スーツとネクタイ
スマートフォンは便利だが、私は勇者だ。国のことを探るには、やはり酒場に限る。
「ところでサカモト、この近くに酒場はないかね?」
「勇者様がお好みの大衆酒場の類でしたら、シンバシからユウラクチョウにかけての、鉄道高架沿いがいいでしょうね。ただ…」
「ただ?」
「行かれるのでしたら、まずはお着換えくださいな。アキハバラならまだしも、シンバシでは普通の人は勇者の格好などしないものです」
「ではどんな格好をするのだ?」
「スーツにネクタイ、所謂サラリーマンの容姿が一般的ですね」
「スーツ一式なら、私は既に着ているではないか」
「…鎖帷子のことではありませんよ。こういう服を言うのです」
言いながら、胸元が無防備で布製の、何とも間が抜けたチャコールグレーの鎧らしきものを、サカモトは部屋のクローゼットから取り出した。
「鎧にしては間が抜けているな。胸元を開けていたら、心臓一突きですぐ死んでしまうではないか」
「ニホンは平和ですから。それに、鎖帷子なんかよりも、遥かに軽いですよ?」
「うむ。試してみるとしよう」
私は、ひとまずその服に着替えてみた。なかなか動きやすい。布は意外と厚く、雑魚の短刀による攻撃ぐらいは防げそうだ。
鎧と比べた身軽さを考えれば、このぐらいの性能があればまずまずだろう。
だが、やはり胸元が開いているのは寒いし、無防備なので不安になる。
「それにしても、胸元は何とかできないのかね?」
「できます。ネクタイというものを着ければいいのです」
と言って、サカモトは私の首に何やらひも状のものを巻き付けてきた。
無防備・丸腰になったところで私を絞殺するつもりなのだろうか?
「ちょっと苦しいな。だがいくら丸腰だからと言って、私を殺せると思うのか?」
「え?」
「私を絞殺するつもりだろう?」
「いえいえ、少し動かずにお待ちくださいな」
そういって、何やら調整して、整えた。
「こんな感じです。これで胸元も少しは防げるはずです」
鏡を見たら、いかにも間が抜けたひもがだらんと首から垂れ下がっていた。
ネクタイの布はスーツより薄手だ。しかも、スーツの隙間を全てはカバーはできていない。
ないよりはマシ、程度の飾りなのだろう。
「殆ど意味なさそうだがな」
「いえ、ニホンでは、一流の男はネクタイの色やデザインで勝負するのですよ。
いいネクタイはいい女性との出会いにつながりますし、社会的にも好印象です」
「女性へのアピールか。つまりこれは、ニホンのシノビにとっては、鶏のトサカのようなものなのだな?」
サカモトは何とも言えない、東の国の民と共通する、あの曖昧な笑顔を返してきた。
「さて、シンバシまでは歩いてどのくらいかかる?」
「10分ぐらいです。が、いい機会ですから、この際チカテツを試してみませんか?
トラノモンからシンバシまでは、ほんの一駅ですし」
「あんな恐ろしい鉄ミミズに、ニホンのシノビどもは、よく乗れたものだな。
だが、私は勇者だ。いざとなれば退治ぐらいできるだろうし、よかろう。
その誘いに乗ることとしよう」