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彼は暗い森へ消えた。

さすがに私が刑事と行動を共にしているのはおかしいので、誉田さんには春哉一人で会って貰うことにした。物陰からこっそり見ていると、誉田さんが紙を春哉に手渡している。怪しまれてはいないようだ。

 二〇分くらいして春哉は戻ってきた。

「いたぞ」とリストを私に見せる。外灯の淡い光を頼りに、リストにざっと目を通しただけでも三〇人はいる。その中に梶千代香の名前もあった。

「――梶って人のこと、何か誉田さんから聞けた?」

「ああ、ついさっきニュースになったばかりだしな。誉田さんも興奮してたよ。お陰で自然に話してくれた。つい二年前まであの病院に勤めていたんだと。人付き合いはあまりなく、どちらかというと陰気な感じ。仕事はしっかり出来ていたが、二年前に宗教の勧誘を患者にしつこくしていたところを目撃され、辞めさせられたって」

「宗教?」

「なんだかわからないけど『私が紹介するところに行けば、病気も治りますよ』とか言ってたんだと。その患者も気味悪がってたらしい」

「ふうん……」

 宗教か……。祈れば楽になれますよ、とか?

 ホテルに戻るタクシーの中でリストとにらめっこする。でも梶千代香以外に、知った人物はいなかった。

 部屋に戻ってテレビを点けた。事件のことはやっていたが、新しい情報は特にない。テレビを消して、ベッドに倒れ込む。ダメだ、考えないと……。色んな点がぐるぐる回ってなかなか線にならない。どうにか繋げて……。焦る気持ちだけ残して、思考はそこで閉じてしまった。


 目を開けるとL字型の窓の向こう、無数の星が襲ってくる幻覚に襲われた。思わずベッドの端を掴み、目玉だけを動かして現状を把握する。ここはホテルのベッド。北海道。

 さすが北海道の星は東京で見るそれとは違う。大きくて、近い。

 時計を見ると、まだ夜中の二時だった。もうひと眠り出来るはずなのに、目が冴えてしまった。水でも飲もうかと、ベッドを降りる。何か夢を見ていた気がする。どんなだっただろう。昊。そうだ、昊に会えた夢だ――。

 ふと、窓に目をやった。

 窓に映る私の顔。下の庭のライトに照らされて、鮮明に浮かび上がっている。

「…………」

 いや、違う。

 恐る恐る窓に手を添えた。窓の向こうの顔は微笑んでいる。急いで私は窓を開ける。

「昊……!」

「しっ」

 昊は人差し指を口にあてた。「周りに聞こえたらまずいんだ。警備員も巡回しているし」

 よく見ると窓のそばにある太い幹の樹木の枝に腰かけている。ここが二階だからよかったけれど。

「危ないよ」

 けれど言いたいのはそんなことじゃなかった。でも頭が混乱して、ぽかんとする以外反応出来なかった。

「久しぶりだね彩羽。カーテン閉めないとダメだよ。相変わらず不用心なんだから」

 そんな私の混乱をよそに、昊は相変わらずの人懐こい笑顔を向けた。口から白い息が漏れた。「僕を探してくれていたんだね」

「そう……、そうよ」

 これは夢だろうか? 私は目が覚めたつもりで、夢の続きを見ているのか。「探してたの、一緒に帰ろう」

「一緒に帰ってどうするの?」

 昊は喉を鳴らすように笑う。「僕は彩羽の部屋にこもりっきりで、彩羽の世話をして、一生を終えたらいいの?」

 一瞬、冷水を浴びたような心地になった。

「……え?」

「誰にも見つからないように潜みながら、彩羽の都合が悪い時だけ、僕が影武者のように表に出ればいい?」

「なにを……言ってるの? そんなこと考えたこともない」

「でもいずれそうなる。僕はきみの身代わりになるんだ」

「なら……ないわよ」

「きみのお母さんのように心臓の病気だったら、僕はきみに心臓を提供出来るよ。そのためのクローンだと言ったら、きみはどうする?」

「やめて!」

 大きな声をあげてしまった。はっと周囲を窺ったが、誰も来る気配はない。「……どうして突っかかるの。私がそんなこと望んでないことくらい、わかるでしょう」

 昊は穏やかに微笑んだまま、「ごめんよ」と言った。「気が立ってるのかもしれない。言い過ぎたね。彩羽を嫌な気持ちにさせるつもりはないんだ」

「それは……母親代わりの梶千代香さんが、亡くなったから?」

 思い切って聞くと、昊の顔から笑みが消えた。

「ニュースでやってた?」

「うん、余田市の山中で遺体が見つかったって。――昊。何か知ってるの?」

 昊の表情と言い方が引っかかった。ニュースでやってたかと聞いたのは、ニュースを見なくても、知っているから?

「……知ってるも何も、遺体を運んだのは僕だからね」

 さらりと、あまりにも自然に言うので、聞き間違いかと疑ってしまった。

「……殺したの?」

「いや……事故だよ。博士と揉みあった時に打ちどころが悪かったらしくて……山に捨ててこいって言われたものだから、車で」

「どうして言いなりになるの」

「僕にとっては父親だ。僕は博士がいないと生きていけない」

 言葉に詰まった。守ってくれるのは『博士』だけから――なら、『博士』が悪い事をしたら、その尻拭いまでしなきゃいけないの?  

 犯罪者についていかなきゃいけないの?

 そう言いたいのに声が出ない。

「――宇野さんの具合はどう?」

 突然の宇野の話に、背筋がすっと寒くなる。

 まさか。

 目を見開いたままの私に、昊はこわばった表情で口を歪めたまま、僅かに頷いた。

「宇野さんを轢き殺そうとしたのは僕だ」

 ああ。

 ため息が口から洩れた。そのまま耳を塞ぎたかった。

「……きみに会いに行く条件として、博士に、『宇野を殺して来い』と言われていた」

「ど、どうして……」

 いきなり宇野と『博士』が繋がったので愕然とする。

「理由は知らない。でもはじめは殺すつもりはなかった、殺人なんて恐ろしいこと……。二〇年前の宇野さんの写真は見せられていたけど昔の写真なんてあてにならないし、彩羽に会いに行く前に一応教えられた住所にも行ってみたけど、全然違う人が住んでいた。だからわからなかったって帰ればいいや、くらいにしか思ってなかった」

 二〇年前――。『博士』が、宇野に殺意を抱いた何かがあったのだ。

 それは私のクローンを作ろうとした時に起こった『何か』なのか、それともまったく別の『何か』なのか。

「でも僕は僕で理由が出来てしまった」昊は淡々と話を続ける。「僕がホテルを出た後、彩羽が僕を探しているのを見た。きっと彩羽ならどうにかして、宇野さんに辿り着いてしまうと直感した。宇野さんは何もかも打ち明けるだろう。そうしたら僕と博士の居場所を突き止められる。そうなる前に、宇野さんの口を封じるしかないと焦った。短絡的だった……今は申し訳ないことをしたと思ってる。怪我の具合は病院に電話して聞いた。宇野さんが目覚めたら……謝っておいてくれないか」

「自分で言って。自分のしたことでしょう」

 怒りがふつふつと湧いていた。「宇野が住んでいるところ、わからないんじゃなかったの?」

「きみのスマホの住所録を盗み見ていたから。顔も……きみの部屋に来た時、見た」

 そうか、と腑に落ちた。だから『宇野』という名前を聞いた時、昊はあんなに驚いた顔をしたのか。「ウノの人かと思って」などと言い訳していたが、『博士』に殺して来いと言われていた人物と一致したのが、あの時だったのだ。

 あの時宇野の顔を見ていなければ、その後私が昊を追わなければ、宇野はあんなことにならずにすんだということなのか……。

「僕をどうする? 警察に突き出す?」

「……どうして、芝居の稽古に出たの」

 出来るはずもないことに対する質問は無視した。私の問いに、昊は目を細めた。

 風が吹き、枝が揺れる。

「梶千代香さんが迎えに来たのは知ってるわ。でも昊はすぐに北海道に帰らなかった。どうして?」

「……きみに絡んだって、後から本人に聞いた。ごめんよ、あの女が迷惑を掛けて」

 あの女って……。仮にも産んでくれた人のことを。

「僕が脱走したから、血眼になって探してたろ。僕にやたらと執着して。わざわざ東京まで迎えにくるなんて、頭がおかしいんだ」

「だって、母親でしょう」

「違うよ、あの女はただの借り腹だ。僕と何の関係もない。ずっと気持ち悪かった」

 そんな否定的な言葉が昊の口から吐きだされるとは思ってもいなかった。殺されそうになったのに、急に彼女が哀れに思えてくる。

 昊は、こんな人間だったのか。

「あの女は何もなかった。大切な家族も、友人も、仕事も。だから僕というものに執着するしかなかった、可哀想な人間なんだよ。……僕もそうだ。だから突き放すことが出来なかった。――彩羽」

 またあの、湖の底に引きずり込まれそうな視線が私を捉える。

「……きみが憎かった」

 ぽつり、と。

 言葉が私の胸を激しく抉る。

「だから馬鹿なことをやってみたくなった。きみに成り代われるんじゃないかと、馬鹿な夢を見た。僕はね、彩羽」

 いつの間にか、昊の瞳には涙が溢れていた。

「昔からきみの舞台の映像ばかり観ていたんだよ。もう何千回、何万回観たかわからないほどだ。きみの放ったセリフはすべて覚えている。目線、手の動き、足の運び、すべて再現出来る。僕が男なのにこんなにきみにそっくりなのは――きみに焦がれて焦がれて……きみになりたいと思い続けてきたからなんだ、きっと。だから……北海道に帰る前に、試してみたくなった。僕の芝居が通用するのか。彩羽と同じように演じられるのか。あの三日間、楽しかったよ。誰も僕のことを疑わなかった。さすがだって、以前よりいい演技だって褒められた時は、優越感に浸ったほどだ。」

 流れ出る涙に気づいていないのか、昊は瞬きすらしない。ただ、私を見つめているだけ。

「――でも、あれは僕じゃない。あの舞台に立つべきなのは彩羽で、僕の演技すら彩羽のものなんだ。じゃあ僕は――、一体何なんだろう。はじめは傍にいたくて会いに行った。彩羽との生活はとても楽しかった。一生影でいてもいいとさえ思ったよ。でも千代香が迎えに来て……僕は現実に引き戻されてしまった。彩羽の影にもなれず、だからといって彩羽にもなれない……」

 母ですら存在を知らない子ども。会いに来なければ、私だって知ることがなかった。

 そして彼は一生誰にも存在を知られないまま、森で一生を終えるはずだった。

「……私はただ」どう言えば、昊に響くのだろう。「昊に傍にいて欲しいだけよ。昊がいてくれたら落ち着くの。初めて人が傍にいることに、安らげたの。……でも、それが……昊を苦しめることになる?」

 自分の目からも涙がこぼれ落ちたのがわかった。見つめあったまま、私たちは泣いていた。

「……そう。だから、もう……」昊の手が伸びて、一瞬だけ、私の髪に触れた。「僕を追わないで」

「待って」

 ふわりと枝から飛び降りた昊に、腕を伸ば

した。けれど何も掴めなかった。

 昊は暗い森へ消えた。


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