その11 奥の手
◇◇◇◇◇◇◇◇
「ああああああっ! フランマ・ボルテックス!」
ドッ!
巨大な火柱が立ち昇り、天を焦がした。
小男グエイドゥが自らの血を使って発動させた魔法、フランマ・ボルテックス。
火属性の階位6の範囲魔法は、周囲のマナを消費し尽くして、発動後わずか0.5秒程で燃え尽き、消滅した。
そのため火は燃え広がらず、その威力のほとんどは大気中に拡散した。
だからだろうか? 魔法の発動は派手な爆発の形をとり、爆心地の地面を大きく抉り取った。
どうだ?! やったか?!
グエイドゥは自傷した手首を押さえながら目を凝らした。
巨大な爆発音のせいで耳鳴りが酷く、耳の奥がジンジンと痛む。
爆発時に生じた気圧差で、鼓膜に裂傷が生じているのかもしれない。
視界の隅で彼の仲間――巨人バウナウドゥと長髪の青年ドゥマイェがフラフラと体を起こすのが見える。
どうやら二人は爆発に巻き込まれずに済んだようだ。
グエイドゥはホッとする共に、再び爆心地に敵の姿を探した。
いた。
砂の塊が爆発の中心部からかなり離れた場所に倒れている。
爆風でそこまで吹き飛ばされたのか、あるいは自力であそこまで逃げおおせたのか。
グエイドゥが固唾を飲んで見つめるその先で、砂の塊がムクリと起き上がった。
砂を被って真っ白になった顔に、そこだけギョロリと血走った目がこちらを振り返る。
「そ・・・そんな」
白髪の青年――ハルトは死んでいなかった。
それどころか、負傷している様子すら見当たらない。
彼が自傷をしてまで発動させた範囲魔法は、この相手には全く通じなかったのだ。
「あいつ――本気で化け物なんじゃないか?」
愕然と立ち尽くすグエイドゥ。
バウナウドゥとドゥマイェは、痛む頭を抱えながら現状を確認している。
戦いの中で生じた、僅かな空白の時間。
このチャンスを見逃すハルトではなかった。
ダッ!
彼は一足飛びで爆心地を飛び越えると、グエイドゥに切りかかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
危ない所だった。
フランマ・ボルテックスだったか? 聞いた事の無い魔法だったが、威力は本物だった。
後一瞬、逃げ出すのが遅れていれば、爆発にやられていた所だ。
巨人と長髪が迷わず全力で逃げ出したため、俺も逃げ遅れずに済んだ。
二人には感謝しないといけないだろう。
俺は微妙な気分に浸りながら、体を起こした。
魔法の発動を感じた瞬間、咄嗟にうつ伏せに倒れたのは、我ながら良い判断だったと思う。
爆音と共に熱風が俺の背中と後頭部を焦がし、石や砂がバサバサと頭上から降り注いだ。
息苦しい熱風はあっさりと消え去った。
大気中のマナ濃度の問題か、魔法の炎は一瞬で燃え尽きたようだ。
爆発音に鼓膜がダメージを受けたのか、頭が割れるように痛む。
口の中は砂でジャリジャリするし、背中はヒリヒリするしで気分は最悪だ。
俺はこのまま寝ていたい気分を振り払って、ゆっくりと立ち上がった。
戦いはまだ終わっていない。こんな所で寝ていたら、小男の魔法が飛んで来て、今度こそ息の根を止められてしまう。
幸い、背中が痛む程度で体に別状はないようだ。
俺の逃げ足が速かった事と、小男の魔法が一瞬で消えた事で、爆発の規模の割にはダメージを負わずにすんだらしい。
小男はどこにいる?
背後を振り返ると、驚愕の表情を浮かべる小男と目が合った。
自傷した手首からは血がしたたり落ちている。
どうやらショックのあまり止血を忘れているようだ。
今がチャンスだ。
俺は一瞬、地面に俺の剣が落ちていないか探したが、俺の右手はミスリルの細身の剣を握ったままだった。
どうやら剣を握っている事に気が付かない程、気が動転していたらしい。
俺は大地を蹴って走り出した。
「! グエイドゥ! くそっ!」
ハッと我に返った長髪と巨人が俺に迫る。が、俺の方が二歩分は早い。
小男は自傷のダメージのせいか顔色が悪かった。
彼は慌ててオリハルコンの棒を――魔方陣の刻まれたアーティファクトの棒を――俺に突き付けるが、間に合わない。
やはり小男の身体能力は長髪に劣るようだ。そして魔法を武器にするだけあって、接近戦を苦手としているらしい。
一歩目。
俺は難なく細身の剣を薙ぎ払った。
魔法は発動する事無く、オリハルコンの棒は小男の手から弾き飛ばされた。
大きく跳ねた手から血しぶきが舞う。
手首を切った方の手だったのだ。
「させるかよ!」
長髪が俺の背中に手を伸ばすが、俺の攻撃の方が早い。
二歩目。
俺は小男の懐に飛び込んだ。
貰った!
俺は勝利を確信した。
◇◇◇◇◇◇◇◇
貰った!
小男グエイドゥは心の中で叫んだ。
利き手ははじかれ、魔法陣を刻んだオリハルコンの杖はどこかに飛ばされている。
白髪の青年の背後からドゥマイェが迫っているが、一歩遅い。
彼が青年の体に触れるよりも、青年が剣を構え直して、自分のガラ空きの胴体に突き立てる方が早いだろう。
武器は無い。守りになる盾も無い。絶体絶命。
しかし、グエイドゥは自身の勝利を確信していた。
さっきまで自傷した手首を押さえていた左手。
血だらけの左手には何も武器は握られていない。白髪の青年もそう思っているはずである。
違う。確かに武器は握っていない。しかし、武器を持っていないわけではないのだ。
グエイドゥは左手中指にはめた指輪を強く意識した。
やや太目の無骨な指輪だ。金属製で宝石は入っていない。
そう。オリハルコンで作られたこの指輪には、ファイヤーアローの魔法陣が刻まれているのである。
この指輪こそ、彼のとっておきであり奥の手だった。
ファイヤーアローは最下級の火属性魔法だが、発動速度といい、消費魔力の小ささといい、護身用には持ってこいである。
そもそも接近戦においては過剰な威力は必要ではない。
むしろ、至近距離で発動した魔法に、自分が巻き込まれる危険すらある。
勝利を確信して隙を見せた相手に、ダメージを与えられればそれだけでいい。
一度で殺せなくても連続して叩き込めばいいだけだし、それでも足りなければ、懐からもっと高威力の魔法のスクロールを取り出せばいい。そのための時間さえ稼げればいいのである。
グエイドゥは勝利を確信していた。
彼は左手を握ると、拳を白髪の青年に向け――ようとして、ふと違和感を覚えた。
青年は剣を引き戻し、グエイドゥを突き殺そうと構えているはずであった。
だが、青年は剣を払ったままにしている。
それどころか、空いた手に拳を握ると、グエイドゥがしようとしているように、前に突き出しているのだ。
まるで示し合わせたかのように、二人は互いの胸に拳を突き付け合っている。
そして砂埃を被って真っ白になったグローブには、無骨な金属製の指輪が光っていた。
どこかで見たようなその指輪。
グエイドゥは自分の手にも同じ指輪がはまっている事に気付いた。
その瞬間、彼は唐突に理解した。
(まさか! 今までのコイツの動きの正体は!)
戦いの中で、白髪の青年は何度も不自然な動きを見せていた。まるで慣性や重力を無視したようなその動きを、グエイドゥは青年の高い身体能力による体術だと考えていた。
生まれつき魔法に秀でた固有能力を持つグエイドゥは、剣術や格闘技を学んだ事など一度もない。
彼は青年の動きを、自分の知らない武術の体さばき的な何かだと勝手に決めつけていたのだ。
しかし、真実は違った。
青年は巨人バウナウドゥの持つ固有能力【ベクトル操作】。それを魔法で再現して自分の体をコントロールしていたのだった。
(魔法も使う魔法剣士! バカなバカなバカな! そんなデタラメありえない! 実戦で使えるほど魔法を得意としているなら、なぜわざわざ危険な接近戦を挑む! 弓を持ったまま剣で戦うようなものじゃないか! なぜ安全な後方から飛び道具で戦わない! 理屈に合わない!)
グエイドゥには分からなかった。生まれつき【賢者の叡智】という強力な固有能力を持つ彼は、接近戦で泥臭く戦う者達を心の奥底では見下していたからである。
「グエイドゥ!」
仲間の叫び声に、グエイドゥはハッと我に返った。
しかし、接近戦において一瞬とはいえ自分の考えに気を取られるのは致命的である。
白髪の青年の指輪が赤く光るのと同時に、グエイドゥの胸は灼熱の炎の矢で貫かれるのだった。
次回「決着」




