第8話 奪還
丸山は自分達の優位に自信があるのか、ニヤニヤしながら猿島と猪俣を見つめる。
「ん?猿島に猪俣か。
まさか、お前たち、こいつらを呼び込んだな。
一緒に始末してくれるわ。」
俊介が、対峙していた男を倒し、春彦の傍に戻ってきて言った。
「お前が、悪党の親玉か。」
「何だか知らんが、小童ども。
そうか、そのごみの知り合いか。」
丸山は佳奈の方を見て、毒づいた。
「おい、お前たち、とっとと女ごと始末しちまえ。」
丸山が、顎でしゃくると、新たに入ってきた3人が無表情で春彦たちに向かって歩き始めた。
「おい、その汚くて臭いのをとっとと始末しちゃえ。
まるで、豚みたいに臭くてたまらん。」
「なんだって人の娘に…。」
一樹は、怒りに震えていた。
「なんだ、お前は、その豚のおやじか。
安心しろ、すぐに後を追わしてやる。」
その時、急に部屋の中の空気が殺伐とした空気に変わった。
正確にいうと変わった気がした。
春彦は、佳奈を抱きながら、立ち上がり丸山に向き合った。
「お前が、佳奈をこんなにしたのか…。」
どこか威圧感のある声で春彦は丸山に言った。
「なんだ、お前。
薄気味悪い奴だな。
ははぁ、その豚女の彼氏か。
ちょうどいい、一緒にあの世に送ってやるよ。」
「…。」
春彦は、目を閉じ、何かを貯めているようだった。
その春彦から、何か気のようなものが強く感じ始めた。
「おい、全員、気を強く持てよ。」
重蔵が、大声で、穴吹、猿島、猪俣に怒鳴った。
「え?
は、はい。」
ただならない気配を感じて、穴吹は、うまく相手のバランスを崩させ、さっと、重蔵の方に戻ってきた。
その時、春彦は目をゆっくりと開き、丸山やその部下たちをにらんだ。
その刹那、春彦から得体の知れない、凍り付くような何かが丸山達に向かって放たれた。
猿島と猪俣は、春彦と丸山達の間から逃げ、横の壁に張り付いて様子をうかがっていた。
「ひっ。」
猿島は思わず悲鳴を上げた。
目線の先の春彦は、まるでテレビで見たことのある巨大なサメの無感情のような瞳と同じ、それ以上に真黒ブラックホールのような瞳をしていた。
その瞳から発せられている恐怖から、立っていられず、しゃがみ込み、まるで死の絶望からか涙が流れ始めていた。
「こ、殺される。」
猪俣もしゃがみ込みながら、うめき声を上げた。
猿島は、気を振り絞って丸山達を見た。
丸山の部下は、全員、腰を抜かし戦意を喪失どころか、失神寸前で、全員跪いていた。
皆、自分がなす術もなく、どうやって殺されていくのかを感じているようだった。
丸山は、さすがに、立って耐えていた。
「春彦、お前…。
今までのは、まだ、底じゃなかったのか。」
傍らにいた俊介も、春彦の異様な気配を感じ、息も絶え絶えになっていた。
俊介にとっては、春彦のその気配を何度か体験したことがあったが、今回は、その比ではなかった。
自分に向けられているものではないとわかっているが、それでも、厳しいもので、穴吹は腰くだけのように座り込んでいた。
重蔵は、春彦の後ろで一樹の盾になるように立ちふさがっていた。
一樹は、雷に打たれたように、何が起きているかわからず、ともかく、両手で頭を押さえてしゃがみ込んでいた。
春彦から放たれている気配は、気の弱いものであれば、あっという間に失神するほどのものだった。
「やばいな、これを長時間続けられたら、こっちも参っちまう。」
俊介がそう感じた時、小さな、今にも切れかけているような、か細い声がした。
「は…る…。」
声の主は佳奈だった。
その瞬間、全員が悪夢から解放される。
「佳奈。」
春彦は、小さい声で、そっと佳奈に話しかけた。
しかし、佳奈は、答えなかった。
俊介は、周りを見渡した。
相手は、丸山以外は、口から泡を吹いて失神しているように倒れていた。
丸山も苦しそうに肩で息をしていた。
「な、なんだ、今のは?!」
猿島と猪俣は、春彦の正面ではなく、ギリギリに壁際に寄りかかり、何とか気を繋ぎ止めていた。
「しかし、すごい子だね~。
丸山以外は、何も手を出さずとも倒しちゃったよ。」
猿島が、息も絶え絶え猪俣に言った。
「たまらない…。
こっちも、まじで、死ぬわ。」
猪俣も何とか声を振り絞った
「しかし、丸山もしぶといね。
あれだけ、直撃されても、立っているよ。」
猿島と猪俣は、あきれ返った声を出した。
「ち、だらしな…い。
私が、全員、始末してくれるわ。」
丸山はそういうと、懐に手を入れようとした。
その瞬間、丸山は、動きを止め立ち尽くした。
それを見た、猿島と猪俣は、猛烈な勢いで丸山に向かっていき、猿島が蹴り脚で丸山の顔を、猪俣が体に体当たりと、丸山を襲った。
丸山は、そのまま、壁に激突し、崩れ落ちる。
猿島と猪俣は、佳奈を抱いた春彦の方を振り向いた。
春彦は、丸山が懐に手を入れた瞬間、丸山に矢のような何かを放っていたのだった。
「あいつ、一瞬、丸山にだけピンポイントにあれを発したんじゃないかしら。」
猿島は理解した。
俊介も頭を振りながら、春彦に声をかけた。
「春彦、ここはあとやっておくから、早く菅井を病院へ。」
春彦も、完全に我に返ったかのように頷いた。
「じゃあ、後はお願いします。
一樹さん、大丈夫ですか。
行きましょう。」
春彦が、一樹に声をかけた。
一樹は、何が起こったか理解できないようだったが、すぐに佳奈のことで頭がいっぱいになり、頷き、春彦に抱かれている佳奈の傍に近寄ってきた。
「もう、大丈夫だと思うが、油断するなよ。
ともかく、こいつらを縛り上げとけ。
春彦君たちを屋敷の外に出したら、すぐに戻ってくるから。」
「ああ、親父、頼んだ。」
春彦は、豆腐でも崩れないように、真綿で抱きしめるように、そっと佳奈を抱き歩き始めた。
その時、猿島が声を出した。
「その娘、怪我をして下半身が麻痺してるって。
あと、ほとんど何も口にしていないから。
点滴で持ちこたえていたようなものだからね。
お医者さんにちゃんと伝えるんだよ。」
春彦は、猿島の方を見て、頷いた。
先頭に重蔵が立ち、用心しながら部屋の外に出て行く。
そして、重蔵が付いてくるように春彦に促し、春彦たちは、それに続いた。
一樹は、春彦に抱かれている佳奈の傍らにずっと付き添っていた。
4人が部屋を出た後、残された俊介、穴吹、猿島、猪俣は、その場に腰砕けのようにしゃがみ込んで、肩で息をしていた。
しばらくして、穴吹が疲れ切った声で言った。
「俊介さん、あいつら縛らないと、まずいですよね。
こっちがこんなへとへとな時に、息吹き替えしたら、ちょっとやばいですよね。」
「それなら大丈夫だろう。
春彦のあれをまともに喰らったんだから。
目が覚めても、使い物にならないだろう。」
「そうですね。
しっかし、あれはやばかったですね。
あの黒づくめたちと争っているのは平気でしたが、あれは…。
もう少しで、春彦さんに殺されるところでしたよ。」
「実際、あのまま続いていたら、皆殺しになっていただろうな。」
「あれは、いったい何なんですか。」
「わからん。
たぶん、春彦の気だよ。
しかも、とびきりやばい奴だ。
今度、ゆっくり話してやるけど、それでなくても、奴は強い。」
そして俊介は呆れたように呟いた。
「しかし、あんなの俺も初めてだよ。
たぶん、あのままだったら、菅井を下に置いて、全殺しだろう、見境もなく…。
あの時、菅井が、止めてくれなければね。」
「はあ、あの春彦君が…。
おっかないな。」
穴吹は、しみじみと言った。
「あんな奴がいるなんて。
私、もう平和に暮らしたいわ。」
「おれも。」
猿島と猪俣が穴吹に呼応するように、声を絞り出した。