地球産(アースメイド)
西暦2530年、地球人類が宇宙への進出を果たし、宇宙人類の一端として認められてから、すでに300年の時が経った。
地球人類は広い宇宙に散らばるように移民を始め、わずか300年で宇宙のどの星にも必ず存在する、ごくありふれた民族となった。遅くなってから宇宙への進出を始めた地球人に対する他星人たちの態度は決して温かいものではなく、『地球産』という蔑称が今も宇宙のあちこちで使われている。
しかし、地球人類は知っている。
――『地球産』
これが他星人をも熱狂させた地球の料理に対する称賛であることを!
◇
「カズマ、おい、起きろ」
頭をお玉で叩かれる激痛に、彼は飛び起きて頭を押さえた。
「なにすんのや、おっさん! 地球人はあんたらと違って柔らかいンやから、もっと丁寧に扱ってや!」
「ああ、すまん」
頭を下げるのはエプロンをつけたマテリアル星人――これは岩石をのみで大きく人型に切り出したような姿をしている。体の組成も鉱物的である彼らならば、お玉アタックなどちょうどよい目覚ましのベル代わりだろう。
しかし、カズマは地球人であるのだから、頭をさすりながら涙目で訴える。
「みてや、コブタンできとるやんけ、パーになったらどうすんのや!」
「すまん。だが、声をかけても起きなかったお前も悪い」
「ああ、それは悪かったな。ちっと試作品作るのに夢中になりすぎて、昨夜は遅くまで起きとったんでな」
「それでまた、店に泊まったのか」
マテリアル星人は肩をすくめながら店の中を見回した。
ここは彼が経営する小さなレストランだ。内装は地球で一番多い料理屋の形態であった『ファミレス』をモデルとしており、カズマが寝ているボックス席の長ソファーは確かに寝心地はよさそうだ。
だが、空調は止まっており、店内は少し肌寒い。
「アースメイドは体、強くない。寒いところで寝る、お勧めできない」
カズマはこの言葉の中にある彼の優しさをくみ取って、申し訳なさそうに首の後ろを掻いた。
「ああ、悪かった。次は気を付けるわ」
「せめて布団」
「わかってるって、それよりな、今回の料理、これはめっちゃスッゴイで!」
「ふむ、食べたい」
「ほな、すぐに用意するからそこに座ってや」
カズマは腕まくりしながら厨房へと入っていった。
地球人が宇宙に進出してから、こういった料理屋が増えた。
もともとが地球とは違う環境、違う進化過程をたどってきた宇宙人たちが、地球人と同じものを食べるわけがない。中には食事自体を必要としない種族もいる。
そんな彼らをも、地球の『料理』は熱狂させた。今や地球式の食事は宇宙で最もポピュラーな娯楽として広く知られており、こうした地球式の料理店が宇宙各星に点在するようになったのだ。
地球人は優秀な料理人として知られた種族であり、大きな店舗に行けば料理長相当の立場として雇われているのをよく見かける。だがここは場末の食堂であり、店員がいることさえ珍しいというのに……
厨房に入ったカズマは、やがて皿を掲げて店内へと戻ってきた。
「おっちゃん、これ、食べてや!」
店主の前に皿が置かれる。
「白くて、黄色い。きれいだ」
「目玉焼きっちゅう、大昔の地球のレシピを再現したんや! 料理はシンプル・イズ・ザ・ベストやで」
皿の真ん中にふっくらと盛り上がった美しい黄色の黄身、そこにナイフを突き立てた店主は、驚きの声をあげた。
「とろ~り!」
そして、黄身の真ん中に吸い寄せられるように唇を近づけ、チュウと音を立てる。
「こ、これは!」
彼の脳裏に浮かんだのは、広い草原にたたずむ一羽のめんどりだった。そのめんどりが「デデデッデッデ」と鳴り響くフラメンコのリズムに乗ってゆっくりと近づいてくる。
リズムは次第に早く、強く。それに合わせてめんどりの足元も強く、早く、踊るように……
デッデレデッデレデッデレデッデンデン!
「オ・レ!」
思わず叫んだ自分の言葉で我に返って、店主は目をぱちくりさせた。
カズマは得意そうに鼻先をあげている。
「どや?」
「これは……」
店主が称賛の言葉をかけようとしたその時、店のドアが勢いよく開かれた。
「わははははは! あまいな、カズマ!」
尊大な笑い声とともに入ってきたのは、宇宙では絶えて久しい和装という地球式の衣服を着た地球人の、ガタイのいい初老の男だ。カズマはこれに呼応するように即座に片足を下げ、こぶしを構えた。
「こんなところへ何しに来たんや、おやじ!」
この言葉に、店主が驚いて立ち上がる。
「お、おやじ? お父さん?」
彼が驚くのも無理はない。突如店内に入ってきたこの男、それほどに有名な人物なのである。
宇宙各星に地球式料理のフランチャイズ店を置く一大グループの総帥、自らも美食家であり『味帝』の別名を持つ超有名料理評論家、その名も……
「カイバ=ラ!」
叫ばれた自分の名前に満足したか、男は深く頷いた。
「いかにも。わしがカイバ=ラである」
男はさらに、ビシィッ!っとカズマを指さす。
「わしに反目して家を飛び出すから、どれほどの立派な料理人に育っておるかと見に来たら、この体たらく、恥を知れ!」
「いきなり訪ねてきてご挨拶やな、ワイはここの店長を尊敬しとるし、料理人としての誇りをもってここにおる。あんたにとやかく言われる筋合いはあらへん!」
「ふふふふ、青いな、カズマよ。私が言いたいのは、『や~い、や~い、ボロい店で働いてやんの、や~い』ということではない。その目玉焼きだ!」
「な、なんやて!」
「お前のその目玉焼き、見れば何の味付けも添えられておらぬではないか!」
「あ、味……つけ?」
「さよう。しかも添え物すらない。最もシンプルな料理であるからこそ創意と、工夫と、情熱とッ! そうしたものの差異がくっきりと表れるのが料理の奥深さッ!」
「くうっ!」
「それを見せてやろう。バトルだっ!」
男が指を鳴らすと、種々雑多、何人もの宇宙人たちが店内になだれ込んできた。彼らは店内のテーブルを隅に寄せると、ガス台や冷蔵庫やレンジ、こまごまとした調理道具を並べてあっという間に『キッチン=スタジアム』を作り上げる。
さらに、審査員席を抱えた宇宙人たちが何人か。
「今回は各星の代表に集まってもらったのだよ」
審査員たちはそれぞれに自分の星名を書いたプレートを前に立て、審査員席へきちんと腰を下ろした。
カズマが叫ぶ。
「勝手なことするなよ、おやじっ!」
しかし、男がこれを聞くはずがない。
「ふはははは、カズマよ、お前にふさわしい相手を用意してやったぞ。卵のことを知り尽くし、日々を卵とともに過ごす卵の達人、コケッコー星人だ!」
その声に呼ばれたかのようにふらりと入ってきた男は、真っ白いクックコートを着ていた。頭には料理人としての位の高さを表すそびえたつようなコック帽……しかし、その顔は鶏によく似ている。
カズマは呆然と立ち尽くし、やっとの思いで一言を吐いた。
「マジか……鬼畜すぎやろ……」
ニワトリ男が「へ」と鼻を鳴らす。
「ニワトリに似た俺が卵を扱うからか? いかにも甘ちゃんのアースメイドらしい思考だぜ」
カズマはカッと顔を赤くして、こぶしを握った。
「俺は甘ちゃんなんかじゃない!」
「どうかな」
ニワトリ男は調理台の上にあった卵をいくつか取り上げ、ひょいひょいとお手玉して見せる。審査員たちから、称賛のどよめきが上がった。
得意げな顔で、ニワトリ男がカズマを見る。
「どうだい、料理はショーだ。どんなずるい手を使ってでも、観客の視線を集めたやつの勝なのさ」
「そんなことは……」
拒絶の言葉を吐きかけたカズマよりも早く、武骨な店主の武骨な声が響き渡った。
「そんなことはない! 料理は心!」
店主はカズマに顎をしゃくって見せる。
「思い知らせてやれ、アースメイドの心」
「わかったよ、店長」
カズマは袖をまくりなおして、調理台へと立った。
スタジアムの資材を運んできた者たちはそのまま観客に、そしてカイバ=ラは『実況』と書かれた席にトカゲ頭の男と並んで座る。
「まずはカイバ=ラさん、今日の料理を指定していただけるでしょうか」
「うむ、今日の料理、それは……」
わざわざ大きく立ち上がって、カイバ=ラは声を張った。
「目玉焼き!」
観客がどよめき、拍手が巻き起こる。二人の料理人はそれぞれがフライパンを手に取り、ガスの火をつけた。
「さて、カイバ=ラさん、目玉焼きということなんですが、これはあまりに簡単であるがゆえに地球でも料理として認められていなかったと、こちらではそう聞き及んでいるのですが」
「確かに目玉焼きは料理と呼ぶにはあまりにも初歩である。しかし、初歩であるからこそ……」
「お~っと、挑戦者カズマ、卵を選びにいったか! 対する卵の達人は落ち着いたもの、すでに卵を割るフォームに入っている!」
ニワトリ男が卵を割る、そのしぐさを見たカズマは愕然とした。
「な、なんや、あの卵の低さは!」
男はフライパンの表面すれすれ、指が焦げそうなほどの高さで卵を割ろうとしている。
「くくく、これが目玉焼きをおいしくするコツよ! 高い位置から落とすことによって半液体状である卵には余計な負荷がかかり、細胞は破壊され、風味は損なわれる! こと目玉焼きに関しては、ヒヨコを扱うがごとく丁寧にと、これがセオリーよ!」
「な、なんやて!」
「ふふふふふふ、卵のことなど何も知らないひよっこのお前が、この俺に勝とうなど10万宇宙時間早いのだ!」
「こ、このままでは負ける!」
カズマは思わず、自分を見守る店主へと顔を向けた。彼は岩石じみた顔をさらに固くしながらも、深く頷いてくれる。
「自分を信じろ。あの目玉焼き、うまかった」
「そうやな、忘れるところやった。料理は……心や!」
カズマは手の中に卵を握りこみ、それを胸の前にあてる。
「おいしくなりいや……食べる人が笑顔になるくらいに!」
フライパンの上で熱された油がジュォオオと歌いながら、滑るように流された卵を受け止めた。あとは火加減。
「焦がしてはあかん。せやけど、ひとつも焦げんでもあかん。あくまでもきつね色に、底はパリッと。表面はとろ~りや!」
フライパンの中を見守りながら、カズマの額には汗が噴き出していた。
「まだや……まだ……いまや!」
絶妙な焼き加減、そして美しく盛り上がった黄身の加減、黄金律の目玉焼きがするりと皿にうつされる。
二つの目玉焼きは、まずはカイバ=ラの前に並べられた。
「ふむ。では、コケッコーの方からいただくとしよう」
ナイフが黄身に突き立てられた瞬間、会場を満たす観客は、そこに金色の光が立ち上るのを見たような気がした。
「なん……だと! 黄身が流れ出さない!」
「ふ、当たり前だろ。皿に顔を近づけるなんて不作法、俺は許さない」
「それでいながら中心にはとろりを残し、絶妙な……絶妙な……ミディアムレアだ!」
もっふもっふと息もつかずに目玉焼きを口に運ぶカイバ=ラ。会場には空腹を訴える腹の虫が鳴り響き、あちこちでため息がこぼれた。
一度ナイフを置き、ナプキンで口元を拭いながら、カイバ=ラはもう一つの目玉焼きを見下ろす。
「ふむ、こちらは何の変哲ないものだな。焼き加減に特に工夫があるようにも見えぬ」
それでもこれは審査である。カイバ=ラは再び取り上げたナイフを君の中心に下す。
次の瞬間……
「ああああ、黄身が、黄身が流れ出してしまう! これでは、目玉焼きの一番おいしい部分が皿に食べられてしまうではないか!」
カイバ=ラはナイフもフォークも投げ出し、さらに両手をかけた。
「ええい、ままよ!」
そのまま皿の中心、黄身の破れ目に口をつけて吸い上げる。
ジュ、ジュルルと響く行儀の悪い音に、ついに空腹がのど元まで上がってきたか、会場の誰もがゴクリとのどを鳴らした。
「これは! まるで子供が初めて料理を作ってくれた、あの日の感動! ただ一生懸命なだけで料理のイロハも知らぬ子が、丁寧に心だけを込めて作ってくれた、あの料理の温かさ!」
「どや、おやじ! 料理は心や言うたやろ!」
「う~む、完敗だ……料理は心……よくぞそれを自分で見つけた」
「自分でやない。店長がおってくれたからや。ワイがなに作ってもおいしい言うて食べてくれる、ワイの料理を愛してくれる人がおったからや!」
カイバ=ラは、しばらく黙っていたが、やがてマテリアル星人の店主に向かって深く頭を下げた。
「あなたがいてくれたから……こんなぼろい店とか、ちょっと思ってしまって申し訳なかった。息子を料理人として育ててくれてありがとう」
歓声がわっと沸き上がり、万雷の拍手が鳴り響く。そんな中、カイバ=ラは片手をあげて、審査員席へも目玉焼きを運ぶように指示した。
「さて、この目玉焼き、わしは審査の公平を図るために何も味付けせずに食べたが、審査員の皆さんには各自テーブルにある調味料をつかって召し上がっていただきたい。卵自体が深いコクを持つとともに淡白な味わいであるが故、調味料と混然一体となった時の深い味わいが楽しめるであろう」
カイバ=ラの言葉とともに、審査員たちが調味料に手を伸ばす。
しかし、ここで思わぬ事態が起こったのである。
◇
「醤油! 程よい塩気と香りがたまらない! 目玉焼きには、やっぱり醤油ですな」
「何を言っておるのだね、そんなものをかけたら、卵本来の淡い味わいが台無しではないか! 味を引き立てながらも風味の邪魔にならない、塩が一番だとは思わないかね」
「よくわかりマセンが、ケチャップ、コレ、おいしいデスね~」
「邪道だ!」
ここに集まったのが、各星を代表する政治的リーダーだったのだから、大変だ。
西暦2530年、こうして目玉焼きに何をかけるかの論争に端を発し、全宇宙は、その存亡をかけた戦いへと突入したのであった。