第5話 船上の船友!
耳をつんざくような音が響くと、船は微かに小刻みに震えた。
「お〜〜い。手伝ってくれ!」
外から騒がしい声が、オヨコの耳の奥に入り込むと、オヨコは布団の中から顔を出した。
何やらアゴのあたりが、濡れている。
夢の中で大量のご馳走を、平らげる夢を見たのだ。
オヨコはヨダレを手で拭いた。
「何やってんだー!早く出て来いよー!」
外からしゃがれ声が、聞こえてきた。
「うん?ここは何処?」
オヨコは一瞬考えた。だがすぐに思い出した。
そして慌てて飛び起きると、洗面所を探した。
薄汚れた洗面台の上には、垢にまみれて燻んだ鏡が置いてある。
オヨコは鏡を覗いた。
あまりの汚れに、顔を近づけなければオヨコの姿は写っているのかさえもわからない程だ。
オヨコは鏡の中を、食い入るように覗き込んだ。
ブロンドの髪をして、透き通るような白い肌に、頬は薄っすらとピンク色の女性がオヨコを見ている。
オヨコはニンヤリと微笑んだ。
女性も微笑んだ。
オヨコはそっと唇を鏡に近づけた。
女性の艶のある小さな唇が、オヨコの前に近づいた。
そっとオヨコは鏡にキスをした。
ねっとりとした液状が、オヨコの唇についた。
「ぎぇっー何これっ!」
オヨコは慌てて蛇口をひねると、唇を洗い流した。
「汚ぁー! あの人掃除してんのかな!」
「ったくっ!まだ寝てんのかい?いったい何時だと、思ってんだ!」
その時である。
この船の主であるやせ細った女が、たくさんの荷物を抱えて帰って来た。
そして雑にテーブルの上に、荷物を投げやった。
オヨコはそっと、洗面所から顔を出した。
すると女と目が合った。
「おや?起きてたのかい?」
女は腕組みをした。
「だったら、出て来てくれりゃーいいのにさ!大量のお前さんの、食料買って来てやったんだ、船下まで取りに来るぐらいできただろ?」
女はそう言うと、いつものようにタバコに火をつけた。
「ご、ごめんなさい……気づかなくて」
オヨコは洗面所の陰から、頭を下げた。
そんなオヨコを見て女は、大きくタバコの煙を吐き出すと、
「飯にするよ!用意手伝ってくれ」
そう言いタバコを甲板めがけて投げつけると、台所へ向かった。
「あたいは『トマ』だ!この船の船長。
……と言ってもあたい一人だけどな?
あんた、嫌いな物はないだろぅ?
まっ、あったらそんなに肥えちゃいねーな」
そう言いトマは笑った。
「あ、うん!私はオヨコ、17歳。
……え……と住んでた街は……」
「住んでた街なんて、いいさ!もう関係ーねんだろ?」
トマは大雑把にフランスパンをざく切りすると、テーブルの上に置いてある木目のカゴに無造作に投げ入れた。
そんなトマの豪快さに、オヨコの目は泳いでいる。
「そこの冷蔵庫開けてくれ。中にミルク入ってっからよ、カップはあっち」
オヨコは台所の横にある冷蔵庫から、ミルクを取り出した。
向かいにある食器入れの中から、くすんだブルーのカップと、可愛らしい花柄のピンク色したカップを二つ取り出した。
くすんだブルーのカップは、きちんと洗ってはいるだろうが、いかにも汚ならしい器である。
オヨコは真新しいそうな、花柄模様のカップを使いたいと思ったが、客人の分際で綺麗なカップを使用するわけにはいかないだろうと、仕方なくブルーのカップを自分の方へと並べた。
「このカップ……どこかで見たような……?」
オヨコはそう思った瞬間、思い出した。
「これは あの‼︎」
オヨコはカップの周りをくまなく見ると、
「も、もしかしてー‼︎」
そう言ってすぐに、そのカップをトマの居る場所へ持って行った。
「ねぇっ、このカップ‼︎」
オヨコは忙しそうに、フライパンを回しているトマに持っていたカップを突き出した。
「んん?」
「これ、このカップ!あの『ルル』デザインのカップなの!
どうしてここに⁈」
オヨコは興奮した様子で訪ねた。
トマはフライパンで炒めた、チキンのガーリック炒めのソースを親指につけると、ペロリと舐めた。
「ん!うめぇー」
「ねぇ、聞いてる?」
オヨコはさらにカップを、トマの顔面に近づけた。
「あぁ、聞いてるよ。それだろ?
いつだったか、誰かにもらったんだと思うが、あまり記憶ねぇーな。
あたいはそんなの、興味ねぇーからよ」
トマは出来立てのチキンを皿に載せると、オヨコに渡した。
オヨコは興奮冷めきらぬ様子で、皿に載ったチキンをテーブルに運んだ。
「ねぇ、ねぇ!これよ。凄いわ!ルルのデザインのカップなの!最新号の、え……と?
あ、また今月最新号は出たから、そのちょっと前の号になっちゃったけど、その、ライムベリーの701号だけなの!
ルル自らデザインするなんて!
しかも抽選たったの100名よ?そ、それに当たったなんて!
奇跡としか言いようがないわ!
ねぇ、聞いてる?」
トマは忙しいそうに咥えタバコに、両手いっぱいのオレンジをオヨコに一つづつ投げていった。
今まで太っていたオヨコにとって、オレンジの向かう先が少し離れただけでも、拾いあげるのに必死の様子。
見る限り運動神経ゼロである。
オヨコのアタフタする姿に、トマは笑いを隠せずにいた。
真っ赤な顔をし、必死に額の汗を拭いながら、オレンジを拾うオヨコは言った。
「ねぇってば!トマさん、聞いてる?」
トマは咥えタバコを取ると、
「ああ」
と答えた。
「これ、私使っても……」
「やるよ。お前さんに、勝手に使いな!」
トマはチキンにフォークを突き刺すと、口に放り入れた。
「ほ、本当!」
「ああ、あたいの趣味じゃにゃいからなぁ。そんにゃ、女々しい柄のどこがいいんだゃかぁ」
トマは口にチキンを含んだまま言った。
「ありがとう、トマさん!だぁ〜好き‼︎」
そう言うと、オヨコはいきなりトマの背中に抱きついた。
「プハッーー‼︎」
トマは口に含んだチキンのカスを、テーブルいっぱいに散りばめた。
「バ、バカッ!あ、危ねーだろ!窒息するじゃねぇーか!」
トマは顔を真っ赤に、火照らせて叫んだ。
「フフ。本当にありがとう。トマさん!」
オヨコはにっこり微笑んだ。そんなオヨコの笑顔に、七色の光の粒が包み込んだ。
『ゴクン……』
トマは思わず唾を飲み込んだ。
「さっさぁ、飯食いな!チンタラしてっと、お前さんの分まで食っちまうよ!」
そう言いトマは、オヨコにフランスパンを投げつけた。
「わぁっー美味しそう!実はお腹ぺこぺこだったんだー
夢までみたのー! ハンバーグに埋もれる夢!
幸せだったなぁ〜」
オヨコはフランスパンを思い切りちぎると、大きな口を開けた。
「ハハッハーすげぇー口だ!素敵なレディが台無しだ!」
トマは笑った。
「フ……ム。食欲と美は別ものなの……よ」
オヨコはフランスパンにチキンと、口いっぱいに詰め込んで言った。
「ハハッハー‼︎お前さんて、面白いやつだよ」
「だからぁ〜もう、オヨコですぅぅ〜?」
「ポヨコ?」
「もうトマさん、意地悪なんだから……」
オヨコは花柄のカップに、勿体無さそうにミルクを注いだ。
「す、素敵だわ……」
オヨコは花柄のカップを、うっとりとした眼差しで見つめている。
「不思議だな?」
「え?」
オヨコはトマを見た。
「お前さんでも、食べ物を前にしてでも見とれる物があるとはね」
トマはにやけた。
「トマさんたら!し、失礼しちゃうわ。私だってレディよ!可愛らしい物には、釘付けになっちゃうわ〜」
「ハハッハー‼︎そうか。そりゃ失敬だな。
ほらほらよそ見してねぇーで、早く食っちまいな!
今からいいとこ連れてってやっからよ」
トマはミルクをかぶ飲みすると、袖口で荒々しく口元を拭いた。
「え、何処へ?」
「まっ、いいからついて来な!」
オヨコは超特急で、食事をかき込んだ。




