第1話 現われた邪神(※主人公、一人称)
「現実の世界に不満を抱く男子中学生が、邪神の力で異世界へと転移し、そこで自分の欲望(悪魔)を解き放つダークファンタジー」の改訂版。改訂前の設定を踏まえつつ、新たに書きなおした作品です。今までのファンタジーとは一味違う(と思う)物語を読まれたい方は、是非!
また、負けた。神様から特別な力を授かった勇者に。城の中に這入られて、その命を奪われてしまった。勝利の快感に酔いしれる、勇者。それに俯く、魔族の王。
彼等は立場の違いこそあれ、一方は勝者の、もう一方は敗者の役を演じていた。物語のテーマがそうであるように。彼等もまた、その不文律に従っていたのである。彼等は「勇者の勝利」と言う約束を守って、その不快な物語を終えた。
僕は、その内容に眉を潜めた。世間では大受けの作品に対して、言いようのない嫌悪感を抱いたからである。「悪が善に負ける」と言う描写に対して、言語化できない怒りを覚えていたからだった。
僕は称賛の嵐しかない感想欄のページを閉じて、ポケットの中にスマートフォンを仕舞った。「ああ、下らない。また、ハズレを引いたよ」
作品のタイトルは、それらしい感じだったのに。最後のページに書かれていたのは、素人作家が好きそうな勧善懲悪のラストだった。そのラストに「チッ」と舌打ちする、僕。
僕は学校のグラウンドが聞こえる様々な声、野球部の声や吹奏楽部の演奏、生徒達の笑い声にも舌打ちして、椅子の背もたれにゆっくりと寄り掛かった。「時間を無駄にした。こんな物のために」
貴重な時間を使うなんて、本当に「ガッカリ」としか思えなかった。こんな作品に時間を使わなければ、もっと有意義な時間を過ごせたのに。難しい哲学書を読んで、それに満足感を抱けたのに。途中の「面白い」と思える部分に釣られなければ……。
僕は、青春の虚無感を覚えた。現実の中に理想を求めても、「それは決して、叶わない」という虚無感を。放課後の空気を吸って、その真理を感じたのである。
僕は自分の頭を書いて、この虚しい時間に溜め息をついたが……。そこに一人、僕の良く知る人が現れた。クラスの連中から「メッチャ可愛い」と言われている少女、その女子が「お待たせ」と現れたのである。彼女は僕の表情に首を傾げたが、やがて僕に「遅くなってごめんね?」と微笑んだ。「色んな人に誘われてさ? 本当は、すぐに戻りたかったけど」
ごめんね? 彼女はそう、繰り返した。そうする事で、僕の不満を宥めるように。ある種の媚びを含めては、その不満を「消してやろう」と思ったのである。彼女は僕の前に歩み寄ると、男子が好きそうな動きで、僕の手を握った。「帰ろう、えーちゃん?」
僕は、それに応えなかった。「沈黙」と言う手で、「自分の気持ちを表そう」と思ったから。彼女がそれに首を傾げても、しばらくは自分の口を閉じつづけた。僕は彼女が俯いたところで、椅子の上からゆっくりと立ち上がった。「うん、帰ろう」
亜紀ちゃん。そう、穏やかなに笑った。そうすれば、「彼女も落ち着く」と分かっていたから。彼女の手を握って、その足を「ごめんね」と促した。「ちょっと考え事していてさ。気持ちがちょっと、沈んでいたんだよ」
彼女は、その返事に微笑んだ。僕の嘘にも、気づかずに。教室の窓から差し込む夕日に顔を染めては、昔と変わらない笑顔を浮かべたのである。彼女は僕の手を引くと、僕と一緒に教室の中から出て、そのまま駐輪場に向かった。
駐輪場には、生徒達の姿が見られた。学年のそれはマチマチでも、自転車の鍵を外している姿は変わらない。仲の良い友人達と話す姿や、一人虚しく帰る姿にも、ほとんど違いは見られなかった。
彼女は自分に向けられている視線、特に男子の視線などまったく気にしない様子で(彼女は昔から、自分が持てる事に気づいていないのだ)、自分の自転車を走らせた。僕も彼女の後に続いて、自分の自転車を走らせた。僕達は(本当はダメだが)二列に自転車を並べて、夕暮れの町を走りつづけた。
夕暮れの町は、美しかった。逆光が作り出す影も美しかったし、それに覆われた人の影も美しい。影の美にすっかり覆われている。横断歩道の前で自転車を止めた時も、車道から走ってくる車の走行音に思わずうっとりしてしまった。
あの美しい機械音が悲鳴を上げれば、その犠牲者も甘い声を上げるだろう。「キキキッ」と言うブレーキ音に交じって、人々の悲鳴も聞こえるに違いない。それを掻き消すパトカーのサイレンは聞こえるだろうが、それを除きさえすれば、この世の地獄が出来上がるのだ。
この世の地獄が出来上がれば、この気持ちも満たされる。この世の地獄は、この世の甘美。つまりは、悪の賛歌に他ならない。悪の賛歌は、真の自由を齎す。真の自由は、悪い事でしか得られない。
だから、その音がどうしても聞きたかった。周りの人々が「悪」を罵る横で、その悪を称えたかった。無抵抗な相手を無慈悲に潰したかった。僕は未だ得られない自由の恩賞を、心から望んでいたのである。だが、そこに障壁が一つ。僕の隣に並んでいる、一人の障壁があった。
幼馴染の頼長亜紀。その憎たらしい美少女が、僕の欲望をすっかり抑えていたのである。幼稚園の時に僕と出会ってから以来、僕の何が気に入ったのか、その行動をずっと見つづけて、僕が欲する欲望をすっかり抑えてきたのだ。
僕が何かをやろうとしても、その行動に疑問を投げかける。社会的な良識を持ち出して、それに僕を当て嵌めようとする。正に「厄介」としか言えない少女だった。
彼女と一緒に居る限り、この欲望は解き放てない。無難な善に諦めて、無謀な悪が抑えられる。僕が市内の中学校に上がった時は、周りから離れようとした僕を引き留めて、みんなの中に僕を放り込んでしまった。
僕はそんな彼女の呪縛に抗おうとしたが、僕自身も「世間体」を知った事や世間体の利益を知った事で、周りの空気を読む人間、つまりは「詰まらない男子生徒」になってしまった。
当たり障りのない会話で、周囲との争いを避ける。そんな人間になってしまったのである。僕は「今の自分を情けない」と思う一方で、そこから抜け出せないモヤモヤに苛々していた。「ちくしょう」
それに「ハッ」とする、亜紀。僕としては呟いただけだったが、彼女にはしっかりと聞こえたらしい。亜紀は信号機の青を守って、自転車のペダルを漕ぎはじめた。「どうしたの?」
そう聞かれても、「何でもない」と誤魔化すしかない。彼女に自分の本心を知られるのは、どんな屈辱よりも屈辱だった。彼女に僕の悪を叱られるのなら、いつもの作り笑いを浮かべた方がマシである。僕は十字路の所で彼女と別れるまで、その嫌な笑みを浮かべつづけた。「それじゃ、また」
彼女も、それに「またね」と返した。彼女は「ニコッ」と笑って、反対側の道に自転車を走らせた。僕は、その背中を見送った。彼女が後ろを振り返らないのは分かっていたが、それでも見つめずにはいられなかったからである。
彼女の姿が消えるまでは、この気持ちも落ち着かない。周りの人達には「どうして、止まっているのか?」と思われているだろうが、それが僕の精神安定剤である以上、この儀式はどうしても辞められなかった。僕は彼女の姿が見えなくなったところで、自分の自転車を走らせ、自分の家に帰った。
家の中では、母さんが今日の夕食を作っていた。母さんは僕が家の中に這入ると、僕に「お帰り」と微笑んで、僕から弁当箱を受け取った。「今日も、亜紀ちゃんと帰ってきたの?」
憂鬱な質問だったが、それに「うん」と応えた。母さんも僕と亜紀の関係を知っていたので、余計な事は言いたくなかったのである。僕は洗濯機の中にワイシャツとアンダーと靴下を放り込むと、父さんが会社から帰ってくるまで(うちは、父さんが帰ってから夕食を食べる)、あの無意味な現実逃避に打ち込んだ。「コレも、違う」
コレも、コレも。みんな駄作だ。本の表紙がお洒落でも、その内容が「面白そう」とは思えない。みんな王道の、無難な話に逃げている。勇者が魔王を倒すファンタジーに。みんな、冒険を書きながら冒険を書いていなかった。
僕は、そんな事実に俯いた。俯いて、「下らない」と罵った。みんな、自己投影に逃げているくせに。僕はベッドの上にスマホを放って、部屋の天井をじっと見つめた。「僕がもし、異世界系の主人公だったら? 自分の悪をすべて解き放てるのに」と。
そんな気持ちで迎えた翌日は、昨日よりもずっと憂鬱だった。クラスの連中は、「どの部活に入る?」と盛り上がっているのに。高校一年の春に馴染めなかった僕は、亜紀から仕込まれた処世術を使って、「ボッチ」と「リア充」の中間に居そうなキャラを保っていた。「ふうん、そなんだ。サッカー部に?」
相手は、その返事に「そうそう!」と喜んだ。「如何にも陽キャ」と思える人物だが、僕のような人間にも優しいらしい。僕が無難な返事を続ける横で、それに思いきり盛り上がっていた。彼は自分の周りにクラスメイトを囲んで、彼等が楽しそうな話題を話しつづけた。僕も無難な態度で、その話を聴きつづけた。
彼等がどんなに親切であれ、不必要に出しゃばるのは不味い。相手から何かを聞かれるまでは、聞き役に徹するのが無難だった。僕は彼等の話に相槌を打ちつつも、亜紀との絡みも無難に熟して、その嫌な時間を何とかやり過ぎした。「終わった」
そう呟いた瞬間に疲れた。創作の陽キャよりもずっと優しい彼等だが、それに付き合うのはやっぱり疲れる。学校の屋上に行くまで、まったくホッとできなかった。僕は地面の上に寝そべって、放課後の空を眺めはじめた。だが……。
異変が起きたのは、正にその瞬間。屋上の出入り口にふと、気配を感じた時だった。僕は地面の上から起き上がって、屋上の出入り口に目をやった。出入り口の前には、一人の少女が立っていた。青紫の服(ゴシック調の服?)を着た、髪の長い少女。少女は放課後の風に髪を靡かせて、僕の目をじっと見ていた。
僕は、その視線に息を飲んだ。視線の力も強いが、その雰囲気も強い。瞳の奥に吸い込まれそうな、そんなオーラが感じられる。僕の顔を見ながら「クスクス」と笑う表情からも、彼女特有の威圧感が察せられた。
僕は、その感覚に恐怖を覚えた。視線を逸らしたら殺される、そんな空気も感じられた。僕は蛇に睨まれた蛙の如く、この不思議な少女に慄いてしまった。「き、君は?」
そう漏らした声も、震えている。背中にも汗が伝って、拳の間にも汗を感じた。僕は「逃げなきゃ!」の一心で、この場から逃げる方法を考えはじめたが……。
そう思った瞬間に少女が「大丈夫」と止められてしまった。少女は僕の前に歩み寄ると、その瞳を微かに光らせて、僕の頬をそっと撫ではじめた。
「私は、敵じゃない」
「え?」
そう応えるので、精いっぱいだった。僕は心の動揺をしばらく感じたが、その言葉に思考を取り戻すと、不安な顔で彼女の顔を見かえした。「敵、じゃない? そんな」
わけがない。そんな風に笑う人間は、(僕の知っている限り)味方ではなかった。頭髪と同じ青紫の瞳は、人間のそれとは違う。妙に白い肌も、服のデザインもみんな、ファンタジーのそれを示していた。僕は彼女の姿から推して、「彼女は、コスプレ好きの変人だ」と思った。
だが、どうもおかしい。確かな証拠は無いが、それでも「おかしい」と思ってしまった。「演劇部か何かの生徒が衣装を着ている」としても、その雰囲気にどうしても違和感を覚えてしまったのである。僕は雰囲気の疑問を残したままで、彼女に「貴女は、誰ですか?」と訊いた。「休憩時間か何かで、ここに?」
来た、わけではないらしい。彼女の笑顔を見る限りは、その想像は「間違っている」と思えた。彼女の顔をまじまじと見る、僕。僕は一応の警戒心を残して、彼女の前に少し近づいた。「まあ、良いです。僕の時間を奪わないなら」
彼女は、その続きを遮った。まるでそう、その続きを打ち消すように。
「自由になりたいのね?」
「はい?」
我ながら間抜けな声。そう思える程に驚いてしまった。見知らぬ女子から「自由になりたいの?」と訊かれれば、どんな人でも驚いてしまう。僕は、自分の声を誤魔化すように何度か咳払いした。
「どう言う事です? 僕は、別に」
「自分の悪魔を解き放ちたい。心の中にある」
欲望を。そう言われて、言葉を失った。自分の本心をまさか、初対面の相手に暴かれるなんて。動揺よりも先に恐怖を覚えてしまった。僕は心の動揺を隠して、いつもの作り笑いを浮かべた。感情の色を殺した、あの作り笑いを。
「意味が分からない、僕が悪魔になりたいなんて!」
「そう?」
「え?」
「貴方の心はそう、言っているのに? 『自分の悪魔を解き放ちたい』と。貴方は、自分の欲望を抑えている。周りの目を恐れて、その感情を」
「待って、待って下さい! 僕は」
そんな事は、思っていない。そう言いかけた瞬間に黙ってしまった。彼女が心理学か何かで相手の心を読める人なら、この抵抗も「無意味ではないか?」と思ったからである。
読心術が使える相手にこんな手段は、意味がない。何としても誤魔化して、「この場をやり過ごすしかない」と思った。僕は彼女の目から逃れようとして、彼女の前から逃げようとしたが……。
やっぱり止められてしまった。僕が彼女の横を通り過ぎようとした瞬間、彼女に「待って」と呼び止められてしまった。僕は彼女の横で足を止め、その横顔をじっと見はじめた。
「な、なんです?」
「私は、邪神」
邪神? 邪なる神? それが?
「私の正体」
「まさか!」
そんな者、現実に居る筈がない。「邪神」とは、人間が考えた空想上の存在だ。こんな風に出会える存在ではない。僕は半信半疑な顔で、彼女の顔を見かえした。彼女の顔は、僕の反応に「クスクス」と笑っている。
「証拠は?」
「証拠?」
「そうです。貴女が本当に『邪神だ』と言うなら、それを示す証拠がある筈だ。証拠も無いのに貴女を『神様』と信じるわけにはいかない!」
彼女はまた、僕の言葉に微笑んだ。僕の言葉をまるで、面白がるように。彼女は「クスッ」と笑って、自分の指を鳴らした。「これが、証拠」
それを聞き取るよりも先か? 目の前の空間が避けて、その切れ目から黒い槍が現れた。槍は地球の重力に従って、地面の上に落ちた。金属特有の、あの音と共に。「三叉槍。これを出せるのは、私達だけ」
彼女はまた、「クスッ」と笑った。人間のそれとは違う、何処か不気味な笑みで。