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札束の英雄

作者: 相浦アキラ

 鬱蒼と生い茂る森を突っ切る、曲がりくねった黒土の道。

 傷のような轍を残しながらゆっくり進む荷馬車には、山のように積まれた紙束と少女の三つ編みが微かに揺れている。


 御者の中年男は紙タバコをふかし、薄暗い木々に縁どられた青空に白い息を吹き上げている。

 少女は煙の微かな残り香に軽く顔を顰めつつも、馬車の音に掻き消えぬよう大きく声を張る。


「ねぇ、おじさん」


「……なんだ、ミア」


「いい加減、この銀時計を受け取って欲しいんだけど」


「止めときな。爺さんの形見なんだろ」


「……そうだけど、事情を知ればおじいちゃんも分かってくれるわ」


「金なら貰ったからいいんだよ。とっとと村に帰れ」


「絶対に嫌よ」


 紙束の山に不愛想に埋もれるミアに首だけ振り返り、男は呆れたような苦笑を作る。


「お前もしつこいな」


「……おじいちゃんが言っていたわ。受けた借りは絶対に返せって。私、村の連中みたいに貰い得するなんて嫌よ。おじさんにちゃんと借りを返すまで村に帰る気は無いわ」


 強情に薄い唇を結ぶ少女。男は前に向き直りつつも手綱を軽く引き、また白煙を吐き出す。


「何度も言ってるだろ。お前の右隣りに積み上がった札束を見てみろ。対価なら十分すぎる程頂いたさ」


 飄々とした男の態度に、少女はいよいよ声を荒げる。


「こんな紙束なら他にいくらでもあるわ! 大猪を倒した功績に見合った報酬としては明らかに不十分よ! もしギルドに頼んだら最低でも麦袋100袋は取られるでしょうね」


「麦袋なんて100袋あっても仕方ないだろ。俺が一番欲しいのは金だ。金はいいぞ。腐らないし、こうやって眺めてるだけで心が安らかになる」


 男は紙束が積み上がった荷車へと目を細め、さも満足そうに口元を吊り上げる。そんな男の気持ちの一片すら、少女には理解が及ばなかった。


「こんな紙束集めて、何になるって言うの?」


「……何になろうが、ならなかろうが、どうでもいい事だ。どっちにしろ、この札束は俺にとって命の次に大切なのさ」


「何で?」


 男は遠い目を空の蒼に向ける。


「……少し昔話になるが。30年前、大きな戦争があった事はお前も知っているだろ?」


「おじいちゃんから何度も聞かされたわ」


「あの戦争で世界中が滅茶苦茶になる以前は、誰もがこの紙に価値を見出していた。この紙を沢山持っている奴が力を持ち、持っていない奴は弱者だった。誰もがこの紙を手に入れる為に心血を注いでいたよ。詐欺や盗みや殺しまでしてな」


「それも知っているけど……理解できないわね」


「無理もない。お前が生まれる以前の話だ」


「……」


 どこからか鳥の鳴き声が響き、荷車の音に掻き消えていく。


「俺の家は裕福じゃなかったからな。ガキの頃からずっと夢だったんだ。荷馬車に満載した札束に埋もれて、札束を抱いて眠るのが」


「分からないわ。全く。こんな紙切れに価値があるなんて、どうして本気で思えるのかしら」


 男は考え込むように顎に手を当てると、口を開く。


「……例え話をしよう。お前が俺にワインを売ろうとしてきたとする。俺はどうしてもワインが欲しかったので対価を支払おうとしたが、生憎何も持っていない。だが、来月には塩袋が手に入る当てがあった。そこで俺は『この紙を持っている奴に、俺が塩袋一袋を何月何日にやる』と書かれた紙をお前に渡す事にした。お前は俺を信用して紙を受け取り、俺にワインを渡した。さて、お前はこの紙にどれほどの価値を感じる?」


「おじさんが約束を果たせない可能性はあるけど、大体塩袋一袋分程度の価値はあるわね」


「ほら、ただの紙切れに価値が出て来ただろ? 加えて……お前がこの紙切れを他の奴との取引使えば、関係ない第三者の間で流通する事すらあるんだ。この信用と取引のシステムこそが金だ。肝心なのは目に見える物じゃねえ。形のない約束事ってことだ」


「……なるほど」


 多少なりとも腑に落ちた様子の少女だったが、すぐに首を傾げる。


「紙切れで買い物が出来る理屈は分かったけど、じゃああんたが持っているこの紙束には一体どんな約束事があったっていうの?」


「それは……そうだな。税ってのがあってな」


「税?」


「政府の役人連中が何かにつけて金を集りに来るのさ。その時金がないと最悪牢屋行きになる。特に金持ちは、ある程度まとまった金を手元に置いておく必要があった。だからこそ金の価値を疑う奴はいなかった」


「でも今は政府なんてどこにもないわ。その札束が必要になった事なんて、薪が足りなくなった時だけよ。おじさんがその紙切れを集めても、何の役にも立たない事に変わりは無いじゃない」


 男は言葉に詰まりながらも、なんとか口を開く。


「……俺も理屈では分かっているんだがな。それでも金が欲しくて仕方ねえんだ。何せ、ガキの頃からずっと金を集める事ばかり考えて来たからな。出来る事ならこの世界の金を全部、この荷馬車に詰め込んでやりたいくらいだ。そうできたらどんなに満たされるか……」


「知らないけど、あんまり荷車を重くしたら馬が可哀そうよ」


「そいつは違いないな」


 男は自嘲するように乾いた笑い声を上げ、手綱を握り直した。


「さあ、ミア。俺が金に執着している理由は分かっただろう? 俺は十分対価を受け取って満足しているんだから、お前はとっとと村に帰れ」


「まだ……納得いかないわ。分かるまで、もう少しだけおじさんの手伝いをさせて欲しいの。計算と料理なら出来るから。いいでしょ?」


 男は焼け縮れた紙たばこを壺に投げ入れ、一つ溜息をついた。


「……ウサギ肉を焼く時は、ミディアムレアにしてくれ」


「ありがとう。札束の英雄さん」


「そのダサい通り名で呼ぶのは止めろ。俺は金の為にボロい仕事してるだけなんだよ」


「はいはい」


 男は眉根を寄せながらも、次のタバコに火を付けるのだった。


 やがて森は茜に輝き、黒に染まっていく。


 ◇


 星明りの下、荷馬車が泉の畔にひっそりと佇んでいる。


 男は荷馬車に敷き詰められた札束に埋もれて、幸せそうに口を開けて眠っている。


 そんな男へと微笑ましいような、見下げるような想いを沸き立たせながらも、少女は鈍く光る銀時計を抱き、そっと瞼を閉じるのだった。



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