第五話 海の花嫁[前編①]
南の海には嫉妬深い精霊がいてね。海辺に現れた両想いの二人の片っぽから愛を消して、別れさせちゃうんだって――byマユリカ
ねぇ、知ってる?
南の海にカップルで行っちゃいけないんだって。
どうしてって――海の精霊が嫉妬しちゃうからだよ。
◇◇◇◇
「見っ、つからない……!」
「だーから言ったじゃん」
ガクンと地面に膝と両手をついて項垂れた僕の隣で、ソウシがヤンキー座りして頬をつついてくる――冒険に必要な資金集めのために、ガープの森で新種のモンスターと薬草を探し始めて早二週間。どっちもぜんっっっっぜん見つかりません!
ステータスのおかげで危険地帯って呼ばれてるところまで難なく進めるから、珍しいのは幾つか見つけて採取したけど……新しいのは全く駄目。もう「コレは!?」って僕が見つけた草花およびモンスターっぽい生物をソウシに見てもらってから「うん、違う」って返されるところまでがお決まりの流れになってる。
「こんな街が近くにある場所で今さら新種探しなんて、難しいんだって。大抵探索され尽くしてるから」
「ぅ、ん……」
そろそろ日が暮れるし、今日もまた路上販売ルート確定か。幸い冒険者試験でソウシと霧のモンスターを倒した功績が、ウルの口添えもあって`危険モンスターの討伐`にカテゴライズされて報酬が出たから、すぐに一文無しになりはしなかったけど……やっぱ不安だな。
初日と次の日くらいはまぁまぁ売れて、「これでも食ってけるんじゃね?」とか思ってたけど、よくよく考えたら他の店の迷惑だし、やっぱりみんな新入りの僕らが売るのよりは馴染みのある店で売られてるほうを買っていく。
まぁ摘み立てのやつより、ちゃんと瓶詰め・袋詰めされてたほうが商品っぽいもんな。もしかしたら最初に買ってってくれた人たちも、僕らがナージュさんの大事なもの取り返した恩人だから気を遣ってくれてたのかも……。
「やっぱり、最初は街でバイトしたほうがいいのかな……」
「マーメイド店主に頼んでどっか紹介してもらうか?」
薬草で半分くらい埋まったカゴを背負い直して、二人で街のほうへ引き返す。
「それか、いっそあの店で雇ってもらうとか」
「でもウルで十分間に合ってるっぽいし、そりゃお世話になってる恩は返したいけど……あ!」
煮え切らない返事ばかりしてた僕の目に、チラッと川が映った。試験の時にウルが僕らに過去を話してくれたあの川だ。そういえば陸地ばっか調べてて、水中のほうはノータッチだったな。川には色んなものが流れ着くって言うし珍しい貝とか石とかあるかもしれないのに、なんで気づかなかったんだろう僕!
「ごめんソウシ、最後にあそこの川だけ調べさせて!」
「え、ちょ……!」
僕はソウシにカゴを押しつけると、ひとり川縁まで走っていく。この前は色々あってちゃんと見れなかったけど、改めて見るとこの川スゴい綺麗だな。透き通ってて、立ったままでも底にある小石の形も色もしっかり見て取れる。浄水とかしなくてもそのまま飲めるんだろうな……ちょっとだけ飲んでみてもいいかな? 袖を軽く捲って屈むと、両手で水を掬う。
「終太郎よせっ」
「へ!?」
けど口に運ぶ前にソウシに腕を引っ張られて、バシャッてその場に落としてしまった。もしや奇襲かと思ったけど、周りを見回してもモンスターはいないし、前みたいに霧が出たりもしてない。なのにソウシは僕の腕を放そうとしないし、なんなら目つきだってヤバいし……てかどこ見てんの?
「ソウシ、いったいどう……あれ?」
ゴールドの視線を追いかけた僕も、思わず固まってしまった――だって、僕の手からこぼれた川の水がまだ地面にあった。普通の水ならとっくに土に染み込んでるはずなのに、スライムみたいにポヨポヨ動いてる。
ていうか本当にスライムなんじゃ……ひっ、飛び跳ねてきた! ビクついた僕を庇って前に出たソウシが、咄嗟に手にした木の枝で払い除けてくれる。一拍遅れて衝撃波が生まれ、真っ二つに裂けた透明スライムは更に散り散りに。もう肉眼では視認できなかった。
「一瞬で、魔法も使ってないのに……」
「終太郎、[アンダート・エリア]だ」
「っ、え、[ディテクト・アイ]じゃなくて?」
「 [ディテクト・アイ]は探索物の写しがないと使えない」
「な、なるほど。じゃあアンダート・エリア……うっっっぷ!」
波紋状に広がったブルーラベンダーの光が戻ってきた瞬間、猛烈な吐き気に襲われて僕はその場に崩折れた。えげつない量の音と映像が一気に頭に流れ込み、まるで脳を直接鷲掴みされて捏ねくり回された感じ……気持ち悪いなんてレベルじゃない。マリッちさんなんであんな平然としてられたの!?
「あ、キツかった?」
「ギヅいなんでもんじゃねぇ……」
「これに限っては三半規管みたく鍛えて慣れるしかねーからな。けど……逃げられたな」
地面に落ちたように見せかけて、粉微塵スライムは器用に方向転換して川に逃げたとソウシは舌を打つ。水中に逃げた透明な粒を裸眼で追いかけるのは、ソウシでも難しいらしい……僕が[アンダート・エリア]を使えていれば、追えたのに。
「ごめん……」
「ま、そんな悄気げるなって」
もし相手に敵意があったなら、今頃戦闘になっているだろうとソウシは手を差し伸べてくれる。その手を掴んで立ち上がり、持たせたままだったカゴを受け取って背負い直すと、二人で川縁から離れていく。
「……さっきの、ただ川を泳いでたのを僕が偶然掬っちゃっただけだよな?」
「だといいけど」
「けど……?」
「なんでもない。ほら、あんま喋るとまた吐いちまうぞ」
「うぷっ、言わないでくれ……」
◇◇◇◇
「南海の嫉妬、ですか?」
「そ。元々はカップルとか夫婦でその海辺に行かないほーがイイっていう言い伝えっていうか、ジンクスだったんだけどね……ワァオこの木の実! よく採ってきたね!」
コレが生ってる木ってモイモイめっちゃいんじゃんと言って、マリッちさんは手前に並べといた赤い栗の実みたいなのを抓んで食べる。モイモイ=芋虫モンスター大群に襲われた時のことを思い出して真っ青になった僕に代わって、お金はソウシが受け取ってくれた。
フーリガンズに戻って、道行く人の邪魔にならないように端のほうで今日の収穫物をぼちぼち売っていた僕らのところに、見回り中のマリッちさんが立ち寄ってくれた。最近、南の海に遊びに行ったカップルが失踪するという事件が起きていて、住人たちに注意喚起のチラシを配っていたらしい。
「南の海には嫉妬深い精霊がいてね。海辺に現れた両想いの二人の片っぽから愛を消して、別れさせちゃうんだって」
「……今起きてる事件は`別れさせる`んじゃなくて、`いなくなる`ってことですか?」
海の精霊だか何だか知らないけど、そんなの身勝手すぎるだろ。憤る僕に、しかしマリッちさんは「あー、ちょっと違くて」と呑気な様子で木の実をもう一個つまみ食いしている。驚くことに失踪者たちは一度は人が変わったようにフラッといなくなりはするものの、数日後にはちゃんと想い人のもとに帰ってきているらしい。もちろん、相手への愛情もちゃんと抱いたままとのことだ。
「けど帰ってきたヒトたちは失踪中の記憶がなくて、みんな漏れなく脱水ショージョー気味なのよね。なかには命の危険があるヒトもいたのよねー」
「そんな……でもそれって、水系モンスターの仕業じゃないんですか?」
「んー、それなら[アンダート・エリア]使った時にモン菌が見つかるハズなんだけどー」
「見つからなかったってわけか」
チラシに目を走らせていたソウシが「そうなると面倒だな」と低めの声で呟く。痕跡がないってことは、問題を起こしているのは自らの痕跡を消せる程度の知能をもったモンスターの可能性が高いってこと。確かにただの野生モンスターがやったならモン菌(?)のほかにも匂いとか残ってそうだし、マリッちさんが使う[アンダート・エリア]も掻い潜ったってことだもんな……。
――ま、捕捉されても俺なら余裕で振り切れるけど
(……んん?)
「終太郎、今めちゃくちゃ失礼なこと考えただろ」
「ギッッック……!」
「言っとくけど俺じゃないからな」
「わわ、分かってるって……」
「俺なら問題そのものを悟らせない」
「いや胸張って完全犯罪断言すな!」
そんなことばっか言ってるからつい頭を過ぎっちゃうんだよ、もう。でも水、水かぁ……なんか引っかかるな。
「あ、さっき川に出たスライムみたいな水」
「へ、川にスライム出たの?」
「はい。危うく水と間違えて飲みかけて、川に逃げられちゃったんですけどね」
「へぇ、川にねー」
そらまた珍しいと、マリッちさんは膝の上で頬杖をつく。なんでもスライム系のモンスターは塩分に弱いため、海に繋がっている川の周辺に出現することは稀だとか……いやあのスライム川周辺どころか、川から出てきて川に帰ってったけど。
「あれ、多分スライムじゃない」
「え、そうなの?」
そういえば、スライムだとは言ってなかったな。でもスライムじゃないなら、いったい何てモンスターだったんだろ……?
「そもそも、モンスターなのかね」
「ソウシ?」
「いや……ところで猫ビッチ」
「マリッちじゃコラ。で、なァに?」
「被害にあった人に共通点はないのか」
あれ、ソウシのこの感じ……、
「なァに、名タンテーとやらの再来?」
「違ぇよ」
え、違うのか?
「俺は助手、探偵は終太郎」
あ、そっちか。
「んー、キョーツー点ね……あ! いなくなるのって、なんでか絶対彼氏のほうなのよ」
だから嫉妬深い海の精霊は女だって噂されてると言って、マリッちさんはその場に胡座をかいた。そのまま身体を起き上がり小法師みたいに揺らすと、「実はアタイね、昨日オトリ捜査ってのをやってみたんだー」ととんでもない事を暴露してくる。
「えっ、それ大丈……夫じゃなかったらこんなのんびりしてませんよね?」
「してないわねー」
「ち、ちなみにお相手は……」
「マフ爺」
「なにゆえのキャスティングで!? そこはイリグさんでも良かったはずでは!?」
「ちなみにマフ爺がカノジョ役」
「配役がもはや狂気!」
そりゃ狙われてるのは彼氏ばっかって話だし、シェリフのマリッちさんがマッフルさんを彼氏にするわけにもいかないけどさ! 絵面が、絵面が……、
「珍喜劇だな」
「だからなんでお前はそうズバズバと――」
「あ? ヒトが決死の覚悟で囮作戦ケッコーしたってのにナニその言い草?」
ジトッとした視線がソウシを捉え、ソウシもまたマリッちさんをジト目で見やる……いやホント何があったのお二人さん? オロオロと困惑する僕をよそに「んじゃま、なるべく海辺には行かないでねー」とマリッちさんは見回りに戻っていく。毎度ありーと、遠ざかっていく背中に控えめに声をかけておく。チラッと横目にソウシを見れば、不貞腐れたように薬草の根をチビチビと千切っていた。コラそれ商品だぞ。
「なぁ、お前ってマリッちさんと仲良くないの?」
「は? 仲良い?」
誰が誰とって詰め寄ってくるソウシは真顔で、薄らと血管も浮き出ている。もともとの身長差に覆いかぶさるような体勢も合わさって、純粋におっかない。マリッちさんとの仲勘ぐられるのそんな嫌だった!?
「嫌だね」
「ぁ、口に出てた? てかホントなんでそこまで……」
「……あれは、忘れもしない転生初日の出来事」
お、特大の溜息を吐いたかと思いきやなんか厳粛な感じで語り出した。そういえば僕たち、マリッちさんにもイリグさんにもマッフルさんにも初日に会ってたんだよな。
「あの夜、ルーレットで終太郎に完封勝利をきめた俺は」
「ちょっと待て完封ってなんだ。二回くらいは僕勝ってたよな?」
「あの猫ビッチとも勝負したんだよ……終太郎を賭けて」
「本当にちょっと待て何してんの!?」
僕の焦りをガン無視したソウシが言うには、ひと目で僕のことを気に入った(?)マリッちさんが「あのコの一晩賭けない?」と絡んできて、それが大いに琴線に触れたとのことだ。そもそも、僕が揉みくちゃにされてるどさくさに紛れて胸を押しつけてきた時から嫌いだったらしい……え、僕が遠因だったの?
「でもお前、ミカン事件の時マリッちさんと捜査しろって」
「腸が爆発するかと思った」
「自分で嗾けといて!?」
もうそれ自爆してんじゃんとツッコめば、ソウシは口を3の形に窄ませてブーブー唸る。曰く、現地の警官の協力なしに捜査するのは探偵のセオリーに反するから仕方なかったとか、気に食わないけど別に悪人じゃないことは分かってたとか……僕は思わずププッと吹き出してしまった。笑うなって怒られたけど、これは笑わずにはいられないってば。
「喧嘩するほど何とやら、だな!」
「だから仲良くねぇって(怒)」
「ハイハイ分かったって」
これ以上は本気でへそを曲げられかねないと、笑いを鎮めて店番モードに切り替えた。ちょうど通行人の女性が薬草の一つに目を留めてくれたので、「いらっしゃいませー!」と挨拶をする。
「美容効果絶大ですよ~。あ、美人マダムには必要ないですかね?」
「あら、嬉しいこと言ってくれるわね♪ じゃあコッチのもオマケしてもらおうかしら?」
「毎度あり~」
「ぉ、お買い上げありがとうございます……」
買ってもらえるのは嬉しいけど……なんでか立ち止まるお客さんみんな女性だし、ソウシのほうばっか見てるんだよな。