死にぞこないのスカーレット
「それ以上、わたくしに近寄らないで」
濡れた紅い唇が震えている。
ああ、彼女は今日も美しい。庭に咲く満開の赤い薔薇よりずっと、ずっと。
(今回も僕の理想通りに育って下さいましたね……お嬢様)
つい恍惚の表情で熱いため息を漏らした僕を、彼女――公爵令嬢のスカーレット・エドモンドがキッと睨む。それはもう、殺意と恐怖に満ち満ちた眼差しで。
烏の濡れ羽色の黒髪、深い紫色の輝く瞳。陶器のように滑らかな肌は透きとおるほどに白く、未だ穢れを知らない。
(ゾクゾクする)
彼女を今すぐにでも鳥籠の中へぶち込み、鍵を二つも三つもかけて、その全てを僕だけのものにしてやりたい。
歪んだ感情の虜になった僕――しがない執事のアイル・オースティンには、この狂気じみた愛を成就させる結末しか、残されてはいないのだから。
◇◇
突き飛ばされた拍子にネックレスが千切れ、真珠が床一面に散らばる。
「スカーレット・エドモンド。僕は君との婚約を破棄させてもらう」
床に膝をついたスカーレットは、急激に押し寄せてくる記憶の洪水にのまれ、ぐらつく頭を押さえながら辺りに視線を巡らせた。
今宵は、自分が通う学園で定期的に行われている夜会だ。自由参加にも関わらず、いつもより出席者が多い。――特に、あの女子生徒の周りには。
(落ち着いて……! 冷静に状況を整理しないと)
「貴方は、レオン……レオン・マクドウィル様ですわよね? 第二王子の」
「信じられない、という顔をしているな。だがこれは残念ながら夢ではない。現実だ」
「……」
「僕には全て分かっている。いや、ここにいる皆が知っているはずだ。君が僕の婚約者なのをいいことに、学園の皆にどれだけ横暴で粗野な態度を取り続けてきたか。――しかも、その上」
「『その上、僕と男爵令嬢のソフィア・ローレンとの仲を疑い、彼女に陰湿な嫌がらせを繰り返してきただろう』……そう、わたくしにおっしゃりたいのかしら? レオン様」
冷ややかな口調でスカーレットが遮れば、金髪碧眼の王子様――乙女ゲームの三人目の攻略キャラであるレオンが、目を見開く。
「なっ、なぜ、僕が今言おうとしていた事を……!」
思わず口元が綻ぶ。
(やり直しも二度目となると、記憶の戻りが早いのね)
青ざめた顔でおののくレオンを綺麗に無視し、スカーレットはふらりと立ち上がった。――間違いない。これは、レオンルートの婚約破棄イベントだ。
ならば、悪役令嬢である自分が言うべき台詞はただひとつ。
「嫌です! わたくしは……っ! レオン様と別れたくなどありません」
紫色の大きな瞳を潤ませ、スカーレットはレオンに懇願した。もちろん、ゲーム画面で見たのと一言一句同じ台詞で。
「婚約破棄を受け入れるくらいなら、わたくしは死を選びます。では、皆様ご機嫌よう!」
「――え? ちょっ、ちょっと待て。スカーレット!!」
スカーレットは丸暗記してある台詞を吐き出すと、首筋に刃を押し当てた。『婚約破棄を受け入れられず自害する』。それがこの乙女ゲームでの悪役令嬢のハッピーエンドなのだから。
王子様のスチルが何やら喚き始めたが、エンドに直接影響のない、ヒロイン同席の断罪イベントなどに付き合ってやる義理も義務も、自分にはない。
スカーレットは短剣を握る手に力を込めた。――今度こそ。
(今度こそわたくしは、完璧に死んでみせるんだから……!)
自分が異世界からの転生者だと気付いたのは、今の前の、そのまた前の人生の時だった。
マクドウィル帝国の大貴族、エドモンド公爵家の一人娘として生まれたスカーレットは、優しい父親と兄二人に散々甘やかされ、我が儘し放題で育てられた結果――可憐なヒロインを虐めまくる、立派な悪役令嬢へと成長する。
正直、調子に乗っていた。世界は自分を中心に回っているのだとさえ思っていた。そんなスカーレットをさらにつけ上がらせる要因となったのが、十歳の時王城で行われた、王太子の誕生パーティー。両親とともに出席したスカーレットは、階段で派手にすっ転んだところを、ちょうど通りがかった王太子――エドワードに助けられる。
「君こそ僕の探し求めていたお姫様だ」
可愛らしい見た目に騙されたエドワードが跪いて求婚し、スカーレットは王太子の正式な婚約者となったのだ。
勢いづいたスカーレットは、王太子妃をすっ飛ばし、王妃となる為の勉強を始める。足繁く王城に通い、礼儀作法に加えて帝王学まで学び始め、数ヶ月経ったある日――エドワードが実の母親である王妃と関係を持っている場面にたまたま遭遇してしまう。
騙されていたのはスカーレットのほうだったのだ。エドワードは王妃――母親とのイケナイ関係を周りに誤魔化すため、スカーレットと婚約したのである。
その直後、身に覚えのない罪状を次々に突き付けられたスカーレットは裁判にかけられ、あっと言う間に死罪が確定。エドワードに婚約破棄された挙げ句、牢屋へ放り込まれてしまう。
そのショックで目の前がまっしろになり――前世の記憶を全て思い出したのだ。
自分が日本という国の女子高生で、引きこもりのオタク、おまけに腐女子だったこと。その当時ハマりにハマっていた乙女ゲームと、この世界がそっくりだということも。
この乙女ゲーム――『愛と聖なる光のデスティニー』は、聖なる乙女の生まれ変わりであるソフィア・ローレンが、攻略したキャラの愛の力を借り、千年ぶりに復活した魔王を聖なる光で打ち斃す――と、いうストーリーになっている。
攻略キャラは全部で四人。マザコン王太子のエドワード、隣国の聖王であるノア、そして、今スカーレットの目の前にいる第二王子のレオン。ちなみに四人目のカルロスルートは、レオンルートでハッピーエンドを迎えると解放される設定だ。
(プレイヤーからすれば、超王道のゲームよね)
だが、悪役令嬢として転生してしまった自分からすると史上最恐のゲームである。何しろどのルートを攻略しても、バッドエンドで魔王の復活に巻き込まれて炎に焼かれ、ハッピーエンドでは婚約破棄のショックで自害するという、救いようのない結末しか用意されていないのだから。
それも、無事に死ねればまだいいほうで――と。いけない、いけない。
(早くカタを付けないと、また奴が現れる)
「――ッ。やめるんだスカーレット! おい、そこのお前。さっさと彼女を止めないか!」
「はっ、はい!」
レオンの命令に応じた護衛の一人が慌てて駆け出す。それを視界の端に捉えると、スカーレットは不敵な笑みを浮かべた。
「『さようなら、レオン様。――お慕いしておりました』」
最後の決め台詞で締め括り、刃を斜めに走らせる。スカーレットの手から落ちた短剣の刃が、シャンデリアの光の下で煌めく。首筋から噴き出す血飛沫が、床に倒れ込んだスカーレットのドレスを赤く染め上げ――なかった。
(! ……なっ?)
床に落ちた、綺麗なままの短剣を呆然と見つめる。
「いけませんよ、お嬢様。そんな物騒なものを手にしては」
手首を掴んだ護衛の声に、スカーレットの背筋が凍りつく。この、無駄に丁寧な言葉遣いは。
「アイル……!」
「どうやら今回も私の勝ちのようですね」
深く被った帽子の下で、アイルが――このゲームではただのモブでしかないはずの執事が。楽しげに嗤う。
スカーレットの紅い唇が、微かに震えた。
「まさか、わたくしの剣をすり替えたの?」
「ええ、お嬢様がドレスを着替えてらっしゃる間に。メイド服が窮屈で変装するのは大変でしたが、とてもいい目の保養になりました」
うっとりした顔でため息を吐くアイルを、スカーレットは殺意を込めた目で睨みつけた。
「この……っ。執事の皮を被った色魔! 変態コスプレ男‼︎」
「おやおや。とても公爵家のご令嬢とは思えぬ、下品な言葉遣いだ。どうやらこれは、少しきついお仕置きが必要なようですね」
「ッわたくしに触らないで!」
アイルの手を振り解き、ドレスの裾を掴んで駆け出す。
呆気に取られる王子様と、焦れて勝手に出てきたヒロインのソフィアを華麗にスルーし、スカーレットは夜会の会場を後にした。
(冗談じゃないわ……! ここまで来て、また殺されてたまるものですか)
スカーレットは今の前と、そのまた前の人生で、自害する直前――ストーカー化した執事のアイルによって殺されている。
そして再び生まれてくるのだ。悪役令嬢のスカーレット・エドモンドとして。
(運が悪いったらありゃしないわ)
走りながら、スカーレットは自嘲気味に微笑った。本当に、ツイてない。――前世でも、今世でも。死にぞこないになるなんて。
『あんたなんて産まなきゃ良かった』
胸の奥に刺さりっぱなしの棘が疼き出し、また自分を傷付ける。
自分の部屋に戻ったスカーレットは、深く息を吐き出した。
ランプの明かりを灯し、ドレッサーの引き出しを漁り始める。――見つけ出したのは、禍々しい色の毒が入った小瓶。
(剣でなくても……ようは自殺しさえすれば何でもいいはず)
まだ解放されていないカルロスルートで、スカーレットはこれを使ってソフィアの毒殺を目論む。医師の懸命な治療により必ず命を救われるという神設定のソフィア以外、間違いなくあの世行きになる逸品である。
アイルが来る前にこれを飲み干しさえすれば、今度こそ全てが終わる。スカーレットは瓶の蓋を開け、一気に飲み干そうとして――ぴたりと止まった。
(待って、待って。ヒロインに飲ませるつもりで用意してた毒を、悪役令嬢が自ら飲んで自殺って……!)
正規のエンド認定されるだろうか? なかなか難しい問題である。
「みーつけた」
突然背後から上がった声に、肩がびくりと跳ねる。つう、と背中に冷や汗が伝っていった。
「何ならその毒、僕が口移しで飲ませて差し上げましょうか? お嬢様」
「……それ以上、わたくしに近寄らないで!」
スカーレットが投げた杯が、入り口に突っ立っていたアイルの額に命中し、砕け散る。
「相変わらず往生際の悪い女性だ。……どうせ、僕から逃げられやしないのに」
アイルは薄笑いを浮かべながら、切れた額から流れ落ちてくる鮮血をぺろりと舐めた。
床のガラスの破片を気にも留めず、ゆっくりとスカーレットに歩み寄って行く。
『愛と聖なる光のデスティニー』には、全ルートでハッピーエンドを迎えると解放されるレアルートが存在する。魔王を打ち斃し、聖なる力を高めたソフィアが、愛に敗れて自害したスカーレットの魂と肉体を復活させ、国外追放とする事でその罪を赦すのだ。
このルートで、ソフィアは攻略キャラ四人全員と結婚する。いわゆる逆ハーレムエンドだ。そして、これこそがこのゲームの"TRUE END"なのである。
だからスカーレットは、全ルートで自ら命を絶たなければならない。
悪役令嬢にとって救いようのないエンドばかりの『愛と聖なる光のデスティニー』のルートの中で、唯一生き残れる結末を迎えるために。
(なのに……どうしていつも囚われてしまうのだろう)
寝台に横たわり、小瓶の毒を煽るアイルを見上げながら、自問自答を繰り返す。初めて交わした口づけは、とても甘くて……ほんの少しだけ苦い。
「愛していますよ、お嬢様。僕はずっと……ずっと。貴女だけに仕えます」
こくんと喉が鳴ると、アイルは満足そうに微笑んだ。
まだまだ拙い文章を、最後までお読みいただきありがとうございました!現在このお話の続編を検討しているのですが、もし宜しければ意見等々、頂けると嬉しいです。感想、評価もお待ちしております。
m(_ _)m