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私は彼と森を下りる。

また薄暗い木々の間を縫いながら、冷たい空気を掻き分けていく。足元が悪く、滑ったり躓いたりするたびに、昊が腕を引き上げてくれた。

「一時間ほどで降りられるから。もう少し頑張って」

「どこへ行くの?」

 私が聞くと、昊は振り向いて「病院へ行かなきゃ」と言った。「頭の怪我、博士にやられたんだろ?」

「うん……」

「まさか彩羽にまで手を上げるなんて……ごめん」

 昊が謝ることじゃない。私は首を振った。そんなことはどうでもいい。

「私のことは大丈夫。もう血も乾いてきてる

したいしたことない。東京に帰ろう」

「いや、でも……」

「昊の方が心配なの。たくさん怪我してるよ

ね」

「研究室に入ったと見せかけて、すぐに裏口から出たんだけど……あの爆発、威力が思ったより強くて。避けきれなくて」

 頭にかぶっているガラスの破片を払いながら、何故か照れたように言う。「吹き飛ばされて、木にぶつかっちゃった」

 怪我の程度が心配だ。すぐ病院に連れて行きたいが、この傷……どう説明すればいい? 東京に帰って、宇野に診て貰うのが賢明だろう。宇野にすぐ退院して貰わなきゃ。今から飛行機をとって……。その前にホテルに帰って、着替えさせて……ああ、時間がかかり過ぎる。服も買いにいかなきゃならない。そうだ、春哉。春哉に買いに行って貰って……。

 ぐるぐる考えている間に、辺りがどんどん暗くなっていく。

「今日は天気が悪いから……ここらは曇ると、真っ暗になるんだ。……少し休もうか」

 昼間のはずなのに、まるで夜だ。私たちは手探りで大きな石だと思われる所に腰を降ろす。苔が生えていて、じっとりしている。

「疲れた?」

「うん、普段の運動不足がたたってる」

 冗談のように言ったが、結構真剣に足がガクガクしている。でもあと少し、気合で進むしかない。

 繋いでいる手が氷のように冷たい。昊の方が調子が悪そうだ。早くホテルに帰って、何か暖かいものを食べさせて、ベッドで眠らせてやりたい。

「――今頃、博士捕まっているかな」

 隣でぽつりとつぶやく声。

「そう……かもね」

 先ほどの紫永の様子だと、抵抗する気力もなさそうだった。「悲しいの?」

 今まで世話になった人だ。父親みたいなものだと言っていた。思い入れは当然あるはずだ。

「どうだろう、悲しいのかな? ……よくわからない」

 それからは喋るのも疲れてしまって、二人で座ったまま、少しうとうとしてしまった。なんとなく体力が戻ると、また歩き出す。

 手を引かれ、暗い森を歩いていると、進んでも進んでも出口のない迷路を永遠に彷徨う錯覚にとらわれた。

 出口なんてなくていい。

 いけない、と自分を叱咤した。また後ろ向きなことを考えて現実逃避しようとしている。 

 私は昊と生きていくんだ。昊と一緒に外を歩く。必ず。

 もう二時間以上はゆうに経っている気がするが、まだ森から出られる気配もない。昊の息が荒くなっている。体力の限界かもしれない。もともとやつれていたのに無理をしているからだ。

「昊、背中に乗って」

「え」

「おぶっていく。方向だけ指示して」

「何言って……無理だよ」

「大丈夫、さっさと乗れ」

「乗れって……彩羽、女の子なのに品がないよ」

「えっ、そこ今注意すること? 早くしなさいよ」

「やだよ」

「私お腹すいてるの。何かがっつりしたものを食べたいの。だから早く乗って」

「がっつりしたものって?」

「お肉だよね。肉ならなんでもいい」

「……いいねそれ」

「でしょう。早く帰ってたくさん食べよう。後のことはそれからゆっくり考えよう」

「うん」

「また昊のカレーも食べたい」

「うん」

「美味しかったね」

「うん」

 何故か胸がいっぱいになったので、それ以上は言えなかった。本当は、これからも一緒にいてね、と言いたかったのだけど。

 口から出すと泣いてしまうとわかっていた。今泣くわけにはいかない。

 結局背負わせてくれず、手を繋いだままおぼつかない足取りで進み続ける。

 前方から、小さな光が見えた。

「――なにあれ?」

 光はチラチラと動いている。人だ、とわかった。誰かが、懐中電灯で照らしながら山を登ってきているのだ。

 誰? まさか警察?

 昊の手をぎゅっと握った。すると昊は「大丈夫」と囁いた。「一人のようだ。警察じゃないよ」

 何かを探している様子で、懐中電灯の光はせわしなく左右を行き来している。その動作で、なんとなく誰か見当がついた。

「春哉」

 突然私に呼びかけられた前方の人物は、「ひぇっ」とあからさまに驚いて、キョロキョロした。

「彩羽! びっくりするだろ! ……げ、そっくり」

 私たちを見比べて抗議しようとした口が、あんぐりと開いたままになった。ちょっと面白い。

「あ、は、はじめまして。俺は彩羽とは母親が違う兄妹でして……」

 なに緊張してるんだろう。私の初対面の時と全然反応が違うじゃない。

 だが昊がそれに答えることはなかった。ぐらり、と頭が揺れた直後、昊の体は春哉に倒れ込んだ。

 まるで安心したように。

 慌てて抱き留めた春哉は、気を失った体を背負いながら私を睨む。

「どういうことか説明して貰うぞ。その前に文句言わせろ。あれだけ待ってろって言ったのにお前は……」

 その後、山を下りるまでずっと私はくどい説教を聞いていなければならなかった。

「――ところで、どうしてあの山がわかったの?」

 さっきまでの経緯を説明し終わった後、公道に出て春哉が呼んだという車を待っている間、疑問に思って聞いてみると、春哉は自慢げに「知りたいか?」とにやにやした。

「うわ、そういうやりとり面倒なんだけど」

「お前、ほんっとーに可愛くないよな。……まぁいいよ、もうすぐわかるから」

 さっさと教えてくれたらいいのに……。不満だったが、迎えの車が来て、運転手の顔を見た瞬間、今度は私が驚く番だった。

「――宇野!」

 頭に包帯を巻いた宇野が軽く右手を上げる。

「よう、お疲れだな」

「どうしてここが? どうして春哉と……」

「居てもたってもいられなかったってヤツだ」

「無理矢理退院したのね」

「問題ないし。お前が突然電話切ったから、同級生に電話して山の場所を聞いた。で、とりあえずお前と同じホテルをチェックインしたわけだ。そしたらロビーでオロオロしてウロウロしてる青年がいるじゃないか。どうしたんですかと声を掛けたら、連れが行方不明だと。どうもお前から聞いた春哉って青年ぽいなーと思ってお前のことを話したら、一緒にこの山に探しに行きましょうってなったんだ。それでレンタカーを借りてな。あ、運転は彼がしてくれた。でも俺だって今見た通りちゃんと運転出来るんだぜ。左腕と左足を骨折していても、右手右足を使ってだな……」

「よく喋るね」

 いつもにも増して。

「おう。おそらく興奮してるんだ。一度目撃しているはずなのに、こうして目の当たりにしても、まだ信じられん」

 後部座席に、気を失ったまま横たわる昊をまじまじと観察しながら言う。「紫永が……作ったんだな」

「怪我してるの。診て欲しいんだけど」

「わかった。応急処置してから東京に帰ろう。ちゃんと検査した方がいいだろう」

「え、今日もう帰るんですか」

 春哉が聞いた。

「そりゃ、早い方がいいだろ」

「でも、この子が目を覚まさないことには、連れていけないでしょう」

「そこは体調が悪いとか誤魔化して……」

「まぁそれでもいいと思うんですけど。実は俺、この近くのモグリの医者を知ってるんです。連絡したら診て貰えるんじゃないかと思って」

「ん? もしかして(まさ)()さんか?」

「そうです! ご存じでしたか」

「俺の大学時代の先輩だよ。モグリだってのは俺らの間じゃ有名だ。へぇ、この近くだったのか……。しかしお前がどうしてモグリの医者なんか知ってるんだ」

「それはそれ、いろんな会社と関わっていますからね、それなりに噂は回ってきますよ。僕は実際会ったことはないですけど。場所くらいは知ってます」

「ふうん、じゃあ道案内してくれ。あ、違う、運転してくれ」

 話し合いを終え、春哉が運転席に、宇野は昊の傷の具合を診るために後部座席に移った。  

 私が助手席に座ると、春哉はすぐに車を発進させる。よかった、もう大丈夫だ――。安堵すると、途端に眠気が襲って来た。抗おうとしたけれど、車の振動の心地よさに勝てず、いつの間にか眠ってしまっていた。

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