第十六話
「小夜に手を出すなら秋人くんでも容赦はしない」
「おや。ずいぶん口調が変わるんですね」
「コインの表裏と一緒だよ。本質的には変わりはないけど絵柄は違う」
なるほど、いつもの舌足らずな喋り方とはまるで違う。
朝月は両腕を振るう。
犬神としての能力『食べる』というのは、普通の相手なら完全に手が触れた時点で勝ちが確定する。
相手の選択肢に防御が存在しないのだ。
防御などしたら最後、防御した部分ごと全て食べられる。
秋人は向かってくる両腕の手首を弾く。
手に触れられなければ大した問題ではない。
だが、そのような答えは誰でも思いつく。
朝月は満月家に代々伝わる式神である。
故に力に驕り、技を忘れるような馬鹿はしていない。
「甘いですよ、秋人くん」
左手が赤く太くなった秋人の右腕に触れる。
普通の相手ならこれで終わりだ。
ここまで完全に触れれば、右半身を食べ、相手を絶命させられる。
――普通の相手だったら
いつまで経っても現象が起こらない。
朝月にとって触れたら思っただけで食べられる、というのは呼吸と一緒だった。
普通の人間は呼吸をするのに肺を膨らませ、酸素を取り込み〜など一々考えている者はいない。
できるからできる、そういうものだ。
いくら戦闘者であってもそれができないとき、起こるのは一瞬の恐慌。
秋人はそれを見逃さない。
空いている左手がわき腹をとらえ、岩でも殴ったかのような手応えと同時、朝月はまるでボールのように吹き飛んだ。
「そう簡単にやられるほど甘くないんですよ」
秋人は語る。
「物理法則に従わない肉体強化、鬼としての能力に対する耐久力、妖怪としての格の差、まぁ私は妖怪ではないですが、この三点から私には貴方の能力は効きません」
(腕以外に触れられれば終わりですが……)
そこまで話す必要はない。
もとより腕だって今の一撃で軋んでいる。
何発か同じところで受ければ、腕ごと食べられてしまう。
秋人は嘘を吐く。絶望によって抵抗する意志をなくさせるために。
「……嘘吐いてはいけないよ、秋人くん」
吹き飛んだ先朝月はゆっくりと立ち上がる。
「もしその話が本当なら、秋人くんは全身に鬼の力を顕現させればいい。
それをしないのは食われないように腕に鬼の力を集中してるから。
攻撃を受けたことで気付いたよ。単に殴った威力じゃなかった」
(完全にばれてますか)
触れただけで食べる能力。
発動条件が簡単な割に効果は絶大。
倒すためには能力を無効化するか、触れらないかだ。
(前者なら腕を引きちぎって……いやダメですね)
殴った感触で得た朝月の肉体強度から考えて、片腕をやるのに両腕で、さらに全力でやらなければいけない。
引きちぎる間にもう片方の腕で食われて終わりだ。
命の対価が腕一本では割に合わない。
かといって後者も脇腹にでも擦れば、すべて食われるとまではいかなくてもおそらく内臓のいくつかはやばいだろう。
だが、その程度ならばくらったところで治すことができる。
諏訪家の治癒担当である春日は優秀なのだ。
(やはり腕で能力を押さえながら後者で隙を見つけて潰すしか……)
戦闘中に自己完治するほどの肉体強化をされた腕だ。
何度も連続で同じ部分にもらわなければ腕で押さえることはできる。
考えたのは一瞬。
その間に既に朝月は再接近、両腕を繰り出す。
先程と同じように腕で受けとめた。
それと同時、右脇腹に衝撃を受けて吹き飛ぶ。
「鬼の力を使ってない部分を狙えばこの通りです。能力に頼らなくても今の秋人くんになら勝てます」
(今のは蹴り……ですか)
全く見えなかった。
食われていないところから判断しただけだ。
あばら骨を二三本やられている。
腕以外の部分は下位の鬼にも及ばない程度の強化しか行えていないのだ。
むしろそれで済んだことは幸いというべきだろう。
だが、このままではいつも通りには動けない。
右腕の鬼の力を治療のために右脇腹、朝月の動きを見切るために目とそれに伴う神経に振り分ける。
終わったとき二人の間合いは一歩半。秋人は間合いを離すため一歩後ろへ下がった瞬間だった。
「小夜!」
視界の端に飛ぶ表情のない仮面。
それを見たとき、朝月は棗の方に向かい走りだしていた。
「なっ!」
折れたあばら骨、後ろに下がった足、その二つが秋人の対応を遅らせた。
できた差は二歩半、だが決定的な差。
朝月は棗の視界のギリギリ外で両腕を突き出し突っ込んでいく。
「兄さん!!」