トンボ帰り
今回は地球で滞在する予定がない。ほぼ日帰りでの移動となる。成層圏を飛び出したアイリス2は宇宙空間をシエラ第1惑星の裏側にある小惑星群の近くのNWPポイントを目指して巡行速度で飛行していた。出発前のブリーフィングでは情報部のスコット大佐よりは
乗客はアン大使とアンドリュー中佐の2名。それと小型コンテナ1基を積み込み、作業が終わると直ちに帰還してくれと言われていた。地球でのNWPワープアウトポイントのETAも連絡済で先方からの確認も取り付けてあるという。
『NWPポイントまであと30分です』
「機体、エンジンに問題は?」
『機体、エンジンともに問題ありません。エンジン稼働率80%、CPUは60%以下の使用率です』
「ありがとう。問題のないレベルだな」
15番ピアでしっかりとメンテナンスを受けているこの機体に問題があることは考えられないがそれでも毎回ケンは飛行前には目視のチェックを行い、飛行中も定期的にアイリスから報告を受けている。もう癖になっているルーティーンでアイリスもケンのこの指示については聞きなれている。ソフィアについても同様だ。むしろケンの影響を受けたのか彼女は飛行前のケンのチェックが無いと不安になる程になっていた。
シエラからNWPをして飛んだ先はいつもの地球の近くの指定空域だった。ここはもうシエラと地球との専用のゲートになっているらしく地球連邦軍の演習地域はそこから少し離れた場所に移動したらしい。もちろんこのNWPゲートを含めてこの辺りの広大な宇宙エリアは軍の管理エリアとなっており一般船がエリアに侵入することは出来ない。
『アイリス2,こちらLAベース。予定通りだな』
アイリス2がワープアウトしたタイミングでLAベースから通信が入ってきた。
「こちらアイリス2。また世話になる。着陸ポイントに変更は無いか?」
『変更なし。お宅の事務所前に降りてくれて構わない』
「アイリス2了解した。手配に感謝する」
その後地球の成層圏を抜けるとLAベースに隣接しているヤナギ運送の駐機場に向かって高度を下げていく。着陸ポイントに近づくと駐機場に泊まっているユーロセブンの姿が目に入ってきた。減速しつつ降下していったアイリス2はユーロセブン隣のポイントに着陸する。後部ハッチを開けると倉庫からエアリフトが現れて積んできたコンテナ1基を乗せるとそのまま倉庫の奥に消えていった。
乗降扉から外に出た2人。ケンがアイリス2の機体を外から目視でチェックをしていると建物の1階からアン大使とアンドリュー中佐、その背後からこの事務所で仕事をしているシエラ情報部と外交部の連中も出てきた。
「お久しぶりね」
ソフィアを見つけると近づいてきて話かけてきた大使。その声を聞いて機体の向こう側からケンも姿を現わすと挨拶をする。今回は帰星しないシエラの人たちとも久しぶりと挨拶を交わしたケンとソフィア。
「いつでも出発できます」
一通り挨拶が終わるとケンがアン大使を見て言った。
「じゃあ早速だけど行きましょう。アンドリューもいいわよね」
周囲は安全だとは言え軽々しく中佐等という役職を言わない所は流石だなとやりとりを聞いていたケンが感心する。
「大丈夫です。ケン、短い時間だけど世話になるよ」
「こちらこそ」
2人を機内に案内するとソフィアが扉のハッチを締めた。ケンは船長席に座りアイリスと打ち合わせをする。
「アイリス、設備に問題無ければ出港許可を取ってくれ」
『機内の全設備問題ありません。オールグリーン。今LAベースに連絡を入れました。いつ出港してもOKだそうです』
「なら出港しよう。向きこのままで100メートルまで上昇その後反転してNWPポイント」
『機体の向きこのままで100メートル上昇します』
そう言うと機体が浮き上がってゆっくりと上昇していく。
『100メートルで機首反転その後NWPポイントに向かいます』
わずか10分程の滞在時間でアイリス2は地球を離れNWP経由でシエラ第3惑星に戻っていった。
「相変わらず良い船だな」
NWPポイントに向かって疾走しているアイリス2の姿をレーダーで捉えながら呟いた男は地球連邦軍参謀本部のレーダー操作員だ。
「外見こそ普通の輸送船に見えるがありゃ相当手を入れてるぞ。スピードもそうだが武装も半端ないだろう」
「そりゃそうだろう。VIPを乗せてるんだ。丸裸ってことはあるまい」
レーダー画面を見ながら操作員達が思い思いに言葉を交わしている。彼らは参謀本部所属として厳しい試験にパスした者ばかりで当然高いレベルでのマル秘情報へアクセスする権利を有していた。
やり取りを聞いていたレーダー室の責任者が声を出した。
「アイリス2はいいとしてエシクはどうなってる?」
「今の所ベースアステロイド経由では特別な情報は入っていません」
別の女性操作員が返事をする。
「そう遠くない時期に太陽系に顔を出すってのがAIの読みだ。引き続き頼むぞ」
「シエラ製のAIだ。読みに間違いはないだろう」
「その通りだ」
『NWPしました。ワープアウトは55分後です』
アイリスの声が船内に響くとしばらくして2階の個室に入っていたアン大使とアンドリュー中佐が階段を降りてきた。ソフィアは既に席を立ってシエラのコーヒーを淹れている。ケンも計器を見て問題ないのを確認すると背後のダイニングテーブルに移動してきた。
「ケンのアイデアでシエラ軍が海賊船を退治したらしいじゃないか」
コーヒーを一口飲んだ中佐がケンに顔を向けていった。
「アイデアを出しただけですよ。実際に船を作り海賊船を倒したのはシエラ軍だ。海賊船というのは居住性よりもスピードや機動性に重きを置いた設計をしていると聞いています。口で退治するといても実際は簡単じゃないと思ってましたからね。それを完璧に叩きのめした軍の技量が高いレベルにあるということです」
実際その通りだとケンは思っている。アイデアを出してもそれを実践する行動力、フットワークの軽さ。それ以前に一介の運送屋の意見もしっかりと聞き、それが有効であると判断すれば即実行する。こちらの方がずっと大したものだと思っている。
「海賊船退治がひいてはファジャルの侵攻スピードを遅らせることができるとケンは考えているのよね?」
「その通りです。ファジャルで作られている海賊船の乗組員はおそらくファジャルの兵士でしょう。船と兵士を少しでも減らせて逆に彼らに脅威を与えることができると思います」
アン大使の言葉に答えるケン。アンはケンの言葉を聞きながらこの地球人は相変わらず優秀だと思っていた。以前と全く変わっていない。ここまでシエラ政府に関与しながらも自分の立場をしっかりと弁えていて必要以上に聞いてこない。ただこうして話を振ると何も考えていないのではなくしっかりと自分の持っている意見を述べる。
今回の自分の帰星についても会議ですか?とか何か急ぎの事案でも起こりましたか?と聞いてくるのが普通だが彼はそれを全くしない。ソフィアもしかりだ。2人とも運送屋に徹しきっている。好奇心を隠し続けるのは簡単そうに見えて簡単ではない。いや、ひょっとしたら本当に彼は興味がないのかもしれない。アンにそう思わせる程にケンは泰然自若としていた。