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そして彼は家に居つく。

 朝食は梅干しのおにぎり。昼食はボロネーゼのパスタと野菜のスープ、夕食は鶏胸肉ステーキ。綺麗に皿に盛り付けてあり、テーブルにおしぼりまで出ている。

「お腹がすくとつまらないからね」

 料理の合間に掃除までやってくれる始末。換気扇なんて、この部屋に引っ越してから洗ったことがあっただろうか。洗濯機に向かおうとした時は、さすがに自分でやるから、と止めた。

「きみ、ウチに家事をしに来たの?」

「なんでもいいよ、彩羽の役に立てるなら」

「家事ロボットみたい。あ、家事クローンか」

「それもいいね。他にご用命はありませんか、ご主人様?」

 私が何を言っても、鷹揚に受け入れる。それがどう見ても嫌そうではない。

 私に会いたいという理由でここに来た、というのは嘘ではなさそうだ。

「――ところできみ、名前なんて言うの」

 クローンが働いているのを横目で見ながら、一日ソファでゴロゴロしていた私がそう聞いたのは、その日の夜だった。

(こう)。苗字はないよ。クローンだからね」

「どうしてクローンは作られたの?」

 あらためて質問する。

「さあ?」

「大体クローンって、私の細胞がないと作れないものだよね。いつ手に入れたの?」

「あれ? そういえばいつだろうね?」

「とぼける気?」

「そんなつもりはないけど」

「どこに住んでるの?」

「森」

「どこの?」

「北の方」

「言う気はないわけね」

「ないっていうか……住所を知らないや」

 のらりくらり躱されているのか、本当に無知なのか。

「じゃあ博士の名前教えて」

 そこから調べてやる。

「うーん。博士の素性は喋るなって言われているんだよね」

 だろうね……。いけないことをしてるんだし。

 質問も手詰まりになってテレビを点ける。ワイドショーが母の葬儀のことをやっていた。有名な監督、俳優が弔辞を読み上げている。

「あ、彩羽だ」

 遺影を持った喪服姿の私を見て、何故か嬉しそうに昊が身を乗り出す。

 容赦なくチャンネルを変えた。昊は一瞬不服そうにしたが、「不謹慎だよね、ごめん。彩羽には辛いことなのに」とすぐに神妙な面持ちになった。

 感情がすぐ表に出るんだな……。私にはないものなので、微かに羨ましい。

「言いたくなければいいんだけど……、漣音羽さんって、どんな人?」

 遠慮がちな質問に、私はぽつぽつ思い出話を始める。

 一言で表すなら、浮世離れした人。家のことは何も出来なくて、お手伝いさんに身の回りのことをすべて任せていた。下着の場所すら覚えられず、「とても一人じゃ生きていけないわぁ」とよく笑っていた。

 でも舞台にはとても厳しくて、依頼された役は出来るかぎり、端役でも断らなかった。一つの役にのめりこむと三食忘れるのもざらだった。家にいても頭の中は芝居でいっぱいで、台本や資料を読みこんでいるかと思えば、急に思い立って舞台関係の人に連絡をして出ていったり、芝居のゆかりの地に飛び立って行ったり、とにかくせわしない人だった。

 私にとってはちょっと抜けてる、可愛らしい母親だった。役者をしろと言われたことは一度もない。でも仕事に向き合う姿勢に憧れて、八歳の時に「私もお芝居がやりたい」と自分から申し出た。そこからの、母親の行動は早かった。あっという間に歌やダンス、日舞のレッスンを詰め込まれ、励む日常に変わった。その後母の口利きで、一〇歳の時に初舞台を踏んだ。初舞台が大女優であり、母である漣音羽との共演だとは、なんて贅沢なんだろう。稽古場でも本番でも、家の中とは違う母の美しい立ち振る舞いに魅了された。

 とても生命力の溢れた人だった――だから心臓の病に倒れるなんて、想像もしなかったのだ。

 病気が見つかったのは約一年前。母はそれを周囲に漏らすことはしなかった。入院を拒み、内密に付き添いの医師をつけ、舞台に立ち続けた。そして二カ月前、最後の公演が無事終わってすぐ、倒れた。 

 離れて暮らしていた私が病気を知ったのは、その時だった。

「僕も音羽さんが入院したニュースを観てびっくりした。早く良くなって退院出来るように祈っていたんだけど……」

「病気が発見された時すぐ入院していれば、まだ深刻な状態にはならなかったみたいなんだけどね。でも舞台はとても体力を使うものだから、心臓への負担が大きかったみたい」

 あとで聞いた話によると、移植という手もあったらしい。でもそれは母が拒んだという。長い検査を受け、ドナーが見つかるのを待つより今ある舞台に専念したいから、いう理由で。

『彩羽、ごめんね。自分の夢ばかり追いかけて、母親らしいこと何一つしてやれなくて、ごめんね』

 何言ってるの、弱気なこと言わないで。じゃあ早く元気になってよ。退院したらゆっくり旅行にでも行こうよ。

 涙が出そうになるのを隠すため、拗ねたような口調になってしまった。

『そうね……たまには芝居のこと忘れて、二人で温泉でも行きたいわね』

 本当は、それが叶わないだろうというのはわかっていた。医師にもう長くないと宣告されていたから。母もわかっていたと思う。

 私に謝るなんて。自分の道を迷いなく突き進んでいく主義の人だったのに。病気とは体だけでなく、こんなにも人の心を弱くさせるものなのか……。

『ああ、舞台に立ちたいなぁ』という言葉を残し、母は最期を迎えた。

 ちゃんと言ってあげればよかった。母親らしいこと、して貰ったよ。母の背中を見て、私は役者を志した。母を通して舞台を知った。世界を教えて貰った。母の演技を真似て、母に憧れて、母を追って、追いつきたくて……。    

 父を知らない私には母がすべてだった。

 気づくと私はまた昊の腕の中にいて、頭をずっと撫でられている。それがこんなに気持ちいいことだとは、今の今まで知らなかった。

 こんな風に、もっと母に甘えればよかったなぁ、と今更後悔する。私が甘えれば、母だって受け入れてくれただろうに……。意地っ張りで、天邪鬼な子どもだった。

 そんなことを考えながら、私はまたうとうとする。人のぬくもりってすごい。あ、人じゃないのか、クローンか……。でも、材質? は、まったくの人なのだから、人と呼んでいいんだよね。

 どっちでもいい。こんなに落ち着けるのは久しぶりだ――。

 翌日もそんな調子でのたりのたりと過ごした。翌日も、その翌日も。放っておいても身の回りが勝手に綺麗になっていくので、どんどん私の中の怠け虫が増えていく。こんなことでいいのだろうか……でもなんせ気を使わなくて楽なのだ、私のクローンは。生活のペースを乱されることが許せない自分には、共同生活など絶対無理だという自信があったけれど、いても全然邪魔じゃない。

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