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白髪の冒険者(上)

 グチャリ・・・グチャリ・・・


 耳障りな湿った足音を響かせながら、一人の青年が森の中を歩いていた。

 だが、果たしてここを”森”と言ってもいいのだろうか?

 地面には悪臭を放つ汚泥がぶちまけられ、周囲の木々も赤黒いウネウネとした醜悪なオブジェに覆われている。

 まるで巨大な動物のはらわたの中を歩いているようだ。

 あるいは悪夢の中に迷い込めば、このような景色が広がっているのかもしれない。


 先月まで、この場所は緑あふれる極普通の森だった。

 豊かな自然は数多(あまた)の命を育み、森の恵みは麓の村々の生活を支えていた。


 しかし現在。森の木々は謎の赤黒い物質に覆われ、おぞましい姿へと変貌している。

 大気中に溢れる魔法物質マナは、この森に住む動物達の体を侵食し、彼らを獰猛なクリーチャーへと変えていた。


「酷いもんだ。完全に【魔境】化している」


 青年は苦々しい表情で吐き捨てた。

 彼の印象を一言で言えば、地味で平凡な青年である。

 年齢は二十代半ば。日に焼けた肌。短く切りそろえられた白髪。彫の浅い顔。中肉中背。

 周囲を見回す視線がやや定まらないのは、視力が悪いせいだろうか?

 そして【冒険者】と呼ばれる者達が好んで装備する、動き易い皮鎧に身を包んでいた。


「さて、そろそろ出くわしても良さそうなものだが・・・いた」


 青年は立ち止まると、素早く腰の剣を抜いた。

 瀟洒な飾りが施された細身の剣(レイピア)である。地味な青年よりも、着飾った貴族の腰に下げられていた方が似合うタイプの武器である。

 この世界――我々の住む地球とは異なるこの世界――の【ダンジョン】からは、極まれに【アーティファクト】と呼ばれる、今の技術では再現不可能な規格外の装備が見つかる事がある。

 あるいはこの青年はこう見えても凄腕の冒険者で、このレイピアは彼がダンジョンの奥で見つけたアーティファクトなのかもしれない。


 青年は油断のない構えで、戦いの場を素早く確認した。


「どうやら俺の方が”当たり”を引いたようだな。どうした? 来ないのか? まさかこのまま何もせずに俺を逃がしてくれるのか?」


 人間の言葉を理解した訳ではないのだろう。だが、彼の挑発に応えるように、異形の森の奥から巨大な影が姿を現した。

 

 ノソリ・・・。


 巨体から放たれる圧倒的な圧迫感と、漂ってくる獣臭に息苦しくなる。

 それは熊とゴリラをかけ合わせて奇形化したような、おぞましい化け物だった。

 体高約四m。後ろ足で立ち上がれば八mは超えるだろう。アフリカゾウをも上回る巨躯である。

 怖れ知らずの豪傑ですら恐怖に身震いするであろう怪物を、むしろ青年は興味深そうに眺めている。


「どうやらお前がこの魔境の【エリアボス】のようだな。熊が汚染されているのか。さて。ボスを見付けたら、一旦引いて三人でかかる予定だったが・・・。 コイツは思ったよりも手強そうだ。仲間を呼ぶのは少し戦った後にするか」

「ゴオオオオアアアアア!!」


 怪物は大きな叫び声を上げると共に青年に襲い掛かった!




「ゴオオオオアアアアア!!」

「おっと」


 青年は大きく横に飛び退き、危なげなく怪物の突進を躱した。


 ドシン! バキバキ・・・ズシン


 怪物の突進を受けた奇形樹? が、乾いた音を立てて倒れた。

 大の大人が両手を回しても抱えきれないような太い幹が、その半ばから完全にへし折れている。

 恐るべき怪物のパワーである。


「ふむ。やはり魔法は使わないのか。この辺りはダンジョンのモンスターと変わらないんだな」


 だが青年は、怪物の破壊力に怯えるでもなく、冷静に観察を続けている。

 今の言葉から察するに、やはり彼はダンジョンに潜った経験があるようだ。

 どうやらその時に戦ったモンスターと、目の前の怪物を比較しているようである。


 青年の余裕に溢れた態度が癇に障ったのだろう。

 怪物は狂気に満ちた目で睨み付けると、その巨大な腕を振り回した。

 まるで丸太のような太い腕が、生意気な獲物の命を刈り取ろうと縦横無尽に暴れまわる。


「おっと。よっ・・・。ちっ、コイツは厄介な攻撃だ」


 まるで巨大な扇風機である。

 しかし青年は、慌てる事なく怪物の攻撃を躱し続けている。

 彼は恐怖を感じていないのだろうか?

 冴えない外見からは想像も出来ない、恐るべき胆力である。


「この力、階位(レベル)で言えば7か8相当か。ティルシアはともかくシャルロッテには荷が重いな・・・しまった!」


 ズルリ


 青年は怪物の腕をサイドステップで躱した拍子に、緩んだ地面に滑ってしまった。

 思わず膝をつく青年。この隙を見逃す怪物ではなかった。

 青年の頭上から巨大な腕が叩き付けられた。


 ズドン!


「ギャアアアアアアア!!」


 しかし、悲鳴を上げたのは怪物の方だった。


 怪物の手から血がほとばしり、肉を突き破って白い指の骨が突き出ている。

 誰が信じるだろうか?

 青年が振った手によって、怪物の巨大な手が払いのけられたばかりか、骨すらも砕かれているのだ。


 怪物が痛みに気を取られている隙に、青年は大きくバックステップして間合いを取った。


「危ない危ない。様子見のつもりでケガでもしたら、後でティルシアからどんな説教を受けるか。――さて、ここらで決めるか」


 青年は改めて剣を構えた。

 それだけの動きで、底冷えするような殺気が辺りに立ち込める。

 怪物は手の痛みも忘れて青年を凝視した。

 ここに至って、狂気に濁った怪物の脳でもようやく理解出来たのだ。


 目の前にいるのはただの人間ではない。自分を遥かに上回る化け物であると。




 青年は困った顔で立ち尽くしていた。

 目の前には、巨大な塊が倒れている。

 さっきまで戦っていた怪物の死体である。ただし頭は無い。

 頭は青年のすぐ横に転がされている。見事な切り口である。


「討伐証明なら頭を持って帰ればいいんだろうが・・・。これって熊にしか見えないよな」


 青年の見つめる先、怪物の頭は、確かに熊のそれ(・・)にしか見えなかった。

 熊にしては大き過ぎるし、顔付きも凶悪極まるが、そうは言っても熊は熊。青年が心配するのも無理はないだろう。


「とはいえ、体の方は持って帰るにはデカ過ぎるんだよなあ。一度村に戻って人手を集めるか・・・」


 その時、彼は馴染みの気配を感じて振り返った。

 ジッと待つ事しばらく。やがて小柄な影が姿を現した。

 日本で言えば中学生から高校生くらいの年頃の少女である。青年とは違い、金属製の鎧を身にまとっている。

 特徴的なのは頭から生えた二本の耳で、まるでウサギの耳のようにピンと伸びている。

 ただの飾りではないのだろう。先程から周囲を警戒するように小刻みに動いている。


 この世界では人間以外にも、亜人と呼ばれる種族が存在している。

 彼女は身体にウサギの特徴を持った亜人。ウサギ獣人であった。


 ウサギ獣人の少女は腰に手を当てると、不満をあらわに青年を睨み付けた。


「・・・エリアボスを見付けたら、私とシャルロッテを呼ぶ手はずになっていたはずだが?」


 青年は目を泳がせると、慌てて申し開きを始めた。


「いや、急に戦いが始まったから、お前達を呼ぶ間もなかったんだ。それに、最初に想定していたよりもずっと危険なヤツだった。お前ならともかく、シャルロッテだと多分ヤバかったと思うぞ」

「――どうやら、後半の理由が本音らしいな」


 ウサギ獣人の少女にすっかり見透かされ、青年は二の句が継げなくなってしまった。

 少女は妙に大人びた仕草でため息を付いた。


「今のお前は昔の体じゃないんだ。無理をするなとあれだけ言っただろう」

「そうは言うが俺は――」

「ハルト!」


 少女に言葉をピシャリと遮られ、青年は――ハルトは黙り込んだ。


「なあハルト。私に――私達に心配をかけないでくれ。私達はチームで、お前は一人じゃない。そうだろう?」

「それは・・・分かった。そうだな。俺が悪かったよ、ティルシア」


 怒るでもなく、不満を言うでもなく、嚙んで含めるように説得されてしまっては、ハルトも納得するしかなかった。

 日本で言えば社会人の成人男性が、頭にウサギ耳を生やした中学生くらいの少女に諭されるというのは、奇妙な光景に見えるかもしれない。

 しかし、少女は――ティルシアはこう見えて二十歳の女性で、階位(レベル)もこの世界では高階位(レベル)の8。技術だけならハルトですら敵わない歴戦の戦士なのである。


「分かってくれたならいい。それじゃ、その死骸を運ぼうか。ロープで手足を縛れば、私達で運べるだろう」

「・・・やっぱり持って帰らなきゃダメか?」

「汚染の原因をこの場に残しておく気か? いいから手を貸せ」

「もう死んでいる以上、死体を残しておいても別に問題はないと思うが・・・。いや、分かった」


 ティルシアに睨み付けられて、ハルトは慌ててロープを手に取った。

 これ以上、恋人の機嫌を損ねるくらいなら、怪物の死体を運んだ方がまだマシだ。そう考えたのである。


 こうして二人は苦労して怪物の太い手足を縛ると、怪物を引きずって森の外まで運び出したのだった。

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