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第五話 海の花嫁[中編②]

異世界だろうが現世だろうが、どの方向から見ても正しいモノなんて絶対にない――byソウシ

 やっと見つけたと、思った。大事で大事で、ずっと捜し続けていた()()()匂いが鼻腔を突いたから。もう見ず知らずの人間の身体を乗っ取って陸上を探索する必要はない。でも実際に大波を装って水中に引きずり込んでみれば、


「大ハズレかよ!」


 プカプカ浮かんでいるのは、何の変哲もない人間の少年だった。あの太陽を反射した水面のように綺麗だった白い髪も、真珠のような瞳も持たない。共通点なんて全くないただの子供じゃんかと、自慢だったキャロットオレンジの髪を掻き上げる。


「……共通点なんて全くないくせに、なんで彼女と同じ匂いをさせてるんだ」


 まさかこの子供、こんな見た目してどこぞの物語に出てくるアホ人間みたいに、陸に憧れてた彼女を誑かして喰ったのか。嗚呼、曲がりなりにも西の海域【ヴァルシェリア】のプリンスである俺がこんなこと言ったら家臣たちにドン引きされるだろうけど……もう子供とか関係なく殺したくなってきたわ。即死しないよう、水中でも呼吸可能になる魔法[エアフリード]をかけといたけど、もう必要ないか。


「なるほど、人体に潜伏しての探索か」


 そりゃ盲点だったわ、と失神していたはずの少年がぐわっと目を見開いた。左半分が黒く染まった長い赤髪が広がり、ゴールドの片目が厭らしく細められる。ゾッと背筋を走った恐怖に駆られるがままに[エアフリード]を解くも、容易く張り直された。


「貴様はカップルなんざ狙ってねぇし嫉妬もしてねぇ。水に触れてなくても陸上で行動可能な人間の身体なら、誰でも良かったんだ」


 人間の身体の七割は水分で出来ているからな、と言って少年は[ロードスキップ]を使い眼前に瞬間移動してくる。俺は咄嗟に鰭で水を蹴って後ろへ退いたが、振るわれた腕を躱し切れず前髪を数本もっていかれた……敵わないと、一瞬で悟った。けど少年はそれ以上攻撃する素振りを見せず、それどころか俺に向かって「早く離れたほうがいいぞ?」と言ってくる。


「巻き込まれて陸に打ち捨てられてぇなら、止めねぇけど」

「っ!」


 海流に魔力が流れるのを感じた瞬間、俺はさらに水を強く蹴って少年から離れる。思った通り、少年を取り囲むようにして水の網が張り巡らされる。[フィッシャートラップ]か……忌々しい人魚狩りの汚物が。


「じゃ、せいぜい体のいい言い訳を考えておくんだな」


 また近々、と言い残した少年の身体は網に絡め取られるようにして引き上げられていく。だが睨みつけるように見上げた先で、それを見た――()()だったはずの人間が、()()に分裂する姿を。くったりとした赤毛の少年を、黒い長髪の少年が大事そうに抱える姿を。


(……ふん、この程度で勝ったつもりか)


 自分たちが弱みを曝け出していったとも知らないで。


    ◇◇◇◇


「―…か、…―丈夫…」


 声が、聞こえる。女の子の声だ。暗い視界の向こうで、凄く心配してるのが分かる。僕が目を開ければきっと安心させてあげられる。でも眠くて眠くて、瞼が重――、




「起きろ終太郎!」




「うっ、ゲホッごほ……!」


 胸を強く圧迫されたかと思いきや、口の中が塩っぱい水で溢れ返った。反射的に身体を起こして咳き込み、水を浜辺に吐き捨てた。丸まった背中を誰かが撫でてくれる。暗闇のなかで心配してくれた女の子かと思ったけど、それにしては大きくて武骨だ。起きろって引っ叩いてくれた人のほうかな……ていうか、


「ソウ、シ」


 タイミング的にあいつしかいないじゃん! ツーンと痛む鼻を押さえながら顔を上げれば、エリムちゃんの隣でホッとするソウシが見えた。その顔で思い出した。デカい波がきて海中に引きずり込まれてすぐ、霧のモンスターと戦った時みたいにソウシと[同化]したのが分かった。けどその前に結構な量の水を飲んでしまったみたいで、あの時みたいにソウシを通して外を見ることはできていない。


「えっと……ごめん、どういう状況?」

「覚えてないの? お兄ちゃん波に攫われて――」

「あぁそこは覚えてるんだけど、その後が……」

「このおチビちゃんが助けてくれたんだよ」


 ガシッと鷲掴むようにエリムちゃんの頭に手をおいてソウシが言う。てっきりソウシが魔法かスキルを使ったと思ったんだけど……よく見ればエリムちゃんは涙ぐんでいて、ハーフパンツの裾をキツく掴んでいた。


 周りで騒いでいたカップルたちは、海に引きずり込まれた僕らを見てもオロオロするだけで、海に飛び込む人はおろか近づこうとする人すらいなかったらしい。そんな中エリムちゃんはたった一人飛び出して、[フィッシャートラップ]の魔法で僕とソウシを引き上げてくれたのだ。


「ありがとう、エリムちゃん」

「うっ、うぅ……」

「怖い思いさせてごめんね」


 背中にずらされたソウシの手と入れ違いに、自分の手をエリムちゃんの頭にのせる。のせてすぐ海水で水浸しだったことに気づいて放そうとしたけど、小さく柔い手は放さないでと言わんばかりに引き止めてくる。と、ウミノイエのほうから親御さんたちが駆け寄ってくるのが見えた。


 びしょ濡れの僕らを見て大体の事情を察したのか、「大丈夫か飲んでないか!?」、「とりあえず家で休んでいってね」と僕らをウミノイエへ連れて行ってくれた。お風呂も貸してくれて着替えまで用意してくれて、なんだか申し訳ないって僕は思ったけど、ソウシは「厚意は素直に受け取っとけ」と堂々とタオルで髪を拭いていた。


「お兄ちゃんたちも、もしかして`嫉妬の精霊`を捜しにきたの?」

「え……?」


 奥の間で一休みしていた僕らのもとへ温かいお茶を運んできたエリムちゃんが、呟くように問うてくる。ソウシは澄まし顔のままだったけど、僕は図星と言わんばかりにギクッとしてしまい、エリムちゃんは「素直だねー」と苦笑しながら湯呑を配ってくれる。親御さんからこの()は八歳だって聞いたけど……ちょっと精神早熟しすぎじゃない?


「なに、探られるとマズいことでもあんの?」

「おいソウシ……」

「マズくはないけど……やっぱり悪い人って認識なのかなって」


 そう思うとちょっとヘコんじゃうと言って、エリムちゃんは僕の隣にちょこんと腰掛けた。そして「これはパパにもママにも話してないんだけどね」と、まるで御伽噺でも聞かせるみたいに僕らに語ってくれた――精霊に会ったことがある、と。詳しく聞きたいとソウシが傾聴の体勢に入った。


「半月くらい前の夜だったかな……ちょっと寝苦しくて、散歩に出たの」


 そしたら若い男の人が、波に足を浸しながら浜辺に座っていたそうだ。よく見ると浸かっていたのは足じゃなく鰭で、エリムちゃんはそこで初めて男の人が人魚だと分かったと言う。と、「その人魚の髪は」とソウシが口を挟んだ。


「波打ったキャロットオレンジだったか?」

「え、波? キャロット……?」

「ウネウネしててニンジン色だったかって聞いてるんだ」

「ううん。肩まで真っ直ぐ伸びた髪で、お風呂のお湯みたいな色してたよ」

「風呂の湯……ストレートのウォーターグリーンか」


 夜だとしても見間違えるには差がありすぎる。これは素直に別人と考えるほうが良さそうだとブツブツ独り言ちるソウシはそっとしておいて、僕は「その人魚さんと話したの?」と続きを強請る。エリムちゃんは一口お茶を飲んでから「優しい人だったよ」と話してくれた。その夜の人魚(キミ)はこんばんはって挨拶したら返事してくれたし、こんな時間に危ないよって心配もしてくれたそうだ。


「その人魚さんも眠れなくて、陸の空気を吸いに来たんだって」

「眠れない、か……なにか心配事でもあったのかな?」

「うん、大事な人が最近無茶ばかりしてるんだって」

「大事な人が、無茶を……」

「失くしちゃったものを捜してるみたいだけど、そこはあまり話してくれなかった」


 でもきっとあの人は、あんまり捜してほしくないんだろうな――真っ黒な深海に溶けていくような儚い横顔を見て、エリムちゃんはそう感じたらしい。それからは揃って無言で水面を見つめていたが、暫くすると人魚はもう海に帰るからとエリムちゃんにも帰るように言ったそうだ。


 わざわざ彼女が家に入るのを見送ってから、浜辺より姿を消したらしい。確かにそれだけ聞くと、めちゃめちゃ良心的な人魚だ……でも実際はカップルを襲ってるんだよな。ぁ、いやソウシの独り言を考えると別人なのか。


「この海辺にきた人が居なくなるって噂が流れて、パパもママもお店を続けるか悩んでた……きっと大丈夫だよって背中を押したの、あたしなの」

「エリムちゃん……」

「だって! お店閉めたらあの人が悪い人だって認めちゃうっ――」

「分かった分かった」


 そうヒートアップするなと言って、ソウシがエリムちゃんの髪をぐしゃりと撫でた。おいおい宥めようとしてるのは分かるけど、それじゃあ折角の三つ編みが……あーほら崩れちゃった。「もう!」ってエリムちゃんもプンプンだ。でも、泣きそうだったことは忘れちゃったみたい。


「`髪は女の命`なんだよ!」

「じゃあ大丈夫だ、君はまだ`女の子`だから」

「ムキーーーーッ」

「ソウシお前な……」


 お茶のお代わり持ってきますっ、とエリムちゃんは頬っぺたを膨らませたまま厨房のほうへ行ってしまった。でも本気で怒ってるわけじゃないことは僕でも分かった。単に不器用なのか狙ってのことなのか、いやソウシの場合はどっちもかな。


「なぁソウシ、エリムちゃんが言ってた人魚って――」

「主犯じゃねーよ。容姿も雰囲気もぜんぜん違ったし」

「……やっぱり海の中で会ったの?」

「会ったよ。ついでに啖呵切ってきた」


 そう言ってソウシが掲げた手は、キャロットオレンジ色の髪を五本ほど抓んでいた。いやあの一瞬でちゃっかり物的証拠掴んじゃってるとか、どこまで有能(カンスト)なんだよこのステータス様……。


「でもあの子が会ったマーメイド、事件関係者には違いねぇな。捜し物ってワードは共通してるし」

「捜し物って……じゃあ失踪事件は、その捜し物を見つけるために起きてるってことか?」

「そ。ちなみに物じゃなくて人」

「人!?」


 まさかのまさかこの事件、まだ見ぬ第三者の存在が絡んでるのか……ヤバい。なんか重いっていうか急に責任感が、いやなんの責任感も持たずに捜査してたわけじゃないけど。


「邪魔、してるのかな」


 ふと湧いた疑問。エリムちゃんに感化されたとかじゃないけど、向こうからすれば僕らは報酬欲しさにしゃしゃり出てる邪魔者だ。そりゃ狙われた人が理不尽に酷い目に遭ってることを考えたら、許しちゃいけないことかもしれないけど……。


「俺は引かねぇよ」

「っ、え?」

「終太郎が乗り気じゃなくなっても、[同化]してでも最後まで付き合ってもらう。相手は海中無敵のマーメイド、アジュバントスキルだけじゃ限界があんのよ」


 もともと要更生者のための補助スキルで戦闘向きじゃないし、と喋る姿はいつも通りのソウシだけど、


「ソウシ……怒ってる?」


 目が、笑ってない。僕が途中で投げ出そうとしたからかと付け足すと、「まぁそこは反省点かな」とソウシは苦笑まじりに半分肯定してきた。


「冒険者が受ける依頼は命懸けのもんばっかだ。自分の命はもちろん、他人の命も。上級になると街や国そのものを請け負うことだってある――ゲームのクエストみたいに後回しにしたり、途中でリタイアすることはできないんだよ」

「……はい」


 当たり前のことこそ、見えなくなる。そんなつもりなかったけど、ソウシの言う通りどこかゲーム感覚だったんだ。ウルとその家族を襲ったあの霧のモンスターみたいに悪は悪だと、またソウシと一緒に倒せばいいんだと思ってて……でも向こうには向こうの事情があると知って、なんか怖くなった。近い未来、称賛の声の向こう側で「自分勝手な正義を振りかざした傲慢野郎」って罵られるんじゃないかって。


「本当にごめん、覚悟不足だった……冒険者向いてないかもな、僕――」

「それはない。向いてないなんてことは絶対にない」


 やけに力強く言い切るソウシ。肯定してもらえたはずなのに、その目がずっと遠く……過去よりももっと遠いところを見つめてるみたいで。それがちょっと心許なくて名前を呼ぼうとしたら、「けど覚えといたほうがいい」とこれまたハッキリと告げられた。


「異世界だろうが現世だろうが、どの方向から見ても正しいモノなんて絶対にない」

「……はい。ちゃんと覚えときます」

「クスッ、なら宜しい」


 貴重な丁寧語いただきましたと言ってソウシはふんぞり返ろうとしたけど、このウミノイエの椅子は背もたれがないタイプのやつで、


「あ――」

「あぶっ」


 物の見事にひっくり返りましたとさ……ぷぷっ、カンストステータスが格好つけようとして背中から真っ逆さまとか(笑)。思いっきり腹を抱えて笑っていた僕は、気づかなかった。普段なら揶揄ったら必ず飛んでくるはずの威嚇声―猫でいうとことの「フシャーーーッ」―が飛んでこないことも、


(あの糞マーメイド、躊躇なく終太郎を殺ろうとしやがって……目に物見せてやる)


 ソウシが「この一件から手を引かない」と断言した本当の理由も。

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