第8話 ドラゴン焼き
タクシーはジュラの大森林を抜け、カルナックの城下町を進んでいた。
城下町には、白い漆喰の壁と木製のフレームのコントラストが美しい建物が立ち並んでいた。
あの後、純はなんとか平静を取り戻していた。ベルムは、マルクスに回復魔法をかけてもらうも意識は戻らず、結局そのまま担がれて後部座席に寝かされていた。
そのため、現在マルクスは助手席に座っている。
「お嬢さん。私たち親子の問題に巻き込んで本当にすまなかった。
しょっちゅう、こういうことがあるのでな。本当に申し訳ない。」
純はどれだけデンジャラスな日常を送っているんだよと一瞬思いながらも、ふぅと一息入れてから返事をする。
「もう、大丈夫ですから気にしないでください。
こちらこそ、先ほどはお見苦しい姿を見せてしまってすみませんでした。」
純の目はウサギのように真っ赤に腫れていた。
「ありがとう。」
マルクスは少し安堵し、座席に体をもたれさせた。
「あの、ベルムさん大丈夫でしょうか?私のせいで意識戻らないんですよね……」
「はははっ!いや、気にすることは無いさ。私の一撃で既に限界だったのだろう。
それにしても、あのビンタもすごかったがパンチはさらにすごかったの。」
マルクスは感心したようにうなずいている。
「あっ、あれは!そのっ、なんというか…」
みるみるうちに純の顔は真っ赤になり、口ごもる。
「はっはっはっ!」
街の中をしばらく進んでいると、目の前に石造りの巨大な城門とそれに連なる様に立つ城壁が見えてきた。
「あのー、ナビだとあの大きな門の所が目的地みたいなんですが、門の前に車をお止めしてもよろしいでしょうか?」
「いや、悪いが門の中に入ってもらえるかの?」
「はい。承知しました。」
タクシーが門の前に停車すると数人の門番が近寄ってきたが、マルクスが門番たちに目配せをすると、大きな扉が開き敷地内へと案内された。
「わあっ!!!」
純の目の前には、とてつもなく広大なイングリッシュガーデンが広がっていた。
そこには、湖や川が流れ、色とりどりの草花が咲き誇り、遠くの丘の上には城が建っていた。
それはまるで1枚の絵画のような美しい風景だった。
「あの…もしかして家ってあの奥に見えるお城の事ですか!?」
「ん?ああ、少し遠くてな。すまんが城の前まで頼む。」
純の見る限り、少なくとも10分以上はかかりそうだ。
城門の前で料金メーターを止めなくて良かったと、純がほっとしているとマルクスが声をかけてきた。
「お嬢さん、よければ今日のお詫びに我が家に寄っていかんか?」
「申し訳ありません。今日はもう業務時間もオーバーしちゃってるので早く営業所に戻らないといけないんです。」
「そうか、何か土産でも渡せればと思ったのだが、事情があるのなら仕方ないな。」
「気にしないでください。この後、営業所に電話するために近くのお店に寄るので、そこで何かお土産でも見ていこうと思います。
あっ、そういえばさっきマルクスさんがオススメしてくれたドラゴン焼きって、この辺りのお店にも売ってますか?」
「んっ!?あっ、ああ!あれか!」
何かまずかったのか、マルクスは明らかに動揺して口ごもる。
それと同時に、純がふとミラーに目をやると、後部座席のベルムの耳がかすかに動くのを見逃さなかった。
純は何かに気がつくとニヤリとした。
「そういえば、先ほどベルムさんにお菓子で遊んでとか言ってましたけど、ベルムさんってお菓子作りの趣味とかあるんですか?」
「あっ、ああ。そうだな。趣味とか…ではなくて、まぁ洋菓子店を経営していると聞いているがな。」
再び、後部座席で気絶しているはずのベルムの耳が動く。
「へぇー。ちなみにどんなお菓子を作っているんですかね?」
純は、ニヤニヤした笑みを浮かべた。
「あー、たいしたお嬢さんだ。かなわんな。」
そう言うとマルクスは静かに語り出した。
ベルムは、幼い頃から菓子作りが好きだった。
ベルムが6歳の時に死んだ母親、マリーナの影響だろう。
公爵家の長男がやる事ではないと、辞めさせようとしたがやめなかった。
そんなある日、事件が起きた。
三男のユリウスが階段から転落し、死んだ。
当初はベルムの仕業とされていたが、その後ベルムの仕業ではなく事故であるという事が分かった。
だが、それが分かったのは、ベルムを勘当した後だった。
遅かった。
国王派の目もあり、一度決めた判断を覆す事は難しく、ベルムの勘当を取り消す事は出来なかった。
その後、ベルムが家を出て行って王都に洋菓子の店を開いたという情報はすぐに入った。
使いのものを出し、菓子を買ってこさせるとその中に、竜舌蘭を使ったドラゴン焼きという菓子があった。
それは、生前マリーナが得意としていた、私の大好きだったあの菓子に似ていた。
ベルムのドラゴン焼きを食べると涙が出てきた。
それから事あるごとに、使いの者に買って来させた。
そして順調に洋菓子店は成長し、いつしかドラゴニア王国を代表する洋菓子店となっていた。
ある時、ベルムが家を追い出されてから、一度だけ家に戻ってきたことがあった。
ベルムは、ただ私に認めて欲しいだけだったのだろう。それは、わかっていた。既に認めていた。
ずっと、頑張っていたのを知っていたのだから…
だが貴族の面子が邪魔をしたのか、素直になれなかった。
心の中では涙が出るくらい嬉しかったが、口から出たのはベルムを傷つける一言だった。
本当は頑張ったと褒めてやりたかった。抱きしめてやりたかった。
それができない自分が情けなかった。
結局、その後も素直になれないまま、今に至っていた。
「本当に息子の作った菓子は美味いんだ。
ぜひともお土産に持って帰ってみてくれ。」
マルクスはとても誇らしげに、そしてとても優しく微笑んでいた。
そして、後部座席のベルムの耳も真っ赤になっていた。
まもなくしてタクシーは目的地に到着したのだが、目の前に現れたとんでもなく巨大な城に、純は改めてマルクスの超大物ぶりを実感したのだった…
「ご乗車ありがとうございました。またのご利用よろしくお願いいたします。」
そう言うと、ドラゴニア王国を後にするのであった。
純のバッグにはお土産のドラゴン焼きが入っていた。
ちなみに、マルクスにより後部座席のドアが壊されきちんと閉まらなくなっていたのに気付くのは、純が営業所に戻ってからの事だった。