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あり得ない偶然

 春爛漫。

 花も盛りの花見の季節、その早朝。

 近所では、「頭が良くて生真面目でしかも美人なトキコちゃん」ともっぱら評判の高校二年生、藤枝朱鷺子ふじえだときこは、目覚ましがなる前に眼を覚ましていた。

 非常に珍しい…ありえない事態といっても過言ではない。

 春眠暁を覚えずとはよく言うが、今はまさにその季節。

 しかも休日である。

 無粋な目覚まし時計にたたき起こされて、嫌々ながら学校に向かう必要も無い。

 いつまで寝ていようと…たとえ夜まで惰眠をむさぼっていたとしても叱られることの無い素晴らしい日なのだ。

 それなのに。

 眼が覚めてしまった。意識もすっきり冴え渡っている。

 横になったまま、ベッドサイドの目覚まし時計を見た。

 7:00

 夜の…ではない。確認するまでも無いが、一応窓の方へ目を向ける。

 …明るい。どう考えても夜ではない。

 普通の人であれば、予期せず早起きが出来て得をしたと考えるものなのかもしれない。だが、睡眠をこよなく愛する朱鷺子はとても損をした気分だった。

 眠気はまるで無いが、一応、念の為、万が一の可能性考えて、目を閉じてみる。

 ・

 ・

 ・

 しばらく待ってみたが、やはり眠りは訪れない。

 目を開け、じっと天井をにらみつけていたが、眠れないものは眠れないのである。

 小さく吐息をひとつ。

 不機嫌な顔のまま、心地よい眠りへの未練を断ち切り、むくりと身を起こした。


 着替えを済ませ、階下へ降りると、朱鷺子の実の母親である咲子は目を真ん丸に見開いて、信じられないものを見るように己の娘をまじまじと見つめた。

「…ねえ」

「…なんだ?」

「忘れているのかもしれないけど、今日は日曜日よ?」

 分かりきっている事を言われて、思わず眉間にしわが寄る。…が、すぐに気がついて眉間を中指でこすってしわを伸ばした。

「わかってる。わかってはいるが、目が覚めてしまったものは仕方が無い」

 苦々しい口調になってしまうことは否めない。

 そんな彼女の様子をさらっと受け流して、

「あら、そう。珍しいわね〜、あんたがこんなに早起きするなんて。もったいないことね〜」

 とのんきに返した。

「もったいない?一体なにがもったいないと?」

「桜よ。こんなに良いお天気でお花見日よりなのに、ほんと、もったいないわ。もう満開だし、来週まではもたないでしょうね〜」

「??桜の花が来週までもたないことに何か問題でも?花見がしたいなら今日行けばいいじゃないか。良い天気なんだろう?」

 タイミングよく、TVの天気予報でも今日の晴天を予報している。

 降水確率0%。

 天気予報のお姉さんは「今日は最高のお花見日和です」と、最高の笑顔で言っている。

「ほら、天気予報のお姉さんも言っているぞ。大丈夫、今日は花見に最適の天気だそうだ」

 朱鷺子はにっこり笑って付け加えた。

 それなのに…咲子の表情は暗い。

「無理無理。あんたがこんな早起きするんじゃ、今日はきっと雨になるに決まったようなものよ」

 くるりと娘に背を向け、大きなため息。

 実の母親とは思えないひどい言いようだ。

 朱鷺子は、「むぅ」とうなって押し黙る。その眉間にまたしわが刻まれた。…と、その瞬間、もう我慢が出来ないとばかりに娘に背を向けたままの咲子の肩が小刻みに揺れ始める。

 笑っている。結構…いや、かなり盛大に。声を殺すのが苦しそうだ。

「咲子さん、笑っているな?我慢する必要は無いぞ……もう、ばればれだ。」

 あまりに苦しそうで何だか可哀想になり、自己申告。

 笑い声がはじけた。涙を流し、腹を抱えて、笑う、笑う、笑う。

 声をあげて笑うのはいい。こっそり笑われるよりはよほど気持ちいい…が、

(これは笑いすぎじゃないだろうか)

 そんな朱鷺子の思いをよそに、咲子はその後たっぷり1分間は笑い続けた。


「あー苦しかった。わが娘ながら、笑わせてくれるわね。今日もいい腹筋使ったわ」

 浮かんだ…いや、流れた涙を拭いながら咲子はすっきりしたような笑顔を娘へ向けた。娘の眉間に浮かんだしわを見つけて手を伸ばす。

「あらあら。可愛い顔が台無しよ。しわはしわでも、せめて笑いじわにしなさいよ」

「…咲子さんなら、笑いじわに不自由しなさそうだな」

「…それ、褒めてんの?けなしてんの?」

 咲子の指が眉間をぐいぐい押してくる。笑顔が何だか怖い。

「褒めているつもりなんだが。一応…」

「一応…ね。ま、よろしい」

 からっと笑って、咲子は娘を解放した。

 朱鷺子も、その笑顔につられたように口元を緩めた。気が緩んだせいか、唐突に空腹を意識する。目も覚めたことだし、朝食でも食べようかと、冷蔵庫を物色していると、

「さて、掃除でも始めようかしら。朱鷺子、あんたがいると邪魔だからお花見にでも行ってきなさいよ」

 勝手な言い草である。

 朱鷺子は憮然とした表情を隠しもせずに振り向いた。

「…私は、腹が空いているのが?」

「いいからいいから。四の五の言わずに花見に行きなさい」

 どこまでも勝手な母親である。

 朱鷺子は表情をくもらせ、本日何回目かのため息を漏らした。



 いい天気だった。

 窓から差し込む朝日が気持ちいい。

 常日頃「ちっちゃくて可愛くて優しくて、元気一杯の孝行息子」とご近所で大人気の高校1年生、高島純平たかしまじゅんぺいは、いつも通りの時間に黒目がちの大きな瞳をパッチリと開いた。

 元気良くベッドから飛び降りて窓を開く。まだ少し冷たい、朝の空気が心地いい。寝癖でくしゃくしゃの髪のまま、身を乗り出すように家の前の並木道を見ると、桜はもうすっかり満開。ちらほらと風に吹かれて舞い散る花びらがなんとも綺麗である。

 思わず微笑んで、早く花見に繰り出そうと窓から顔を引っ込めようとした瞬間、視界の隅っこにあり得ないものを見た。

 目をしばたかせ、見直してみる。

 …見間違いではなかった。

 その人は確かにそこにいて、道を歩いている。

 思わず振り向いて、部屋の中の時計をみた。

(まさか…ね。あの人が朝っぱらから散歩してるなんてありえないよ。きっと僕が起きる時間を間違えたんだ)

 目をこすってから、しっかりと時刻を確認する。

 7:45

 夜の…では無い。窓の外はまぶしい位に明るいのだから。

 もう一度、外を見た。こんな時間に彼女がいるなんてありえない…そう思いながら。

 しかし、何度見直してみても同じ。やはり彼女はそこにいた。さっきより若干前に進んではいたが。

「うわぁ。あり得ない光景だなぁ」

 登校日でもない休日に、彼女が朝っぱらから外にいる。その彼女を起きたばかりの自分が窓からたまたま見つける。奇跡のような偶然だ。もう二度と、こんな事は無いかもしれない。

「よし!」

 頷いて、窓を閉めた。カーテンもしっかり閉めて、大急ぎで寝巻きを脱ぐ。早くしないと彼女が行ってしまうかもしれないから。

(どの服にしようか)

 数少ない私服を頭の中でコーディネートしながら、純平はこみあげる笑みを抑えることが出来なかった。

 

 

(いい天気だ・・・)

 のんびり歩きながらそんなことを考える。

(早起きも、たまにはいいものだな)

 不本意ながら早起きしてしまった朱鷺子だが、暖かな日差しの中、咲き誇る桜を見ながら歩くのは、思っていたよりずっと楽しかった。

 …ぐ〜〜

 腹に手を当て、立ち止まる。

 桜の花や春の季節を楽しむのも良いものだが、まずは…

「…とりあえず、腹ごしらえといくか」

 先ほどから繰り返される腹の虫の主張にも段々うんざりしてきたところだ。さて、何を食べようか―つらつらと考えながら歩いていると、遠くで名前を呼ばれた。

 振り向き、声のした方を見ると、小柄な少年が一生懸命駆けてくる。その様子は、まるで飼い主を見つけた子犬のようだ。

「トキコさん!」

「…純平か。どうした?」

 純平は朱鷺子の幼なじみだ。家も隣同士で家族ぐるみの付き合いがある。

 出会ってから早16年―と言っても、初めて出会った瞬間のことなど、これっぽちも覚えていないが―幼かった純平は健やかに成長し、純粋で可愛らしい少女…いや、少年に成長していた。

「やっぱりトキコさんだ」

 駆けてきた少年は、軽く息を弾ませ、朱鷺子の顔を見上げて微笑んだ。

「やっぱり?」

「朝早いから、オレの見間違いかと思ったんだけど」

「失敬な。私だってたまには早起きするし、花見だってするさ」

 そんな風に返しながら、再び歩き出した朱鷺子の横に並ぶように純平も歩き出す。

「お花見、するの?オレも一緒に行っていい?」

 こぼれる笑みを隠そうともせずに、幼馴染の少女を見上げる少年のほんのりと上気した頬が、まるで年頃の少女が持つような清純な色香を伝えてくる。

 そんな乙女顔負けの可愛いらしさをしげしげと眺めながら朱鷺子は我が身を省みる。ついでに日頃の己の言動を思いおこしていくにつれ、つくづく自分は可愛さとは無縁なのだと、失望を通り越して我が事ながら面白いと感じずにはいられなかった。

 もし、朱鷺子のこの内心の葛藤(?)を知れば、それを否定するであろうファンはそこら中に転がっている。

 彼らは力説するだろう。

 藤枝朱鷺子という存在が可愛くある必要はないのだと。

 彼女の魅力は、孤高で美しく、冷静沈着でミステリアスなところにある。そこらへんに転がる可愛らしさを売りにする女の子が束になっても敵わない程の魅力に満ち溢れているのだ…と。

 だがしかし、そんなマニアックな己のファンの胸の内など知るよしもない朱鷺子は、人並み以上に可愛い純平がちょっぴり羨ましいと思うときもある。本当に滅多に無いことではあるけれども。

 朱鷺子だって思春期の女の子。いくら似合わなかろうと、孤高で冷静沈着に見えようと、ミステリアスと言う言葉がベストマッチと言われようと…一皮向けば可愛いものも甘いものも大好きな一人の乙女にちがいないのである。

「トキコ…さん?」

 名前を呼ばれてはっと我にかえる。

(いかんいかん。また己の内面世界へトリップしていたようだ)

 一人っ子のせいか、それとも元々の性格がそうなのか…朱鷺子は考え事をしていると、ついつい深く考え込みすぎて周りが見えなくなってしまうことが多々ある。

 年下の幼なじみが、心配そうに朱鷺子の顔を見上げていた。

 その憂い顔を安心させるようにチラリと微笑む。

 ただそれだけの事で、小動物のような瞳が本当に嬉しそうに輝くのだった。

 手を伸ばし、寝癖のついた柔らかな癖っ毛をくしゃりと撫でた。

「心配してくれたのか?まったく、可愛すぎるぞ」

 満面の笑みで言うと、何が気に入らないのか頬を膨らませた純平が答える。

「可愛いは、男にとって誉め言葉じゃないよ!」

「そうだったか?でも本当の事だぞ?」

「うれしくないよ!どうせなら、カッコイイとか男前とか言ってよね」

 そんな言葉も、すねた態度すらも可愛くて、つい笑み崩れてしまう。

「ニヤニヤして!そんなトキコさん、カッコよくないよ」

 とうとうそっぽ向いてしまった横顔を見つめながら、こんな生き物が家に一人いたら退屈しないだろうなぁなんてことを考えていると、

 ぐ―…

 また、腹の虫が騒ぎだした。音に元気がなく、ほんの少し哀しげである。

(よしよし。お前の事を忘れていたわけではないんだ。機嫌をなおせ。もうじき旨いものを食わせてやるからな)

 腹に手をあて、心の中で話しかけていると、

「お腹、すいてるの?トキコさん」

 純平がまたしても心配そうに見上げてきた。

「むぅ」

 と頷いて、朝起きてからの出来事を簡潔に話して聞かせた。

「さ、咲子さんらしいね、それ」

 大いに笑い、涙をぬぐいながらの言葉。

 あまり同情の感じられない言葉に、今度は朱鷺子がむくれる番だ。

 むむっと眉間にしわを寄せた幼なじみを見て、少年は微笑みながら手をのばす。

 ちょっぴり背伸びして、ドキドキしながら、綺麗な顔の眉と眉の間を指先でさすった。

「怒らない、怒らない。トキコさんは笑った方が可愛いんだから」

「…それは笑わなければ可愛くないぞと、暗に伝えているのか?ケンカなら、いつでも買ってやるからはっきり言え」

 まるっきりすねた口調。そんな彼女を愛しそうに見つめ、微笑みを深くする。

「違うよ。普段も可愛いけど、笑うともっと可愛いってこと。…ほら、機嫌を直して、一緒に花見に行こうよ」

「私は一人でも構わない。むしろ、一人の方が気楽だ。…お前と一緒だと、何か良いことでもあるのか?」

「あるよ」

 片眉をあげ、問いかけるような表情の朱鷺子に向かってにっこりと笑う。

「お腹すいてるんでしょ?今日はいい事があったから僕がなんでもおごってあげる…っていうのはどうかな?」

「な、なんでもか?」

「うん。なんでも」

 きらきらと輝きを増す切れ長の瞳。

 ごくり…と少女の喉が生唾を飲み込む音をたてた。

 悪戯っぽく、可愛らしく、純平は朱鷺子の瞳を下から見上げる。

「行く、でしょ」

「…行く!」

 じゃあ、決まりだ…とばかりに、純平の手が朱鷺子の手をとる。ドキドキしながら握った手だけど、まったく恥ずかしがりもせずに平然とそれを受ける朱鷺子の様子に、ぜんぜん男扱いをされていないなぁと改めて感じる胸のうちはなんだか切ない。でも純平はキリッと顔を上げ、

 (いつかきっと、トキコさんをドキドキさせてやる)

 そんな可愛らしい野望を抱く。

 繋いだ手にぎゅっと力を入れて、誰よりも好きな横顔を見上げる。すると、その横顔がこちらを向いて、ただそれだけで心が通じたような気持ちになって、なんだか嬉しい。

 視線が重なる。

 二人は、どちらからとなく微笑んだ。

 

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