司書は冒険譚を語り、後輩は筋トレをする
かくしてテルは天界の制度を変えていこうと考えた。しかしテルは何かの役職を持っているわけでもない、人間界でいう平社員だった。
まずは知識を増やすことをしなければならないと考えたテルは図書館へと来ていた。もちろん自分の職務をさぼって、本から知識を貪っていた。
「まずは民意を調査せねばならんなぁ。」
何事を成すにもまずは指針となるものを決めなければならない。理念を掲げると、自然と共感する人が集ってくるのだ。指導者とそれに追従する民衆、その両者に大きな隔たりがあると、大きな力は生まれにくい。テルの愛読書の一つ「誰でもできる超簡単経営改革」にも、そう教えが書いてあった。
うんうん、と今後の算段を立てていると、とんとんと軽く肩が叩かれる。うおっと短い悲鳴を上げると、後ろにいたその人物もうわっと高い声を出した。
「すみません、驚かせてしまいましたか?」
「あああ、なんだ司書さんじゃないですかー。びっくりして一瞬マヌケになっちゃったよ」
「ああ!本当に申し訳ございません。なにやらお悩みのようでしたので、わたくしだったらお力になれるかと思いまして」
焦ったように身振り手振りで弁明を重ねる司書の女性――キュリオを、テルはどうどうとたしなめる。謝罪の応酬が3度ほど続いた後、テルは自分の悩み事を彼女に話した。
「今、人間と天使について調べているんだ。とりわけ史実に基づいた本を探していてね。なにかいいものがあるかな?」
「なるほど、史実ものですね。一昔前はたくさん蔵書があったのですが、今は一つの本棚で事足りるほど減ってしまったんですよね」
「歴史なのに?時間が経って増えるのはわかるけど、減るのはおかしくない?」
「ええ、なんでもその本たちは役所の中にある書庫に移動されたようですよ」
「ふーん」
上の奴らが考えることはわからないな、と少しの違和感を残しながらもその場は飲み込んだ。そんな疑念を晴らすように、隣の少女は「お任せください!」と明るい声を上げ、長い黒髪を揺らしながら眼鏡をかけなおした。
「こんなこともあろうかとわたくし独自のコレクションがあるのです。必要な情報があるかはわかりませんが、ご紹介いたしますよ」
「さすが生真面目な司書さんだあ。頼らせてもらって助かるよ」
「誰かの助けになるのは至高の誉ですからね。なんなりとお申し付けください。」
さあ、こちらへどうぞと手招きをされる。どうやら早速、彼女のコレクション部屋へと通されるようだ。手慰みにとでも、その道中にテルはキュリオに話しかける。
「ああ、あとさ、これは余談なんだけど。もし司書さんが未知の世界に冒険することになったとして、まず最初になにをすると思う?」
「未知の世界、ですか」
実際にその場面を想像しているのか、彼女は目を閉じ、腕を組んで自分の世界へと没頭する。
「うーん、そうですね。やっぱり冒険には相棒が必要ですよ!洞窟探検しかり、恋愛物語しかり、やはり頼れる人がいることは心強いですからね!」
「やっぱりねえ、バディものはいいよねー!その二人にしかない絆があるの、すごくそそるんだなー」
「その二人にギャップがあるとさらにおいしいですねえ」
冒頭の質問はどこへ行ったのやら。数ある物語の良さについて語り合う二人の口は、しばらく閉じなかった。そんな中でも、テルは計画の算段を練っていた。やはりキュリオの助言どおり相棒となる者は欲しい。ということで、彼女の助言に従い、まず手始めに後輩を呼び出すことにした。
しかし、大規模な改革を行うともなると、背中を預けられるような信頼が必要だ。そして様々な問題を対処する対応力、行動力などの実力も求められる。かくして、テル少年は簡単なテストを与える事に決めたのだった。
***
天界の居住区にある、とある二階建てのアパート。その一階の一室に一介の天使が住んでいた。平日の早朝。まだ空が白んでいる朝、アパートの前で筋トレをしている天使、レオ少年がいた。細見の体系であるにもかかわらず、そこに在る筋肉は無駄なくついており、その肉体美を晒している。
荒くなる呼吸を噛み殺しながら懸垂に励むその天使の上空から、「郵便でーす」と自転車のベルを鳴らしながら新聞配達員が下りてきた。ぱっと手を離した天使は汗を拭いながら、配達員と向き合う。
「おれ、新聞は頼んでないですけど」
「ああ、違うんです。お渡しするのは郵便ではなくて、手紙なんです」
「手紙?」
答えを聞くより先に、レオは一通の手紙を渡された。新聞配達がなぜ手紙を渡すのかと訝しげに見ていたら、その疑念の視線に気づいたのか郵便配達員が答える。
「支度をしていたら、ついでだからいいだろうと頼まれたんですよ」
「ついでで頼まれていいものなんですか」
「それが断る前に逃げられてしまいまして、良心に従って届ける事にしたのです」
今朝の出来事を思い出しぐったりと項垂れる配達員に、レオは思わず哀れみの視線を送る。配達員はそのトレードマークの帽子を被りなおすと、自身の手にある新聞に目を向ける。
「幸いとは言えないですけど、悲しいことに新聞を読む天使も少なくなったので暇なんですよ。お堅い文章じゃなくてもう少しポップに仕上げたらもっと売れると思うんですけどねえ。今はもうスクープ記事の川柳大会みたいな古いノリなので」
「なるほど・・・?」
「ああ、いけないつい口が開いてしましました。どんなに暇でも職務怠慢は罪ですからね!手紙、しかと渡しましたので、私はこれで失礼します」
ではと先を急ぐ配達員は、さっさとペダルをこぎ始め、空へと飛び立っていった。郵便物を受けっとった天使、レオは手を振ってそれを見送った。
空を飛べるのに、わざわざ自転車を携帯するのは新手のトレーニングなのだろうかという疑問がわいたので、今度会ったら聞いてみようと一人うなずいた。
それはそうと、と手中にある手紙に目を落とすと、わずかな陽光に透かして見ながら手で破いて、中身を取り出した。
「なんだこれ」
その手紙には一文「かたたたきのき券」とその傍らに2匹のタヌキが肩たたきをしている絵があしらわれていた。肩たたき券というならば、きが一つ多いのはわざとなのか誤字なのか。ふむと息を吐いて差出人の名前を確認したところ、誤字だなと考えた。その差出人は言わずもがなテルであった。それにしてもこのタヌキ、筆で書いたのかなかなか味のある絵で、テルさんが書いたにしては出来すぎているなと感心した。その時ちょうど、少年のお腹がぐるると空腹を知らせる。
「あ、朝飯食べないと」
ぐうとなったお腹をさすりながら、冷蔵庫の中身を思い出していく。少年は、少し萎れた券をポケットに突っ込んだ。気が付けば太陽も顔を出し、その街に影を作っていた。
「今日は目玉焼きの気分」
早起きはなんちゃらかんちゃら。レオは乾いた唇をなめると、さっさとフライパンを取り出した。