004 祈り
男はエルと名乗った。
「精霊って本当にいたのね」
メイは無遠慮に視線を送る。
「おかしなことを言う巫女だな」
エルは再びメイを巫女と呼んだ。
「どうして私が巫女なのよ?」
メイは怪訝な顔をする。するとエルもまた怪訝な顔をした。
「ここは巫女か精霊しか入れぬ」
「私ただの学生よ?」
「ふむ……まあいい」
エルの顔はすぐに無表情に戻る。
メイは気になっていたことを尋ねた。
「ねえ。これって、呪いの木?」
「呪い?」
「時を止めた呪いの木があるって。噂だけど」
エルの眉がかすかに動く。
「呪いか。そうかもしれぬな」
エルは木に歩み寄り、触れた。
「昔の話だ。聞きたいか?」
メイは逡巡し頷いた。エルは「そうか」と言い、語り始める。
「昔、精霊の王と人の巫女姫が思いを通わせた」
それはメイの知らない話だった。
「精霊は永遠を、人は刹那を生きる。王と姫はお互いの時に焦がれた。王は姫との刹那を。姫は王との永遠を望んだ」
エルは淡々と語る。
「二人は禁を犯した。時の秘術に手を出したのだ。時の理から外れ、刹那であり永遠であろうとした。それが間違いだとは知らずにな」
「間違い?」
エルは小さく頷いた。
「時の理から外れるという意味よ。秘術は時を止める術だった。時が止まったものは永遠であり刹那。しかしそれだけだ。止まった時の中では想うことすらできぬ。何もない。無だ。王は術が成る間際にそれを悟り、姫を術から遠ざけた。王の時は止まったが、逃れた姫は王の魂の一欠片を木に繋ぎ止めた」
メイは息を呑む。
「じゃあ、この木って……」
エルは答えず続けた。
「姫は嘆き、百年をかけて祈り、時の秘術を解こうと約束をした」
時の秘術に百年の祈り。
途方もない話だと思った。
そしてメイは理解した。
「エルは王様なのね」
「一部だがな」
「でも百年て、もうすぐでしょ? そしたら」
「ならぬよ」
「え?」
エルは淡々としていた。
「もう、五十年。姫はこの地を訪れておらぬ。最後に会ったとき、老いた姫は『もう自分は来られぬ』と言っていた」
「そんな……」
「人は永遠を生きられぬ」
エルはメイの手を取った。
「話は終わりだ。これを持って去れ。迷わずに戻れる」
手を開いたメイは心臓が止まるかと思った。
手渡されたのは飴色の石だった。
メイは静かに尋ねる。
「ねえ、王様。まだ姫のこと、好き?」
「…………ああ」
無表情な返事だったが、メイにはその声がとても温かいものに聞こえた。
深呼吸をして、メイは胸元から首飾りを取り出す。
(大事な約束、だもんね)
メイはそっと首飾りを差し出す。自然と笑顔がこぼれた。
「姫から伝言。『よろしく』だって」
「そうか……」
エルは受け取ると、愛おしそうに見つめ目を閉じた。ふっと笑ったように見えた。
曽祖母がーー巫女姫ユーリが長年そうしていたように握り、額に当てた。
そこにあるのは一生分の祈り。
「足りない?」
エルは首を横に振った。
「充分だ」
風が強く吹いた。メイは目を細める。
ほんの刹那の間。
エルの姿はなかった。
そこには真っ赤に葉が色づいた一本の木があるだけだ。
メイは石を握りしめ、踵を返した。
秋マラソン完走いたしましたー!
5作並べるとカオスだなあ。
いろんな話を書いてみましたが、お好みの作品がひとつでもありましたら氷川としても嬉しい限りです。
一番苦労したのは間違いなく今作で、没原稿が本稿と同じくらいになってました。
5000文字ぃいいい! ってうめきつつ、恋愛とラブコメの違いとは!? とか頭を抱え。
セリフを削り、シーンを削り、設定を直し、出来上がったら違う話になっていたという。
プロットブレイカーあるあるです。
エルとユーリの話はいつか機会があれば書いてみようかな。
お付き合いいただきありがとうございました!