第2話 行方不明
春彦が佳奈の部屋の前で立ち尽くしている数カ月前の12月のある日のこと、佳奈は運命を狂わす事件に遭遇する。
「まったく春ったら、最近ちっとも連絡をくれないで。
最近、悠美姉のお墓参りにも行ってないし…。」
佳奈は、会社帰りぶつぶつと独り言を言いながら、駅近くの商店街を歩いていた。
小顔で少し切れ長の瞳、小さく形のいい鼻、薄い唇、決して美人とは言えないが可愛らしい顔付きの女性。
「私、美人じゃないし、体つきも女性っぽくないかな」
佳奈は自分で嘆くように、ホッソリとした体つきだが、要所要所は女性らしい丸みを帯びていた。
身長は150㎝の後半で、肩の下まで伸びた黒髪を後ろで結わき、ポニーテールが良く似合っていた。
「春は、あんなだし、やっぱり物足りないのかな」
春彦は身長が170㎝の後半と長身でスラリとしているが、引き締まった体つきをしていて、女性受けする整った精悍な顔つきだった。
佳奈と春彦はお互い社会人1年目で、仕事に慣れるべく、忙しく、ここ数カ月ほとんど連絡を取り合っていなかった。
そういう状況でも、佳奈は、何かにつけて春彦のことを一人考え、ため息をつく。
ふと遠くを見渡すと、佳奈の視線の中に春彦が飛び込んでくる。
「あっ、春彦だ。
全然連絡くれないで、ちょっととっちめてやろうかな。」
言葉とは裏腹に佳奈は春彦に久々に逢えた嬉しさで、笑顔になっていた。
そして、春彦に近付いていき、声を掛けようとした動き始めた時、春彦の隣にきれいな女性がいるのを気が付いた。
楽しそうに語りながら歩いている春彦と佳奈の知らない女性を見て、佳奈は、声もかけずに立ち止まる。
そして、そっと後ずさりして春彦達から離れ、踵を返して遠ざかるように違う路地に入っていった。
「春と歩いていたきれいな女の人、誰なんだろう。
春の彼女?恋人?」
そんなことを考えながら、佳奈の心は締め付けられる。
だんだんと歩くスピードが遅くなり、うつむき気味に歩いていた佳奈の瞳から涙が一粒流れた。
「仕方ないよね。
春は、女の人に人気だし、私は単なる幼馴染だもんね。」
佳奈は、その涙を手で拭いながら呟く。
そして、ふと周りを見渡すと、あまり通ったことのない道だったことに気が付いた。
「いけない、こんなところまで来て。
ここら辺は、街頭もなく危ないんだっけ」
そして大通りへ戻ろうと、狭い十字路を横断しようとした時、無灯火の車がスピードを緩めることなく、迫ってくるのが見えた。
「え?
なに?」
“ドン!”
避ける間もなく、佳奈はその車に跳ね飛ばされ、激しい衝撃の中、佳奈の意識は暗闇に吸い込まれていった。
佳奈の家では深夜になっても帰ってこない佳奈のことを母親の茂子は心配で居ても立ってもいられなかった。
佳奈は、帰りが遅くなるときは、きちんと事前に連絡を入れ、無断で遅くなることは一度もなかった。
佳奈の父親の一樹が夜遅く帰宅し、佳奈が帰っていないことと、佳奈の携帯にいくら電話をかけても圏外を知らせるメッセージしか流れないことを茂子から聞き、きっと何か大事な用事が出来て、その内連絡があると茂子を落ち着かせていた。
しかし、そう茂子をなだめながら、一樹自身、心配で堪らなかった。
二人は、結局一睡もせずに、佳奈からの連絡を待っていたが、朝になっても連絡が取れず、早々に警察に捜査願いを出した。
舞は、茂子から佳奈が帰宅していないことを聞き、急いで茂子の家を訪ねる。
「どうしたの?
佳奈ちゃん、帰ってこないの?」
「そうなの、電話しても圏外だし、それに無断外泊なんて今までないし、そんなことする子じゃないのよ。」
茂子は、すっかり憔悴していた。
「そうよね、佳奈ちゃん、いい娘だからそんなことしないものね。
何か事件に…。」
事件に巻き込まれたのではと言おうとしたが、茂子の憔悴ぶりを見て軽はずみなことは言えないと、途中で言葉を飲み込んだ。
「なにか、心当たりはないの?」
「うん。
さっき、佳奈の勤め先に電話したのだけど、やっぱり、連絡がないそうで向こうも心配してくれていたわ。
最近、特に変わった様子もなかったって言うし、もう、どうしたらいいのか。」
茂子は、とうとう泣き始めた。
「大丈夫、きっと無事に帰ってくるわよ。
あんなに良い娘なんだから。」
慰めるセリフに考えながら、舞は、茂子の背中をさすって慰めていた。
舞は、帰宅してから春彦に佳奈が行方不明になっていることを、その経緯を含め、説明した。
佳奈が帰っていないことは、朝、茂子から連絡があったのだが、春彦は会社に出た後だったので、春彦の携帯に、行方不明だということだけメッセージを入れておいた。
もしかしたら、春彦が何か知っているのではないかと思ってのことだったが、当然、春彦も寝耳に水のことだった。
そして、会社が引けてから足早に帰宅し、舞から説明を聞いていた。
「それで、今は、警察が事件と事故の両方から捜してくれているそうよ。」
「誘拐とかじゃないの?」
「うん、誘拐を臭わせる電話もなく、事故か何か事件に巻き込まれたのではないかということみたい。」
「佳奈は、真面目でしっかりした性格だから、夜も遅くにならないし、滅多に外泊もしないもんなぁ。」
「そうなのよね。
ともかく、無事で早く帰ってきてほしいわ。」
舞も佳奈が小さい頃から、ずっと見てきたので、心配で仕方ないという顔をしていた。
「大丈夫だよ。
どっからか、ひょっこり帰ってくるよ。」
春彦は、そんなことをする佳奈ではないことをわかっていたが、心配を打ち消すように、軽口を言うことしかできなかった。
春彦は、佳奈が帰ってこないと聞いてから、ちょくちょく会社からでも加奈の携帯に電話をかけていたのだが、そのたびに、圏外メッセージの返事を聞き、落胆していた。
そんな皆の心配をよそに、時間だけが経って行った。
(ここは、どこ?
体が痛くて、思うように動けない。)
佳奈は、体の痛みで目を醒ましたが、何が何だか理解が出来なかった。
白い壁紙で殺風景な部屋、まるで病院の一室のように家具など何もなく、窓も閉まって厚手のカーテンが引かれ、パイプベッドのような冷たく感じるベッドの上に寝かされ、蛍光灯の白い灯りが佳奈を照らしていた。
なぜ、こんな部屋のベッドの上にいるのか、なぜ、体中が痛かったが、不思議と足の感覚がなかった。
苦痛に呻きながら周りを見渡そうとした時、足元の方から甲高い男の声がする。
「おや、気が付きましたか。」
声の主は、佳奈の目が届く範囲の中に入ってきた。
見た目、年配で白髪の紳士のような感じで、まるで執事のようにタキシードのような洋服を身にまとっていた。
佳奈は、口を開けて話すのも苦痛を感じていたが、何とか堪えながら話をしようとする。
「こ…こは、ど…こ…です…か?」
やっとの思いで絞り出すように声を出す。
その白髪の執事のような男は、佳奈のことを嫌なものを見ているような、不快そうな声で答えた。
「まあ、よくお目覚めになりましたね。
あのまま、お亡くなりになるかと思ったのですが。
失礼、私、執事の丸山と申します。
あなた様は、お坊ちゃまの車と交通事故を起こされ、ここに運び込まれたのですよ。」
「…。」
佳奈は、少しずつ状況を思い出していた。
(そうだ、夜、買い物帰りに青信号の横断歩道を渡っていたら、すごいスピードの車が向かってきて、凄い衝撃と痛みで…。)
「少し思い出していられますか。
あなた様が、呑気に道を横断していて、お坊ちゃまが気が付いた時は、ブレーキが間に合わず、あなた様を車に引っかけてしまったのです。
幸い、人通りもありませんでしたので、あなた様を車にお乗せして、まあ、お乗せしてと言っても、トランクルームにお入れして、この別荘まで運びこんだ次第です。
おかげで車は傷がつくわ、トランクルームは汚れるわ、結局、お坊ちゃまのお車は廃車にせざるを得ませんでしたよ。
まったく、ろくでもない女ですね。
あんなところ歩いていなかったら、こんな面倒にならなかったのに。」
「え…?」
佳奈は丸山という男が何を言っているのか理解が出来なかった。