彼を作った男。
行こう、と手を引こうとしたその時。
「そうして、次は彩羽さんに庇護して貰うつもりなのかい、昊」
ビクリ、と振動が直に私の手に伝わった。
昊の背中の向こう側、リビングの入り口に人影が見える。
「なんだ、電気も点けないで」
という声とともに、シャンデリアが明かりを放ち、人影を照らした。
想像していたよりずっと若い。白髪で、げっそりと痩せた顔の皺はそれなりの年齢を感じさせたが、何故だかよぼよぼのおじいさんを想像していた私は、宇野の同級生だということを今更思い出した。どこもかしこも細く、宇野とは対照的。眼鏡の奥、私を観察している真っ黒な瞳は、失礼だが虫を連想させる。そしてびっくりするほど手足が長い。こじんまりとした顔、胴体の小ささのバランスからすると異様なほどの長さだ。
杖を突いている。細長い足は今にも折れそうだ。
私は昊から離れ、一歩前へ進み出た、
紫永博士は、私の数歩手前で足を止め、意外と高い声で挨拶した。
「初めまして。漣彩羽さん」
「……初めまして。紫永博士ですね」
こうして対面しても、表情からは何も読み取れそうにない。しかしどうしてこの家に住んでいる者は揃って顔色が悪いのだろう、日の光を浴びたことがあるのだろうか、とどうでもいいことを考える。
「よくここがわかりましたね。昊にはここのことを洩らしてはいけないときつく言ってあったのですが……」
「運が良かっただけです。ある人――こちらで臓器の移植を受けた人に偶然出会い、その人の話から、この場所を推測して辿り着けました」
「……その人とは?」
「それは言えません」
「……まあいいでしょう。その人はお元気でしたか」
「はい」
「それはよかった。私も医者の端くれなので、患者さんが退院後元気でいてくれれば、嬉しいです」
「こちらで、臓器移植の手術をしているんですね。何故そんなことを? 研究のためですか? 紫永さんは何の研究をされているんです? クローンですか?」
「……そんなに一遍に質問されても答えられませんよ。私に答える義務もないですしね」
緩慢な動きで、木製のロッキングチェアに深く腰かける。「失礼、足が悪いもので」
「では一つだけ、教えてください」
私が言うと、紫永は背もたれにもたれかかりながら、上目遣いに私を見つめ返した。
「なんでしょう」
「どうして昊を作ったのか、聞かせてください。私には聞く権利があります」
背後で昊が息を呑むのがわかった。
「――そうでしょうか」
思いがけない返答だった。紫永はゆったりと椅子に揺られながら、「もしあなたに熱狂的なファンがいて、あなたと等身大のパネルを買ったならどうします? どうしてそれを買ったのか教えてくれ、などと?みついたりしますか?」
「それは屁理屈というものでしょう」私は思わず見下ろす形で睨みつける。「そのファンと紫永さんは同じだというんですか? 同じ気持ちで、クローンを作ったと?」
「そうです」
そうです、って……。
呆れて二の句が継げずにいると、昊との会話が思い出された。
何故クローンを作ったのか、という問いに、昊は「趣味じゃないかな」と答えた。あれは――嘘ではなかったんだ。
本当にそんな理由で、倫理観を無視してクローンを作ってしまうなんて……。
「そんなことのために……宇野を脅して……」
「ちょっとした冒険のつもりだったんですよ。ちょっと宇野に我儘を聞いて貰って、本気のお遊びというヤツですね。成功するなんて、思ってもみなかった」
「母のファンだったんですね?」
「そう、本当にただの一ファンだった。ドラマや映画、演劇のビデオを観て喜んでいる、ね。だからたちばな病院の産婦人科に極秘で通っていた時は、私だけでなく、スタッフ皆が夢心地で毎回遠くから眺め、噂し合ったものです。テレビなんかより美しい、綺麗な声をしている、物腰に品がある……結婚もしていないのに、どうしてわざわざ妊娠を望んでいるのだろう、とか。お相手の男性はいつもマスクとサングラスで顔を隠していたし、カルテも担当医以外見れないようになっていたから、そんなところも好奇心を引きました。院長と繋がりの深い人物なんでしょうけどね。結ばれることは出来ないが、二人の愛の形を残すために体外受精までして――音羽さんの卵管に問題があったらしい――産まれてくる子はどれだけ幸せな子だろうかと、感動したものです。そんな時、めでたく妊娠したという。私も嬉しかった。そして一般の産婦人科に移っても大丈夫となり、東京の病院で出産すると聞いた時は正直がっかりしました。ああ、もう会うことはないのだな、と。そして来院最後の日……診察を終えた彼女が待合室に行く途中足がふらついたところを、通りかかった私が偶然支えたんです。彼女が『すみません』と言ったので、私は『おめでとうございます』と勇気を出して言いました。彼女は少し驚いた様子だったがすぐに『ありがとうございます』と、はにかんだ。その顔は天女のようで――私は生涯、この笑顔を忘れることはないと確信しました」
これは何なんだろう。
私は母の一ファンの、思い出話を延々と聞いていなければならないのか?
白けている私をよそに、紫永の独白は続く。
「私が『東京の、どこの病院でご出産されるんですか』と質問すると、『鳴海病院です』と答えてくれた。素直で、人を疑うということを知らない人なんだな、と更にに好感を持ちました。涼やかで気品があって、穏やかそうでいて、でも芯は強い……私が思い描いた通りの女性だ。その時初めて、私も彼女の子どもが欲しい、という欲求が湧いたんです。勘違いしないで欲しいのだが、私は彼女に指一本触れたいと思ったことはないんですよ。ただ、彼女がこれから産む子どもと同じような、美しい子どもを私も欲しいと願っただけ。そこで思い出してこう言いました。『私の大学の同級生がその病院にいます。宇野という男なんですが』彼女はびっくりして、『私の友人です』と言う。そこからは宇野の話で盛り上がって――あんなに楽しい会話をしたのは生まれて初めてだった――彼女が帰った後、私は宇野に電話で、赤ん坊が産まれたら細胞を送って欲しいと頼みました。送られてきた細胞は大事に保存しました。私の宝物だった。いずれ人のクローンを作ってみたい、という夢は昔から持っていたものの、すぐにどうこうするつもりはなかった。まぁファンのコレクションの一つ、という感覚です。そんな中、私は精神のバランスを崩してしまい、病院を去ることになった」
思い出に輝いていた瞳がすっと細められる。これから、あまりよくない話の展開になりそうだ。
「自宅で抜け殻のように日々を過ごしていたある日、クローンの研究に専念出来るということに気づきました。私は自宅を売り払い、山に引きこもることにした。ここはもともと研究者だった祖父が建てた古家で、研究も可能な造りにもなっていた。多少改築はしましたがね。研究に没頭していると嫌なことも忘れられた。当時、私に好意を寄せていた看護師の千代香が立ち寄るようになり、私が協力を求めると、面白い実験ね、と乗ってくれました。千代香は今では考えられないほど明るく、世話好きの人間だったんです。――そう、実験。我々のやっていることは、あの時点ではお遊びに過ぎなかった」
紫永は昊に視線をやった。「まさか個人でやっていることが、そう簡単に成功するだなんて、誰も予測しないでしょう?」
それはそうだ。宇野ですら失敗するとふんで、私の細胞を送り付けたのだから。
「……だが千代香は出産した。我々がどんなに狂喜したか、わかりますか。何度も音羽さんがきみを抱いて退院するワイドショーの録画を繰り返し観ましたよ。どう見てもそっくりだった。ただひとつ、染色体の異常で、男になってしまったこと以外は」
言葉に口惜しさが滲み出た。私も昊へ目をやった。陶器のような顔色はさらに青白く、無表情だった。
「宇野にはクローン実験は失敗したと便りを出しました。まさか成功したとは言えなかった。――これですべてですよ。昊が作られたいきさつは」
一人のファンの、ほんの悪戯心で出来てしまった子だったなんて……。そんな軽いノリで、クローンは作られたのか。
「……それで? 『昊』という名前を与え、人として育て、これからどうするつもりなんですか?」
「女の子だったらね……、花のように慈しんで育て、この山で私と二人、穏やかに暮らしていけたでしょうね」
なにそれ。
私と同じ顔した女の子が博士と仲睦まじく寄り添う光景を想像した。――吐き気がするんですけど。
私は背後にいる昊の手を、後ろ手でぎゅっと握る。
「責任が持てないなら、軽々しく命を作り出すなんてこと、すべきじゃないんじゃないですか」
「責任は持っていますよ。こうして家において面倒みてやっている。他にどうしろと?」
「紫永博士がいなくなった後のことを考えたことがありますか。昊が一人で生きていく術を、博士は教えたことがあるんですか」
「……それはあなたに関係のないことだ」
さすがにムッとしたのか、会話を断ち切られた。けれど私の方もそこで引くわけにはいかない。
「まったく関係がないことはないと思いますけど。でも博士のお考えを聞くまでもないですね。私は昊を連れて帰るつもりで、ここに来ました」
「昊は承諾しましたか」
「さっきの会話、お聞きになっていたのでしょう」
「昊。――どうなんだ」
博士と私に挟まれて、戸惑ったように昊は顔を巡らせた。
「僕は……」
「お前は彩羽さんの元へ行き、普通に暮らせると思っているのか。人目を気にして、外にも出られず、狭い部屋で一生を終えるのか。私がお前の頼みを聞いて東京に行くのを許したのは、そういう事実を身をもってわからせるためだったんだがな」
まるで馬鹿な子に常識を言い聞かせるような見下した言い方に腹が立った。さっきから見ていれば、特に親しみを感じさせる態度でもない。
昊はいつもこんな態度で、こういう言葉を投げつけられていたのか。ただ私と性が違うだけで? 女なら、もっと可愛がられていたというのか……。
「そんなにたいした問題でもないでしょう。他人の空似と言うことだって出来るし、親戚だと偽ってもいい。顔が瓜二つだからというだけで、一生部屋に閉じこもらなければならないということにはなりません」
「ここを出て、その後どうする? 戸籍もなく職にもつけず、結局はあなたに寄生することになる。広い世界に出られたとして、初めはたくさんの興味を引かれるでしょう。だが彼はそれらを眺めているしかないんですよ。その煌びやかな世界に入り込むことは出来ない。結局は疎外感で、苦しむのは昊自身だ。なら初めから目に蓋をしておいてやるのが、親心というものではないですか」
「勝手な理屈ですね」
「では聞きますが、芸能関係者に昊の存在を気づかれたどうなります。漣音羽の娘に瓜二つの青年を放っておくとでも? それでなくても今はネットの時代だ。何がどう拡散するかわからない。昊の素性を誰にも突き止められないという自信があると? 現にあなただってここまで来られた。万が一の時、絶対に護れるという確証は?」
つい反論したら何倍にもなって帰って来る。苦手なタイプだなぁ……、とこっそり溜息を吐いた。宇野もこの調子でやられて、さぞかし辟易しただろうな。
そうだ、宇野……。
「まるですべて、昊のためのような言いようですけれど、結局はご自分のためではないんですか。クローンの存在を知られるのがまずいのは紫永さんなんですから。東京へ行かせたのだって、昊のためではなく、宇野を殺して貰いたかっただけなんでしょう」
「別にそういうわけではありません。彩羽さんに会いに行くのなら、宇野を探し出して殺して来てくれと頼んだだけです。ただの交換条件だ」
すごい交換条件だ。私に会いに行かせることと、殺人がこの男の中では同列に並んでいるのか。
「何故そんなことを? 宇野を殺そうとする理由がないように思うんですが」
「ありますよ、音羽さんを殺した」
「……なんですって?」
あまりの脈絡のなさに、開いた口が塞がらない。
「亡くなる二カ月前、音羽さんが倒れ、心臓の病気が判明したとニュースでやっていたました。移植すれば治る病気だった。私は宇野に連絡を取りたかったが、電話番号も住所もわからなくなっていました。旧友にも聞いて回ったが……。そうこうしている内、音羽さんは亡くなった。彼が番号を変えさえしなければ、私は音羽さんを助けることが出来たのに」
助けることが出来た……?
「違法の臓器移植を商売にしているから……母にあてがう心臓があった、ということですか」
「そう」
短い返答。
冷たい。
後ろ手に、握っている指が、どんどん冷えていく。
「…………」
私は恐る恐る振り返る。昊は私の視線を、じっと受け止める。
まさか。
「まさか――、昊の心臓を、母に移植するつもりだった、なんてこと……ないですよね?」
「何故ない、なんてことを考えるんです。その通りですよ、彩羽さん。さすが聡明ですね。音羽さんの娘なだけある」
否定して欲しくてわざわざ口に出したのに、あまりにも軽い肯定に、何度も頭の中で、今聞いたセリフを反復した。
昊の心臓を? 母に?
昊は健康体なのに?
母の病気を助けるために? 元気な昊を殺して? 心臓を取り出して?
「あなた……狂ってる」声が震える。でも言わずにはいれなかった。「どうして自分で作り出した命を……」
「あなただって自分の母親が助かるなら、心臓を移植させてやりたいと願ったはずです」
「当たり前でしょう!」カッと、頭に血が上った。「正当な手続きを踏んで提供して貰えるのなら、絶対にそうするわ! でもあなたのやってることは違う! 違法な商売に手を染めて、せっかく産みだした命を奪うって? 母はね、潔白な人なの。そんなことをしてまで助りたいなんて望む人じゃない!」
怒りで体も震えだした。人に言えないような手術を受けさせようとしていたなんて、母が汚された気がした。
紫永は声を荒げた私を、さすがに驚いた様子で見上げている。
ザトウムシ、という単語が頭の中に突然浮かんだ。
昔テレビで観たことがある。細く長い足で前方を探り、ゆらゆら揺れながら歩く、独特の動き回る姿に気味悪さを覚えた。岩陰に住み、死んだ虫を食べていた。
この男にそっくりだ。『あしながおじさん』は原題で『Daddy Long legs』――ザトウムシのことを言う。千代香は、紫永の苗字だけでなく、意外とこういう意味であだ名をつけたのかもしれない。
「大体、連絡がつかなかったからって宇野に八つ当たりするなんて筋違いにも程がある。しかも昊を殺人犯にしようとして……たまたま運よく助かったからいいものの、あなたに良心はないんですか」
悲しくて仕方がなかった。涙が出そうになったが、この男の前で絶対に見せたくない。
「……私は、私の可能な限り、力を試そうとしただけだ」
紫永はふいと目線を逸らし、窓の方に顔を向けた。「私にも探求心や向上心があって、そこに向かうには金がかかる。自分に出来る技術やコネを模索した結果、臓器移植に辿り着いた。これなら人々の役に立つ。それで技術を磨いて――自分の大事な人の一大事に、一番適合する可能性の高いレシピエントを使って命を助けられるなんて、こんな幸福はないと思っただけなんだ」
「そのあなたの幸せのために、宇野は大怪我をし、千代香さんは死んだというんですか。千代香さんはあなたの一番の協力者だったんでしょう。昊を産み、世話をし、臓器移植の勧誘をして、クビにまでなって」
「ああ……感謝していましたよ。たまに昊に会いに来て、母親のような愛情を与えていた間は。だがここに居つくようになってから変わってしまった。徐々に頭がおかしくなり、昊が傍にいることだけが生きがいになっていった。無理があったんでしょう。自分とはまったく別の遺伝子を持つ子どもを産み、育てるということに。初めは母としての愛情だったんでしょうが――昊が成長するにつれ――まるで恋人を見る目つきだな、と思ったことがあります」
それはわかる。
あの、私を見据えた狂気じみた目――嫉妬や憎しみ。とられまいとする焦りや苛立ちが混じりあった、暗く、鈍い光。
「――昊が東京に行ったことを知った千代香は毎日毎日、私に呪いの言葉を吐きました。私はすぐに帰って来るからとにかく待て、と言うしかありませんでした。だが私には研究があるが、彼女には昊の帰りを待つこと以外何もなく、我慢は限界に達し、ある日この家から姿を消しました。迎えに行ったのだな、とわかりました。――数日後、帰ってきた千代香は昊には会えたが途中で撒かれたと大層怒っていた。私は『嫌がられているんだろう』とうっかり口を滑らせてしまったんです。千代香は『そんなはずはない、昊を産んだのは自分なのだから』と反論した。どうしてわからないんでしょうね? 昊には千代香への愛情などこれっぽっちもないというのに。産んだだけで無条件に愛を返して貰えると、どうして思い込めるんでしょう? 私には不思議でたまらない。すると千代香は許せない言葉を投げつけてきた。『あんたなんか愛する人に存在すら知って貰えないままだったじゃない。裏でこそこそ遺伝子を盗んで勝手に子どもまで作って。気持ち悪い。そういうの独りよがりっていうの。ただのストーカーよ、あんたなんか』……」
その通りでしょ。
口を挟みそうになったが、また何倍にもなって返って来るのが面倒なので黙っておく。
この博士の独特の世界が満載の独白が、すべて終わるまで我慢しなければならない。
「しかし、それで千代香を殺したわけじゃないんです。あれは興奮した彼女が私に殴りかかってきたから思わず突き飛ばしたら、頭の打ちどころが悪くて死んでしまった」
「それで、昊に遺体を運ばせたんですね」
「困ってしまって。私は足が悪いから……」
まるで大きなゴミを捨てに行かせるような、軽い口調だ。
徹底的に?み合わないんだ。わかって貰おうとすることが、そもそも無駄なんだ。
「……だが、遺体は見つかってしまった。千代香の経歴を調べられ、じきに私のところにも警察が来るでしょう。――昊」
呼ばれると、昊は私の手からすい、と抜けて行った。そのまま玄関とは反対側の廊下に向かう。
「どこへ行くの」
呼び止めると、昊は前を向いたまま「さよなら、彩羽」と言った。
「どうして……」
「決めていたんですよ、千代香の遺体が見つかった時から」紫永はよろけながらゆっくりと椅子から立ち上がる。「捕まって、ここの家を荒らされて、研究内容を知られてしまうのはごめんだ。それならいっそのこと、粉々にしてしまおうと。昊、先に研究室へ行っていなさい。遠隔装置があるから。後で行く」
「……はい」
昊は振り返り、一瞬だけ私を見た。が、すぐに背を向け、真っ直ぐな廊下を歩いていく。私は慌てて後を追い、昊の腕を掴んだ。
「待って! どうして昊まで……」
「昊の存在を知られるわけにはいかないんだ」
背後から紫永の声が追いかけてくる。「戸籍もなく、出生の説明も出来ない。生きていても仕方がない子だ」
「何を……言うの!」
「さっきあなたは私がいなくなった後のことを考えたことがあるかと問うたね。考えている。私がいなくなる時は、昊も一緒にいなくなる時だ。私が責任を持って、連れていく」
そんなの責任じゃない。一度産まれてきた命を、自分の都合でなかったことにしていいわけがないんだ!
頭に血が上る。昊にしがみついた。
「私がどうにかするって言ったの、信じてないの? 諦めてしまうの? こんな男のいいなりになっていいの?」
昊は苦し気な表情で、私の両腕に手を添えた。
「博士が……どうしようもない人間なのはわかってる。だけど、僕にとっては父親みたいなものなんだ。裏切るなんて、出来ない」添えた手は私の頬に移動し、優しく挟み込む。
「……彩羽と過ごしたあの二週間だけが、まだ僕の中でキラキラ輝いてる。楽しかった。あんな時間は初めてだった」
唇が触れた。
体が離れる。素早く昊の体は廊下の突き当り、外に面している、広い掃出し窓の外へ。
「待って!」




