プロローグ 特別依頼
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ここはアルムホルトの町。
大きな街道が複数交差する、ケーテル男爵領における最大の町である。
仮にその名前を知らなくとも、【冒険者ギルド】の本部のある町、と説明すれば「ああ、あの町ね」とピンと来る者も多いだろう。
一年前、この世界はあわや邪神の復活、という危機に見舞われた。
結果として邪神は暴れる事なくこの世界を去ったが、その先駆けとなる戦いで、大陸最強を誇った帝国騎士団は大きな被害を被ってしまった。
戦後の国内の治安を守ったのが冒険者ギルドであり、ギルドに所属する腕自慢の冒険者達であった。
そんなアルムホルトの町の大通りに建てられた巨大な建物。
この建物こそが、今や帝国中に支店を持つ、冒険者ギルドの本部なのである。
西部劇の酒場で見るようなスイング式のドアが開かれると、小柄な少女が冒険者ギルド本部に足を踏み入れた。
日本で言えば中学生か高校生くらいの少女に見える。頭には二本のウサギ耳。
ウサギ獣人のティルシアである。
ギルド本部の一階は、半分は受付、半分は酒場を経営している。
これは冒険者ギルドを創設したオーナーの、こだわりというか趣味である。
彼曰く「冒険者ギルドと言えば、昼間から酒場にたむろしている冒険者達でしょう。でもって、ガラの悪い冒険者が登録に来た新人冒険者に絡んで返り討ちに遭うまでがテンプレね」との事である。彼は一体どこを目指しているのだろうか?
ティルシアは特に誰にも絡まれる事は無く(そもそもオーナーの思い込みに反して、昼間から飲んだくれているような冒険者はいなかった)、受付のカウンターへと向かった。
彼女は顔馴染みの受付嬢の前に立つと、ドン! 不満顔を隠さずテーブルに手を付いた。
ギルドの雇った警備員達の顔にサッと緊張が走った。
日頃は温厚なティルシアの乱暴な態度に、受付嬢は慌てて身を乗り出した。
「ティ、ティルシアさん、どうしたんですか?! 何かありましたか?!」
彼女は勘違いしている。ティルシアは別に温厚ではない。幼い頃から傭兵団に所属していた彼女は、どちらかと言えば荒事の方を得意としている。
獣人は人の町では差別対象になりやすいため、日頃はトラブルを避けるために大人しくしているだけ。つまりは猫を被っているのである。
「ギルドがハルトに特別依頼を頼んだという話だが? 私は何も聞かされていないぞ」
先日、街道から外れた森で魔境が発生した。ティルシア達チーム・ローグは領主であるケーテル男爵直々の依頼を受け、ただちに現場に向かい、エリアボスである怪物熊を討伐した。
その際、チームリーダーであるハルトは、最初に立てた作戦を無視して一人でエリアボスと戦った。
ティルシアはハルトに反省を促すため、しばらくの間、町のドブさらいの依頼を受けるようにと命じた。
ハルトは渋々納得して、大人しく町で仕事をしていた。――そのはずであった。
しかし、ティルシアとシャルロッテが町の外で数日がかりの仕事を終えて家に戻ると、ハルトは書き置きを残して姿を消していたのだ。
ティルシアは腰のポーチから質の悪い紙片を取り出した。
何かのチラシの裏に、手書きのメッセージが書かれているようだ。
「ハルトからの伝言だ。『ギルドから緊急の特別依頼を受けた。半月ほどで戻る』と書いてある。一体どういう事か説明してもらおうか?」
受付嬢は助けを求めるように背後を振り返った。
ただの受付嬢である彼女が、ギルドからの緊急の特別依頼の内容などを知っているはずは無かったのだ。
彼女の上司は立ち上がるとティルシアに告げた。
「ギルドマスターに確認して来ます」
「ああ。頼む」
男は裏口から外に出ると、隣の本部事務所へと走った。
ティルシアは彼が戻って来るまで、イライラと足を踏み鳴らし続けたのだった。
五分後。ティルシアは冒険者ギルドに併設された、本部事務所の応接室へと通されていた。
そこから更に待つ事三十分程後、男が部屋へと入って来た。
濃いブラウンの髪に所々白いものが混じった、四十がらみの男である。
彼がこの冒険者ギルドのギルドマスター、ボルタ・スピアーノである。
ギルドマスターは「お待たせして失礼」と声をかけてイスに座った。
鋭い目つきと皺一つない細身のスーツの印象か、優秀なビジネスマンのようにも見える。
荒くれ者揃いの冒険者ギルドのギルドマスターよりも、大店のやり手商会長と言われた方がしっくり来そうだ。
それもそのはず。彼は帝都でも最大の商会、デ・ボスマン商会のエリート商会員なのである。
彼はデ・ボスマン商会の会長の倅、マルティンから直々に命じられて、冒険者ギルドに出向している身であった。
ティルシアは先程のメモ書きをテーブルに置いた。
ギルドマスターはそちらにチラリと目をやると、小さくため息をついた。
「本来、特別依頼の内容は話せないんですけどね」
「私はハルトのチームメンバーだ。ギルドはチームのメンバーに対して個別に極秘の依頼を出すというのか?」
ティルシアの言いたい事は分かる。もし、ギルドがチームの者達に個別に依頼を出し、守秘義務を課すのなら、チームはチームとしてやっていけない。
どこで誰がどういう仕事をしていて、どれだけの期間、拘束されるのかすら不明になるからだ。
そんな状態でチームとして仕事を受けられるはずがない。そしてそんなチームは既にチームではない。単なるバラバラの個人の集まりだ。
ギルドマスターも理屈は分かっているのだろう。
ただ、彼の立場としては、特別依頼を出すような依頼内容を、あまり大ぴらに出来ないだけなのだ。
彼はティルシアに「他言無用」と念を押した上で、ハルトに頼んだ仕事を打ち明けた。
「彼に頼んだのは護衛任務です。護衛対象は医者と彼の管理する治療薬。目的地は南のバラハ砦です」
話は先週に遡る。バラハ砦から緊急の連絡が届いた。
ここまで必死に馬を乗り継いで来たのだろう。連絡の男は疲労で衰弱しきっていた。
「砦で疫病が発生した! 感染した者は既に隔離してあるが、発見が遅れたため、どこまで効果があるか分からない! 大至急、医者と治療薬を送ってくれ!」
バラハ砦は南の隣国ゾルガンとの国境線上に築かれた砦だ。
ここでは、気候のせいか水の違いのせいか、何年かおきに兵士の間に疫病が発生している。
砦の指揮官もそれが分かっているので、十分に注意するように部下に命じているのだが、数年も経つと気が緩むのか、必ず今回のように疫病にかかる兵士が出て来るのだ。
いつもであれば、砦の兵を後方に隔離して治療に専念させ、砦の方は新たに送った健康な兵士達に入れ替えれば済む話である。
帝国にはそう出来るだけの十分な兵力があったのだ。
しかし、ここで邪神フォスとの戦いで受けた被害が大きく影響してくる。
今の帝国には、替えの兵士を送るだけの余裕が無いのである。
また、間の悪い事に、現在、国境は緊張状態にあった。
隣国ゾルガン軍が最近、大幅な増員を行っているという情報が入っていたのだ。
勿論、今までの帝国であれば、隣国にそのような動きがあり次第、即座に先制して攻め込んでいたはずである。
しかし、他の周辺国でも同様に戦力増強を図っている動きがあり、迂闊に戦端を開けない状況になっていた。
ここからは後に判明した話となるが、ハルト達冒険者ギルドが対応している【魔境】。
実はあれと同じ物が、大陸全土に発生していたのである。
つまり、周辺国家の戦力増強は、魔境のモンスターに対抗するためのものだったのだ。
ダンジョンの恩恵で民間にも高階位の者が多い帝国とは異なり、他国では装備と物量に物を言わせた魔境攻略しか、対策の取りようがなかったのだ。
これら魔境の攻略は大きな被害を出す事になる。
しかし、厳しい戦いの中、戦闘経験を積んで生き残った者達は、戦いによって階位が上がり、その中から強者と呼べる高階位の者達も登場する事になる。
力の衰えた帝国に対し、期せずして高階位の軍隊の確保に成功した周辺国家。
長く続いた帝国の一強体勢。その秩序が崩れようとしていた。
話を元に戻そう。
疫病発生の知らせを受けた領主は、至急、治療薬を砦に送る事を決定した。
冒険者ギルドは領主からの依頼で、医者と治療薬を手配。その護衛任務を任されたのがCランク冒険者チーム・銀の弓矢だったのである。
「銀の弓矢? ハルトじゃないのか?」
「いやいや。いくらハルトさんがSランク冒険者でも、一人の冒険者に護衛任務を任せたりしませんよ」
護衛の任務は護衛対象を無事に目的地に到着させる事にある。
たった一人の力では、トラブルに対する対応力に限界がある。数はそれだけで力でもあるのだ。
こうしてギルドマスターが、チーム・銀の弓矢に依頼内容を説明し終えた所に、ハルトがフラリと現れたのだ。
ハルトは「何か南で依頼は無いか?」と尋ねて来た。
「南ですか?」
「ああ。南方の国、なんて言ったか・・・そう、ゾルガンだ。ゾルガンの近くで依頼があれば引き受けたいんだが?」
どうやらハルトは、南に向かわなければならない用事があるらしい。
彼は「どうせなら、そのついでにギルドから依頼を受けてもいい」と考えたようだ。
用事の内容は、本人にも良く分かっていない様子で、とにかく「行けば分かると思う」との事だった。
何とも要領を得ない説明だったが、ギルドマスターは、彼にチーム・銀の弓矢と合同で護衛依頼を受けてくれるように頼み込んだ。
なにせ目的地は緊張状態にある国境の砦である。正にハルトの話は渡りに船。Sランク冒険者の戦力は魅力的であった。
「合同か・・・チーム・ローグの仲間以外とはあまり組みたくはないんだが」
ハルトは渋ったが、結局、彼はこの依頼を引き受けた。
依頼内容が人命にかかわるという事もあるが、どうせ南に向かうのだから、断って一人で行くのも気まずい話だし、わざわざこうしてギルドに出向いて聞いてまでおきながら、結局受けないのでは、何がやりたかったのか分からないからである。
こうしてハルトはチーム・銀の弓矢のメンバーと合流すると、医者の乗った馬車を護衛して町を出発した。
これが三日前の話である。
次回「チーム・銀の弓矢」