の経営回すのに苦労してんだよ!」
「ったく、じゃあ鮮度は落ちるけどコッチで勘弁してもらうか」
「コッチ、ってそれ衛兵じゃねーか! 尚悪いわ! ホントどんな教育受けてきたんだテメェ!?」
「……教育、ね」
ふっ、と黒髪野郎の雰囲気が変わる。軽薄さが消えたというよりは軽薄という仮面が剥がれて素顔が覗いたようで、氷の塊を飲み下したように一気に腹が消えた。その間、報酬―結局モンスターフィッシュは食われた―に満足したらしいシーラデストロイは特大のゲップを吐くと、ボロボロになった城壁から出ていった。
「それを切り出されちゃ、俺には言い返せねぇな」
「っ……」
「けど、お付き人の状態すら把握できねぇお前に言われたくねぇな」
「は? あ……」
クイッとしゃくられた顎に促されて振り返った俺は、絶句した。飛び散った瓦礫の破片で切ったのか、シェーレが肩を押さえて蹲っている。俺はすぐさまアイツのもとに泳ぐと、血まみれの肩をどかして[ケアリー]をかけた。シェーレは魔法が使えないけど、身体能力は城の中でも一・二を争うほどに高く、水中戦にも魔法戦にも長けてる俺の付き人の地位に就いていた。
――怪我しても心配すんな、俺の魔法で治してやるからな!
――……はい、ありがとうございますヴァルシェ様
――`ヴァルシェ`じゃなくて`シェリー`! あのクソ親父と同じ呼び方やめてくれ!
昔から怪我したコイツを治療すんのも、魔法から庇うのも俺の役目だったんだ。俺はシェーレに下がっているように告げると同時に片腕を伸ばし、呪文を唱える――と見せかけて水を蹴った。水圧をものともせずに腕を振り上げ、目の前の澄まし顔を殴りつける。
魔力のまの字も込められてないただの拳だ、黒髪野郎は眉すら動かさずに片手で受け止めた。が、俺は掴まれたその腕を軸に下半身を捻り、尾で横っ腹を殴打する。今度ばかりは黒髪野郎も耐え切れなかったようで、瓦礫の山に突っ込んでいく様にザマーミロと鼻を鳴らした。
「おいおい、敵と瓦礫の区別もつかねぇのか?」
「っ!」
ハッと振り返った先で、俺は再び絶句した。蹴り飛ばしたはずの黒髪野郎が平然と、なんなら欠伸すらかましてシェーレの隣に佇んでいた。カッとなった俺はシェーレに[バリアモンド]をかけると同時に息を大きく吸い込み、
「ワッ!」
黒髪に向けて大声を発した。刹那、水中にどぎつい波紋が広がり、ビキバキッと音を立てて壁が崩れ落ちる。水中は陸上よりも密度が高く、音をよく伝える。そこに魔力を乗せて一点集中させれば、鼓膜どころか脳そのものを破れるくらいの威力を発揮するんだよ。
「魔力は魔法を使うためだけにあるわけじゃねぇ!」
「それはその通りだな」
「え……」
正面から仕留めたはずの声が、今度は後ろから――ゾッと背筋が震えた俺は形振り構わずに[コールスフィア]を使い、凍結させた水滴を矢の如く四方八方に放つ。それでも全く感じられない手応えに、跳び退きながら「なんなんだよお前は!」とつい叫んでしまった。
奴らが只者じゃないことは南海で会った時点で分かってたけど、所詮はニコイチ。どういう原理かはともかく、片方ずつ相手にすれば互角で戦えるはずだってシェーレが言ったから果たし状出したのに、
「ハッ、なんだ。やっぱ全部お付き人任せだったってわけか」
目の前のこいつは単独で、魔法どころか魔力すら使ってねぇってのにバカ強ぇ……!
「大方ナージュにフラれたのを受け入れられなくて、もう一回だけでも会いたいとか何とか言って泣きついたんだろ?」
「っ、そんなんじゃねぇよ!」
確かに俺はフラれたし、ぶっちゃけまだ納得もできてねぇけど! でも彼女を捜してたのは、俺の私情ってだけじゃない。
「お義母様が、南海の女王様が娘を捜してるんだよ」
「…………」
「《どうかお元気で》って手紙一枚残していなくなった一人娘を、ずっと……」
女王に個人的に相談された時、彼女を捜す大義名分が手に入ったと思わなかったかと言われたら嘘になるし、あわよくば復縁をと期待しなかったかと言われたら大嘘になる。けど聞き分けのない子供みたいに駄々を捏ねてたわけじゃない。
ましてやシェーレ任せにしてたわけじゃ絶対にない。そりゃ色々と相談にのってもらったし、公務で手が離せない時は自分に代わって陸上探索に行ってもらったこともあるし。なんなら人間の身体を水桶代わりに使えばいいと教えてくれたのもシェーレだったけどっ、てあれ?
「俺、わりとシェーレ頼り?」
「わりとどころか、バリバリな……でもま、本気度はとりあえず認めてやる」
そう言った黒髪野郎は相変わらず退屈そうだったが、目だけは文字通り本気だった。百十五行目にしてようやくちょっとやる気になったってか? 上等だと俺は、俺でさえもがうっかり存在を忘れてた左手首のブレスレット――【ヴァルシェリア】の王族に伝わる秘宝を掲げた。
「顕現せよ、ヴァルシェリアの名のもとに!」
数珠繋ぎになったオレンジパールが輝き、瞬く間に一本の矛へと姿を変える。それを手に取ると同時に、鈍く煌くマルーンカラーの甲冑が四肢と胴に装着された――お前だけが本気じゃなかったと思うなよ! 挑発的に首を傾げた俺に対し、呆れたように歪んでいた奴の口端も好戦的に吊り上がる。
「いざ」
「尋常に」
ボゴッ……ドサッ。
「あ……」
三叉の矛を構えた俺と、いつの間にか影のように隣に立っていたシェーレの間抜け声が重なる。黒髪野郎は世に言うイケメン面のまま、なぜかドミノの駒のようにぶっ倒れた。俺を掌のうえで散々に転がし尽くした奴が、だ……しかも俺が埃すら付けられなかったその後頭部に、これまたデカいタンコブを生やして。
「成敗(怒)」
顔面バタンした奴の背後で拳をポキポキ鳴らしながら青筋を立てていたのは、ニコイチのもう片割れだった。