白髪の冒険者(下)
その夜。村ではお祭り騒ぎとなった。
各家庭にはハルトの倒したエリアボス――巨大熊の汚染体の肉が振る舞われた。
”汚染”と言えば聞こえが悪いが、その正体は体内のマナで異常成長した野生動物である。
そもそもこの世界では、ダンジョン内のモンスターや植物――マナから生まれた魔法生物ですら食用にしている。
今更マナの影響で異常成長した動物くらいで、忌避する理由も無いというものだ。
白髪の青年は肉の美味さに驚いていた。
「熊肉って結構美味いものだったんだな。勝手なイメージだが、もっと臭みがあると思っていた」
Sランク冒険者のハルトである。
熊肉に塩と香草を練り込んで焼いただけの素朴な料理だが、噛みしめるごとにジューシーな肉汁が溢れ、子羊肉か牛肉の赤身のような味わいだった。
覚悟を決めて口に入れただけに、意外と癖の無い美味さに拍子抜けした程だった。
この肉が熊のどこの部位かは分からないが、案外、村人が今回の功労者である彼に気を利かせて、特に美味しい部分を回してくれたのかもしれない。
ハルトの呟きに、隣で肉を頬張っていた少女の頭のウサギ耳がピクリと反応した。
ウサギ獣人の少女ティルシアである。
彼女はしたり顔で答えた。
「それはきっとハルトの食べた熊肉が古かったんだな。熊肉に限った事ではないが、古い肉というのは臭みが増す。スタウヴェンの町はダンジョン産の新鮮な肉が出回っているからな。外から入った熊の肉は時間が経って古くなっていたんだろう」
ティルシアは自分の言葉に自分で納得しているが、中学まで日本で育ったハルトは、肉が古いとか古くない以前に、そもそも熊肉自体を食べた事がなかった。
彼が育ったのは普通の町中で、近所のスーパーにはジビエ料理用の肉は売っていなかったのである。
とはいえ、この辺りの事情は話してもややこしくなるだけなので、ハルトは曖昧に相槌を打って誤魔化した。
ハルトはティルシアの反対に座った少女に声をかけた。
「シャルロッテ。いつまでも気にしていないで元気を出せ」
ハルトに声をかけられたのは、日本で言えば高校生くらいの少女である。
美人というよりも可愛らしい、やや素朴な印象の少女である。
頭にはふさふさとした三角耳が生えている。彼女はネコ科の獣人なのだ。
白髪の青年ハルト。ウサギ獣人の少女ティルシア。ネコ科獣人の少女シャルロッテ。
この三人がチーム・ローグのメンバーである。
シャルロッテはモソモソと肉を頬張りながら、落ち込んでいる様子だ。
「けど、アタシは今回みんなの足を引っ張ったから・・・」
どうやら彼女は、自分が役に立てなかった事を気にしているらしい。
ハルトは「気にするな」と彼女の背中をポンと叩いた。
「それなら気にするな。死体を運ぶのは俺とティルシアでどうにかなったし、エリアボスはたまたま俺が当たりを引いただけだ。実際、戦闘にはティルシアも間に合わなかったんだからな」
今朝。チーム・ローグの三人は、それぞれ手分けして【魔境】を生み出している元凶、エリアボスを探しに出発した。
たまたまハルトの捜索範囲にボスが現れただけで、別にシャルロッテが仕事をしていなかった訳ではない。
ハルトの慰めにシャルロッテの表情が少し明るくなった。
しかし、ここでティルシアが横から口を挟んだ。
「違うぞハルト。シャルロッテは森で迷っていたから落ち込んでいるんだ」
「うっ・・・。ゴ、ゴメン、姉さん」
図星を刺されてしょげ返るシャルロッテ。
頭のネコ耳もペタンと力無く倒れている。
方向音痴のシャルロッテは、森で迷子になってずっとさまよっていたのだ。
彼女が一人だけ帰りが遅れたのには、そういった理由があったのである。
「それにハルトは当たりを引いたと言うが、本当ならエリアボスの場所を確認したら、一度戻ってから全員で戦うと決めていたからな。勝手に先走って戦ったハルトが悪いんだぞ」
「それは・・・悪かったと言っているじゃないか」
ハルトは慌てて謝った。
よもや自分の行動を蒸し返されるとは思わなかったようだ。
ティルシアはこれで中々根に持つ性格なのである。
いや。割り切る時には割り切るのだが、生来の世話焼きな所があって、今の弱ったハルトを放ってはおけないらしいのだ。
ハルトとしては、弱ったとは言ってもこうして普通に生活が送れているのだから、いい加減に信用して欲しい所なのだが、ティルシアの言動は完全に好意から来ているものなので、「放っておいてくれ」とも言い辛い。
ハルトとしては、面倒なような、困ったような、何とも言えない状態が続いていた。
ハルトが回復不可能な大怪我を負ったのは、約一年前。
この世界を救うために、邪神となって荒れ狂う原初の神フォスへの直談判に向かった時の事になる。
結果として神はこの世界から去り、世界は救われた。
しかし、その代償として、ハルトは死んだも同然の大怪我を負ってしまったのである。
そんな彼が今もこうして不自由のない生活を送れているのは、上限に到達した階位の有り余る力を生命維持につぎ込んでいるからである。
普通であればとっくに死んでいる体なのだ。
実際にハルトは、ほとんど目も見えていなければ音もろくに聞こえていない。
なら、なぜ生活するどころか、怪物と戦う事まで出来るのか?
彼は鋭敏な感覚で大気中のマナを感知し、いわばマナをレーダー波のように使って、目や耳に頼らない方法で周囲の状況を判別しているのである。
ハルトはこのままダンジョン夫としての生活を続け、こちらの世界に骨を埋めるつもりでいた。
しかし、彼の支援者でもあり、彼の秘密を知る唯一の人間、大手商会の御曹司マルティンが、彼に新しい事業への協力を頼み込んで来たのである。
それが【冒険者ギルド】の設立であった。
「異世界転生といえば冒険者ギルド。なのにこの世界には冒険者ギルドが無いんだよ。冒険者ギルドのない異世界転生なんて片手落ちだと思わないかい?」
「だからって自分で作ろうとか思うか? 普通」
ハルトは、最初はいつものマルティンの悪ふざけかと思ったようだが、詳しく話を聞くとどうやらそれだけではないようだ。
原初の神フォスとの戦いで、この国の騎士団は大きな被害を被っていた。
この世界では騎士団は軍隊であり、警察でもある。
タガの外れた国内の治安は悪化し、野盗や盗賊団による被害が増大した。
更に悪い事に、この国の戦力が消耗した事を知った周辺国が蠢動を始めた。
治安活動を行おうにも、国境から騎士団を動かす訳にはいかなくなったのだ。
領主から相談を受けたマルティンは、力を貸す事にした。
最低でも街道の安全が確保出来なければ経済が回らない。商人であるマルティンにとっても治安の乱れは死活問題だったのである。
こうしてマルティン発案の民間の治安維持組織”冒険者ギルド”が設立される運びとなったのであった。
「それにしても冒険者ギルドとは・・・。それって、”マルティン警備保障”とかじゃダメなのか?」
「何そのダサい名前。異世界と言えば冒険者ギルドでしょ」
バッサリ切られてムッとするハルト。
マルティンは「これは異世界転生した僕達の義務なんだよ! もしかして将来、僕の他にも日本からこっちの世界に転生してくるする人がいるかもしれないだろ? その人達のためにも、僕は先達として為すべきことを為さなきゃいけないんだよ!」などと力説した。
この発言からも分かるように、マルティンは日本人の記憶を持ってこの世界に転生して来た異世界転生者である。
彼はハルトの同郷の元日本人であり、ハルトの境遇の真の理解者でもあり、切っても切れない腐れ縁の相手でもあった。
「”僕達”って、俺を含めるな。俺は”転生”者ではなくて”転移”者で・・・って、分かったよ。それで、お前は俺に何をやらせたいんだ?」
「納得してくれるの? 助かるよ。けど以前のハルトなら絶対に協力してくれなかったよね? 話が通り易いのは助かるけど、これはこれでなんだか物足りなさを感じるような・・・」
「――気が変わった。今の話はナシだ」
「あっ! うそうそゴメン! ハルトにやって欲しいのはギルドの象徴としての冒険者なんだ!」
マルティンの説明によると、異世界転生モノでは定番の冒険者ギルドだが、当然この世界では全く知名度のない新しい組織になる。
短期間でギルドを軌道に乗せるためには、先ずはこの世界での冒険者の認知度を高めなければならない。そのためには冒険者ギルドには象徴となる人物が必要だ、という事だ。
「つまりはイメージ戦略だね。ほら、スポーツでもあるじゃない。国民的スーパースターが生まれると、チーム人気だけじゃなくてそのスポーツ自体の人気も出る、みたいな」
「理屈は分かるが――それって本当に俺でいいのか?」
ハルトは怪訝な表情を浮かべるが、彼はこの国始まって以来、初の階位MAXである。
注目度と認知度で言えば、マルティンの言葉は決して間違いでは無かった。
ハルトは渋ったが、結局、マルティンの勢いに押されて引き受ける事になった。
後に冒険者ランクが”S”と聞かされて、安請け合いした事を後悔する羽目になるのだが。
マルティンの妙なこだわりが込められた冒険者ギルド事業だったが、この一年間で瞬く間に巨大な組織へと成長した。
しかし、考えてみれば当然だ。冒険者ギルドは名前こそ怪しいが、オーナーのマルティンは帝都でも飛ぶ鳥を落とす勢いのデ・ボスマン商会の跡取り息子である。
組織立ち上げの最初から、信用度も話題性も十分過ぎる程十分だったのである。
マルティンは「異世界転生モノで冒険者ギルドの登場率は異常だと思っていたけど、あれもきっと誕生するべくして誕生していたんだろうなあ」と変な感心の仕方をしていた。
そしてハルトは不満だった。あまりの忙しさに、本業のダンジョン夫の仕事がそっちのけとなり、最近では冒険者ギルドの仕事しかしていなかったからである。
とはいえ、文句を言うような事は無い。
冒険者ギルドの主な仕事は、街道沿いの治安維持に、商隊の護衛。
ハルトにも、今のこの国で冒険者が必要性とされている事が分かっていたからである。
こうして冒険者ギルドはあっという間に軌道に乗った。
各町にはギルド支部が作られ、多くの冒険者が在籍した。
順風満帆かと思われた事業だったが、この半年ほど、新たな問題に頭を悩ませる事になる。
それが【魔境】と呼ばれる、今まで存在していなかった謎のエリアと、魔境を生み出す謎のモンスター、【エリアボス】の登場である。
ハルトはぼんやりとした頭で考えた。
(この感覚。これは現実ではないな。俺の夢か?)
明晰夢という言葉がある。睡眠中に夢であると自覚しながら見ている夢のことを言う。
ハルトは、「そういえばティルシアに無理やり酒を飲まされて、眠気に耐えられなくなったんだった」などと、直前の出来事を思い出していた。
ふと視線を感じて振り返ると、そこには輪郭も定かではない全身黒ずくめの女が立っていた。
妖艶な美女だ。黒い髪に黒いドレス。白い顔には血で濡れたような赤い唇。
ハルトは女の姿に見覚えがあった。
(フォス・・・か)
彼女は原初の神フォス。そのアバターである。
ハルトの喉が緊張に引きつった。
神の前に立つ時はいつもこうだ。その圧倒的な存在感、情報量に、矮小な人間の精神は耐えられないのだ。
この存在感。間違いなく本物だ。だとすれば、これはただの夢ではない。
ハルトの精神にフォスが接触を図ってるのだ。
実はハルトは半年ほど前にも、今と全く同じ経験をしている。
あの時フォスは、ハルトに【魔境の発生】と、魔境を生み出す【エリアボスの存在】を告げた。
ハルトはフォスから得た情報を元に、冒険者ギルドのオーナー・マルティンに相談する事で、被害が大きく広がる前に手を打つ事が出来たのだ。
こうして再びフォスが現れた以上、ただの夢という事はあり得ない。
ハルトの喉が緊張にゴクリと鳴った。
フォスの口が極小さく動いた。
ただそれだけの事で空間に膨大な情報が溢れ、ハルトは体を引き裂かれるような衝撃を受けた。
(はあ・・・はあ・・・はあ・・・フォス、今の話は本当か?)
ハルトが苦悶の表情で乱れた呼吸を整え、顔を上げた時には、既にフォスの姿は無かった。
翌朝。
ハルトはベッドの上で体を起こした。
昨夜はベッドまでたどり着いた記憶がない以上、この部屋まで誰かが運んでくれたのだろう。
「フォスの情報が本当なら・・・いや、フォスがわざわざ俺にウソや間違っている情報を伝える理由がない。か」
ハルトは汗を吸って不快なシャツをたくし上げると、カゴに脱ぎ捨てた。
朝の冷たい空気は、熱を持った体に気持ち良かったが、ハルトの心は晴れなかった。
「異界に眠る異界神。そしてその先兵共か。全く、マルティンといいフォスといい、どうしていつも俺に面倒ごとを持ち込むんだ」
この部屋にはハルトのボヤキに答えてくれる者はいなかった。
需要があれば続きを書こうと思います。
次回「プロローグ 特別依頼」