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私は彼に問いかける。

「――ところできみ、いつ帰るの?」

 一週間ほど経った頃、「もう食料がない」と嘆いている昊に向かって問う。

「どこが家か知らないけど、そろそろおうちの人、心配してるんじゃない」

「そんな、家出少年じゃないってば」

「身の回りの世話してくれるのはありがたいけどさ、きみ付き人でもないんだし。帰りの交通費ないなら、出してあげるよ」

「失礼な。それくらい持ってるよ」

 昊はムキになって革の財布を見せる。手触りのよさそうな、シンプルなデザインだ。

「帰り方がわからないなら途中まで送ってあげようか」

「子どもじゃないってば」

「そういえばきみっていくつ?」

「一八歳。多分」

「へぇ、二つ年下。子どもじゃないの」

「ろくに料理も掃除も出来ない人に、子ども扱いされたくありません」

 反撃にあい、ぐっと詰まった。

「たまたま贈答品とかがあったから肉とか調味料とか助かったけど、冷蔵庫に酒とつまみしか入ってないのは驚いたよね」

「あー……その贈答品のレトルトも全部なくなっちゃったのね」

 何日か前に昊に言われてスーパーには行ったけれど、周囲の視線は気になるし、料理をしない私はそもそも何を買えばいいのかわからないしで、たいして買わずに帰ってきてしまったのだ。

 どうしたものか。なるべく外に出たくない。何か言いたげな、人々の視線が怖い。

 マネージャーの井田(いだ)さんが一日に一度、調子はどうかと電話をくれるので、その時に食材を頼んでみようか。でも家に上がってこられてもまずい。昊の存在に気づかれる。

 思案していると、「僕が行こうか」と昊が手を挙げた。

「帽子をかぶれば、彩羽と勘違いしてくれるんじゃないかな?」

 ……そうかもしれない。

 ちょっと思いついて、自分の部屋からカツラを持ってきた。胸のあたりまである長さで、今の私と同じくらいだ。それを面白がって昊にかぶせた。

「うわぁ」驚いた。「……いいじゃん、行っておいでよ。絶対にばれっこないわ」

 昊を送り出したあと、私は鏡をのぞきに行った。腕をさすった。鳥肌が立っている。

 クローンって、あんなに似るもの?

 一卵性の双子だってどこか特徴があって、全く瓜二つってわけじゃない。しかも私と昊は性別の違いがある。なのに、鏡に映った自分を見ているようだった。

 ほかのクローンを見たことも聞いたこともないので、確認しようがないのだけど……。

 昊は相変わらず、自分の素性について何も語らない。雑談のついでにポロッとこぼさないかと、それとなく誘導してみたりするのだが、肝心なところはガードが固い。

 昊がいい子だということはわかった。人間性を疑ってはないけれど、彼は――そもそも、何なのか、という疑問がついて回る。そこを考えるなというのは無理な話で……だって、私のクローンだよ? 私の細胞を使われているんだよ? 大体『博士』って何? あからさまに怪しい。きっと、動物実験とかばんばんしている怪しい裏企業がクローンを大量生産して世界を征服しようともくろでいるんだ。昊はその内の一人だけど失敗作だから結構自由が利くんだろう。

「大量生産したクローンは戦士として使える。まず初めの狙いは国会議事堂? ホワイトハウス……? いやいや、でもクローンって人間よね。世界征服ならロボットとか作った方が生産性あるわよね」

 ちょっと待って、この妄想飛び過ぎている。一旦リセットしよう……。

 ちょうどその時、鍵が開く音がした。

「ただいま」

 ただいま、だって。

 私のクローンが帰ってきた。なんだかくすぐったいような感覚だ。

「すごいよ、誰にもバレなかった。それどころか元気出してねっておばさんたちに励まされちゃったよ」

 昊はいくらか興奮気味で話す。「みんな気軽に声かけてくれるんだね。音羽さんのファンだったって、ちょっと泣いてくれた人までいたよ」

「そう。買い物楽しかった?」

「楽しかった。僕スーパーとか行ったことなくて。でもちゃんと前の人のを真似して会計も出来たよ。ドキドキした」

 買い物に行ったことがない?

「え……、じゃあ今までどうしてたの?」

「母親代わりの人が一人いて、その人がいつも行ってた。僕の存在は知られちゃいけないから。料理はさせてくれたけどね。家の中でなら、何をするのも自由なんだ」

「ということはその人と昊と博士で三人暮らしなのね」

 私の誘導に、昊は笑顔のまま無言で買ってきたものをてきぱきと冷蔵庫に収納していく。 

 あ、正解っぽい。

「まさか外にも出たことがないの?」

「外は、あるよ。家は森のずっと奥の方だから。森林浴は毎日やってたよ。だから結構健康体」

 私にしたら、そっちの生活の方がすごい。しかし。

「存在を知られちゃいけないものを、どうしてわざわざ作ったわけ、その博士は?」

「んー、どうしてだろうね? 趣味なんじゃないかな」

 また躱された。

「壮大な趣味ね。お金持ちなのね」

「お金持ちなのかなぁ……結構あくせく働いてるけど」

「へぇ、大学で?」

「違うよ」

「じゃあ企業の研究室か」

「言わないよ」

 収納を終え、ドアを閉めた昊は笑いを堪えながら振り返った。「釜かけてるの?」

「だってさぁ、普通知りたいものでしょ」

 私は半ばふてくされて言い返す。「昊は私のことを知ってるのに、私は何も知らないのよ。それってフェアじゃないよね」

「ええー……。そんな、世間一般の人が知ってることくらいしか、僕も知らないよ」

「親の七光りの二世俳優で、昔はそれでも子役として名を馳せたけれど、今はスランプ中。その上母が死んでしまって、後ろ盾がなくなって、めっきり姿を消してしまいました?」

「やめなよ」

 昊が顔をしかめた。「きみには実力がある。音羽さんと共演してた初めての舞台、とても感動したんだ」

『嵐が丘』

 エミリー・ブロンテ原作の、ヒースクリフとキャサリンの激しい愛の物語だ。私はキャサリンの少女役を、母は大人時代を演じた。私が十歳の時。最初で最後の共演だった。

「で、再来月公演予定の『嵐が丘』にも出演するんだろ? 今度は大人のキャサリン役で」

 有名な演出家の代表作の一つ。私は厳しいオーディションを勝ち抜き、主役の座を得た。 

 この舞台を成功させれば、私は一流役者の仲間入りだ。母のネームバリューに縛られず、私個人として活躍出来るかもしれないという期待もあった。

 だけど私は始まったばかりの稽古に参加していない。いよいよ顔合わせ、という時に母が死んでしまったから。今は制作側もそんな私の事情に考慮してくれているが、そろそろ出ないとまずいという自覚はある。

 あんなに必死にオーディションにのぞんだはずなのに。主演が決まった時、これで長年のスランプから抜け出してやる、この役に食らいついてやる、と、命を懸ける覚悟までしたはずなのに。

 ほんの少し前、私の未来は輝いて、野望に満ち溢れていたのに。

 母がいなくなった途端、憑き物がストンと落ちたように、何にもやる気がなくなってしまった。

「だってまだ一週間だよ。僕には母親がいないけど……大事な人が亡くなったら、立ち直るのにとても時間がかかるって本で読んだよ」

「でも普通の人は、そこを堪えて仕事に復帰するものなの」

 元の日常に戻り、日々の生活に追われていく。それを繰り返しながら故人との思い出を整理し、悲しみや寂しさから立ち直っていく。

 なのにそれが自分には出来ない。

 キャサリンを演じることで、母に一歩近づける気がした。昔母が演じたキャサリンは、ほかの共演者を凌ぐ、圧倒的なオーラを放っていた。舞台の袖でそれを見ていた子どもの私は、いつか母のようになりたい。叶うなら母より素晴らしい演技がしたい、と強く願うようになった。

 ああ、そうか。

 目標がいなくなってしまったから。だからこんな虚脱感に襲われているんだ。ずっと母の背中を追いかけていた。それがなくなって、途方に暮れているんだ……。

 突然口を閉ざし、自分の迷宮に入り込んでしまった私を昊は無言で見つめていたが、突然、

「じゃあヒントだけ」と言った。「『あしながおじさん』と陰で呼ばれていたよ」

「は?」

 ……ああ、『博士』のヒントか。

 すっかり忘れていた。

「匿名で子どもに援助でもしていたの?」

 孤児の少女が、毎月手紙を送ることを条件に、大学の奨学金をある資産家から受けるという話だ。少女はその資産家を『あしながおじさん』と呼んでいた。

 昊は、それ以上の問いには答えなかった。微笑んで、「ご飯にしようか。やっとちゃんとした料理が作れる」


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