第30話 牛めし豚汁セット
ここは新木場駅近くにある大すき家という牛めし専門店。
そんな店内の一番奥のカウンター席にベルムは座り注文した牛めし豚汁セットを今か今かと待っていた。
つい、まだですか?と言いたくなる食欲を落ち着かせるように、ベルムはお冷やを一気に飲むと空になったコップにポットのキンキンに冷えた水を注いだ。
そして、ベルムのドラゴンとしての本能が、牛めし豚汁セットの気配を察知すると箸を手に取り身構えた。
店員が牛めし豚汁セットの乗ったおぼんを手に持ちベルムの方へと近付いてくる。
高まる食欲を抑えきれず、ベルムの身体が前のめりになる。
「お待たせしました。牛めし豚汁セットです。」
しかし、牛めし豚汁セットはベルムに届かず隣の席に座っていたサラリーマンの手元へと静かに置かれた。
ベルムの中にざらついた感情が湧き上がる。
何故なら先に牛めし豚汁セットを注文したのはベルムでありサラリーマンではなかった。
明らかに提供する順番が間違っていた。
ベルムが静かな怒りのこもった赤い瞳で店員を見た。
「あっ!すいません。もう少しお待ちください。」
店員はベルムの静かな怒りを感じたのか、そそくさと厨房に戻っていった。
すると、そんなベルムをあざ笑うかのように隣の席のサラリーマンは挨拶がわりに豚汁をすすり満足げな表情を浮かべた。
ベルムの中のざらついた感情が殺意へと変わる。
だが、サラリーマンはそんなベルムを逆なでするように、今度は紅生姜を容器から取り出すと牛めしの上へと乗せ、一気に牛めしを口の中へとかき込んだ。
出来立ての牛めしの熱さにサラリーマンはホフホフしながら再び豚汁をすすると、幸せそうな笑みを浮かべた。
『ハーイ!こんにちわ!元気盛り盛り山森安夫でーす!9月も半ばを過ぎてようやく暑さも落ち着いてきましたが、皆さんどのようにお過ごしでしょうか?では、早速最初のお便りでーす!東京都のラジオネームじゅんきちろうさんから…』
店内に流れる大すきラジオなるBGMが耳障りに感じるほどに、ベルムの殺意が燃え上がった次の瞬間。
「遅くなっちゃってすいません。牛めし豚汁セットです。ごゆっくりどうぞ。」
待望の牛めし豚汁セットがベルムの手元へと置かれたのだった。
先程までのざらついた感情がすっと消えていく。
ベルムは今すぐにでも牛めしを口の中へとかき込みたい衝動を抑えつつ、豚汁に七味唐辛子を一振りし、紅生姜を牛めしの上へとこれでもかと盛り付けた。
そして、心の中で《いただきます》を唱えると、ウォーミングアップ代わりに豚汁で口の中を温めてから、紅生姜めしといっても過言ではない真っ赤な牛めしを口の中へとかき込んだ。
紅生姜の塩辛さと甘しょっぱい醤油つゆで煮込まれた牛肉とたまねぎ、そしてその旨味が溶け込んだつゆを纏った白米が口の中で調和しさらなる旨みへと昇華する。
鼻から息を吸い込みながら口の中いっぱいに牛めしを頬張り、ゆっくりと鼻から息を出すと牛めしの香りがベルムの頭蓋を支配する。
何度味わおうと飽きる事のない至高のマリアージュにベルムは幸福感に満たされていく。
だがベルムの箸は止まる事なく牛めしと豚汁を口の中へとかき込み続け、気がつくと目の前にはカラになったどんぶりとおわんが残っていた。
ベルムはお冷やを一気に飲み干すとほんの少し寂しさを感じながらも、心の中で《ごちそうさま》を唱え、おぼんの隅にあった伝票を手に取り席を立った。
横のサラリーマンはまだ牛めしを食べている。
だが既にベルムの中からサラリーマンに対する殺意は消えていた。
それどころか同じ牛めし豚汁セットを食べた者としてベルムはサラリーマンに親しみすら感じていた。
横を通り過ぎる瞬間ベルムは心の中でサラリーマンに《またな!》と声を掛けレジへと向かうのだった。
「ごちそうさまです。」
ベルムがそう言いながらレジにいた店員に伝票を手渡すと、店員は申し訳なさそうに伝票を受け取った。
「先程はすいませんでした。」
「いえ、気にしてませんよ。あっ支払いはベイベイでお願いします。」
ベルムは笑顔でスマホを差し出すと店員はホッとしたように微笑んだ。
「ベイベイですね。ここにかざして下さい。またのお越しをお待ちしてます。ありがとうございました。」
ベルムはそんなちょっとした気遣いに気分を良くすると、外に停めてあったアスタクに乗り込み大すき家を後にするのだった。