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第一話 破綻手続き[前編]

これは、

お人好しでツッコミ体質な少年終太郎と、

紳士面して中身は割とやりたい放題な【ステータス】の少年ソウシの、

バカでシリアスな異世界冒険のお話――。

『70844番さん、左の扉へお入りください』


 スピーカーから響いた無機質なアナウンスに促され、`70844`と書かれたプレートを首から下げた中年男性がのっそりと長椅子から腰を上げた。意識があるかどうかも怪しい虚ろな表情のまま、男性は正面に三つ並んだ扉のうち、アナウンスが流れるのと同時に開いた左側の扉のなかへ吸い込まれるようにして消えていく。


「…………」


 その暗い猫背を――正しくはその頭上に浮かぶ灰色の輪っかを、僕は無言で見送った。僕には自己に関する記憶がなかった。生まれも育ちも親の顔も、名前すら真っ白に塗り潰されたまま。辛うじて認識できたのは、体格や喉仏の有無などで性別が男ということくらいで――気づいた時には、この薄暗い待合室のような空間にいた。見渡すかぎり人、人、人。


 服装は様々だが皆一様に俯いて一言も発せず、呼吸の音すら殺してただただ椅子に座っている。そして全員首から番号札を下げ、頭の上に輪っかを付けていた。天使の輪を彷彿とさせる純白の輪をもつ人もいれば、先ほどの男性のようにやや霞んだ灰色の輪をもつ者、なかには真っ黒な輪が浮いている人もいる。そして点々と、血の滴るような赤い輪をもつ人もいた。


(僕は、何色なんだろ)


 ここには鏡なんてないし、誰かに尋ねようにも応えてくれそうな人がいない……そもそも僕たちは喋れるのだろうか。そっと片手を上げて手探りで輪に触れようとしても、何も掴めない。見えているだけで実体があるわけではないようだ。己の身体を始め、身につけている入院着等は普通に触れるようだが。


『99999番の方っ、真ん中の扉へお入りください!』


 何度目かに渡るアナウンスが流れたが、今まで聞こえていたそれと違って今度のは随分と緊張感に満ちていた。女性の声だった。見事なゾロ目番号だなと目を瞑って他人事のように思っている間に『99999番の方!』と同じ声でもう一度、二度とアナウンスが入り、僕は首を傾げた。


 ここにいる人々は決して速いとは言えない動きをしているが、もともと扉までの距離が近いためアナウンスは一回で事足りていた。にも関わらずこうして繰り返し流しているとなると、相手はお年寄りだろうか……と瞼を開いて初めて、誰も立ち上がっていないことに気づく。もしやと自分の首にかかったプレートを見下ろせば、デカデカと`99999`と記されていた。


『99999番……いらっしゃいませんか?』

「ぃ、今行きますっ」


 あ、声ちゃんと出た。それに言語からして僕は日本人のようだ……なんて小さな気づきに構う間もなく立ち上がると、他の人や椅子にぶつからないよう慎重且つ足早に合間を縫って正面に向かう。


「わっ……」


 言われた通りに真ん中の扉をくぐれば、教会の懺悔室のような小部屋に出た。キョロキョロと辺りを見回すついでに振り返ると扉そのものがなくなっており、一気に幽閉感の増した空間に焦りを覚える。そんな僕の様子を知ってか知らずか、異様なまでに白いヴェールに覆われた窓口の向こうから「そちらの椅子にお掛けください」と声が掛けられた。スピーカー越しに聞こえていた女性の声と同じだが、機械を通さない肉声だと少し幼く感じる。


「あの……モタモタしてすいませんでした」

「…………」

「……あの…」

「やはり、貴方は意思がハッキリしているのですね」

「は?」


 僕がキョトンとしている間に、窓口の女性は自らの手でヴェールを退けてその姿を見せた。無駄な装飾のない漆黒のスカプラリオとウィンプルを身につけた彼女は、整った顔立ちの美人だった。しかし大人びて見えるものの、声から想像した通り女性と少女の中間という絶妙な年頃のようで、表情には緊張感が滲んでいる。


「どうか……どうか、落ち着いて聞いてください」


 彼女はコホンと咳払いをして続けた。女性のほうこそ自身を落ち着けようと必死になっているように見えたが、口には出さずに頷いておく。


「今の貴方は、というか向こうの部屋にいらした方々は全員……死人(しびと)です!」


 でしょうね、みんな天使の輪っぽいの付けてましたし。逆に`あの人たちは健康な生者です`と言われてたほうが驚きました、はい――という内心をすべて飲み下し、僕は「死っ……」と表情を引き攣らせる。自分でもドン引くぐらいワザとらしい演技だというのに、窓口の女性の神妙な顔つきは崩れない。


「ここは現世で生を終えた死人が、常世の住人となるための手続きをする窓口――我々常世人(とこよびと)は【審判の待合室】と呼んでいます」

「は、はぁ……」


 記憶がないためか、常世だの何だの言われてもどうもピンとこない。しかし顔面全域に疑問符を貼り出す僕を置き去りに、女性は手元に置かれた分厚い書物のページを捲ると、チラッと視線を落としながら話を再開する。アレ、もしかしてマニュアル本的なものだろうか?


「通常、この待合室を訪れる死人には現世での記憶および意思といったものがありません。意思がないので、自ら考える・発声するといった行為も致しません」

「はぁ……」


 そう言われてみれば待合室にいた人たちはアナウンスで呼ばれても誰ひとり声を出していなかったなと、相変わらず僕はフワフワと考える。だがこの待合室とやらにて、こうして物を考えて喋っている己の存在がイレギュラーだということは分かった。あのマニュアル本が対イレギュラー用だとすれば、女性のやや一方的な説明も納得がいく。


(にしても、まるで家でやってたRPGみたいな設定だな……)


――だぁあクッソ! また負けた!


(……え?)


 ボロい小部屋に中古テレビに繋いだゲーム機器と、口の悪い子供の姿。唐突に瞼の裏に映ったモノクロの一ページに、僕は一瞬泣きそうになった。しかしその理由が分からない。窓口の女性の言う通りなら自分は死人で、何も覚えていないはずなのに。


「ハッ、99999番!」

「っ、はい!」

「なっ、なんで返事するのよ!」

「っ、はぁ!?」


 呼ばれたから応えたというのに、なぜか女性は口調をガラリと変えて逆ギレし、ダンダンッと手元の本を叩いて突っ伏してしまった。漏れ出る唸り声に耳を傾けてみると、マニュアル通り説明すれば正常に戻るはずだの、イレギュラーなんてここ最近なかっただの、よりによって新人の自分が担当になった瞬間ブチ当たるとかふざけているだのと、延々と愚痴っている。


(あー、この人新人さんか……)


 どうやら窓口を預かる者がクレームとアクシデントの餌食になるのは、この世もあの世も変わらないようだ。今更ながら一般常識の類は頭に入っているので、彼女の言う`消失する記憶`とは思い出や人間関係といった個人によって変動するものなのだろうと、僕は冷静に分析していく。その間も女性はワーワー喚いており、しまいにはウィンプルを毟り取って本の横に叩きつけた。ふわっと、アッシュグレーの長髪が丸まった背中に流れる。


「あんの先輩っ、ぜっっっったいこうなるって分かってたからアタシに代わったんだわ! 99999なんて番号怪しすぎるもん!」

「あの、さっきから酷くないですか? 番号はそちらがお決めになってるんでしょ?」

「仕方ないでしょ! 死んだ順番がそのまま待合番号になるんだから!」

「だったら僕にだってどうしようもないじゃないですか!」

「アンタがあと一人分遅く死んでくれれば良かったのよ!」

「ひっど!」


 窓口の彼女はガバッと顔を上げ、パープルの瞳いっぱいに涙を溜めて睨みつけてくる。申し訳ないが、少なくとも今この時点では彼女を微塵も可愛いと思えなかった。清楚なシスターの格好をして中身は駄々っ子そのもの。もう部屋を出ようかと一度は立ち上がったが、入室と同時に扉が消えたことを思い出して渋々座り直す。


「ハァ~ア……まぁいいわ、もうちゃっちゃと手続き始めましょ」

「くるっくるとこうも掌を……なんつー人だ」


 彼女に影響されてか、僕のほうも徐々に口調が砕けてくる。それにこのツッコミの切れ、もしや生前は漫才師でツッコミ担当だったのだろうかとアホらしいことを考えている間に、駄々っ子シスターは一枚の書類とボールペンを用意し、差し出してきた。


墓送(はかおくり)終太郎(しゅうたろう)?」


 《常世住民登録手続書》という太い文字のすぐ下、氏名欄に記入済みの名前―読み仮名付き―を読み上げると、駄々っ子が「アンタの名前よ」と説明してくれた。傍らにはフワッとしたレッドブラウンの短髪にイエローアイを持つ童顔な少年――僕のものと思しき顔写真も貼ってある。


 自分の見た目はまぁいいとして、気になるのは名前だ。なんだか生まれた瞬間に終わりそうな響きだとジト目になる僕に構わず、駄々っ子はさっさとそこに書いてある自身のプロフィールを頭に入れろと急かしてくる。いやホントに態度も口も悪いなこの人……。


(えっと、年齢は十六歳……て若っ!)


 声からして高齢じゃないことは分かっていたものの、まさか十代で死んでいたとは。運悪すぎだろと嘆息しつつ、生年月日や国籍に目を通してから経歴の部分を読む。


(とある宗教家の長男として生まれ、まーまー健康的に育つ。のちになんやかんやあって建物の屋上から落下し死亡……いや暈しすぎだろ!)


 もうちょっと事細かに書けよと我慢ならずにツッコむも、


「最低限の情報がインプットできればそれでいいのよ。どうせみんなリセットされて、記憶も意思もない抜け殻なんだから」


 むしろ死因といったインパクトの強い詳細を見せれば、脳がバグを起こす危険性が高まると駄々っ子は面倒臭そうに言い返してきた。そして「ほら、読んだらとっととサインして」と手を伸ばし、用紙の下部を指で叩く。ムッとしつつもボールペンを手にとり、記憶したての自分の名を綴った――異変は、唐突に起きた。


「……あれ?」

「へ?」


 ペラッと用紙の角が小さく捲れたかと思いきや、僕がサインした部分のみを残してベラベラと独りでに捲れていき、下からもう一枚べつの用紙が現れたのだ。


「な、なにこれ? なんかの詐欺?」

「う、嘘……嘘でしょ!?」


 《要更生者向け異世界転生手続書》――何度読み直しても変わらない、用紙の上部に太字で書かれた文字に、駄々っ子は真っ青になる。


「え、アタシ間違えた?」

「あの、異世界転生って――」

「いやいやそんなはずないわよ! だってコレってアレでしょ、現世で重犯罪を犯したクズを異世界に転生させて心身を叩き直す時に使う書類でしょ!?」

「重犯罪!?」

「けどそういう人の輪っかって黒か赤って決まってるじゃん! この人白じゃん、思わず汚したくなるくらいの!」

「ぁ、僕白なんだ……じゃなくてちょっと説明を――」

「しかも世界難易度がっ! わりとラクな【拘留(イージー)】でも【禁錮(ノーマル)】でもなくて! 結構ツラい【懲役(ハード)】もすっ飛ばして【死刑(ナイトメア)】って!」

「いや読み仮名無理やりすぎるだろ! しかもベリーハード通り越してナイトメアって……!」

「どーすんのよ! コレ一回サインしたら取り消せないんだけど!?」

「いや僕に言われても知らないから! そもそも情報過多すぎて頭パンクしそうなんですけど!?」




「つまり君は、これから俺と一緒に異世界転生するってわけ」




「え……」


 爽やかながらどこか小生意気な声音が頭上から降ってきたかと思えば、背後から腕を掴まれ、僕は半ば強引に立たされた。


(なになに今度はなに! 誰!? ていうかもうなにこの空……間…)


 もう全てが質の悪い夢なんじゃないかとヤケクソで振り向いて、そのまま言葉を失った。僕の腕を掴んでいたのは同い年くらいに見える少年だった。背中で緩く束ねられたダークブラックの長髪にシミもホクロもない肌、シャープな顎、そして透き通るようなゴールデンアイ。記憶が真っ白でも分かった、この人は絶世の美男子だと。


「ど、どちら様で……?」

「俺の名前はソウシ。君の相棒になるステータスさ」

「ぁ、相棒? ステータス?」

「ま、詳しいことは異世界(あっち)で説明するから」


 とりあえず行こうと美男子――ソウシは僕の肩に腕を回すと、片手を前に突き出した。その掌に反応してかぐにゃりと空間が渦を巻き、太陽とブラックホールを足して二で割ったようなデザインの扉が出現する。魔法のようなその現象自体は感心ものだったが、見た目が禍々しいゆえか、僕は足が竦んでしまった。さらに先ほど聞いたナイトメアという単語までもが脳裏に甦り、漠然とした不安に駆られる。


「大丈夫」

「……?」

「俺と一緒なら、ナイトメアも跣で逃げ出すさ」


 パチッと片目を瞑り、安心しろとソウシは言い切った。彼や彼女が何者なのか、なぜ自分が異世界転生させられるのか、そもそもこの待合室という空間の仕組みすら今ひとつ理解できずにいる僕だが……この眩い自信だけは、信じてもいい気がした。


「ちょっと! なに二人でいい雰囲気作ってんのよ!」

「……チッ」

「へ?」


 キモいんですけどと窓口から駄々っ子が身を乗り出した瞬間、紳士的だったソウシの雰囲気が一変した。デジャヴを感じて目が遠くなる僕を庇うように振り返った彼は、「んだよブス、なんか文句あるわけ?」とゴミを目前にしているような眼差しを駄々っ子に注ぐ。文句しかないと駄々っ子は噛みつき返す。ついでに誰がブスだとも。


「この書類の細工アンタがやったんでしょ! こんなの違法よ違法!」

「ろくに確かめもせずにサインさせたのはお前だろ、リイン」


 ふーん、あの駄々っ子はリインって名前なのか。口喧嘩を聞き流す傍ら、僕はひっそりと認識する。


「それに違法っつってるが、それは`ステータスである俺が異世界以外でスキルを発動させたら`の話だろ」

「うぐっ」

「その点俺は偽造スキル使ってねぇし、見破ろうと思えばできたはずだ」

「ぐっ……」

「つまりはお前の職務怠慢が原因だ」

「そっ、れを言うならアンタは職権乱用でしょうが! そもそも急になんなのよ!」


 普段は頼まれたって動かないくせにと喚く駄々っ子――リインさんを暫し真顔で見下ろしたソウシは、どういうわけかフッと口角を上げた。不敵な笑みと称するには、あまりにも儚い微笑。ギョエッと目を剥くリインさんとは対照的に、僕は不思議と見入ってしまう。


「ずっと待ってたからな、この瞬間を」

「は?」

「……?」

「じゃ、後始末はヨロシク~♪」


 口喧しいだけのダメ新人をさっさと視界から外したソウシは、頭の天辺から足の爪先まで疑問符まみれの僕の手を掴むと、えいやっとひと思いに扉を蹴破って中に飛び込んだ。僕も引っ張られる形で同じように扉を潜る。今度は怖いと思わなかった。


「え、ちょ、ちょおぉおおぉおおぉおおぉ……!?」


 ふっと意識が遠ざかる直前、後ろからリインさんの可哀想な嘆きが聞こえた気がした。

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