第10話 車両点検
「あれ?知り合い?」
夏美は、キョトンとした顔で純とベルムの顔を見る。
純は口をあんぐりと開けて驚いていたがふと我に返ると夏美に詰め寄る。
「知り合いも何も、報告したじゃないですか!?あのドラゴニア王国のドラゴン焼きのバカ息子ですよ!」
夏美は首をかしげ少し考えると、何か思い出したように手のひらをポンと叩いた。
「あー!さっき自己紹介されたときに、なんか聞いたことあるなと思ったんだよね。あのバカ息子ね。」
「そうですよ!あのバカ息子ですよ!」
「なるほどね。これがバカ息子。」
純と夏美がバカ息子を連呼していると、眉をピクピクさせたベルムがコホンと咳払いをした。
そして、純に近づくと頭を下げた。
「先輩、あの時は本当に申し訳ありませんでした。」
あの時、貴様とブチ切れていた面影は全くない。
純がベルムの豹変ぶりに動揺していると、夏美が純の肩をポンポンと叩いた。
「まぁ色々あるみたいだけど、よろしくね。
リンドヴルム君は研修所出て初めてだから、今日は2時間位その辺り回ってきてね。それじゃあよろしく!」
夏美はそう言うと、そそくさとその場を去っていった。
こうして純はベルムの同乗指導をすることになるのだった。
ベルムはボンネットを開けると手際よくエンジンオイルや冷却水、ウォッシャー液などの点検をしていた。営業開始前の車両点検だ。
「へぇ、リンドヴルムさん初めてにしてはずいぶん慣れてますね?」
純が関心していると、ベルムはボンネットを閉め純の方を見て少し嬉しそうにはにかんだ。
「はい。研修所の先生に、車両トラブルはクレームや売上の減収にもつながるからしっかりやるようにと口を酸っぱくして言われましたので。」
「そうなんですよね。私もナビがいきなりフリーズして立ち上がらなくなったり、クレジットカードの決済機がいきなり使えなくなったりして全然営業できなかったこともあったなぁ。
あっ、ナビや決済機の動作確認は点検項目にないですけど、リンドヴルムさんもやっといたほうがいいですよ。」
基本的に車両が故障した場合、動くのであれば営業所の整備工場。動かなければレッカーとなる。
営業所で修理してすぐ直るなら営収減で済むが、整備工場預かりやレッカーとなると台車がなければそこで営業終了となる。
また車両は余剰がなるべくないようにシフトが組まれている為、空きはほとんどなかったりする。
そのため点検は大切なのだ。
「なるほど、先輩ありがとうございます。
ちなみにその、リンドヴルムさんではなくベルムと呼んでもらえないでしょうか?」
「分かりました。じゃあベルムさんでいいですか?
というか本当にあのベルムさんですよね?」
ベルムは首をかしげた。
「はい。ベルムですが何か変でしょうか?」
「変というか、あまりに印象が違うので…。私が殴ったときにどこか打ち所悪かったりしませんでしたか?」
純が真面目な顔で質問すると、ベルムは一瞬きょとんとするが、次の瞬間爽やかな笑い声を上げた。
「ぷっ!あっはははっ!いや、すみません。確かにあの往復ビンタとパンチは凄かったですけど、私は正常ですよ。
竜神族は怒りが爆発すると少し人格が変わってしまうので、あの時は本当に怖い思いをさせてすみませんでした。一応今の私が通常状態だと思っていただければ幸いです。」
純は、あれで少しかよ!?とツッコミを入れたくなったが心の中に留め呆れるしかなかった。
実際、竜神族はドラゴンが永い年月をかけ昇化した種族である。
その為、普段は理性的で温厚な性格だが、怒りや憎しみの感情でドラゴン特有の暴力的な一面が表面化することもあった。
先日のベルムはその一例である。
「はぁ、それでベルムさんはなんでタクシー乗務員になったんですか?
確かドラゴニア王国で洋菓子店を経営してるんですよね?」
ベルムの顔色がうっすら赤くなる。
「それは、先輩のあのパンチが忘れられ、あっ!ではなく、先輩のおかげで私自身まだまだ未熟者だと気付く事が出来ました。
なので心機一転、もう一度自分を鍛え直してみようと思いまして、部下に店を任せてこちらに就職しました。」
純はベルムがおかしな事を口走りそうになったのに気付くが、その後のとってつけたような理由にこれ以上突っ込むのをやめた。触らぬ神に祟りなしである。
「はぁ、わかりました…。」
その後、車両点検も終わり、個別点呼を受けて同乗指導に出発するのであった。
ちなみに、点呼前に帰ろうとしていた大木とすれ違った際、いきなりベルムが大木にひれ伏すという事があり事情を聞いたが教えてはくれなかった。
その後、ベルムが大木の事を閣下と呼ぶようになったのだが、それはまた別の話である。