第五話 海の花嫁[前編②]
囮捜査、俺たちもやってみるか――byソウシ
「囮捜査、俺たちもやってみるか」
「……へ?」
夕食のさなか、スープの野菜をつついていたソウシが唐突に言った。隣でパンを齧っていた僕はもちろん、向かいでワイングラスを傾けていたナージュさんとウルも目をパチクリさせている。けどウルは、例の失踪事件のことだとすぐに気づいたみたいだった。
「マリッちがマフ爺とやったらしいけど、失敗したんだろ?」
「あれはカップルじゃなくて漫才コンビだから」
「マ、マンザ……?」
「あー気にしないでくれ」
現世の単語に反応しかけたウルを制して、僕は「ところでさ」と一つ気になっていたことを尋ねることにした――どうして誰も、海の中を調べようとしないのか。カップルに纏わる海のジンクスと、実際に海辺を訪れて失踪し、見つかった時に水分不足になっていた被害者たち。どう考えても原因は海の中にあるだろうに……。
「うーん、条約がありますからねぇ」
「条約?」
「陸と海の間にある、不可侵条約のことだよ」
ナージュさんに続いて、ウルが説明してくれる。陸に住まう僕ら人間と海に住まう人魚との間には、【何か問題が発生しても、確たる証拠がないかぎり互いの領地を詮索してはいけない】という約束事が跨っているとのことだった。人間が領域ごとに住み分かれているように、人魚もまた海域ごとに住み分かれていて社会の秩序も同じように存在する。
「現状、失踪者たちは海辺に行ったあとに被害にあっただけで、海で行方不明になったわけじゃない。陸上にだって水分を食らうモンスターはいるわけだし、そもそもモンスターじゃなくて人間のしわざかもしれないしな」
「そ、そっか……」
「ナージュ、あんたもマーメイドだろ?」
なんか知らねぇのと、若干含みをもたせてソウシが尋ねる。条約の説明あたりからナージュさんはどこかぼんやりとしていて、普段なら水を飲むみたいに減っていくお酒も減ってない。
「……私は、もう長いこと海に帰ってないので」
「じゃあ、川の水に混じってる透明スライムに心当たりは?」
「ぉ、おいソウシ」
なんかソウシの口調が、心なしかナージュさんを疑ってるみたいに聞こえる。ウルもそう感じたようで、「おいソウシっ、まさか姐さんを疑ってんのか!」とド直球に怒りを向けた。バンッとテーブルが叩かれた衝撃で、器のなかのスープが波打つ。
「どうなんだ」
「おい無視すんなっ――」
「ウルくん、お静かに」
その時のナージュさんの声は、真昼の雲のようなフワフワしたものじゃなくて――夜闇に響く鈴のような凛とした響きを孕んでいた。呼吸すら止めて座り直したウルを一瞥し、ナージュさんは「後者に関しては、心当たりがあります」とソウシに向き直る。
「けれども確証がないため、今の私の口からは言えません」
「じゃあ確証がもてたら、話してくれるんだな?」
「掴みに行くつもりですか?」
「当然」
「オススメはしませんよ?」
「って言われるとやりたくなるのが、冒険者の性でな」
そうだろ、とゴールドの視線が僕を捉える。考えるより先に僕は「うん」と答えていた。失踪者のことを考えると不謹慎だと思うけど、未知の冒険って考えるとどうしてもワクワクしてしまう。少年心は嘘をつけない。
「ったく、揃いも揃って姐さんの気遣いをよー」
「まぁ、お二方らしいと言えばらしいですけどねぇ」
元のフワフワ口調に戻ったナージュさんは一気にお酒を呷ると、「あ、私とウルくん明日から王都のほうへ出かけますのでぇ」と言って車椅子を動かし、「ぁ、俺が……」と立ち上がりかけたウルを制して自分でお酒のお代わりを取りにいく。
実はナージュさんは、カジノを経営する一方で酒造にも励んでいた。そっちはまだ趣味の範疇を出ていないらしいけど、年々味は美味しくなってるみたいで、最近では街のほうから売ってほしいと話がくることもあるようだ。支店を作れる日も夢じゃないって嬉しそうに話していたと、ウルから聞いた。
「酒の海原を`溺れる`か`泳げるか`で酒職人の道は決まる、だったっか?」
「そ、いや~オレの姐さん超シビれるわ~❤」
「あらまぁ」
思い出したように呟いたソウシの言葉がトリガーとなったのか、ウルが全力でハートマークを飛ばす。お酒を膝に乗せてカウンターから戻ってきたナージュさんは、華麗に受け流してたけど。
「お調べになるのは自由ですけどぉ、くれぐれも気をつけてくださいねぇ? 報酬が高いということは、危険度も高いということですからぁ」
「え、報酬出るんですか?」
「出ますよぉ。マリッちちゃんの配ってたチラシにも書いてましたしぃ」
ナージュさんはポケットから折り畳まれてたチラシを取り出すと、「ほらココ」と言って下の端を指差す。……うん、【ついに被害者8人目、キケン! 興味本位で南の海へ行くべからず!】とデカデカとした注意喚起の端っこのほうに、【原因を解明・解決してくれた方に報酬400000エドル】と小っさく書かれてる。思い切りすぎてスペースなくなったんだろうな。
「あわよくば請負人が見落としてくれれば、とか考えてたりして」
「おい」
「冗談だよ。とにかく400000なら、駆け出しとしては十分な報酬だ」
今晩中に作戦立てて明日から囮捜査開始だと意気込み、ソウシはグラスの中の酒を一気に飲み干す。一応僕も相棒として同じようにグラスを傾けたけど、やっぱりちょっとクラッときた。この時の僕は酒が入ってたのと、報酬の額の大きさに目が眩んで忘れてたんだ――嫉妬の対象は`カップル`だってことを。